1985年にうしろゆびさされ組というアイドルユニットがあった。そのデビュー曲がうしろゆびさされ組。
うしろゆびさされ組
どういう曲かは視聴して頂きたい。その中の歌詞で次のものがある。
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趣味が悪いねと
まわりの友達は言うわ
だけど愛はいつだって
答えがあるわけじゃない
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(うしろゆびさされ組 より)
最近、はいからさんが通るの記事で女性の自由恋愛による結婚について執筆して、うしろゆびさされ組の曲を思い出したので本稿を執筆。
うしろゆびさされ組は1985~1987年に放送された人気アニメ「ハイスクール!奇面組」(新沢基栄)のOP、EDを歌うために結成されたユニット。奇面組は一言でいうとよく評価されない劣等生の集団で、うしろゆびさされ組とは奇面組の事。うしろゆびさされ組の高井麻巳子と岩井由紀子は奇面組のヒロイン河川唯と宇留千絵に雰囲気が似ていることから起用された。ヒロインの河川唯は主人公の一堂零が好きなので、うしろゆびさされ組は河川唯の気持ちを基に作られたといっていいだろう。
一堂零 ハイスクール!奇面組のEDより
一堂零はルックス、成績、運動能力、芸術など能力が不断は低く、性格が奇天烈で、超常的な行動をとり、わけのわからない人物。リンク先のとおり河川唯は一堂零が好きという設定。
ハイスクール!奇面組 第2話ラスト
常識的な基準からは一堂零は恋人や結婚相手にするには良くない人物かもしれない。そのため一堂零が好きというのは「趣味が悪いねと まわりの友達は言うわ」という事だろう。だけど唯は零の事が好きで、
「だけど愛はいつだって答えがあるわけじゃない」
と言うわけですね。ちなみにその後の歌詞で「あいつはだめな奴とレッテル貼られたって・・・世界で私だけはあの人を好きでいたい」と続く。
自由恋愛を基本とする現代では恋人や結婚相手を選択するときに、自分の必要性や性格、好み、価値観、生き方などを考えてそれに最適な人を選ぼうとするだろう。運動、経済力、性格、社会的地位、考え方など、人それぞれ重点や基準は異なるが、できる限り自分にとって最適な人を選択するのが幸福になるためには正しい選択方法かもしれない。
しかし、そういう基準で恋人や結婚相手を選んでも常に正しい選択とは限らないし、基準に適合しない人を選択しても幸福になれたという例はたくさんあるのである。そういう意味では「だけど愛はいつだって答えがあるわけじゃない」といえる。
自由恋愛に基づく現代で自分基準に基づいて最適な相手を選択したとしても、うまくいかずに不幸になった人たちなどたくさんいるのである。一方で常識的基準ではよくないと思う相手だったとしても幸福になれたという事はたくさんあるのである。これは恋愛や結婚に限った事ではない。
現実の例を紹介する。私は一堂零はこの人に似ているところがあると思う。
オリジナルの著作権者は不知
織田信長は若い時には行動や性格は非常に荒れていた。実用日本語表現辞典によると「信長は幼い頃から奇抜な衣装を着たり突拍子もない行動をたびたびすることで周囲を驚かせた」ため尾張の大うつけとよばれていたという。うつけとは何を考えているのかよくわからない人物の事も指したと何かの文献で読んだ記憶がある。奇抜な行動や性格などは一堂零と同じだ。
たぶん常識的な基準からは、とてもじゃないか信長を当主にして仕えるとか嫁ぐという事はできず、家臣になったり嫁いだりするのは明らかに誤りだったと考えたかもしれない。では現実はどうだったか?
