世界変動展望

私の日々思うことを書いたブログです。

未解決研究不正事件 - 2015年9月29日

2015-09-29 00:08:51 | 社会

未解決研究不正事件はいくつかある。その一つは小室一成(東大循環器内科)の疑義。小室一成はディオバン事件の一つであるVARTの責任者で、千葉大学から公式にデータ操作の可能性を認定され、一部の論文が編集者による強制撤回となった。他にも基礎研究の論文に多数疑義があり、千葉大学に告発されたが、現在どうなっているのか不明。とっくに終了していても良いころだ。

東大医学部は小室一成を庇うつもりで、一切研究不正を認めていない。小室一成はやっとの思いでつかんだ東大循環器内科教授の地位を手放したくはないのだろうし、医学部内で擁護する教授たちがいるのだろう。私は東大医学部の内部関係を全くわからないが、何か不適切な事があるのだろうか。前に東大医学部の現役学生が公開質問状を出して報道された事がある。東大医学部に不祥事が続いた事が原因だ。

小室一成の事件に限らず、未解決研究不正事件は黒を白にする、規則違反、隠蔽等の不公正な行為がよくある。そういう態度で事態を長期化させ、ひたすらだんまりを決め込んで世間が忘れるのを待つ。加藤茂明氏や土佐幸雄の例と違う事が多い。最近はPubPeerでも著者の回答が珍しくないので、著者の説明責任が果たされる流れになってほしい。


田中正起(Masaki Tanaka)、土佐幸雄(Yukio Tosa)ら、神戸大学農学系の論文が画像操作、再使用で撤回!

2015-09-28 00:00:05 | 社会

田中正起Masaki Tanaka、筆頭著者)、土佐幸雄Yukio Tosa責任著者神戸大学大学院農学研究科生命機能科学専攻 教授)ら、神戸大学農学系の論文が画像操作、再使用で撤回された写し1写し2)。撤回理由は

「The authors of Tanaka et al. 23:771-783 (2010) retracted this article because it proved to contain a pair of identical images that were used to represent different treatments in Figure 2A. This article was retracted on 3 June 2015.」(撤回公告より)

具体的に示す。これはPubPeerで指摘されたもの写し)。


PubPeerより、オリジナルの画像は撤回論文

土佐幸雄のPubPeerでの説明によると「I am Y. Tosa, the corresponding author of this article. When I first received these comments, I was very much surprised. However, a scrutiny of the pictures led me to a conclusion that they are actually very similar and mirror images. The right one seems to have been produced by turning the left one over on a computer. I am going to contact the editor of MPMI and follow his advice. I think that we should retract this article.」(PubPeerより)

要するに左側の画像を上下反転し、異なる処置条件の画像として再使用してしまったのが右の画像。ポピュラーな画像捏造、改ざん。画像精査で土佐幸雄は画像流用と加工を認め、論文の撤回をエディターに申し出て撤回された。私はこれは良い事だと思う。PubPeerでは土佐幸雄の説明に対し、「An exemplary response, I hope you are able to get to the bottom of things.」というコメントがよせられた。なお、リトラクションウォッチでも報じられた写し)。

実際、誰が捏造や改ざんをやったのだろう?真相にたどりつけると良い。

私は日本でも土佐幸雄のように潔く不正を認めて論文を撤回する人がいてよかったと思う。今まで何度か述べてきたので具体的には言わないが、だんまりを決め込んで逃げている人たちがいる。研究公正や他の人たちが損害を被らない事より保身が大事という事だろうが、誤りを訂正する、説明する等最低限度の事さえやらずに保身に走っている態度は許し難いです。

そういう意味では土佐幸雄の対応はPubPeerのコメントのとおりexemplary(模範的)かもしれませんね。加藤茂明氏ももっと見直されていいと思いますが。


フォンデアライエン、ドイツ国防相に博士論文盗用疑義!

