世界変動展望

私の日々思うことを書いたブログです。

コンピューター、公式対局で初めて現役男性棋士を破る!

2013-03-31 00:29:32 | 囲碁・将棋

『将棋電王戦第2局、男性現役プロ棋士が初の敗北

 コンピューター将棋ソフトと人間のプロ棋士による5対5の対抗戦「第2回将棋電王戦」第2局が30日、東京・渋谷区の将棋会館で行われ、コンピューターソフト「ponanza」が、佐藤慎一・四段(30)に141手までで勝利。

 コンピューター将棋が男性の現役プロ棋士に勝利するのは初めてで、これでシリーズ通算1勝1敗となった。

 同ソフトは昨年の世界コンピュータ将棋選手権では4位に入った。この日は1秒間に3000万~4500万局面を読むことができるように設定した。

 対局で「ponanza」は序盤から定跡を外し、相居飛車の戦いに。その後は予断を許さない形勢が続き、佐藤四段が優位と見られた局面もあったが、「ponanza」は決め手を与えずに粘り強く指し、最後は厳しい攻めで熱戦を制した。

 これまで公の場での対局では、2010年に「あから2010」が清水市代・女流王将(当時)に、12年には「ボンクラーズ」が現役を引退していた米長邦雄・永世棋聖に勝っている。

(2013年3月30日23時19分  読売新聞)

[1]』

ついにコンピューターが公式対局で現役男性プロ棋士を破った。歴史的な出来事だ。コンピューターは今後どんどん強くなっていくだろう。

参考
[1]Yomiuri Online 2013.3.30


研究不正調査制度の問題点について

2013-03-26 22:00:00 | 社会

現在の研究不正調査制度には様々な問題点があり、公正な調査ができないことが珍しくない。どのような問題があるか論じる。

(1)規定を守らない、規定の実効性がない 

研究不正の調査や告発の受付については各研究機関の内部規定や文科省のガイドラインが存在する。論文の投稿にも投稿規定が存在する。守るのは当然だが、都合が悪ければ規定を無視することが珍しくない。研究機関にとって内部規定や文科省のガイドラインは紙切れに過ぎず、実効性がないことが明らかとなっている。

具体例

東北大I前総長の事件は内部規定上告発を受け付けて調査委員会を作る義務があったが、無視して不公正な取り扱いをした。

他、「被告発者が生データや実験・観察ノート、実験試料・試薬の不存在など、本来存在するべき基本的な要素の不足により、不正行為であるとの疑いを覆すに足る証拠を示せないとき(上記(2)2)も同様とする。=(不正行為とみなされる。)」(写し)と文科省のガイドラインで定められていても、生データが存在しなかった東北大I前総長やF東邦大元准教授の捏造は認定されなかった。

京都府立医大Mらのバルサルタン事件でも「証拠の証明力は、調査委員会の判断に委ねられるが、被告発者の研究体制、データチェックのなされ方など様々な点から故意性を判断することが重要である。」 (即ち、データの誤りが多いというような、少なくとも杜撰なデータチェックで論文を発表したと推測できる場合は故意を認定すべきということ)と文科省のガイドラインに定められていても最初の調査では捏造や改ざんは認定されなかった。それどころか予備調査で不正が否定された。

文科省のガイドラインには他にも「被告発者が自己の説明によって、不正行為であるとの疑いを覆すことができないときは、不正行為と認定される。」と定められているが、大分大医学系M元講師の事例以外適用されたのを見たことがない。

大阪大学命機能研究科A.S.元教授は調査の過程で、告発対象とは『別の二論文でもねつ造が、判明したが、それを大学としては公表していない。報告は文科省になされただけだ。研究に関する不正行為が確認された場合、阪大の規程では「合理的な理由のため不開示とする必要があると認めた場合を除き、原則として公表する」と記されているが、阪大の研究公正委員会は、A.S.本人が既に懲戒解雇になっており、十分に社会的制裁を受けているなどの理由から、原則公表の「例外」に該当すると判断した。[1]』 無論、十分社会的制裁を受けたことは不開示とする合理的理由ではない。規定違反又は規定自体が骨抜きの構造になっていると考えられる。

内部規定や文科省のガイドラインは研究機関にとって紙切れに過ぎないといってよい。

(2)公的研究費を返還しない。

不正なことに公的研究費を使ったら、少なくとも不正に使った分はきちんと返還するのは道理である。しかし、正をしても全く公的研究費を返還しない研究機関が存在し、管理責任のある日本学術振興会(以下、学振)さえそれを追認している驚くべき実態が存在する。

具体例

独協医大H元教授は大規模なデータ改ざんを行ったが、独協医大は科研費を返還しないと発表写し)し、学振はそれを追認した。H元教授に下されたのは5年間の競争的資金の応募制限のみ写し)。学振は研究機関の調査報告を審査するとはいえ、専門性がないためかやる気ないためか、単に研究機関の調査を盲目的に追認するだけで、独自の審査機能が全く機能していない。

※ 念のために説明すると、返還される場合は上のリンク先できちんと返還処分が明記される。それがないということは公的研究費を一銭も返還していないということ。

(3)調査側が中立的な立場でないため又はやる気がないため又は不利益回避のため調査や判断が恣意的

現在は被告発者の所属機関が調査する制度だが、不正は所属機関の名誉低下、研究費の返還、訴訟リスク、仲間意識の庇いあいなど、所属機関にとって様々な不利益が存在する。そのため、事実を歪め不正な調査や判断を行うことが珍しくない。被告発者がポスドクでも学長でもこのような不条理な問題が発生している。中立的な調査機関でさえ判断が恣意的な場合がある。

具体例

(3-1)東北大I前総長の捏造事件その1 - 匿名告発(2007年) 、顕名告発(2007年か2008年)

大学は匿名告発を調査したが、はじめから結論ありきの調査写し)で一切不正を認めなかった。現在では告発対象となったセンチメーター級直径のバルク金属ガラスの捏造は濃厚と見られている。

その後告発の一部でI前総長らの論文で質量保存の法則を破っている材料の質量データが掲載され、捏造が指摘された。これは日本金属学会、及び東北大学に告発された。共著者のC北京航空航天大院長は『当時の実験ノートや作成した金属ガラスは2003年に帰国する際「韓国の運送会社に依頼して送ったが、中国・天津の港でコンテナごと海に落ちた」』(写し写し2)と説明した。即ち、生データや試料の不存在が確認されており、文科省のガイドライン上は不正と認定すべきだが、日本金属学会は過失による訂正で処理し、東北大もこれを追認した。

(3-2)東北大I前総長の捏造事件その2 - 二重投稿、改ざん事件 有馬委員会調査 (2012年)

I前総長が二重投稿をし、東北大の調査委員会(委員長 有馬朗人元文部大臣)が調査写し)。二重投稿は認めたが、改ざんについてはわざと判断を避けた(参考)。調査委員会は大部分第三者で構成されたが、十分に公正な調査とはいえなかった。

(3-3)東北大I前総長の捏造事件その3 - 二重投稿、改ざん事件 JST第三者委員会調査 (2012年)

I前総長の二重投稿発覚により公的研究費を出した研究成果に影響がないかJSTの第三者委員会(御園生誠委員長)が調査写し)。これは完全な第三者委員会だったが、二重投稿のみを判断し捏造や改ざんの判断はわざと避けた。「研究成果に影響なし。」と結論したものの、後の告発者らの調査で調査結果に影響を与える重大な不正が発覚[1]。JST第三者委員会の調査が不十分であったことが判明した。

(3-4)琉球大医学系M教授らの捏造事件 (2010年)

琉球大医学系M教授らが大規模捏造をした。不正論文の中にI学長との共著論文があり、当初琉球大の調査委員会は「不正ではない」と結論していた。しかし、第三者調査委員会が後の調査で不正論文と結論。要するに大学の調査委員会はI学長を助けるために、クロをシロと判断していた。自浄作用がはたらなかった様を琉球新報は批判した

(3-5)東邦大F元准教授の世界記録捏造事件 (2012年)

東邦大F元准教授は在職中に捏造事件で告発された。生データの不存在が確認されたが、捏造を認定せず研究倫理規範違反で処分した。後に日本麻酔科学会が調査し少なくとも172編の論文で捏造が確認された。東邦大の調査対象の論文も捏造だったと考えられる。即ち、東邦大は不正判断をした。

(3-6)慶應義塾大学K特任准教授 経歴詐称事件 (2012年)

慶応義塾大K特任准教授が経歴詐称を行った写し)。博士号を持っていないのに、博士課程修了と記載。その他事実でないのに「オックスフォード大上席研究員」、「ハーバード大客員教授」と記載。 複数の項目を都合よくこのように間違えることは常識的にはあり得ず、まず間違いなく故意の詐称だが、同大は誤訳による過失で処理。厳重注意で終わらせ、不正をうやむやにした。不正判断といえる。他の教員にも詐称疑惑が浮上したが現在のところどうなっているのか不明。

