井沢満ブログ

後進に伝えたい技術論もないわけではなく、「井沢満の脚本講座」をたまに、後はのんびりよしなしごとを綴って行きます。

心の持ち方・・・・

2020年02月07日 | 旅行

クルーズ船の乗船者のうち、これまでに61人の新型コロナウイルスへの感染が確認されたそうだが 船内に隔離された方たちの不平不満を そうだろうなぁと理解、同情しながらも・・・・

しかし思えば一方に自宅でも病院でも一室から出られないまま 場合によっては言語機能が麻痺し 食物の嚥下が困難、寝返りさえ自力で打てず、数ヶ月 数年、数十年 先行き、その”閉じ込められ”状況から抜け出る見込みさえ立たない人たちも多いことを考えると、豪華船に乗れる経済的ゆとりがあり、3食上げ膳据え膳、テラス付きの部屋もあれば室内で体操できる体力と健康を有し、カップルでの乗船なら話し相手にも事欠かず・・・・2週間と期限付き自由の拘束、さほどの不幸かなあとつい思うのは、世の中の過酷な状況に置かれた人々と比べてのことであり、批判ではなく、むしろ そう思うことで期限付きの「軟禁」状態が耐えやすくなるかもしれぬというのもあり(他人事だからとお叱りをこうむるかもしれないが) ことは日本人全体の健康がかかることゆえ ここは今しばしの忍耐と寛容さを持っていただけぬものであろうか。と、そう思うほうが 該当の方々の精神衛生にもよろしくはないだろうか。

まず日本国が寄港を許したそのことじたいが幸運であろうし、チャーター便を飛ばしてくれない国もある。相部屋の苦痛は重々わかるが まずは受け入れてくれたホテルの愛ある英断に感謝したいように思う。

昔の日本人はというより本来の日本人は大震災の最中にあっても 人智ではどうにもならない状況は従容として受け入れ「人権」などと喚かず静かに整然と団体行動の規律を保っていた、 あの本来の姿はこの短期間にどこへ失せたのだろう。

 

文中の不備は後ほど。


三島

2018年06月02日 | 旅行

果樹園ホテルに身を落ち着けた途端、どっと疲労が噴き上げたていで、
マッサージ中に、こむらがえり。

割に多いので、そのための漢方を服用することがあるのに
この度は持参していず、ふいにつる筋肉に戦々恐々。

新作のラフデッサンの如き原稿を書きにこもったのに
脳もこむらがえりを起こした塩梅で、一文字も書くこと能わず。呆然と過ごすうち今日もまた日が暮れる。

今朝は、山頂の温泉で日の出を迎えようという心づもりであったのに、
一度痙攣した足の筋肉は、山の傾斜を歩くには不安。

と・・・・書けぬまま岩下尚史さんの文章を読み浸るうち少しだけ
真似したくなって、文の調子が普段とは違う。

三島由紀夫と女性との濃密な3年間を描いた「直面」の、基となった
「見出された恋 『金閣寺』への船出」を、読んだ。

「直面」はドキュメントふうだが、「見出された恋」は純然と小説のていで、しかし両者通じ合い骨子はほぼ同じ。

それにしても三島文学の白眉「金閣寺」が女連れの取材で
生ったとは。執筆の合間にボディビル、映画出演・・・・と
華やいでいた作家の恋はもっぱら同性に向けられていた、と
世間の認知と私もおつかつであったのだが、3年間みっちりと
明け暮れ一人の女と過ごしていたのを知ることはかなりの
驚きではあった。

そういう目で見れば、三島の描く女像と女がまとう贅を尽くした
着物の描写、得心が行く。
平林たい子が三島の描く女を、素人なのか玄人なのか見分けが
つかぬと唾棄したが、慧眼ではあろう。
私など、三島虚構の中の畢竟、観念の女性であるのだから、と
許容して来たのだけれど。しかしながら、実際に女を描く際の
アーキタイプとしての存在があったとは。