織田信長は政治、経済、軍事、人事など多くの方面で極めて優れた人物で、絶大な権力を得た天下人だった。後に天下は秀吉から家康へと移ったが、信長がいなければ秀吉も家康も天下をとれていなかった。戦国の乱世で日本を統一する強大な勢力の礎を築いたのは信長である。比叡山の焼き討ちなど常軌を逸した活動があり、信長は自分自身を神と思っていたかもしれない。信長はいろいろな方面で超常的だった。まさにこれも一堂零と同じで、彼も超常的な能力のため、ある意味神であって、いろいろな方面で極めて優れた人物であった。織田信長は歴史上の偉人として最も人気のある人物で、だいたい人気投票をすると1位が信長、2位が坂本竜馬になる。信長はその意味でも非常に人気の高い自分で、その点も一堂零と同じだ。一堂零も作中では非常に人気が高かった。物語の設定、読者からの人気の両面で人気があった。信長は政治家や戦国武将として、零はコメディアンやお笑い芸人のような人物として非常に人気が高かったという点も同じだ。
信長に仕えたり嫁いだ人たちは、確かに信長のために不利益を受けた点もあるだろう。しかし、秀吉や前田利家など信長に仕えた事で大出世した人物は数多い。正室の濃姫はどうだったのかよくわからないが、少なくとも今川や武田など滅亡した家に嫁いだのに比べれば良かったのではないか。信長には側室や子もたくさんいて織田家は江戸時代以降も続いた。そういう意味では信長に嫁いだ人はそれなりに幸福な面はあったに違いない。
現代でははいからさんが通るのような自由恋愛を基本とするのだから、信長や零さんみたいな人に嫁がないじゃないの!と思うかもしれないが、昔は政略結婚や家同士の婚姻が当たり前で、相手の顔も性格も知らないままに嫁ぐ事は自然だし、その方が歴史がずっと長い。そのような婚姻で幸福になった人たちもたくさんいたのである。例えば江戸幕府14代将軍の徳川家茂と皇女和宮は公武合体のための完全な政略結婚であったが、夫婦仲は良かったと言われている。和宮は当初の許嫁と引き離されて政略結婚のために顔も知らない家茂に嫁いだが、それなりに幸福な面があったと思う。政略結婚や家同士の決めた婚姻で幸福になれないとは限らないのである。
常識的な基準からは恋人や結婚相手として良くないと周りの人が言う、しかしそういう人と恋人になったり結婚しても幸福になれる事がある。それは長い歴史の中で何度も証明されているのだ。だから、
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趣味が悪いねと
まわりの友達は言うわ
だけど愛はいつだって
答えがあるわけじゃない
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(うしろゆびさされ組 より)
というのは、その通りだなーと思う。政略結婚や家同士の婚姻では幸福になれる確率が低いというのはあるかもしれない。しかし、自由恋愛に基づく婚姻は幸福になるための手段の一つであって、幸福になれるなら政略結婚や家同士の婚姻でもいいではないかという考えもあるかもしれない。将来そういう考えも出てくるのだろうか。
岡田晴恵(Harue Okada、57歳、感染症学) 白鷗大学教授の論文捏造、改ざんの疑義を週刊文春が報じている。
コロナウイルスの拡大で岡田氏はテレビなどによく出ていて注目を集めたので報道された。2002年5月17日付の文章が取り上げられているので、ずいぶん前のものだ。前から研究不正の疑義があったのに今頃になって報道されているのだから、眠っている事件でも何かのきっかけで報道されたり再燃する事はあるものだ。Y氏の事件もO氏の事件がきっかけで報道された。
週刊文春の報道によるとデータがあまりにきれいすぎる事から疑義が浮上したようだ。文献にはデータも掲載されているが、どの論文かは不明。リンク先には出典の表示がないけど、それってまずくないの?