2015-09-27 23:38:30 | 社会

「【ベルリン時事】ドイツ誌シュピーゲル(電子版)は26日、フォンデアライエン国防相(56)がかつてハノーバー医科大に提出し、1991年に博士号を取得した際の論文に盗用疑惑が浮上していると報じた。
 フォンデアライエン氏は「メルケル首相の後継者」と臆測される気鋭の女性閣僚。
 国防省報道官は「(国防相は)疑いを否定し、専門知識に基づいた中立な検証を論文提出先に求めている」と説明した。しかし、野党の追及は避けられない。政権を支える有力閣僚への攻撃が続けば、政権には痛手となりそうだ。」(時事通信、2015.9.27)

産経の記事。ドイツは前にも閣僚が博士論文盗用、博士号取消で辞任。スキャンダルになった。またかなー。


AO、推薦入試と研究能力について

2015-09-27 02:12:15 | 社会

O 30代女性研究者は某有名大学にAO入試で入学し、博士号を取得した。しかし、基礎的な研究能力や実績が欠けていたのに学振特別研究員やPI等の地位に就いた。その事に対して世間から猛烈な批判があった。その中でO 30代女性研究者がAO入試で大学に入学した事が研究不正の原因の一つだと主張する人たちがいた。私は大学入試の学力と研究不正はほとんど関係ないと思う。研究技能は主に大学以降の教育や努力で身につくもので、大学入試の時点の学力はあまり関係ない。

例えば、 北川浩史は東大医学部医学科卒で、大学受験では最高学力層だっただろう。しかし、悪質な研究不正を数多く実行し不正な方法で博士号を取得群馬大学教授となった。「北川氏は群馬大教授だった約5年間、実質的に論文を1本も書かなかった。」(毎日新聞 2015.1.23、別サイト) いくら受験勉強ができて、国立大学の教授になれても、そういう人物は劣等と言わざるを得ない。なぜ群馬大の教授になれたのか。

研究不正行為者には、北川浩史に限らず一般入試で難関大学に進学した人たちがたくさんいる。だから、AO・推薦入試組が一般入試組より学力が低くて研究不正をしやすいという傾向はないと思う。最近は東大、京大すら推薦やAO入試を導入する動きだが、試験一辺倒よりも優秀な人物を輩出できると判断したのだろう。そちらの方が世間からのニーズにあっているという判断もあるのかもしれない。

私の知人は慶應のSFC出身で民間研究所で優れた実績をたくさん出し、大活躍している。慶應SFCは難関だが学力試験のウェートが低く、その他の能力を重視して選抜される。世間ではそれを悪く見なす人たちもたくさんいるが、この人が現在優れた実績を出しているのは、たぶんコミュニケーション力、社交性等で他の人たちとの交流を通して自分の実力を伸ばせたからだろう。そういう様をみると慶應のSFCの入試も良いと思う。

慶應はSFC創設で、学力よりも他の点を重視した入試で一流大学への門戸を開いた事で経営的に成功した。受験勉強をやりたくないが他の能力のある人たちのニーズに応えて、うまく学生を獲得した。入試選抜の点で慶應SFCを低学力で悪いと見下している人たちがいるが、人は成果で評価されるべきで、難しい試験を突破した事など何の成果でもないので、こういう考えは余り関心しない。

最近、司法試験や法科大学院をめぐる法曹界、官庁、裁判所等の問題を執筆した記事1記事2。この問題も上の事と共通する部分がある。官庁、法曹界、裁判所等は司法試験は難しくあるべきで、大卒後5,6年ひたすら必死の勉強をしないと身につかないような法的学識かそれに近い水準を新司法試験に求め、簡単にするつもりは全くない。それは表向きは国民の基本的人権を擁護するためには試験は厳しくする必要があると主張するのだろうが、裏では試験エリート意識があるのかもしれない。官庁等が司法試験を非常に難しくしてるのに、試験勉強に偏らず、プロセス、実務等の教育を重視した法科大学院制度に固執しているのは矛盾で、どんな法曹を育てたいのかわからないと述べたが、早いうちに方針を決めるべきだ。

私は前も述べたように、非常に難しい試験に拘る必要は全くないと思う。上の知人のように優れた人物はたくさん輩出できる。医学や米国の法科大学院等は非常に難しい試験でなくても優秀な人物をたくさん輩出できている。