女は三島のもとから突然去る。それは彼女の直感どおり
恋する相手ではあり得ても、結婚相手ではなかろうからだ。

それにしても、「直面」にも「見出された恋」にも、三島夫人の
片鱗の記述もなく、いっそ残酷なほど。

白眉は、婚約者連れの女と、すでに世帯を持っていた三島の
偶然の再会である。三島は女に向かい「僕とどこかに行こう!」と
迫るのだ。

付き合いのさなか、三島は女に「僕の子を産んでくれ」と迫り、
「葡萄牙」で暮らそうと夢を語るのだ。
岩下さんふうに、ポルトガルを葡萄牙と漢字表記してみたが。

「どこかに行こう」と衝動的に持ちかけた三島に、もし
女が応じていたら、三島のその後の人生の展開が
果たしてどうなっていたことか。
いずれにしても、三島の人生の帰結は自死しかなかった
ろうと思う。

私は、三島の書く文章から直感的にこの方の死を読み取っていた。
だがそれにしても、市ヶ谷での割腹には驚かされた。
文士の奇矯な振る舞いとまでは、私は思わなかったけれど、
三島が檄で訴えようとした内容を、ようよう理解したのが
近年のことである。

天才の早逝と私のような鈍才のべんべんと生きながらえることの意味を思い知っている。
頭脳俊敏な三島の倍生きなければ、私には理解の届かないことが
あった、とそういうことだ。

・・・・・ホテルの窓の外は、はや黄昏。
連なる山々の合間に、富士山は今日も姿を見せぬ。

と書いて、ふと目を上げたら扇を逆さにしたシルエットが宵闇の
空に浮かんでいた。いつの間に姿を表したのだろう。

Amazon評を見ていたら三島のファムファタールを「しょせん水商売の女」と切り捨てた方がいらして、それもまた一つの見方ではあろう。
人工的に作られたところの多い女こそが、おそらく三島の嗜好に叶い、
また女のほうも富裕の料亭の娘として花柳界の気風に染まり、幼い頃より贅沢三昧、日髪を結い足袋はそのつど履き捨てる暮らしから、三島に料理を供したり掃除洗濯は考えられなかったからこそ、三島の前からふいに姿を消し、いよいよ三島の夢の女となったのであろう。

 

誤変換他、後ほど。


果樹園ホテルより

2018年06月02日 | 旅行

昨日、ホテルに着いたそうそう山頂の露天風呂まではぁはぁと30分かけて
登り、久々の温泉を堪能しました。

湯船が浅く、ぬるいので一時間でも岩を枕にまどろんでいられます。
眼前を黒い影が旋回して、すばやくよぎるのは燕でした。

覚悟していましたが、夜は寒いほど。
今朝は庭からオルガンのウェディングマーチが聞こえてきて、結婚式なのだな、
と思っていたら、買い物の帰りにこれから野外の式場に腕を組んで出ていこうと
している純白の衣装の若い花嫁とその父親が佇んでいて、危うく
涙ぐみそうでうろたえました。いったい、何に感応したのか、父親の
心情に寄り添ったのか、花嫁のこれからの平坦だけではなかろう人生を思っての
愛しみであったのか。

佐藤錦という名の、桜桃ばかり食べて他は口に入れていません。
どくだみ茶を買って来て、5日間のデトックスです。

この間ホテルに果物だけの食事で10日間こもったときは、高校生の体型に戻っていたのですが、油断大敵でいつしかまた・・・・・。今回は5日間なので、さて
どの程度、贅肉が落ちますか。

帰京してそうそう、会食が続きます。

 

誤変換他、後ほど

 


ローマの月

2018年05月29日 | 旅行

 

聖地アッシッジへは車で3時間と聞いていたのですが、存外
早い到着で2時間半でした。
アントニオというドライバーの運転するベンツに、日本に4年間
留学していた、シモーネという日本語が流暢なガイドが
ついてくれての小旅行です。