(3-7)京都府立医大M元教授らのバルサルタン論文捏造・改ざん事件 (2013)

バルサルタンの有効性を調べる論文で、分析に多数の重大な誤りがあり撤回。多数の誤りがあったにも関わらず、Mらの過失という主張を受け入れ、京都府立医大は「不正なし」と結論。不正をごまかすため、クロをシロと判断したと考えられる。

(3-8) 独協医大二重投稿事件 (2012)

独協医大H元教授による改ざん事件の他に3件の二重投稿が発覚したが同大は不正としなかった。理由は『定義上の不正行為(捏造、改ざん、盗用)に当てはまらない。しかも、研究者によれば、いずれも後に投稿した一方の学術誌を研究会の抄録であると誤認していたため投稿したものであり、故意によるものではなかった。』(写し)というもの。

しかし、各研究機関や文科省のガイドラインが不正を捏造、改ざん、盗用としている趣旨は不正の調査や処罰をそれらに限るということではなく、二重投稿等学界で不正と認められているその他の行為を許容する趣旨ではない。これは東北大有馬委員会報告書でも端的に述べられている写し)。こんなことはモラルのある機関ならどこでもわかる。独協医大は不正としないために、規定を恣意的に判断しただけ。

さらに客観的にはジャーナルの論文に投稿したのに、研究会の抄録だと誤認していたという言い訳は、それだけでも信じ難いが、客観的にはジャーナルに投稿したのだから、レフリーとの議論、アクセプトの通知、著作権譲渡契約、掲載料金の支払いなど多数ジャーナルの論文とわかる行為をしていたはずである。 にも関わらず、ジャーナルの論文と研究会の抄録を誤認していたというのは不合理。不正としないために、同大がクロをシロと判断した可能性が非常に高い。

(ここから先はジャーナルの不適切さ。正式な調査ではない。)

(3-9) 名古屋市立大学医学系O元教授、H元准教授の改ざん事件 (2012)

名古屋市立大学医学系O元教授、H元准教授が複数の論文で大規模にデータ流用。調査結果が発表される前にOやHらは「学会発表の練習用の資料に画像を張り付け、データを仮作成した。それを修正し忘れて投稿してしまった」と説明。ジャーナル編集委員会では過失を受け入れ、訂正で処理した。後に名市大の調査委員会が改ざんと公式に判断した写し)。もともとデータの使いまわしは複数あり、回転などの偽装工作が含まれていたので、ジャーナルも常識的に改ざんとわかったはずだが、わざと過失で処理し訂正で済ませた。

(3-10) 東大分生研K元教授らの捏造事件 (2012)

東大分生研K元教授らが発表したネイチャーの論文に大量のデータ流用が発覚したが、当初ただの過失による訂正写し)で済まされた。後に東大に告発され、不正と判明。最終的に撤回写し)になった。超一流誌のネイチャーでさえ、被疑者の過失という弁明を盲目的に信用し、過失で処理した。

(3-11) 上記事件の私的考察

私の知る比較的最近の事件でさえ、これほど不正判断、組織的隠蔽と疑われる事件が発生している。不正判断や隠蔽事件は、被疑者が学長等の高い地位のものだけでなく、ただの准教授等でも起こっている。

さらに調査側が被疑者の所属機関の場合だけでなく、学会や資金配分機関の第三者委員会といった組織上中立的な立場の機関の場合さえ、捏造や改ざんの判断をわざと避けたり、普通に判断すればクロなのに、被疑者の過失という弁明を嘘とわかっていながら信用して、過失・訂正で処理する事例が発生している。

つまり、改善策を作る場合、単にORI(米国研究公正局)のような第三者調査機関を作るだけでは不十分ということを意味する。おそらくは調査側や研究者の体面を保ったり、訴訟リスクを回避するために、わざとクロをシロと判断しているのだろう。

被疑者は決まって過失と主張し、自白以外に直接証拠がないため調査側はクロをシロと判断するための恰好の手段として、嘘と知っていながら隠蔽のためにわざと過失と恣意的に判断しているが、こうしたことをできないようにする制度が必要。そもそもこういう恣意的な判断をさせないために文科省のガイドラインで

被告発者が生データや実験・観察ノート、実験試料・試薬の不存在など、本来存在するべき基本的な要素の不足により、不正行為であるとの疑いを覆すに足る証拠を示せないとき(上記(2)2)も同様とする。=(不正行為とみなされる。)

証拠の証明力は、調査委員会の判断に委ねられるが、被告発者の研究体制、データチェックのなされ方など様々な点から故意性を判断することが重要である。

被告発者が自己の説明によって、不正行為であるとの疑いを覆すことができないときは、不正行為と認定される。

等と定められていると考えられるが、(1)で述べたとおり、実効性のない規定のため、研究機関は都合が悪ければ平気で無視している。不正の判断方法は、調査側が裁判官のように強固に中立性や職権の独立性が保障され、不正判断の専門的能力が高ければ、複雑な事情に対処するため、原則自由心証主義でよいと思うが、不正調査の専門家はいないとう現状やJSTの第三者調査委員会でさえ、不十分な調査しかできなかったことやこれまで故意をわざと過失と判断したような恣意的な判断が数多くあったことを考えると、上の文科省のカイドラインの規定や「誤りが多く少なくとも重過失と考えられる場合は故意と認定する」ような規定を設けて判断を行う法定証拠主義をある程度採用し恣意的な判断を排除する手続きを実現する必要があるだろう。無論、その手続きは実効的なものでなくてはならない。

単に第三者調査機関を作るだけでなく、きちんと公正かつ客観的かつ徹底的に調査し、不正の判断に消極的にならない実効的な制度が絶対に必要。

(4) 共著者の不正を認定せず、処分しない

完全な責任逃れが無理な場合は、ボスなど誰か一人の不正責任とし、その者を処分して残りの者は逃げのびるという手段がとられることがある。本来は不正行為をしたのだから、その者の不正を認定し、相当の処分をすべきだが、それをせず責任をうやむやにする。

具体例

(4-1)独協医大H元教授の改ざん事件 (2012年)

独協医大H元教授の事件は大規模改ざん事件でありながら、改ざんの実行者はH元教授だけという調査結果となった。大規模改ざん事件だったのに、処分はH元教授が諭旨退職、当時の学長と対象講座の主任教授は管理責任により、給与の一部を自主返納もしくは減給処分にしただけだった。

不正論文の筆頭著者はH元教授以外に6名いたが、「H元教授の指導を仰ぐ立場にあったので、論文について口を挟めるような状況ではなかった。」とし不正を認定しなかった。他の共著者も「17 名の共著者は、論文の基本的な内容についてはH元教授に任せていたので、特段、改ざん等に該当するという認識もなかった。本件のケースは、いずれも真正な結果に類似する見栄えの良いデータを代用又は流用したものであることから、論文の結果から特に疑念を抱くことはなかった。」とし不正を認めなかった。

いずれも不可解な理由だが、特に筆頭著者は自分が最も主体となって研究を遂行し、論文に最も貢献した人物なのに、指導教授とはいえ「論文に口を挟めなかった」から不正ではないという言い分は全く通用しないだろう。

例えば、暴力団の組織的犯罪で、部下のやくざが親分は絶対で逆らえなかったから犯罪は仕方なかったとか、時津風部屋の力士暴行事件で、弟子の力士たちが親方は絶対で逆らえなったから犯罪は仕方なかったといっても社会的に一切通用しない。それと同じだ。

要するに、独協医大の事例は完全な責任逃れが無理なので、H元教授だけを処分することで幕引きを図り、残りの責任から逃げた典型例だろう。こういうことを続けたら、研究者や研究機関の反省がなく、不正が繰り返されるので、絶対に改善しなければならない。

(4-2)東邦大F元准教授の世界記録捏造 (2012年)

F元准教授は論文172編で捏造したと認定されたが、驚いたことに共著者で捏造と知っていたものは誰もいなかったという(写し)。極めて大規模かつ20年以上の長期にわたって行われた捏造なのに、いくらなんでも共著者が一人も捏造に気がついていなかったというのは不可解。東京医科歯科大時代から筑波大時代まで長期に亘って直接的指導の立場にあった上司の帝京大学医学部T教授は「2000年の時点でAnesthesia & Analgesiaに掲載されたDr. Krankeの捏造疑惑を無視した」のだから、捏造疑惑を知らなかったとはいえないし、未必の故意のように「捏造があるかもしれないが構わず放置しよう」 と思っていたと言われても仕方ないだろう。

(5)処分が不当に軽い

捏造や改ざんをした場合、懲戒解雇などの重い処分が一般的だが処分が不当に軽いケースが存在する。無論、重い不利益を受けたくないので不当処分をしているのだろう。

具体例

(5-1) 大阪大学S教授らの捏造事件 (2005年)