調査によると"Archives of Virology volume 146, 859–874 (2001)"のようだ。
文春の報道によると吉倉廣元国立感染研究所所長から
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〈前の依頼文でも述べましたが、論文が患者からの臨床データと分画された細胞の数、サイトカイン量の測定に基づく事を考えると直ちに提出が可能なものです。そのような性質のものであるにも関わらず提示出来ないと云う事は、データがそもそも無い(つまり捏造されている)か、著しく歪められて発表されたか、何れかであると判断せざるを得ない状況です〉
(中略)
〈研究所所長の権限は、岡田研究員が元データの提示をし得なかった事の確認迄、と判断致しますので、これ以上の事は致しません。(中略)後は、岡田研究員当人の研究者としての良心に任せるのみであろうと思います〉
〈所外の共同研究者に事の次第を説明し、論文の取り下げ位はすべきであろうと思います〉と要求している。
さらに、〈岡田研究員に関しお願いがあります〉として、
〈このような研究員が研究所外の病院、地方研究所との共同研究の窓口にすることも止めて頂きたい〉とも書かれてあった。
結局、論文は取り下げられないまま、岡田氏は2009年に感染研を辞めている。
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という文章を送付されたという。吉倉廣氏は文章の真正を認めたようだ。論文の取り下げは行われなかった。生データの提示もなかったのだろう。岡田晴恵氏も元上司の田代眞人氏は何もしなかった。研究者の良心に任せても無意味。大量訂正の例を見ても、隠蔽や放置をするだけだ。
強制調査をして真偽を明らかにしないといけない。一方で文科省ガイドラインによると生データ等の提示で疑いを覆せなかった時は不正とみなされるのがルールだ。岡田晴恵氏は現在も無視しているようだ。
ただ、論文撤回や不正行為の認定、懲戒処分を避けられても上の引用文の状態では研究機関内で研究を続けるのはなかなか辛かったかもしれない。2009年に感染研を辞めたのと関係があるのかは不明だが、きちんと公正な説明をしないと論文撤回や不正行為の認定、懲戒処分を避けられても非常に辛いということだろう。
この件はもう少し続くと思う。
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(2020年3月28日追記)
岡田晴恵氏は1998年以降の原著論文がほとんどみつからない。解説記事や著書などは多くみつかる。研究者というより評論家、解説員に近いのかもしれない。それは別によく、スポーツ選手やジャーナリストが実績で大学教授になった例は珍しくない。ただ、国立感染症研究所研究員だったのに原著論文がほとんどみつからないのはいったいなぜなのか?新発見をするのが仕事だったはずだ。それと感染研を辞めた事と関係があるのか不明。
前例から考えると、このままだんまりを決め込めば不正行為の公式認定と懲戒処分を避けられるかもしれない。しかし、事実上の研究不正の認定と不利益を受けることになる可能性もそこそこ高い。
文春の報道を見る限り、当時は所内でそれなりの調査が行われたようだ。その上で生データの提出を拒んで説明を放棄したのなら、吉倉廣元所長の文章のとおり、捏造、改ざんがあったと判断されても仕方がない。
生データなどの基本的な情報を提示せず不正行為の疑いを覆せない場合は不正行為とみなされるのが文科省ルールだし慣習だ。当時は文科省ガイドラインはなかったが、2005年頃の東大のT事件でも生データ等の不提示で事実上の捏造が認定された。これは文科省ガイドライン制定以前である。
当時は研究不正の対応が今よりも未発達だったので岡田晴恵氏は不正認定と懲戒処分を避けられたかもしれないが、現在でも文春の報道に対して有効な反論ができなければ岡田晴恵氏は捏造、改ざんを行ったと判断されても仕方ないだろう。それは不正の公式認定と違うかもしれないが、事実上の認定である。
きちんと公正な説明をしないと論文撤回や不正行為の認定、懲戒処分を避けられても非常に辛い。
映画『劇場版 はいからさんが通る 前編』特報【HD】2017年11月11日(土)公開
はいからさんが通る(大和和紀 1975~1978年)は名作として現在もよく読まれている。原作が終了したのは42年前なのに、今でも評価が高いのは素晴らしい事だ。モーツァルトの作品と同じで普遍的が価値があって200年以上経っても読まれているかも。
はいからさんが通るは大正時代の女性である花村紅緒のハイカラな生き方と恋を描くラブロマンス。動画のとおり、大正時代としては紅緒は見た目も中身もハイカラな女性。着流しの服が女性の主流の中で、当時としてはまだ普及していなかった女子教育を受けていた女学生の海老茶色の袴などの姿や髪型は当時としてはハイカラだし、男尊女卑や家同士で決めた結婚が当たり前の時代に男女平等や好きな人と結婚するという進歩的な考えを持つ花村紅緒は真にハイカラ。ただ、ロマンスを描くのが目的なので仕事のために独身を貫くという考えは描けなかったようだ。