そういう点を大学入試や司法試験等でも考えた方がいいかもしれない。


秦誠一(Seiichi Hata) 名大工学系教授に偽証疑義! - 井上明久名誉棄損裁判

2015-09-25 01:17:12 | 社会

秦誠一Seiichi Hata名古屋大学工学研究科教授)が井上明久の名誉棄損裁判で偽証したという指摘が公表された[1][2][3][4][5]。

「最新情報(98)で、日本科学者会議編『日本の科学者』Vol.50,No.10(2015年10月号、pp.42-45)に掲載された大村世話人のレポート「井上明久東北大前総長との名誉毀損裁判―最高裁は学術の常識に従って判断することを期待する」が、pdf版で公表されています。

このレポートで大村世話人は、仙台地裁、仙台高裁は、いずれもこの名誉毀損裁判で井上氏を勝訴とする際、秦誠一氏(当時東工大准教授:現名大教授)が提出した陳述書を主要な論拠の1つにしたこと、しかしながら、この陳述書には看過しがたい虚偽部分があることを述べています。すなわち判決理由の前提になっている秦氏の陳述書は、自らが井上氏の論文と同じ実験法を用いて金属ガラス試料の作製を行った経験に基づく形で主張が展開されていますが、その根拠となる添付論文は秦氏の主張と矛盾が認められると指摘されていました。同誌の読者から、この秦氏の陳述内容の詳細を明らかにされたい、という要望がありましたので、コメントを付して問題の陳述書全文を公表します。なお、大村氏らは、秦氏に本年4月10日付けでこの虚偽部分に関する問い合わせをされていますが、本日時点でも秦氏からの回答はない、とのことです。[5]」

秦誠一が裁判で井上明久の有利になるように偽証したという指摘で、[1]で正式にその事が指摘された。[5]によると秦誠一は無視しているようだ。日本の研究者はこのような問題が起きるとだんまりを決め込んで逃げようとする者が多い。例えば、岡川梓、伴金美、O 30代女性研究者、川上明夫、服部良之、望月正武、松原弘明、小室一成などはだんまりを決め込んで逃げ切る作戦だ。彼らは加藤茂明氏とは全然違う

STAP細胞事件やディオバン事件では、こうした態度で、世間から疑惑を認めたと判断されたという写し)。

公正に調査せず、規則を守らず、不正を隠蔽した事件は多い。

これらが解決されるとよい。

参考文献
[1]大村泉氏寄稿「井上東北大学前総長との名誉毀損裁判―最高裁は学術の良識に従って判断することを期待する」(日本科学者会議編『日本の科学者』第50巻第10号、42~45ページ、2015年9月10日発行)
[2]フォーラムコメント:秦氏陳述書の根本問題.pdf  井上総長の研究不正疑惑の解消を要望する会(フォーラム) 2015年9月23日
[3]コメント図解:コメント図解(別紙1-1,2;2-1,2).pdf  井上総長の研究不正疑惑の解消を要望する会(フォーラム) 2015年9月23日
[4]秦氏陳述書:秦氏陳述書.pdf  井上総長の研究不正疑惑の解消を要望する会(フォーラム) 2015年9月23日
[5]井上総長の研究不正疑惑の解消を要望する会(フォーラム)写し 2015年9月23日

(注意)
本記事の偽証とは事実と異なる証言や証明の意味であり偽証罪の事ではない。


法科大学院協会の見解に対する意見

2015-09-21 00:58:53 | 社会

法科大学院協会の予備試験に関する意見書で次の文章があった。

『高度の専門職である医師や歯科医師等の養成について、医学部・歯学部で学ぶ過程を省略して国家試験で能力を判定するだけで足りるという意見は聞かれない。専門職を育てるためには、それにふさわしい教育課程が必要である。このことは、法曹養成についても同様に当てはまるというべきである』