阪大のS教授が責任著者を務める論文で捏造が発覚。処分は阪大生命機能研究科が共著者のT教授や捏造の実行者とされた筆頭著者の医学部6年の男子学生(当時)を含めて厳しい処分案を評議会に答申したのに、評議会が答申よりとても甘い処分写し)を出し、内外から強い批判が起きた。S教授は停職14日、T教授は停職1ヶ月、男子学生(当時)は厳重注意を受け倫理面の特別教育を受けただけだった。

[1]p22によると『処分が軽すぎるとの批判が外部から起き、「身内への甘さ」が指摘された。一次案より軽くなり、部局の意向が軽視されたことには、内部にも強い批判がある。ある関係者は「大阪大学の隠蔽体質を一掃しないといけない」とし、これを「大阪大学の『まぁ、ええやないか』という「なあなあ体質」によるものだと思う。商人の町大阪の悪い方の商人根性が阪大人の心の奥底に住みついてしまったのだろうか」と述べている。』と記載されている。

(5-2) 東邦大F元准教授の世界記録捏造 (2012年)

論文172編で捏造をしたと認定されたF元准教授は倫理規範違反による諭旨解雇処分で済んでおり、懲戒解雇ではない。日本麻酔科学会も規定上脱会をとめられないとして、除名できず、永久追放処分とした。極めて大規模に捏造し、同学会から医師や研究者の資格はないと断じられた写し)にも関わらず、医師免許を取り消されず医師の勤務を続けている。博士論文も捏造だったと思われるが、博士号を取り消したという報告も見つけられない。どう考えても制裁が軽すぎるだろう。なぜこのような人物が医師を続けているのだろうか。

弁護士や税理士など他の専門職なら不正を行えば業務停止などの懲戒処分があるが、なぜ医師の世界は研究不正で医師資格に対する処分を行わないのか。医師資格も剥奪すべきだという点は以前も主張した。最近薬害オンブズパースン会議が「悪質な不正を行った医師は厚生労働省医道審議会に諮り、医師免許取り消しなどの行政処分を行うべきだ」と要望書を文科相や日本医学会などに提出したのはこうした問題点を感じたからだろう。

(5-3) 琉球大学医学系M教授の捏造事件 (2010年)

M教授は論文約40編で捏造した(写し)。当初は懲戒解雇だったが、裁判で和解が成立し停職10ヶ月関連)になった。Mは(5-1)の捏造事件で阪大S教授が責任著者だったのに停職14日で済んだのに比して懲戒解雇は重すぎるとして争い、それを理由の一つとして停職10ヶ月に変更になった。写し

そもそも(5-1)の事件自体が不当に甘い処分であり、それと比較することが誤り。これは過去の不当に甘い処分例が後の不当処分を誘発する例であり、懲戒処分にきちんと統一的なルールを作ることが必要。無論、そのルールはきちんと実効的なものでなければならない。

(6)不正の調査をさせないため、告発者を悪意と見なしたり、弾圧を加える、訴訟提起等して圧殺

被疑者や所属研究機関にとっては告発をされると困るため、告発を圧殺するために様々な圧力が加えられる。

具体例

(6-1)東北大I前総長事件 その1 - 匿名告発 (2007年)

東北大I前総長の捏造を告発する匿名投書が大学や官庁、マスメディアに広く配られた。告発は複数回あった様子。大学はこうした行為を悪意をとらえ、調査報告書中で告発をされないような警告的な記載をし圧力を加えた写し)。しかし、告発された論文の捏造は濃厚で、データの使いまわしなど明らかに疑義があるものさえ本調査せず斥けた様や東北大の内部規定に従っていない様などを考えると、単に告発を圧殺するためにわざと悪意とみなしたと考えられる。

(6-2) 東北大I前総長事件 その2 - 顕名告発 (2007年か2008年)

東北大経済学部の教授らがI前総長の不正を顕名告発した場合は、I前総長事件の東北大執行部の取り扱いを「批判した人に対して、名誉教授の称号の授与を留保する、退職金の返還を求める、処分をちらつかせた査問に呼び出す、そして名誉毀損裁判を引き起こす、などの行政圧力写し)を加え[2]」、圧殺を図った。

(6-3) ソウル大学女性教授捏造事件 (2012年)

ソウル大の女性教授は大規模捏造をした。女性教授は疑惑発覚直後も調査公表時も捏造を否定し、「ソウル大獣医学部の黄禹錫支持者たちに仕組まれた」と主張して、匿名告発者を名誉毀損で提訴し、圧殺を図った。しかし、調査で正式に捏造が認定された。

(6-4) パワハラで圧殺

[3]によると

『別の背景もある。リーダー格の科学者がデータを改ざんしても、いさめたり、やめさせたりしにくい環境があることだ。
 上特任教授は「数年前のこと」と前置きした上で、「複数の研究室で、大学院生らの若い研究者が指導者から『こういう実験結果のデータがほしい』と求められ、数値を改ざんさせられるケースがあったと聞いた」と明かす。
 研究室では指導者の立場は絶対的。指導者の指示に従わなければ大学の中で孤立しかねず、将来や、場合によっては雇用の継続にさえ関わっ てくるという「体育会的」体質が強いようだ。こうした閉鎖的空間の中では、指導者がデータを改ざんしても口を挟みにくく、その結果、不正に携わってしまうこともある。
 山崎教授が相談を受けたケースでは、ある若手研究者が教授との共同研究を論文に発表する際、教授から「グラフのゆがみをならしてシンプルにするように」と要求された。若手研究者が拒否したことで関係が悪化し、結局、この人は科学の世界から去ることになったという。

・・・

こうした環境では、トップの不正を告発しにくい。不正告発のための窓口を置いている大学、研究機関もあるが、告発者にとっては、捨て身の覚悟が必要なため、なかなか利用されない。

[3]』

(6-5) 上記事件の私的考察

どの事件も告発に合理的理由があったにも関わらず、様々な圧力が加えられ圧殺が図られている。仮に本当に無実だったなら、被告発者は嫌なものだろうし、裁判を受ける権利は憲法で保障されているから、提訴には反対しない。

しかし、提訴を含めて上の行為は濫用されている感がある。告発は不正が真実の場合被疑者は処罰されるから、不回避的に不利益処分を目指すものだが、それをとらえて被告発者を貶めるために告発していると判断したら、およそ告発はできなくなる。

ちゃんと不正を疑う合理的な根拠があって告発されている場合は、悪意とみなしたり、行政圧力を加えるなど圧殺を図ったり、一切の不利益を与えてはならない。そもそも不正があれば、それはきちんと調査して、事実なら被疑者を処罰し、論文の訂正や撤回をしなければならない。学問の公正さのため、疑いがあれば調査すべきだし、事実なら被疑者は悪いことの責任をとるのは当たり前。論文を訂正、撤回するのも当たり前。放置していたら、読者や研究成果を受ける人が被害を受けてしまう。

そもそも告発と被疑者が悪いことをしたことに対する調査や責任追及は全くの別件。告発を理由に圧殺して、被疑者に調査や責任を逃れさせることがあってはならない。

各研究機関の内部規定や文科省のガイドライン写し)では不正を疑う合理的根拠があれば、きちんと調査する規定になっていると思うが、これも(1)で述べたように規定に実効性がないため、恣意的に扱っているのが実情だ。

裁判にしろ、憲法で保障されていることだから、反対はしないが、そもそも研究不正の調査判断は裁判官が学術の素人であるため、裁判になじむものでな く、本来的には裁判で争うのではなく学術機関が調査判断して解決すべきものである。提訴して疑惑を晴らしたいと思っているなら、尚更きちんとした第三者調査機関に公正に調査してもらうべきだろう。

(7)虚偽のデータだとわかっても撤回や訂正をしない

研究機関の調査委員会やジャーナルの編集委員会の調査で故意、過失問わず論文の誤りが発覚した場合は、普通の研究者ならきちんと訂正や撤回を行う。これは最低限の責任で、当たり前のこと。訂正等の強い義務があることは日本分子生物学会の要望書でも確認できる。写し

しかし、研究機関の調査委員会やジャーナルの編集委員会からデータの虚偽性を指摘されても、訂正や撤回をしない驚くべき研究者が存在する。無論、極めて異常かつ無責任かつ背信的な人物。

具体例

(7-1)独協医大H元教授の改ざん事件 (2012)

独協医大H元教授は大規模な改ざん論文を発表した。しかし、Hや同大による自主的な訂正や撤回は一切行われなかった。論文の撤回等は告発者がジャーナルに指摘し、ジャーナルの編集権限に基づいて行われた。ジャーナルは不正疑惑についてH元教授に連絡したが、H元教授は一切返答しなかったという。写し