アッシッジが近くなる頃車を駐めてもらって、麦畑の
いい香りを胸腔いっぱいに満たして至福。

どうも大都会の喧騒が好きではないようで澄んだ空気と
静寂の中の風のそよぎや小鳥の声に、落ち着きを
取り戻すようです。東京では諦め果てて暮らしているのですが。
かといって、田舎暮らしができるかというとそれは無理。
いっとき、持っていた熱海の山荘を手放したのも、
行きゃあしないからで・・・・たまに重い腰を上げて
出かけても、テレビの生出演で翌日東京に戻ったり、
あるいは朝のテレビ小説の原稿の締切に追われていたりで、
何より、人恋しくて山荘もさして意味がなかったのです。

ローマは街自体がアートですが、人気の少ない裏通りを歩くのが好きです。
ホテルはヘップバーンが泊まっていた「ハスラー」か、ピカソとジャン・コクトーの
コンビが芝居の企画を練っていたホテル「デ・ルシー」か、迷ったのですが結局、後者を選び、今思えば2つのホテルを泊まり分けてもよかったようなものですが、小回りのきかない私には無理な芸当で
あったかもしれません。

しかし、ホテルの裏手に「ローマの休日」でヘップバーンの
恋の相手、グレゴリー・ペック扮する新聞記者の
住まいとして使われた住まいがあると聞いて、今日
それと思しきアパートふたつほど見つけましたが、画像は
後ほど。スマホで撮ったので、帰国しないと転送が
できません。

ローマ滞在中は晴天に恵まれたのですが、私が到着する
前は数日間土砂降りだったそうです。
用事も最小限の観光も済ませた今、ローマの石畳を
濡らす雨も見たいものだと思っていたら、グレゴリー・ペックの
家を探す裏通りの道すがら、ぽつぽつと落ちて来て、
石畳がしっとりと潤い、ありがたいことでした。
雨気が漂うと、裏通りに白く咲くジャスミンの香りが
より深くなりました。クチナシと並んで好きな
香りなのです。
雨はしかし通り雨で、ややしばしローマの夜空にはぽっかり
銀貨のような
丸い月がうかんだのでした。

アッシジから戻ったら部屋の電話機の赤ランプが点滅していて
メッセージランプだということはわかりましたが、受話器を
取っても、何の反応もなく散歩に出るついでにホテルの
フロントに寄って尋ねたら、誤作動とのことで
「これこれの番号を押したら、ランプは消えます」と
恰幅のいい女性スタッフが番号をメモした紙を渡してくれ、
「この番号でも消えなかったら、線を引っこ抜いちゃって!」
というので、大笑いしたのですが・・・・その番号を
押しても消えはせず、線を引っこ抜くのは遠慮して
放置することにしました。
が・・・・あるいは、精霊からの無言のメッセージだったのかもね。

久々のトレビの泉にて

 

アッシジにて

 

 

 

 

以下は、アップしそびれたシスティナ劇場での
スナップです。

 

各地の小劇場でコツコツと上演を続け、ついにイタリアのミュージカルの殿堂と言われるシスティナ劇場での上演にこぎ着けた敏腕プロデューサーの
Claudio Crocetti氏と、ずっと私に付き添って通訳をしてくださった久谷満香さんです。

 

 

 

左側の方が作詞作曲をやってくださった方・・・・だと思います。
1時間のうちに、大勢の人々に一気にお会いしたので、失礼があったかもしれません。

スタッフ、俳優の皆さんには心より感謝申し上げます。

それにしても、ヒロインや俳優諸氏との2ショットの画像が見当たりません。彼らの演技はむろん、歌も素晴らしかったのです。

報道の人たち。

観客席には小さなお子さんたちもいて、退屈しないかとか、子供にはハード過ぎる
場面があるのに、とか何より午前零時近くになった終演まで、出演の
子役たち含めて心配だったのですが、ローマっ子は宵っ張りなのかもしれません。
何しろ8時になっても、まだ空が明るいのです。