こういうウーマンリブの考えは1960年代後半頃に盛んになったが、大正7年(1918年)なら随分進歩的な考えかもしれない。そういう考え方が普遍的な価値があるので長く読まれるのかもしれない。
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日本国憲法
第二十四条 婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
2 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。
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現在では当たり前となった事なので憲法24条はほとんど文言通りにしか運用されていないかもしれない。フェミニストのベアテ氏が憲法24条の草案を作り可決され現在の憲法24条となった。憲法24条など現在では法の下の平等を定めた憲法14条だけあれば十分かもしれないが、当時としてはこんな規定を作らないと婚姻や男女平等を実現できなかったのかもしれない。
赤毛のアンの作者のモンゴメリも小説家になるための教育に対する理解がなくて苦労した。はいからさんが通るは少女漫画なのでロマンスを描かないといけないため、独身という方向は描かれなかった。若草物語の作者のルイザ・メイ・オルコットは生涯独身。
こういう男女平等とか両性の基本的合意に基づく婚姻などという考えは将来的には消えるかもしれない。2013年に『米女性200人に1人が「処女懐胎」を告白、調査』という驚くべきニュースが報道された。こういうニュースがどこまで本当かわからない。他にも乱婚が当たり前のゴリラと一夫一妻制の人間では精子の活力が大きく違って、現代のような一夫一妻制に基づく恋愛、結婚観を続けていくと破綻が生じる危険もある。だから近い将来に性別というものさえなくなってしまうとか人工授精などの科学技術を用いる方法が当たり前の時代がくるかもしれない。
男女平等とか両性の基本的合意に基づく婚姻などという考えが必要なく、いかに他の人権や科学、文化を育てていくかが重要な時代がくるかもしれない。こういう考え方は無意味かもしれないし極めて進歩的かもしれないが、現代においては理解されないだろう。
大正時代は上の動画のように男女別学が当たり前で、現在のように共学が主流という考えも現代では変化しつつあるかもしれない。例えば数学に対する取り組み方や考え方が男女で異なり、別学で教えた方が合理的という指摘がある。男女平等から別学など後進的で共学が当たり前などという考えが変化し別学こそ進歩的という考えになるかもしれない。
婚姻に対する考え方も婚姻とは恋愛感情を充足させる手段ではなくお互いを助け合って幸福になったり子孫を残すための手段であって、適切な相手を見つけられれば自由恋愛なのか家同士の決定婚姻なのかは余り重要でなく、恋愛感情など後からついてくるし、芽生えてもどの道長続きしないのだから自由恋愛に必ずしもこだわる必要はないという主張もある。現代においては法律婚をしてない人たちも多く、婚姻は子孫を残すための手段でさえない側面がある。
これが戦国時代であれば婚姻は政略や生きる残るための手段だった。例えば淀殿は母の仇である秀吉と結婚し二人の子を儲け、豊臣家と運命を共にした。秀吉と北政所は恋愛結婚だったらしいが、基本的に自由恋愛という考えなどない。
たぶんどの時代でも共通している事は婚姻とは幸福に生きるための手段ということだ。だから婚姻の考え方は必ずしも自由恋愛とは限らないし、時代や社会通念によって大きく変わるものだ。だから私は憲法24条のような規定を削除して憲法14条のみにし、もっと柔軟な運用ができる方がいいかもしれないと思った事もある。
はいからさんが通るの考えはある程度長く通用していくかもしれないが、社会通念が変化すると読まれなくなるかもしれない。
南野陽子 はいからさんが通る(1987年11月25日)
はいからさんが通るは本当に人気があるようで、1987年に先日紹介した人気アイドル南野陽子が主演の映画が公開され、南野陽子が主題歌を歌ってヒットした。現在も宝塚歌劇で公演されている(写し)。1979年、1985年、2002年にテレビドラマ化。 何度もドラマ、劇、アニメ化、映画化などで公開されている。本当に人気がありますね。
私は一番上の動画の紅緒が忍と出会うシーンは他の作品でも見た事がある。
などと宣伝されている。
私の知る他の作品だと紅花じゃなく他の花の名前の人がお相手と会って紅緒と同じ様な顔してましたが、大キライという感じではなかったですね。らんま1/2だと風呂場で出会うシーンが別な漫画で使われたり、有名なシーンは繰り返し描かれるのかも。
赤毛のアンだと大キライから大好きに。こういうのをツンデレという。100年以上前から使われている設定。そんなに有効なの?