医師や歯科医師等の養成について、医学部・歯学部で学ぶ過程を省略して国家試験で能力を判定するだけで足りるという意見が聞かれないのは、国家試験が簡単でほぼ1発合格し、1発合格でなくてもそれに近い回数での合格が保証され、就職先が確保され、その制度で優秀な人材がそこそこ輩出する事が確立してるからです。医師や歯科医師等の養成は、法曹界のように専門職教育課程が主流なのに非常に難しい試験なんてバカな事をやらないんですよ。医学部生や歯学部生はサークル活動やバイトをよくやってるでしょ。医学部生等の学ぶ量がかなり多いのは確かですが、彼らの学校生活は理学部や経済学部の学生と大して変わりません。法科大学院生のように死にもの狂いで試験に偏った勉強やってる人なんていません。私立医学部は法科大学院の学費の約10倍ですが、これで新司法試験のように非常に難しい試験にしたら、誰も進学しないだろうし、今の法科大学院と同じ状況になるでしょうね。予備試験のように専門職教育の過程を省けるなら、誰でもそっちの方を目指すし、その方向を拡大しろと要求するに決まっているでしょう。それに、そんな環境の専門職課程で学生が安心して学校が求める能力を伸ばす事に努めるのは非常に難しいでしょう。

前も言いましたが法科大学院を中核とした司法試験制度にするなら、簡単に言えば新司法試験を簡単にしないとうまくいかないんですよ。新司法試験が旧司法試験と余り変わらない非常に難しい法的学識を問う内容だから、法科大学院生はみんな試験に偏った学習を必死でやっている。試験に受からないと何百万円という学費や数年の時間が無駄になるわけだから、そうなって当然でしょう。今のような試験に偏らざるを得ない状況で、臨床だの外国法だの一生懸命やれ、試験に偏らず幅広い能力を伸ばす努力をしろ、というのは不条理だと思います。

前も言いましたが、現在の新司法試験が要求する法的学識の水準は旧司法試験かそれに近いもので、これは大卒後平均して5、6年試験に偏った学習を死にもの狂いでやってようやく身につくレベルです。東大や一橋大等は旧司法試験で短期合格できるような優秀な人たち集まってるから大卒後2、3年の学習でも合格率が高いのでしょうが、彼らだって死にもの狂いで試験のための勉強をしてようやく合格している事は変わりません。他の法科大学院だったら、尚更そういう努力をしないと無理でしょう。旧司法試験並の法的学識に加え、臨床だの外国法だの、実務、プロセス重視の学習、幅広い能力を身につけるなんて、スーパーマンじゃないんですから、できるわけがないでしょう。そんな法律一辺倒の環境で多様なバックグランドの人たちが法科大学院にくるわけがないでしょう。

法科大学院協会は予備試験のあり方を批判していますが、多額の費用や時間だけでなく、非常に難しい新司法試験のために法科大学院自体がほとんどの受験生から求められていない事をわかっていると思いますが、もし法科大学院制度を維持したいなら、予備試験よりも新司法試験自体をもっと簡単な内容にするように要求しないと、いずれ崩壊するでしょう。非常に難しい司法試験をやってるのに、多額の費用と時間をかけて法科大学院に進学して死にもの狂いで試験に偏った学習をせざるを得ない。法科大学院の実務やプロセス重視の学習なんて実力を伸ばす努力をやってる余裕が全くない。これでは「国家試験で能力を判定するだけで足りる」という意見ばかりになるのは当たり前でしょう。あなたが受験生なら、多額の費用や時間をかけてそんな環境の大学院で学びたいですか?

前も言いましたが、旧司法試験と同じそれに近い法的学識をもった法曹を求めるなら、法科大学院はすぐにやめて旧司法試験かそれに近い制度にした方がいいです。たとえ法科大学院の定員と新司法試験の合格者を釣り合わせ、予備試験を廃止したとしても現在のような新司法試験をやるなら法科大学院は無意味だと思います

一方で法科大学院を維持するなら、新司法試験は簡単にした方がいいでしょう。そもそも法科大学院協会が言う法科大学院の趣旨からは旧司法試験に比してずいぶん低い法的学識を問う試験にするのは必然だと思います。大卒後2、3年の実務やプロセス重視の学習でそれらの能力を伸ばしつつ、旧司法試験や新司法試験で要求される大卒後5、6年試験に偏った必死の勉強だけやってようやく身につくレベルの法的学識を身につけるのは無理だからです。多様なバックグランドの人たちを迎え入れたいなら尚更ですね。