 

写真撮影とサインを繰り返していました。

 

 

 

 

なぜかイタリア全土からコスプレーヤの皆さんが参集、とのことで・・・

 

この方もそのお一人↓

この衣装で自宅からいらしたのかどうか、
2ショット要望の列が出来ていて、聞きそびれました。

コスプレについてどう思うか記者の方から聞かれたので、「私自身がコスプレ愛好家です。キモノなんて、今の日本の男は着やしないので、ほとんどコスプレです」と答えました。

 

イタリアにおける「コスプレの女王」なのだそうです。

 

 

拙作の何がコスプレ族の心に触れるのか不明ですが、鉄道が開通した頃の
オーストラリアとイギリスの物語で、いわば時代劇でそこが変身願望を
そそるのかもしれません。

 

                   

 ウルトラマンの恭しいお出迎えを受けました 。

 俳優諸氏との写真は、どこかにまぎれてしまっています。

観客席には著名な俳優や、バレエ演出家の方もいらっしゃったそうですが、
こちらは写真を撮りそびれています。まだアップしきれていない画像は
おいおいに。

検索をかけるかもしれないイタリアのファンの方のために
キーワードを打っておきます。

GEORGIE MUSICAL ROME Sistina-Theater MANN IZAWA

 

 


トレビの泉まで散歩

2018年05月28日 | 旅行

そういえば公演の日、出迎えてくれた一群の中に
ウルトラマンの扮装をした人がいて、床に
ひざまずいて挨拶をしてくれました。
「シュワッチ!」とやってあげればよかった、と思ったのは
後のことです。
ウルトラマンスーツに仮面なので、いまだに女性か男性か
分かりません。野暮なので、あえて聞きませんでしたが。

公演の翌日、テレビに私の様子が流れますよ、と
言われたので、ホテルのテレビをつけてニュースを
見ていたら、現れるのはトランプ大統領と、文在寅大統領、金正恩国務委員長それに
イタリアの政治家とおぼしき人ばかり。

テレビを切ってジャスミンの花が咲き乱れるホテルの中庭に
カプチーノを飲みに降りたら「猫はお好き?」と
顔なじみになった美しい顔立ちの女性給仕が訊くので
うなずいたら、「こちらの席へどうぞ」。
すると、椅子の一つに猫が午睡の最中です。
ホテルの庭でよく見かける子で、名前は? と
ウェイトレスに尋ねたら「モナです。もう一匹リサという
子がいるんですよ。彼女たちがこのホテルのオーナー
なんです」

モナリザの片割れ、モナの隣の席に腰をおろし、
モナを撫でながらカプチーノを飲んでいるのは
至福でした。そうこうするうち、モナは起きて
じゃれてくれるようになりました。
モナの画像は、帰国してからアップします。

ジャスミンは午後遅くなるに連れ、香りが立つように
思います。

トレビの泉までゆったり歩いて40分ほどだったでしょうか。
二度目の訪問でしたが、記憶の中の泉はいつかこじんまりと
縮小されていたのですが、泉を莊嚴する彫像たちが
記憶の中では消え果てていたのが実際に見ると
巨大で圧倒されました。この国の人々の彫像へ寄せる
愛が一通りではなく、そこかしこに誰それの、あるいは神の、
天使の、科学者の、作曲家の彫像があります。

通りかかったカトリック教会に入って、私はキリスト教徒ではないけれど、
神前にぬかづきしばらく黙祷していました。時に天使を
目視するので現れてくれないかな、と期待したのですが
ここではご縁がつながらなかったようです。

本日は、聖フランチェスカの活動の地アッシジに片道3時間ほどの
ドライブに出かけます。この度で唯一、最初から訪れようと
専用車を頼んでいた短い旅です。
ローマのホテルはキープしたままベネツィアに一泊で行こうかとも思ったのですが、移動が億劫で止めたのでした。

 

誤変換他、後ほど。