「いつだって 大キライは恋のはじまり。」などと宣伝されているが、現実は全然違います。一例として私の経験を話すと、みなさん御存知のとおり私は研究不正の追究で有名でOの事件のときなどは社会的影響も大きかったためネット上では一部から嫌われ酷かったですね。しつこい人は異常にしつこい!きっと心に深く刻み込まれて、ずっと離れないのだろう。そういうのは好きと同じ部分はあるのかもしれないが・・・。
「いつだって 大キライは恋のはじまり。」などと強調される。しかし、現実は好意ではなく恨みがやってくる。そのために仲良くなりたいと思ってるなら間違っても研究不正の追究とか12歳頃に女の子の髪の毛を引っ張ってからかうなどのいたずらはしないように!(笑)
不正行為やモラルの欠如者を正すのは正しい事であり、その方がその人や社会のためだというのもあるかもしれませんがね。
私が感銘を受けた言葉の中に
「大切に思うのと大切にするというのは似ているようで違う。」(ガンダムX)
というのがあります。巨人の星で飛雄馬が親友の伴に対して、プロとしての実力を上げるためにしごくシーンがあり、プロの友情表現として描かれ、そういうのも上の言葉の一例なのかも。
研究不正の追究をやってコメントとかメールとかネットの反応をみると、まー社会的な改善とか、何かしらのメリットを持てない人はやめた方がいいと思いますね。私は最初の報道以外の記事は例えばOの事件などイニシャルに変更するなどしてますが、どこまで改善の影響が出ているのかよくわからない。
「大概の問題はコーヒー一杯飲んでいる間に心の中で解決するものだ。あとはそれを実行できるかどうかだ。」(ガンダムX)
この言葉もいい言葉だ。
漫画やアニメもなかなか捨てたもんじゃありませんね。
齋藤康輝(Koki Saito、経歴、1961年生まれ、憲法)日大法学部教授が盗用、二重投稿で停職6ヶ月となった。日大の規定22条では氏名公表が原則だが非公表。理由不明。これも規定違反ではないか。
しかし、撤回公告で氏名が公表された。
調査結果の公表 - トップ(写し)
調査結果(写し1、写し2)、
調査結果によると
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①論文2編での3か所の記述を特定不正行為の「盗用」と認定した。
②論文1編での1か所の記述を不適切な行為の「研究者倫理からの逸脱の程度が甚だしい行為」と認定した。
③論文6編(3対)を不適切な行為の「二重投稿」と認定した。
※調査対象論文9編のうち,「盗用」と「二重投稿」の両方に該当する論文が2編,「研究者倫理からの逸脱の程度が甚だしい行為」と「二重投稿」の両方に該当する論文が1編あり,不正と認定されなかった論文が3編ある。
(中略)
①発生要因
同教授は平成28年度にAPRIN(当時は「CITI Japan」) eラーニングプログラムを受講済みである。しかしながら同教授が特定不正行為等を最近(平成29年度以降)に至るまで行っており,本件は,同教授の研究倫理の欠如によって引き起こされたものといえる。少なくとも,インターネット上に掲載された文章を「一般的な文章」と勝手に判断して盗用を行った点や,自身の研究活動について問題があるとの認識をもちながらも,「何とか論文の数,研究キャリアを示したいという研究者としての焦り」や「時間に追われる中で」二重投稿を繰り返した点で,同教授が研究倫理を十分に理解せず,事の重大性を理解していなかったことは明らかである。また,当該学部の紀要等において,投稿された論文と他の論文(当該研究者の既発表論文を含む)等との類似性のチェックが必ずしも十分でなかったことも否定できない
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調査結果によると「研究者倫理からの逸脱の程度が甚だしい行為」とは
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②「研究者倫理からの逸脱の程度が甚だしい行為」について
(1) 前記「盗用」のケースと同様に,同教授の論文の記述が他の研究者のホームページの記述とほぼ同一となっており,論文上に引用符がなく,出典も明記されていないが,このケースは,出典を明記しなければという意識はあったが,記述の転記に際して引用符が抜け落ちてしまい,その後もそのミスに気づかなかったというもの。
(2) 論文を作成するにあたり,他の研究者の記述を引用する時点で引用符をつけるなどして後に出典を補充することを遺漏せぬよう注意を払っていなかったことは,重過失があったと認められる。
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日大の規定2条ただし書きでは研究者としてわきまえるべき基本的な注意義務を著しく怠った場合は不正行為となり、これは文科省QA3-8によると重過失と同義であるので、調査結果の「研究者倫理からの逸脱の程度が甚だしい行為」とは盗用である。調査委員が不正行為の規範や定義を十分理解しておらず、適切な判断ができていない。研究倫理の専門家が必要である。