H元教授と同大の対応は極めて無責任かつ背信的。H元教授はすでに諭旨退職となっており、今更撤回等をしてもHや同大には何の得もないから、責任から逃げてしまったということ。こういう研究者や大学はもっと重く処分すべきである。

(7-2)私的考察

虚偽データの訂正等をしないのは虚偽とわかっていてデータを発表し続けるという点で捏造や改ざんと同じで、このような行為は学術に対する背信である。虚偽データの放置で他の読者や研究成果を受ける者が被害を被ることもある。私はこういう行為をする研究者や研究機関を重く処分すべきだと思う。

ジャーナルも著者がこのような背信的な態度なら、独自に訂正、それができないなら権限で撤回しなければならない。著者が学会の所属会員なら除名や投稿禁止、非違行為の公開など何か処分をすべきである。どんな論文発行機関も正しい研究成果を伝え、読者や研究成果を受ける人が損害を被らないように努める義務がある。お金をとっているなら尚更だ。これは論文発行機関として最低限の義務である。それができなければならない。

(8)匿名でも告発者をもっと信用した方がよい

東北大I前総長の事件がそうだが、匿名の告発者を悪意とみなしそれ以上告発されないように圧殺をはかった。告発者が匿名だから告発内容が信用できない、不正でない等科学的因果関係のことで不正でないという判断をするところがあるが、それま全くの間違いである。

トルコ人東大元助教の経歴詐称、博士論文盗用事件や京都府立医大M元教授のデータ流用事件、K元東大分子細胞生物学研究所教授のデータ流用事件、名古屋市立大のO元教授とH元准教授不正事件、独協医大H元教授の不正事件はすべてネット上の匿名の議論で不正が濃厚となり告発(顕名)され、解決された。

立場や実名と結論の間には科学的因果関係はない。匿名でも立場がわからなくても疑義の内容を科学的に判断すれば誰が見ても不正は不正とわかる。科学とは普遍的なもので、正当な判断とはそういう性質のものだ。

告発内容を科学的に考察することもなく、匿名だから信用できないとか専門家でないから信用できないと主張する者は単に不正とすると都合が悪いから立場や匿名性を利用して不正の扱いを避けているだけであろう。

告発者の立場や匿名性に拘ることなく、告発内容を科学的、積極的、公正に判断することが絶対に必要である。

(9)強制調査権がなく調査に限界

現在は強制調査権を持つ機関がなく、被疑者が否定したり任意の調査を拒むと逃げ得を許すことになる。

具体例

京都府立医科大学、東京慈恵会医科大学のバルサルタン臨床試験の犯人特定(2013)

Kyoto Heart Study、Jikei Heart Studyともにバルサルタンの臨床試験でデータ操作があったことを認めた。しかし、被疑者のノバルティスファーマ社元社員は京都府立医大の調査には協力せず(関連)、慈恵会医大の調査でも不正を否定し(関連)、結局誰がデータ操作をしたのか大学の調査ではわからなかった。ノ社も大学も関係者が職場を離れていて任意調査に限界があることが指摘された。逃げ得を許さない制度が必要。

以上。

参考
[1]詳しくは「研究不正と国立大学法人化の影-東北大学再生への提言と前総長の罪」(日野秀逸、他、社会評論社) を参照。
[2]高橋禮二郎(東北大学元教授)の発表 2013.2.16
[3]中日新聞 写し 2013.8.1

(2013-03-26 22:00:00 執筆)

本記事の引用サイト
[1]武市正人(大学評価・学位授与機構教授、前日本学術会議副会長)のブログで紹介されました。 写し。 2013.8.26
[2]尾崎美和子(アジアメディカルセンター代表)が"日本の科学を考える"で紹介しました。写し。 2013.8.6頃

※本記事は自分の調査に基づく独自見解です。"日本の科学を考える"というサイトの研究不正に関する議論のまとめではありません。この記事の大部分は2013年3月26日に執筆したもので、同サイトでの不正に関する記事の公表以前から存在します。


加藤一二三の人気について

2013-03-23 14:35:55 | 囲碁・将棋

私が最も尊敬する棋士は加藤一二三九段である。最近通算1100敗を達成し報道された。それに関する新聞報道で「加藤一二三はテレビ等の解説で人気がある。」と紹介されていた。私はこれが意外だった。加藤の解説は完全に独擅場で周りがあわせるのが大変そうだったし、テレビ放送としてはまずい印象を持っていたが、人気があったとは。

確かに加藤の解説は独特の個性で面白いと思う人がいるかもしれない。どう面白いのか?解説の例を動画で見ていただけるとわかりやすいかもしれない。


動画 第57回NHK杯戦(2007.10.14)、羽生善治-中川大輔 解説 加藤一二三
(「あれれれ」、「ひゃー」など面白いと思うシーンは6:23頃から)
補足、これはNHK杯戦で非常に珍しい逆転で、何かの投票でも上位に選ばれた対局。

「あれれれ」「ひゃ~」などひふみん(加藤一二三の愛称)らしいセリフ(笑)

加藤一二三は解説時にこのような個性的なセリフやジェスチャーがおなじみで将棋ファンにうけているのだろう。私も面白いと思う。面白い解説だけでなく、将棋の解説も適格だからいっそう人気があるのだろう。そのあたりは天才棋士だから、当たり前かもしれない。

加藤一二三がこのような解説で人気を得ているのは何だか嬉しい。


井山裕太、史上初の六冠達成!

2013-03-17 16:55:50 | 囲碁・将棋

16日に第37期棋聖戦が行われ、井山裕太本因坊が勝ち初の棋聖を獲得した。井山は史上初の六冠を達成。名人以外のすべてのタイトルを保持した。またグランドスラムも達成。今後は史上初の七冠独占が期待される。将棋界では羽生善治が1996年2月14日に達成したが、囲碁界では七冠独占は一度もない。井山がタイトルを防衛し、次の名人挑戦者となり山下敬吾から名人を奪取すれば史上初の七冠独占となる。今後を期待している。


30代東海三県娘の中の一人の大変な悪さについて

2013-03-03 19:22:55 | 社会

先日友人と飲みにいった店で店員から次の言葉を聞いた。

「私達東海三県娘で~す。」

みんな30代の東海地方出身(一部自称)の女性。30代で娘か?そういうツッコミは置いておくとして今回問題にしたいのはそれではない。

東海地方というと、中部地方で太平洋岸の地域を指すと理解している。昔は神奈川県も東海だったが、今は首都圏に含まれるので東海ということはない。だから、東海三県といった場合、私は静岡県、愛知県、三重県の三県を指すと思っている。無理にでも、そう思っている。なぜ無理にでもそう思っているかは後述。辞書でも東海地方は「本州中央部の太平洋側の地方。ふつう、静岡・愛知・三重の3県と岐阜県の南部をいう。(大辞泉より)」と載っているし、大辞林でも同様だから私の理解が最も適切のはずだ。

では、この店員たちの出身地はというと、三重県、愛知県、そして岐阜県だった。岐阜県が東海地方・・・。現代では確かに多くの人にそう思われている。政府は東海三県を三重、愛知、岐阜の三県としているようだし、メディアでも同じだ。岐阜県のテレビを見ると愛知県でも流れているCMが流れているし、ニュースでも「東海三県(愛知、岐阜、三重)のニュースをお伝えします。」という。

なぜ岐阜が東海三県かというと、大都市・名古屋と距離が近く経済的、文化的に大きく影響を受けているからだろう。名古屋駅から岐阜駅まではJR東海道本線特別快速で約19分(450円)でつくし、近い。実際に岐阜県でも名古屋寄りの地方は名古屋の影響でまるで名古屋の一地域であるかのような雰囲気だ[2]。大辞泉などで「岐阜県の南部をいう」と記載されているのはそのためだろう。現代では岐阜県が東海地方であることは正しく、上の東海三県娘たちのように誰もが疑いなく「東海三県=三重、愛知、岐阜」だと思っている。

しかし、私はこれを聞いていつも違和感を覚えるし、悲しくなる。「なぜ岐阜が東海なの?」 心の中でそう思う。岐阜が東海というのは、言葉の意味や地理的、土地の特色、歴史的にいってもおかしなことだ。

そもそも東海とは辞書にもあるとおり「本州中央部の太平洋側の地方」をいう。要するに京都から見て東にある海沿いの地域を東海といった。昔はまさに東海道といった。具体的には伊勢(三重)、尾張(愛知)、駿河(静岡)といった地域。

では美濃(現在の岐阜県南部)は東海かというと、明らかに東"海"ではなく、東"山"だ。美濃はまさに東山道だった。現在の岐阜県は昔の国名では美濃(岐阜県南部)と飛騨(岐阜県北部)だが、どちらも東山道で、こちらの方が適切な表現だ。歴史的にいっても、岐阜は東海ではなく東山だ。字義的、地理的に考えても、岐阜は全然海に面してないのだし、東"海"というのはおかしい。