前も言ったとおり、即急に求める法曹像を決めて、旧司法試験と同じかそれに近い法的学識を持った人物を法曹にしたいなら法科大学院を即刻廃止し旧司法試験かそれに近い試験にする、法科大学院を中核とした司法試験にするなら、少なくとも法的学識の点では現在に比べて新司法試験を随分簡単にしないと悪い制度のままで、多くの人にとって不利益が出ると思います。

前もいったとおり、私は総合的な能力向上の点で新司法試験を簡単にして法科大学院制度を維持する制度の方がいいと思います。法曹も試験ではなく結果で評価されるべきです。そのためには試験に偏った学習をして難しい試験を通った人物よりも、今の司法試験より法的学識は低くても総合的な能力が高い人物を法曹にした方がいいと思います。試験勉強だけできるタイプは使い物にならない事が多いし、人や人生を扱う職業なら、尚更総合的能力が高い人物が法曹になった方が多くの国民が幸福になるのではないでしょうか。法科大学院協会も言うように、医学部・歯学部で学ぶ過程を省略して国家試験で能力を判定するだけで足りるという意見は聞かれないのは、そういう過程で専門職人を養成しても優秀な人物を輩出できるからです。法曹界でもそれができない道理はないと思います。私は新司法試験が簡単でも、そちらの方がいいと思います。


法科大学院を中核とした新司法試験、法曹の養成について

2015-09-20 20:59:30 | 社会

現在の法科大学院や新司法試験はうまくいっておらず、有為な人材が法曹を志さなくなっている問題がある。具体的な問題は法科大学院の学習に時間やコストがかかり過ぎる事、その制度を受験生の多くが望んでいない事、試験の観点でしか新司法試験を行っていない事、就職先を得るのが難しい事等である。

もともと法科大学院制度は旧司法試験の点をとるための試験に偏った学習から脱却して、多様な人材を法曹界に迎え入れ、実務やプロセスを重視した教育等を行って質の高い法曹を輩出する事が目的だった。しかし、現実は大きな時間、コストを負担して法科大学院に通っても新司法試験合格率が低く、法曹になり難いので、多くの人たちがリスクを恐れて法曹を志さなくなった。有為な人たちは法曹以外の職業を選択するか、法曹を志す場合は予備試験を通って法曹になる道を選ぶ。

国は長い時間をかけて法科大学院を淘汰して定員と新司法試験合格者数を釣りわせ、共通到達度試験を導入する等してなんとか法科大学院を存続させようとしている。私は当初の法科大学院の趣旨に賛同するが、問題点を改善しない限りはたとえ現在の国の対策を行っても悪い制度のままだと思うので抜本的な改革が必要だと思う。

まず最初にやならなければならないと思うのは求める現実的な法曹像をはっきりさせ、即急にそのために必要な制度に改革する事だと思う。私は現在の新司法試験の内容からいって、国は多様なバックグランドの人たちや実務等の点で優れた人物を法曹として採用するよりも、主に旧司法試験と同じかそれに近い法的学識を持った人物を採用しようとしていると思う。どう見ても多様なバックグランドの人たちを法曹として輩出する新司法試験や教育になっていないし、法科大学院の実務やプロセス重視の教育をどのように新司法試験で試しているのか全くわからない。現在の新司法試験はこれらの観点での選抜ではなく、旧司法試験と同じく主に試験の点で高い法的学識を持った人物を選抜する試験だと思う。その事をよく表した証拠がどの法科大学院も予備試験組に司法試験合格率で劣っている事だ予備試験組は確かに難関試験を突破したのだから、試験の点では優秀だろう。しかし、予備試験組は法科大学院で実務やプロセス重視の教育を全く受けていない。にも関わらず、新司法試験でどの法科大学院よりも合格率が高いというのは、新司法試験は結局主に試験の点で高い法的学識を持った人物を選抜するに過ぎないという事だ。もし、新司法試験が法科大学院での実務やプロセス重視教育も試す内容になっているなら、法科大学院出身者はそれらの点で全く教育を受けていない予備試験組に負けてしまってるのだから、余りに悲しい。プロ野球団が草野球団に負けるようなものだ。