不正行為者は研究倫理のeラーニングを受けていたが盗用や二重投稿をやってしまったので研究倫理の欠如が原因と判断された。Kらのように研究倫理フォーラムで研究倫理を主張しながらも悪質な捏造をしてしまった前例などをみると、研究倫理の欠如者の場合は研究倫理の教育は効果がないようだ。
本件は最初に学会に盗用などの通報があり、学会で戒告などの処分を行った。学会から日大に通報。
改善が必要である。
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(2020年3月23日以降追記)
読売新聞、
南野陽子 / 話しかけたかった 1987-5
南野陽子はアイドル時代、純真さをアピールして売っていく方針だったのではないかと思う。上は話しかけたかったという人気曲で、純真さを全面に出したような歌と演出。全身を白い装飾で統一し靴さえ白く、フリルと髪飾りを身に着けたお嬢様っぽい感じの女の子。AKB48のようなミニスカートなど御法度という感じ。ひっこみ事案のお嬢様女子高生のイメージ。
南野陽子はスケバン刑事2(1985~1986)でブレイクし、話しかけたかったをリリースしたのはアイドルとして全盛時代だったと言えるだろう。この曲をリリースしたのは1987年なので南野陽子が20歳の頃だが、歌詞や上の装飾、演出を見ても、もろに純真、うぶな女の子という感じで、歌で描かれている女子は20代ではないでしょう。だから当時20歳の南野陽子がオリジナルでこの曲をリリースするのは、少し年齢にギャップがあるのではないかと思うし、純真さをアピールする方針だと当時の年齢を考えても長く続けられないと危惧してしまうのだが、当時の男性たちには受けたようだ。とても人気は高かった。ただ、ファン層はほとんどが男性だったと思う。
当時20歳のアイドルに対して10代の純真さを売り物にする戦略は斬新な発想のような気もするし、ギャップのために売れない危惧もあると思うのだが、当てちゃうわけだし、芸能事務所の方針の考案をした人は本当にプロだよね。
南野陽子は当時純真さを磨けば光るという才能を持っていて、本人の努力と芸能事務所の戦略で見事に光り輝く宝石にしたのだろう。
トラブル・メーカー(1989年6月21日)では方針転換。
南野陽子 トラブル・メーカー、放送時期不明
こちらはスーツっぽい衣装。お嬢様路線は終了し、はしゃぐ女子に。
南野陽子 フィルムの向こう側 放送時期不明
フィルムの向こう側(1989年11月29日)ではショートヘアーにして特殊衣装で演奏。この頃になるとシングルの売り上げは下降傾向で、1992年頃にナンノは歌手業を休止し以降は女優業にシフト。
今でも南野陽子さんは大変お美しいと思います。
ライオンのごきげんようの放送、2015年2月16日
南野陽子はスケバン刑事2をやっていた時や楽曲で1位をとった時の給料が月3~6万円だったと言っていた。アイドルの時は月収10万円くらいまでとも。歌で最初に1位をとったのは楽園のDoor(1987年1月10日)だから、デビューして3年くらい。
学生のバイト並の給料で、いくら何でも安すぎる。そのため南野陽子はすぐ独立したと言っていたが、不当に安く働かせられていたのだろう。利益を事務所の社長とかが不当に吸い上げていたのだと思う。もしくは何かの勘違いではないか。
ブレイクした時の南野陽子の稼ぎがどれくらいかわからないが、宮崎あおいの全盛時代は篤姫(2008)に出ていた頃で、年収5億円超と雑誌で読んだ事があり、布施博がドラマで全盛だった1992年頃はテレビ番組の放送によると売り上げが2億円、本人の収入が年1億円だったらしいので、南野陽子のアイドル時代の売り上げもたぶん1億円は超えていたと思う。例えば吐息でネットは30万4000枚売り上げたので、1枚700円だとして2億2180万円の売り上げ、1987年にリリースした楽曲楽園のDoor、話しかけたかった、パンドラの恋人、秋のIndication、はいからさんが通るの売り上げは115万3000枚だから、1枚700円として8億710万円の売り上げ、他のテレビや雑誌の出演、ライブ、ブロマイドなどの売り上げをあわせると10億円を超えていてもおかしくない。1987年の南野陽子の年収は1億円以上が相当ではないか、2、3億円でも全然驚かない。たぶん一生食える収入を1年で稼ぐような感じだと思う。3年くらいやれば普通はお金持ちじゃないだろうか。そんなふうに思うものの、1984年の松田聖子の納税額が1911万円、1987年の俳優・タレントで7位の加藤茶が7553万円らしいので、当時はトップアイドルでも1億円には遠く届かないようだ。たぶん5000万円にも届いていない。たぶん2000~4000万円くらい?