では土地の特色はどうか。確かに現在では大都市・名古屋の影響では名古屋に近い地域はまるで名古屋の属国のような感じになっている。しかし、岐阜の本来的な特色はこういうものではなかったはずだ。私は下呂温泉(岐阜県下呂市)、岐阜県高山市にいったことがある。高速道路を降りて途中から続く一本道を約60kmほど北上すると下呂温泉、さらに約40kmほど北上すると高山市だ。道中ずっと山道が続き、道の横を深い緑色の川が流れていていた。ものすごく深そうな感じの水地だった。岐阜県の大部分は名古屋よりも長野県に近い印象で、まさに山国だ。

下呂や高山(その1,その2,その3)は自然豊かでとてもよい土地だった。特に高山市の街並みは古来のよい街並みでいい感じだ。岐阜の特色や風土は伝統的には下呂や高山のような感じで、東海ではなく明らかに東山だ。これは間違いなく後世に残すべき岐阜本来のよさだ。

上の東海三県娘たち、特に岐阜県出身者が何の疑いもなく「東海三県娘」という言葉を使っている様は大変悪いというか、まずいとういか、問題点があるような気がする。勿論道義的に悪いという意味ではなく、文化を守るという点で大変危機を感じるということだ。

文化の根源は言語であり、言語が崩壊すれば文化もまた崩壊すると文献で読んだことがある。現代では上の東海三県娘たちのように岐阜は名古屋の属国となったため、人々は何の疑いもなく岐阜を東海とよぶ。愛知県出身者も三重県出身者も「東海三県娘」という様に何の疑い持っていない。それは現在では岐阜が完全に名古屋の属国であり、岐阜本来の伝統的な風土やよさもまた人々の心から完全に消え去ってしまったような印象を与える[2]。だから私は東海三県娘たちが何の疑いもなく、その名前を使っている様が悲しい。私は文化を忘れないため、最後の一人になっても岐阜は東海ではなく、東海三県は静岡県、愛知県、三重県を指すと思おうと心に誓った。上で"無理にでも"と言った理由はこれだ。

冗談抜きで、現代の名古屋寄りの岐阜の人たちは、岐阜を東海とよぶように、まさに自分たちの地域が岐阜ではなく名古屋の一地域であるかのような民族性を持っている。心も体も文化も完全に名古屋の属国になっている。ぜひ北上して岐阜の伝統的かつ固有の風土を感じてほしい。それは決して名古屋に侵食を許してはならない守るべき風土のはずだ。

東山地方(山梨県・長野県・岐阜県)という言葉は今でもあるけれど、私が会った岐阜県出身者はみんな東海地方という。ああ、悲しいなあ。

思えば似たような形で整合性、日本の伝統的な文化破壊防止の観点で守っていることにひな祭りの人形配置と歌がある。

ひな人形の配置だが、現代では次のように置くのが一般的。

 画像1 現代的なひな人形配置 - このサイトより
上から内裏雛、三人官女、五人囃子、随身(左大臣、右大臣)、仕丁(泣き上戸、笑い上戸、怒り上戸)

特徴的なのは男雛と女雛が人形からみてそれぞれ右、左に配置されていること。これは昔から違和感を感じていた。なぜなら、左大臣、右大臣(上から四段目)の配置と整合的でないからだ。見てわかると思うが、左大臣は右大臣より年長で、偉いことはすぐわかる。史実として左大臣は右大臣より高位だ。つまり、日本の伝統では右よりも左の方が高位なのだ。では男雛と女雛はどちらが高位かといえば、現代では通じる考えではないが、男性上位ということで男雛が高位だ。男雛女雛は天皇と皇后であるから、男雛が高位なのはその意味でも当然だ。

従って、左大臣、右大臣の関係からいえば、男雛が左に配置されなければ整合的でない。だから違和感がある。なぜ、現代では男雛を右に配置しているかというと、明治になって西洋文化の影響を大きく受けたからだ。西洋では右が上位で、左が下位という文化で、男性上位の風習から右側が男性、左側が女性という風習となった。西洋化の影響で大正天皇以降、天皇が右、皇后が左に位置することが慣習となったため、現代では右が上位となり、画像1のような配置となった。結婚式でも新郎が右側に位置するのも同じ理由。現代の影響で岐阜を東海とよぶのと似た部分がある。

昔は天皇が左だったし、結婚式も男性が左だった。当然、男雛も左に配置していた。

画像2 古来的なひな人形配置 - このサイトより

現代でも老年者や京都地方は画像2のように配置するという。こちらの配置の方が整合的でよい。同じ趣旨のことは[1]で述べた。現代では右の方が高位だから、男雛を右に配置するというなら、左大臣も右に配置しなければおかしい。しかし、左大臣を右に配置したら左大臣ではないではないか。男雛を左に置かない限り整合性が保てない。雛人形は日本の伝統だし、西洋文化から切り離して伝統的な配置でよいのではないか。これは人形の配置の問題なので、たいした問題ではないが、次の歌の問題は文化が破壊されている様を感じる。

ひな祭りになると、女の子達がよく次の歌を歌う。

動画1 うれしいひなまつり (作詞:サトウハチロー、作曲:河村光陽)

「あかりをつけましょ ぼんぼりに
お花をあげましょ 桃の花
五人ばやしの 笛太鼓(ふえたいこ)
今日はたのしい ひな祭り 」(このサイトより)

女の子達はひな祭りになると家にみんなで集まって、この歌を歌い、女の子達のお祭りを楽しく過ごすのだ。日本の伝統的なよさの一つ。

しかし、現代では男子たちが次のような歌をふざけて歌って、伝統を破壊しているという。

動画2 うれしいひなまつりの替え歌

「明かりをつけたら 消えちゃった
お花をあげたら 枯れちゃった
五人囃子は死んじゃった
きょうは悲しいお葬式」 (このサイトより)

「明かりをつけましょ 爆弾に
ドカンと一発 はげ頭
五人囃子は 死んじゃった
きょうは悲しいお葬式」 (このサイトより)

「男子たちがふざけて大声で替え歌を歌って、おひな祭りの邪魔をする!これじゃおひな祭りが台無しよ!!」と泣きながら訴える女の子達は何人もいただろう。男子達はせっかくの女の子達のお祭りを、ふざけて破壊し、痛快さを感じているのだ。いかにも子供じみたいたずらだ。

この歌の出所は探してみたが見つからなかった。一説には80年代に放送されていたドリフの「8時だヨ!全員集合」から発生したとされているが、はっきりとした根拠はつかめなかった。いずれにせよ近年になって、このような替え歌ができて、ひな祭りのよさや女の子たちの伝統的な楽しみを破壊するようになったのだろう。東山だったことを完全に消し去り、真に岐阜を東海とよばせるほど岐阜を文化的に属国にした現代の名古屋と似たようなところがあるかもしれない。

私は内裏雛の配置は男雛を左、女雛を右に置き、「うれしいひなまつり」もきちんと歌うことにしている。

ちなみに、「うれしいひなまつり」では「お内裏様とお雛様」という歌詞があり、これが原因で男雛をお内裏様、女雛をお雛様ということがあるが誤り。内裏とは天皇の住まいをいい、そこに居る貴人を内裏様といった。即ち、内裏雛とは男雛女雛の両方を指す。大辞泉にも端的に『男性の人形のみを指して「内裏」「お内裏様」と呼ぶのは誤り。』と記されている。

以上、現代文化の影響で整合性や伝統文化が破壊されていく様を論じた。東海三県娘もひな祭りも時代が進むとよい風習さえ破壊されていく様は何だか悲しい。ひな祭りでは男雛を左、女雛を右に配置するのはともかく、「うれしいひなまつり」は正しく歌うべきだ。「東海三県娘」も「東山海三県おばさん」と改称した方がいいんじゃないかな?(笑)

若さまで詐称してはいけませんよ(笑)

参考
[1]世界変動展望 著者:"雛人形の飾り方への違和感" 世界変動展望 2008.2.25
[2]岐阜県民からすると名古屋周辺地域の人は名古屋に目を向けており、まさに属国という感じだが、名古屋人の排他性から、名古屋市民は岐阜でも別地域と思っている人がいる。同化していると思っているのは岐阜人だけで、名古屋人は同化していないと思っているのだから、何か妙だ。ならば、なぜ名古屋人は岐阜を東海とよぶのか?少なくとも岐阜人が自分たちの伝統的な民族性や文化を忘れてしまったらまずい。

(本来発表日 2013-02-12 00:00:02)


男女関係がこじれて仲直りせず絶縁した女が被る甚大な不利益について - 連盟とLPSA

2013-03-03 00:10:25 | 囲碁・将棋

男女関係がこじれて仲直りせず絶縁した女が被る甚大な不利益について論じる。男女関係って?日本将棋連盟(男)とLPSA(女)の関係ですよ。(笑)