国はどうしても法科大学院を中核とした司法試験制度を維持しようとしている。それは旧司法試験の試験に偏った学習から脱却し、多様なバックグラウンド、実務やプロセス重視教育の法曹を輩出する事が狙いなのかもしれないが、実際に新司法試験で輩出しているのは、旧司法試験と同じ試験勉強に偏って、試験の点で高い法的学識を持っている人物である。これは大きな矛盾ではないか。だから、私はまず国が最初にやらなければならない事は求める現実的な法曹像をはっきりさせる事だと思う。

もし求める法曹像が旧司法試験と同じか、それに近い法的学識を持った人物なら、法科大学院をすぐに廃止して旧司法試験かそれに近い制度に戻した方がいい。法科大学院制度にしても受験生はお金がかかるだけで、旧司法試験と同じで試験に偏った学習を必死にやるだけの学校生活になるだけだ。これはたとえ新司法試験合格者数と法科大学院の定員を釣り合わせ、予備試験を廃止しても同じだ。この制度で利点があるのは司法研修所の経費を抑えられ、法科大学院に教授として天下りできるようになった裁判所や検察庁、法務省、法科大学院で予算や権限をもらえた文科省や大学だけではないか。

そもそも法科大学院を中核とした新司法試験の制度にするなら、旧司法試験と同じかそれに近い法的学識を受験生に要求する事自体に無理がある。旧司法試験は大学卒業後平均5、6年ひたすら試験に偏った死にもの狂いの勉強をして身につく法的学識でようやく合格できる水準だ。それを大卒後2、3年で身につけるのは難しい。それを実現しようと思うなら、法科大学院は実務やプロセス重視よりも予備校のように試験に合格するための教育を必死でやらざるを得ないだろう。しかし、法科大学院はそのような場ではない。法科大学院は試験に偏った教育をやれないし、やる能力もなく、法科大学院生は卒業しないと受験資格が得られないので仕方なく講義等に出て、空いた時間に身をやつして試験に偏った学習を続けて新司法試験の合格を目指しているのが現実だ。これはたとえ東大や一橋大といった超難関法科大学院でも例外ではない。試験に偏らない学習をしない受験生はまずいない。だから、国が長い時間をかけて法科大学院の定員と新司法試験合格者数を釣り合わせ予備試験を廃止し、旧司法試験で短期合格できる者だけを法科大学院生にしても、これは変わらない。見かけ上の合格率は上がるかもしれないが、だからといって試験に偏らない必死の勉強から脱却し、多様なバックグラウンド、実務やプロセス重視で質の高い法曹が輩出できるわけがない。超難関法科大学院の学生さえ試験勉強に偏った必死の学習でようやく新司法試験に合格しているのが現状だから、それをやめれば身につく試験の点での法的学識は下がる。その点で努力していないのだから極めて当たり前。そうなれば国は法科大学院の教育等に問題があるといって、淘汰を再開するのだろうか。

現在国が行っている旧司法試験と同じかそれに近い法的学識を持った人物を求める新司法試験では、結局のところ試験に偏った学習をやらざるを得ないし、そういう人物ばかりが法曹として輩出されるだけだ。たとえ法科大学院の定員と新司法試験合格者数を釣り合わせ、予備試験を廃止して見かけの合格率を上げたとしても、こんな制度は失敗以外の何物でもない。

実務やプロセス重視教育を受けたどの法科大学院の受験生もそれらの教育を受けず試験勉強だけやった予備試験組に負け、未修者が既修者に合格率で大きく負けている大きな原因は新司法試験が主に試験の点で高い法的学識を持った人物を選抜する内容になっているからだ。そんな仕組みで法科大学院の趣旨である知財、企業法務等の多様なバックグランドを持った人物や実務やプロセス等の教育で質の高い法曹を輩出できるわけがない。現在国がやっているのは極端に言えば、野球の高い実技を求めていると言ってるのに、試験では国語や数学等の非常に難しい試験だけで選抜するようなものだ。「国はどういう人物を求めているんだ?」と思いませんか。法科大学院の新司法試験合格率が低いのは、法科大学院の教育力が低い事も原因だが、そもそも法科大学院が予備校のように試験に偏った教育を行う場ではないのに、新司法試験で主に試験の点で高い法的学識を問う内容になっているからだ。