それがいくら何でも月収3~6万円というのは極めて安いといえるだろう。だから信じ難いのだが、何か勘違いしているかよほど利益を事務所に搾取されていたのだろう。ブレイクする前ならそれくらいの月収かもしれませんがね。ただ、ナンノの場合、デビューしたのが1984年秋くらいで、1985年11月スタートのスケバン刑事2でブレイクしたのだから、約1年くらいでトップアイドルになったわけで、低収入期間は長くないはずだし、上の動画の説明によるとヘトヘトになったり点滴を打ったり入院していたという事だからブレイク後の話のようだ。勘違いしているのでなければ利益を余りに搾取されていたのだろう。
南野陽子の上のような人格像は芸能事務所とテレビ局が作り出したフィクションであるが、当時青春時代だった若い男性たちはこういうフィクションの人格像に憧れていた人がたくさんいたのかもしれない。楽曲の売り上げもよかった。シングルの売り上げトップは吐息でネット(30.4万枚、1988年2月26日)、秋からも、そばにいて(27.1万枚、1988年10月8日)、はいからさんが通る(27.0万枚、1987年12月2日)など。だいたい20万枚くらいの売り上げ。
同じアイドル四天王の中山美穂(ミポリン)と比べるとシングルの売り上げは少し劣る。中山美穂のシングル売り上げトップは世界中の誰よりきっと(183万3000枚、1992年)、続いてただ泣きたくなるの(104万8000枚、1994年2月9日)、ミリオンを2つ記録した。
中山美穂 「CATCH ME」1987年
中山美穂は美人でちょっとかっこいい感じ。1987年では17歳。南野陽子の方が3歳年長。中山美穂の方は南野陽子より女性ファンが多かったと思う。シングルの販売期間も南野陽子は24歳頃までだが、中山美穂の方は29歳頃まで出した。ミリオンを二つ達成したのは立派だと思う。私が好きなアーティストの一つZARDはミリオン達成は3つ。サザンオールスターズは5つ。竹内まりやはゼロ。
Mr.Childrenはミリオン10曲で、innocent world(193万5000枚、1994年6月1日)とかTomorrow never knows(276万6000枚、1994年11月10日)の頃が全盛で、その頃にミリオンを量産。こういうのはブームですね。
私は1980年代の女性アイドルで一人だけあげろと言われたらナンノやミポリンではなく、この人をあげる。
松田聖子 青い珊瑚礁 、放送時期不明
聖子ちゃんカットが流行、いわゆるぶりっ子とよばれるかわいらしさが話題だった。異様に高い人気だったと思う。他にも話題が尽きない人だったかも。
1980年代のアーティストで一人あげろと言われたら、この人をあげます。
Michael Jackson - Smooth Criminal、公表時期不明
すごかー。では、1970年代の女性アイドルで一人あげろと言われたら誰だ?と言われると、私だったらこの人かなー。
山口百恵 さよならの向う側 放送時期不明
説明は省略。また別の機会に。
古い人ばかり紹介しましたが、みなさんはどのアイドルやアーティストが好きでしたか?