3月6日の週刊将棋(マイナビ発行)を見ると、なんとLPSAの反論記事が載ったと聞きました。マイナビ女子オープンの対局を放棄したLPSAの記事がよく載りましたね。週刊将棋の反論記事の話を聞くと連盟やマイナビにケンカを売るような内容だったそうです。

これまでも何度も両団体の和解のために問題考察の記事や提案記事を執筆しましたが、LPSAの態度を見て勝手にしたらいいと匙を投げてしまいました。これまで私や北尾を含めて多くの人がやられたらやり返すという愚かな対応はやめるようにLPSAに助言してきましたが、LPSAはどうもそういう態度をやめるつもりがなく、あくまで強硬姿勢のようです。

LPSAの態度を見ていると、完全に被害者面で、連盟やマイナビが一方的に救済してこれまでの不利益を補填したり、嫌がらせを謝罪するのが当然だというようにLPSAが考えていると思います。

確かに、連盟は米長前会長時代にLPSAに対して嫌がらせをしていたかもしれません。しかし、今回の谷川の良い譲歩案(渡部の特例扱い、謝罪すれば協議次第でLPSA基準を認める)や「友好的な関係を築く」という申し出を、自分たちが内容を理解できなかったのが原因だったくせに酷い非難文でやり返したり、週刊将棋でさらに連盟やマイナビにケンカを売っているようでは、絶対に連盟やスポンサーとうまくいかないでしょう。せっかく連盟から仲直りのチャンスをもらえたのに、なぜそれをケンカを売って排除してしまったのでしょうか。

LPSAにとって連盟に加害者の側面があったとしても、完全に被害者面で、自分たちにとって都合のいいとこだけ受け入れて、後は相手を否定排除しかしない強硬姿勢をLPSAはとっています。これだったら、相手が加害者かどうか関係なく、誰でも非常に怒るし、和解できるわけがないでしょう。否定排除する側だって相手の怒りから不利益を被りますよ。

こういうことはそんなに難しい話ではなく、客観的に考えようとすればわかると思います。前に執筆したように、なぜかLPSAはそういう思考ができない。いったいなぜなのでしょうか。

LPSAの現在の考え方から、連盟とLPSAはもう絶縁するしかなく、互いに別の道を歩むしかないと思います。LPSAは日レス杯等の少ない独自棋戦やレッスン、ワインサロンでおじさん相手に女を売って金を稼ぐといったことをするしかないでしょう。やっていけるかどうか知りませんが、対局以外の仕事の割合が大変多くなりそうです。LPSAも言うように棋士にとって対局は命なんでしょうし、ワインサロンのような仕事ばかりで満足でしょうか・・・。とても不利益のような気がします。構成員や新人から見れば、扱いはきつくてもまだ連盟の方が待遇がいいような気がします。LPSAの待遇が悪すぎてどんどん人が抜けていったりして・・・。

そういえば、昔「赤毛のアン」(原作 ルーシー・モード・モンゴメリ)で似たような話を読んだことがあります。これは本当に男女問題ですが。

マリラ「ジョン・ブライスはなかなかいい青年だった。あの人と私はそりゃ仲が良かったよ。世間では私の恋人だなんていってたよ。」

アン「あら、マリラ。それからどうしたの?どうして2人は・・・?」

マリラ「私達はケンカしたんだよ。むこうが謝ってきたときに、ツンツンして怒ってみせたんだよ。ともかく思い知らしてやろうと思って。あの人は二度と私のところに帰ってこなかった。ブライス家の人はみなとても人に頭を下げるのが苦手だからね。

でも、私はずっと悪い事をしたと思っていたよ。許してあげるせっかくのチャンスを逃がしてしまうべきではなかったと今でも思うことがあってね。」

アン「マリラにも若いときのロマンスがあったのね。」

マリラ「今の私を見ただけでは思いもかけないだろうがね。でも、人のことは外見だけじゃ決められないよ。みんな私とジョンのことは忘れてしまったし。私だってそうさ。でも、この間ギルバートを見かけたとき、ふと昔のことを思い出したのさ。悪い気はしなかったね。」

"ジョン=連盟(男)"、 "マリラ=LPSA(女)" のような関係。(笑)

被害者意識の女は、男を否定排除して絶縁し、不利益を被っていくんですね。なぜ仲直りしないのでしょうか。アンとギルバート・ブライス、マリラとジョンほど些細な問題([1])ではないでしょうが、連盟とLPSAは和解できないほど酷い状態ではないと思います。和解できないのはLPSAの考え方に問題があるだけだと思います。裁判にまで発展させる必要は全くなく、この問題を裁判でしか解決できないなら、連盟やLPSAの考え方に問題があるだけでしょう。

仲直りの大切さというのは、"赤毛のアン"を見るよりも"雪のたから"(パトリシア・M・セントジョン)を読んだ方がわかるのかもしれませんね。

画像1 アンネットの弟ダニーを誤って谷底に落としてしまうルシエン - 世界名作劇場 「アルプス物語 わたしのアンネット」

 画像2 アンネットにひどく恨まれるルシエン - 世界名作劇場 「アルプス物語 わたしのアンネット」

ルシエンはアンネットの弟ダニーを谷底に落としてしまって一生歩けない大怪我を負わせてしまう。これは大罪です。当然アンネットに酷く恨まれてしまいました。




画像 3~6 ルシエンへの恨みから、和解のために一生懸命作ったルシエンの木彫りの馬をわざと壊すアンネット - 世界名作劇場 「アルプス物語 わたしのアンネット」

アンネットは恨みから画像3~6のような暴挙に・・・。






画像7~11 ルシエンを憎む気持ち、ひどい仕打ちをした気持ちから苦しみ、夢でうなされ、たまらず目を覚ますアンネット - 世界名作劇場 「アルプス物語 わたしのアンネット」

相手を悪く思って、否定排除やつらい仕打ちを続けると結局こういう目にあいます。




画像12~14 ルシエンに助けられ和解するアンネット - 世界名作劇場 「アルプス物語 わたしのアンネット」

ルシエンをひどく憎み排除し、辛く接していたアンネットもさすがに負の関係に耐えられなくなってきて、自分の間違いに気付きルシエンを許しかかる。きっかけは雪の日に遭難したアンネットをルシエンが助けて和解。

赦し合い、分け合い、助け合う時にこそ本当に幸せになれるのだということを2人はしみじみと感じたのでした。[16][17]」

というナレーションの言葉にキリスト教文学のこの作品の主題はすべて言い尽くされています。ひどいことをされたからといって、相手を憎み続けて排除するより、きちんと和解した方がよいということです。

こういう考えは現代の日本ではあまりとっている人がいませんね。

LPSAは連盟とそれほど酷い関係ではないだろうし、LPSAが考えを改めて和解するように努力すれば、すべての人にとってもっと幸福な関係になると思います。

LPSAはそんなに酷い問題を抱えていないでしょう?

大概の問題はコーヒー一杯飲んでいる間に心の中で解決するものだ。あとはそれを実行できるかどうかだ。

動画 ガンダムX テクスの名言集- 該当部分は11分20秒頃から

という言葉を考えてくださいよ。(笑)

LPSAが和解するように努力すれば、我々は温かい目で見守りますから(笑)

画像15 温かい目 - ドラえもん のび太の恐竜 2006 より

思えば、社会環境やイデオロギーが全然違う時代とはいえ、例えば徳川家康は織田信長に正室築山殿と嫡男信康を死に追いやられても信長と仲良くやっていこうとしていたし、現にうまくやっていた。こんなひどい仕打ちをされ、内心平常でいられなかっただろうが、それでもうまくやっていたのだ。こんな例はこの時代は珍しくない。社会環境やイデオロギーが違うという要因は大きいがそれでも同じ人間がやったことだから、現代の人間でもできないはずはない。現代でも住友銀行とトヨタ自動車、スクウェアーとエニックスのようにお互い大損害を被った憎むべき相手でも共にうまくやっている。大概の男女問題や連盟とLPSAの問題は家康と信長の問題や住友銀行とトヨタ自動車の問題等に比べればずいぶん小さい事だ。

男女問題がこじれてうまくやっていけないのは、関係が破綻して相手を信用できなかったり、相手を嫌だ思ってしまうことが原因ではなく、当事者がうまくやっていこうとする気がなく、うまくやっていく努力をしないからである。そういうことをやらないから不利益を被るのだ。破綻した関係やその原因にいつまでも拘っていると悪いことしかうまれていない。それは辛いことだろう。

男女関係がこじれても、女は男を否定排除せず、きちんと仲直りした方が絶対にいいでしょう!(笑)

連盟とLPSAに関しては私はもう諦めたので私は何の関係もないが、こういう問題を抱えている読者の方にはぜひ実行してほしいと思う。とはいいつつもきちんと客観的に相手の考えを理解して行動できないとだめですね。まずは話をするというのが大切だと思いますよ。連盟とLPSAも、そういう問題を抱えている人たちも。


画像16 アンとギルバートの仲直り - 世界名作劇場 「赤毛のアン」 より

参考
[1]ギルバート・ブライスは14歳の時に教室でアンの赤い髪を引っ張って「にんじん」と言ってからかい、アンの逆鱗に触れ、石盤で頭を叩かれた。以降5年間2人は絶縁していた。些細な問題だ。


画像1,2 アンにいたずらして石盤で頭を叩かれるギルバート - [1] 世界名作劇場 「赤毛のアン」 より

マリラとジョンのケンカの内容は触れられていませんが、作中で"マリラ-ジョン"が仲直りしなかったことでマリラが長い間後悔することになった描写は明らかにアンにギルバートと仲直りするようにほのめかす内容だから、"マリラ-ジョン"のケンカも"アン-ギルバート"と同じように些細なものだったのだったのでしょう。


同じ人がずーっと好き!永遠の愛、その真相について

2013-03-03 00:09:52 | 歴史

同じ人がずーっと好き!