私は法曹の法的学識が低くてもいいとは言わないが、法科大学院を中核として新司法試験を実施するというのは、必然的に旧司法試験に比べて求める法的学識の水準をずいぶん下げて、その他の点をより重視した法曹の育成を行っていくという事だと思う。旧司法試験の要求する法的学識は大卒後5,6年試験に偏って必死に勉強して身につく水準で、それを大卒後2,3年で試験勉強に偏らず、実務やプロセスを重視した教育を行い、知財等の多様なバックグランドを持った人たちも迎え入れるというなら、新司法試験がそのように変わらなければならないというのは結構簡単にわかる事ではないかと思う。どの受験生も必死に試験勉強に偏った学習をやって新司法試験に合格する法的学識を身につけてるのに、それ以外の事も求めていくなら、法的学識能力が下がるのは当たり前。どの受験生もスーパーマンじゃないのだから、旧司法試験と同じかそれに近い法的学識を持っていて、実務能力等も高く、知財等の多様なバックグランドを持った人たちもたくさんそういう法曹として輩出されるなんて余りに非現実的。求める法曹像が試験勉強に偏らず、実務やプロセスを重視した教育を行い、知財等の多様なバックグランドを持った人たちというものなら、それにあわせて新司法試験の内容が変わるのは当たり前だと思う。試験に偏って必死に勉強するのではなく、きちんとそういう法科大学院の教育を受け、新司法試験に合格でき、法曹になれる事が保証された仕組みにしないと、法科大学院の意味はない。

現在の国の方針だと、今後法科大学院は淘汰され、旧司法試験に短期合格できる人たちだけが入学する事になるかもしれない。試験の点で一番優秀な人たちは予備試験を目指すだろうが、現在の予備試験は受験者層こそ多様だが、合格者の大部分は学部生か法科大学院生で、特に東大生が多い。予備試験は本来経済的な事情で法科大学院に通えない人や企業等で既に法的学識を持った人たちがチャレンジするためのルートだったと思うが、現実は大きな時間的、経済的コストを嫌った学生が法科大学院をスキップするための手段として使われている。こういう人たちは本来予備試験ではなく法科大学院卒業後に新司法試験を受けるべきだ。それが破られているのはまずいし、実務やプロセスの教育を受けない人たちが新司法試験に合格し、しかも法科大学院組より新司法試験で優秀というのは、なんともまずい結果だと思う。予備試験の廃止を主張されるかもしれないが、廃止するともっと法曹を志す人たちが減るだろうか。

私はどういう法曹を求めていくかは国民や企業が決める事だから、旧司法試験や現在の新司法試験のように主に試験の点で高い法的学識を持った人物を求めていくなら、それでもいいと思う。前に鳩山邦夫法相(当時)が「我が国は難しい試験に通ったからこそ信頼をよせるという考え方がある」といって新司法試験合格者目標を3000人から下げようとした事があった。国民や企業が本当にそういう法曹を求めているなら、それでいい。それなら、即刻法科大学院を廃止して、旧司法試験かそれに近い制度に戻した方がいい。

ただ、私は鳩山氏がいうような考えは適切な考えではないと思う。どんな職業人でも合格した試験の難易度ではなく、仕事の結果で評価されるべきだ。試験に合格した事は何の結果でもなく、どんなに難しい試験に合格しても、結果を出せない人は良い職業人とは言えない。私は超一流のローファームを頼った知人から「あのローファームの弁護士はアホじゃないかと思った。司法書士の先生の方が有能だと思った。超一流のところだったけど、難しい試験に合格したやつは何を考えとるのかわからん。」と聞いた。裁判官でも全く判決を書かず、20年以上やっていても簡単な仕事しか任せられない裁判官は現実に存在する。