睦月
如月
弥生
卯月
皐月
水無月
文月
葉月
長月
神無月
霜月
師走
昔の月は美しくて品のある言葉だ。日本人の感性はなかなか良いと思います。例えば弥生、皐月は今でも女の子の名前として使われていて、美しく品のある事の証だと思う。3月、5月というより弥生、皐月といった方が美しいでしょう。
3月、5月というと無味乾燥的な感じというか、少なくとも女の子の名前には使えないでしょう。実用的には数字を割り当てた方が便利でいいと思いますが。
日本は美しい感性を持っているんやねー。とてもいいと思いますよ。
例えば赤毛のアンでアンが自分の名前をAnneというスペルで、Annに比べてeが付くからとてもいいと言っていたけど、3月、5月と弥生、皐月というのも比べてみると似たような部分もあるかもと少し思います。日本人じゃないとわからないかもしれませんがね。
幕末の頃は西欧列国に大差をつけられて、急いで日本の改革をしなければ植民地になってしまうなどという脅威の下で多くの血が流れていって、富国強兵のために悲惨な戦争へと突き進んでいってしまった。
江戸時代初期の日本は江戸幕府の支配体制を維持する事を最優先にしたような制度ばかりで、極めてマイペースな進み方で、結果的に悲惨な事も起きたような気もするのだが、江戸時代に鎖国をやらないで、できる限り政治や文化、経済を高める努力をしていれば日本はどうなっただろうか。
過去の事はもう仕方ないとしても、たぶんこれからも日本や他の国が悲惨な戦争に突き進んでしまう社会情勢は発生すると思う。どういう要因でそうなるのかわからないが、江戸時代に鎖国せず可及的に文化や経済を高めていく努力が悲惨な戦争を防げたなら、現在でも将来起きる悲惨な戦争を防ぐ努力は必ずできるんじゃないかと思う。
世間がどのように変わっていくのかよくわからないものの、少子化とかエネルギー問題とか極度の情報化とか世界を大きく変えていくような要因はいろいろあるだろう。
頭のいい人が将来を予測して、今のうちに有効な対策をしておくとよいかも。将来予測などができる頭のいい人は投資などに能力を使うのかもしれないが、上のような使い方もしてくださいよ。
Little Women (1949) – A Piano For Beth
このシーン大好き!
思わず涙してしまった。
作者がモデルのため次女のジョセフィーヌ・マーチが主人公なんだが、私は三女のエリザベス・マーチが一番好き。
コロナウイルス関係の論文不正がPubPeerで指摘された。エリザベス・ビク氏の指摘。中国の研究者が出した論文で、指摘に対する弁明として"We think that ‘It doesn't matter whether a cat is white or black so long as it catches mice.’"と言及され、中国の最高指導者のあの言葉からとってきたのだろう。堂々と言及した。
指摘を見る限り、あからさまな感じ。堂々とやっている。
論文著者によると"We・・・also have contacted the editor of the journal for the corrections."と言及したので訂正で済ますつもりのようだ。
要するに、コロナウイルスに漢方薬が有効という主旨に対して、研究不正は大した問題でなく、主旨に影響はないから訂正で済ますということだろう。
よく結論に影響はないから訂正でよいとか不正ではないと主張する研究者がいる。訂正も不正隠蔽手段として使われる事がある。国際常識としては、結論が誤っていたら撤回に誰からも異論は出ないのだが、逆に結論さえ間違っていなければ、どんな訂正でもよいという扱いをする事もある。とにかく撤回を回避するための非常に不適切な訂正が行われる事もあるが、研究や出版の倫理として本当に適切かというと非常に疑問がある。
Oとその指導者も結論は誤ってないので訂正で済ます事を強調していた。
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【論文の撤回について】
理化学研究所が求めている論文の撤回についてはどう考えているのか?
小保方氏「論文の撤回というのは、国際的には、その結論が完全な間違えであったというふうに、国際的に発表することになると思います。やはり私は、この結論が正しい以上、そのことを世界に発表するというのは、正しい行為ではないのではないかと考えています」
一般的に科学界では、不正を指摘された上で論文を取り下げることは、研究者生命にもかかわるという
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(日テレニュース 2014年4月10日より)
捏造などの不正を指摘された上で結論や主旨が誤っていたと公表する事は研究者生命に関わる致命傷だから是が非でも、これを避けようとする研究者は多い。
しかし潔く撤回した方がいいと思うケースもたくさんあります。