「僕は誓うよ。50年後の君を今と変らず愛している!」

そんなきざなセリフを純愛ドラマで聞いた事がある人もいるでしょう。そんな永遠の愛は現実にあるのでしょうか?

私が見た文献では、恋愛感情はせいぜい4年程度しか続かないらしく、熱愛で結婚しても時がくれば愛はさめます。それが一般のはず!しかし、歴史上の人物で永遠の愛を持ち続けた人はきっといたと思います。今回紹介するのは、その可能性のあった豊臣秀吉とお市の方です。

この2人の紹介は無用でしょう。秀吉は関白・太政大臣になった天下人、お市の方は織田信長の妹で、たいへん美しかったといわれる人物です。一説には秀吉はお市をずっと好きで、淀殿を娶ったのは浅井三姉妹(お市の娘たち)の中で淀殿が最もお市の容貌を受け継いでいたからと言われています。この説からは秀吉にとってお市は永遠の人だったといえます。

しかし、お市にとって秀吉は猿ですから、非常に嫌っていたようです。最初の嫁ぎ先の浅井氏を滅ぼしたのは秀吉だし、浅井長政の長男・万福丸らの処刑、思い出の地・小谷城を壊して秀吉が自分の領土としたといった事から恨みもあったのでしょう。「秀吉の側室になれ」なんて話になったら、「絶対にいや!」といって強く拒絶したでしょう。この時代は政略結婚が当たり前で、本人の意思は関係なかったかもしれませんが、お市ならたぶんそういっていたでしょう。信長亡き後織田家を再興するため、織田家筆頭家老だった柴田勝家と政略結婚したものの、織田家の後継者を決める賤ヶ岳の戦いで勝家が秀吉に敗れ、越前北ノ庄で勝家とともに自刃しました。

知ってのとおり北ノ庄城が落城した時浅井三姉妹は助けられました。この時秀吉はお市も助けるつもりだったのでしょう。たぶん、お市も城から出すように柴田側に伝えていたはずです。しかし、お市は助かっても秀吉の側室にされるのがわかっていたのでしょう。自刃した理由の一つは秀吉の側室になるのが嫌だったからというのもあったと思います。

「猿の側室になるくらいなら死んだ方がましよ!」

徹底的に嫌われてしまった秀吉。永遠の愛も届かなかったようです。秀吉は攻め滅ぼした相手の女を側室にしていましたから、お市も助かっていたら側室にされていたでしょうね。

秀吉は17歳から信長に仕え、北ノ庄城を落としたのが46歳なので、いつからお市を好きだったのかわかりませんが、仮に仕官した頃からだったとすると約30年です。淀殿を娶ったのがお市の影響だとすると、その愛はお市の死後も続いたのでしょうから、もっと長い期間だったということになります。

一人の女性を30年以上愛し続ける・・・。すごいなー。(笑)

秀吉にとってお市はまさに永遠の人だったんですね。

上で述べたように一般には愛情は4年程度しか続かないのですから、これはたいへんな長さです。秀吉とお市はずっと会っていたわけではなく、少なくともお市が浅井氏や柴田氏に嫁いでいた時は長い間ずっと会っていなかったはずです。お市が織田家にいた時も、頻繁に会っていたのでしょうか?

「長い間会ってもいなかったのに、なぜ長い間愛し続けられるの?信じられない、どんなに考えてもそれが理解できない。」

そう思う人はいるかもしれませんね。なぜ長い間会ってもいなかった一人の女性をこれほど長く愛し続けられるのでしょうか?

秀吉の妄想?いや、長い間会っていなかったとしても、お市が浅井氏から戻ってきた時や柴田氏に嫁ぐ前に秀吉はお市に会っていたはずです。妄想ならそれで覚めるはず!秀吉にとってお市への愛は決して妄想ではないのです。

ではなぜ?

ユリアを愛するラオウと同じなのでしょうか?(笑)

「永かった・・・あの日あの時お前がおれの心に焼き付いてから・・・」

この世で最も愛深き漢ラオウらしい純愛。ラオウのユリアに対する愛情は非常に激しく強いです。あんな感じでしょうか?確かにあのような愛情なら何年たっても続きそうですね・・・。

といってもこれはやはり漫画です。同じ覇王でも秀吉とラオウでは違います。

お市に対する秀吉の愛情がなぜ長年続いたのか?真相は私もわかりません。だから、以下のことは私の推測です。

お市に対する秀吉の想いは愛情というより、ただの色欲だったのではないでしょうか?秀吉は無類の女好きで気に入った女は手当たり次第という感じで、側室は20人以上、伊達政宗の側室だった藤女は秀吉の毒牙にかかってしまいました。また、高貴な女性を側室にしたことを考えると、秀吉は明らかにブランド志向。信長の妹というブランドを持ち、絶世の美女といわれたお市に天下人だった秀吉が手を出さないはずがありません。淀殿を娶った理由に信長の姪というブランド志向が絶対にあったはずです。

それが永遠の愛の真相だったのではないでしょうか?

色欲が愛情かと言われると、人によっては愛情という人もいるかもしれません。しかし、それを愛情というなら、現代のおじさんがソープランドで女性相手に情交をかわすのも愛情ということになります。やはり、そういうのは愛情ではないでしょう。(思えば建前上ソープランドは店が部屋を貸しているだけで、勝手に男女が愛情を持ってしまって、あーんな行動になったのだ!というのが合法理由ですが。)少なくとも色欲はプラトニックではないです。

男は何歳になっても色欲が衰えない人がいるんでしょう。少なくとも恋愛感情よりは長続きします。秀吉がお市を30年以上も想い続けたのは、愛情ではなく無類の色欲ゆえだったと考えると、あり得る話だと思います。

しかし、現実の歴史ではこのような色欲ではなく、長い間会っていなくても、長い間プラトニックにずっと一人を愛し続けた人がいたでしょう。そういうことは十分にあり得ることです。無論、そういう純愛があってもいいと思います。

なぜ、会っていなくても一人の人を長い間ずーっと愛し続けられるのか?

それは私はわかりません。しかし、私は大切なのはなぜかという理由を突き止めることではなく、愛情を考えた上で幸福な関係を築くように努力することだと思います。私の想像にすぎませんが、こういう愛情は本人もなぜなのか理由はわかっていないと思います。愛情とはたまにそういう性質もあるのでしょう。だから、理由を考えても仕方ないでしょう。

それより大切なのはこれからです。愛し、愛されているなら、それを受け止めた上で幸福な関係を築くように努力することの方がずっと大切だし、それで十分ではないでしょうか。

人は過去ではなく明日にむかって生きていくのですから。


2013年度、第80回Nコン課題曲紹介 - 中学校の部は歌詞の考察あり

2013-03-03 00:08:50 | 合唱・音楽


動画1 「ふるさと」(作詞:小山薫堂、作曲:youth case、編曲:桜田直子)
(同声二部)
第80回(平成25年度)Nコン中学校の部の課題曲 - NコンHPでの紹介


動画2 「友~旅立ちの時~」(作詞・作曲:北川悠仁(ゆず)、編曲:相澤直人)
(混声三部)
第80回(平成25年度)Nコン中学校の部の課題曲 - NコンHPでの紹介


動画3 「友~旅立ちの時~」(作詞・作曲:北川悠仁(ゆず)、編曲:相澤直人)
(女声三部)
第80回(平成25年度)Nコン中学校の部の課題曲 - NコンHPでの紹介