また、私は旧司法試験や現在の新司法試験のように大卒後数年間試験勉強に偏った学習をひたすら死にもの狂いで続ける態度は、人物の総合的能力を伸ばす上で適切でないと思う。特に10代、20代でそれをやるのは良くない。試験勉強以外に学ばなければならない事はたくさんあるし、それらを身につけないと試験の上での学力は良くても、良い職業人にはなれない。法曹界だって法曹になった後に学ばなければならない事の方がずっと多いはずだ。

だから、私は法科大学院の趣旨には賛同する。しかし、それは試験勉強に偏らず、多様なバックグラウンドを持った人たちを迎え入れ、実務やプロセスを重視した教育、コミニュケーション力を磨く学校生活を送り、旧司法試験に比べればずいぶん低い法的学識を試す試験かもしれないが、それなりの水準の新司法試験に合格し法曹となってくれる場合の話。

こういう事を述べると、「法的学識の低い法曹では国民のためにならない。」、「新司法試験の合格者は刑法で構成要件、違法性、有責という流れで検討するという非常に基本的な事すら知らない者がいる。」(この主張は現実にあったものだと思うが、たぶん試験を重視しない事を批判したい人が誇張していっただけなので真に受けない方がいい。)とネガティブな主張を主に法曹界が主張するに違いない。

しかし、上で述べたように、どういう法曹を求めるかは国民や企業が決める事だと思うし、彼らがそれでいいならいいと思う。悪い法曹なら国民が彼らを選ばない事で自衛できる。私は現在のように非常に難しい司法試験にしなくても、有能な法曹はたくさん輩出されると思う。免許をとった時点では法的学識が旧司法試験合格者より低くても、高度な法的学識等は裁判所、検察庁、法律事務所等に勤めながら徐々に伸ばしていけばいいのではないか。だいたいどの大手企業も24、5歳の修士卒の新入社員なら仕事をさせながらゼロから育てるという感じだし、それで高い能力を持ち、立派な成果を出した人たちはたくさんいる。医学界やアメリカの法科大学院も日本の新司法試験程難しくないと思うし、特に医師国家試験は難しくなく、医学部生は法科大学院生のように身をやつして勉強しているという感じではないが、有能な職業人は何人も輩出されている。他の分野や国でできている事が日本の法曹養成でできないはずはない。

以上、皆さんはいかがお考えですか。


東大分生研事件後の加藤茂明氏

2015-09-14 00:00:05 | 社会

加藤茂明氏は元東大分生研教授で骨代謝の分野で著名な研究者。2012年頃に発覚した研究不正事件で引責辞任した。加藤茂明氏の研究不正事件後の活動は他の研究不正行為者の活動とは違い、なかなか良いと思う。大概の研究不正行為者は研究不正に関してだんまりを決め込み、処分後も逃げ続ける。例えば岡川梓、伴金美は論文等の不適切さを学会等から指摘されても訂正すらせず、何の説明もしようとしない。O 30代女性研究者も逃げ続けている。他にも服部良之、川上明夫なども同様。

一方、加藤茂明氏は東大を引責辞任した後、福島県でボランティア活動し、相馬中央病院や仙台厚生病院などで論文指導などの仕事をしている。上昌広氏によると『研究不正で責任をとった教授の再出発は重要なテーマだ。成功例は加藤茂明・元分生研教授だと思う。福島で地元の子供、若き医師を指導している。彼が関わる病院だけが、若手医師が激増している。「加藤先生に指導して貰いたい」という人が多い。来年、いわきときわ会常磐病院に彼の基礎研究室が出来る』(上昌広氏のツイッター、2015年8月26日)

最初にあげた人たちと加藤氏の活動を比べると大きく近い、加藤氏の方がずっと良い活動だとわかるだろう。研究不正問題が報道された時も、加藤氏は他の人たちに比べてよく説明していたと思う。その点でも他の人たちと全然違う。

東大分生研事件は東大開学以来最悪の不祥事と言われた事もあり、東大の報告書では、加藤氏の活動は非常に悪質だったと認定された。しかし、加藤氏が上のように様々な善良な活動をしている点を私は評価する。上氏がいうように加藤氏のような人物がきちんと再出発できる仕組みを作ることは重要だ。

皆さんはどう思いますか。