動画4 「ここにいる」(作詞:文月悠光、作曲:新実徳英)
(混声四部)
第80回(平成25年度)Nコン中学校の部の課題曲 - NコンHPでの紹介


動画5 「ここにいる」(作詞:文月悠光、作曲:新実徳英)
(女声四部)
第80回(平成25年度)Nコン中学校の部の課題曲 - NコンHPでの紹介


動画6 「ここにいる」(作詞:文月悠光、作曲:新実徳英)
(男声四部)
第80回(平成25年度)Nコン中学校の部の課題曲 - NコンHPでの紹介


今年もNHK全国音楽コンクール(Nコン)の課題曲が発表になりました。2月17日にNHK総合テレビで発表、3月20日はEテレで再放送されます。今年度は80回の記念大会です。

課題曲の今年のテーマは「スタート!」です。課題曲のねらいはそれぞれ、

小学校「ふるさと」:「声を合わせて合唱する楽しさを知る入門としてふさわしい曲を」
中学校「友~旅立ちの時~」:「多くの中学生が自ら合唱に興味を持ち、歌いたいと思える曲を」
高校「ここにいる」:「より本格的な合唱に挑戦し、自分たちの音楽を作り上げる喜びを味わえる曲を」

動画1~6の部分で紹介したNコンHPの紹介(小学校中学校高校)では演奏のポイントも紹介されているので確認してください。

私は毎年の傾向として中学校の部の課題曲が一番気に入ります。今年もそうです。小学校は混声でなく、混声の方が好きだという私の好みから中学校以降の課題曲が気に入りやすく、中学校の部がポップを合唱に編曲したものなので、歌詞や曲も気に入りやすいためだと思います。今年の高校の課題曲はアカペラです。正直いって、アカペラとか大学以降でやるような宗教音楽はあまり好きではありません。

オーケストラの伴奏だと壮大ですけど、ピアノ伴奏はピアノ伴奏のよさがあります。今年の中学校の部のピアノ伴奏も素敵だと思います。こういう演奏を聴くと心地よくなります。いいですね~。オーケストラ伴奏の合唱も好きですが、私はピアノ伴奏の曲の方が気に入るものが多いです。

合唱が管弦楽と違うところは詞がある点です。私は詞は宗教音楽で扱うような神様を称えるようなものではなく、人間の純朴な気持ちを表現したものの方がずっと好きです。今年の中学校の部の課題曲の詞も純朴な気持ちを表現したものだと思います。「海の不思議」のような考察も面白いかもしれませんが、今回は歌詞の解釈をしてみたいと思います。歌うときに想いをわかって歌うとよい歌になると思います。そういうことに役立ててほしいです。

画像1 「友~旅立ちの時~」(作詞・作曲:北川悠仁(ゆず)、編曲:相澤直人)の歌詞
- NコンHPでの紹介

切ない歌詞ですね。中学校の課題曲だから、たぶん歌詞の主人公と友は中学生くらいなんでしょう。卒業の頃の旅立ちの気持ちを表現したものでしょう。どんな分野でも同じかもしれませんが、新しい世界に進むのは暗闇の中を手探りで進んでいくようなもので、常に不安をともないます。これから新しい道へと進む主人公と友はそういう不安を抱いているのでしょう。しかし、支えてくれる声や主人公たちを繋ぐ歌に勇気をもらい力強く新しい道を歩もうという気持ちが感じられます。

そして、旅立ちの時が迫り、主人公と友の別れが訪れ、主人公は友に別れを告げます。たとえ友と遠く離れても、二人が同じ空の下にいるように、二人の心は供にいる。そんな気持ちを抱いて二人が別々の新しい道を歩み出す様は、私には切なく、そしてたくましく感じます。

いや~いいですね~~。

何だかこういう趣旨の曲は聴いたことがあります。


動画7 「この地球のどこかで」(作詞:三浦恵子、作曲:若松歓) - 歌詞

「この地球のどこかで」も有名な曲で私も気に入っています。

「歩いて行く道は
きっと違うけれど
同じ空見上げているから
この地球のどこかで」

「友~旅立ちの時~」と重なる部分がありますね。別れてしまった遠くの大切な人とも、こう考えると心が繋がっているようで心温まりますね。

いや~歌ってほんとうにいいですね!では、またお会いしましょう。

(最後は水野晴郎流です。(笑))


大切な人へのプレゼントについて

2013-03-03 00:07:33 | Weblog

最近百貨店に行ったら高級なオルゴールが売られていました。メーカーはスイスの高級オルゴールメーカー、REUGE (リュージュ)。1番高いオルゴールは約650万円でした。


画像 REUGEのオルゴール - このサイトより

REUGEのオルゴールは音色がいいだけでなく、装飾もとても素敵。こんなオルゴールはいいですね。店員の話によると、REUGEは高級オルゴールメーカーで他をよせつけない抜群のトップだそうです。真偽はわかりませんが、販売されていたオルゴールの音色や装飾がとてもよかったのは間違いありません。オルゴールの音色はとてもよく、聴いていて心地よいです。私はとても好きです。

高額ですからプレゼントとして買うのはリッチな人でないと難しいと思いますが、もし買えるなら大切な人へのプレゼントにふさわしいものかもしれませんね。


相思相愛の将軍と御台所の手紙

2013-03-03 00:05:55 | 歴史

周知の通り、第14代将軍徳川家茂と皇女和宮は公武合体政策のために政略結婚した。この時代はこれが当たり前だったかもしれない。しかし、家茂と和宮の夫婦仲は良かった。歴代将軍家で最も夫婦仲が良かったのは家茂と和宮だろう。

いろいろな文献によれば、家茂は大奥の和宮をよく訪れて気づかったという。大奥では公家と武家の対立があり、慣れない大奥での生活は大変だったのだろう。そういう気づかいを和宮は嬉しく思っていたと思う。家茂は金魚とか贈り物を贈ったという。そういう家茂の気持ちが嬉しかったので、和宮は家茂を愛するようになった。家茂と和宮は政略結婚でありながら相思相愛だった。

2人の新婚生活は2年程度だったと思う。家茂が長州を征伐するために江戸から京都に向かって2人は離れ離れになるが、お互いによく手紙を交換していた。その時の2人の文章を見ると、相思相愛だったというのはよくわかる。

和宮が家茂に送った手紙の最後には、

「京では病がはやっていると聞きます。お体に気をつけて、どうか息災でいてください。」

というような趣旨の文章があった。これだけ読むと普通の手紙のように見えるが、残りの部分もあわせて読むと不思議なことにこの部分に和宮の家茂への愛情が感じられて、とてもうまい文章だと思った。さすが和宮!私とは教養が全然違います。

私は友人等に手紙を書くことがたまにありますが、ぜひこういう気持ちがよく伝わる文章を書いてみたいものです。

ドラえもんの道具にはもはん手紙ペンという便利な道具があって、どう書けばよいか模範例を示してくれます。年齢25歳くらいの設定で、のび太がしずかちゃんに書いたラブレターでは

「ああ、しずかさん。君のことを想うと夜も眠れない。好きだ、心の底から愛している!」

というような文章になりました。熱烈な愛情表現ですが、これが模範というのはアニメだからでしょう。(笑)

人の心を打つ感動的な手紙を書いて、大切な人に読んでもらいたいものです。


東京大学、大阪大学、千葉大学で論文不正疑惑が浮上

2013-03-03 00:01:58 | 社会

東京大学、大阪大学、千葉大学で論文不正疑惑が浮上している。そのうち告発されるでしょう。大阪大学というとI.S.教授らやA.S.元教授の捏造事件が有名。東大といえばMのiPS細胞臨床捏造、K元分生研教授らの捏造事件が有名。またしても東大や阪大で不正疑惑が・・・。今度は東大医学部教授のあの人たちが?真相はどうだろう?

不正疑惑を知りたい人は、待っていればネットで公開されるでしょう。新聞報道されるかも。結局捏造疑惑は絶えない。


ウォーミングアップ問題 - これができなければ絶対に名人になれない!

2013-03-03 00:00:55 | 物理学・数学

問題

袋の中に小石がたくさんあります。小さなビーカーで小石をとると、55個小石が取れました。それらにすべて印をつけて袋に戻します。袋の小石をよくかきまぜて、ビーカーで小石をとると50個小石が取れ、その中に印のついた小石は5個ありました。

袋の中にはおよそ何個の小石があるでしょうか?

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全然将棋の問題ではありませんが、簡単な数学の問題です。棋士を含め、どんな人も少なくとも中学校を卒業するのですから、この程度の問題を解けないようでは絶対に名人になれません!(笑)

答えはすぐにわかります。ただ、きちんと理由を説明できないと、正解とは言えません。

私は上の問題をある物理現象と比較すると、たいへんよく似ており不思議に思いました。現実の小石の問題でもこんなふうになるんですかね?


研究不正の第三者調査機関設置に対する小林良彰日本学術会議副会長の発言

2013-03-02 23:55:50 | 社会

2月19日に高橋禮二郎(元東北大学教授)が日本学術会議、(独)日本学術振興会が主催し、文部科学省が後援の学術フォーラムでI東北大前総長の研究不正問題について発表した。これによるとI前総長事件はようやく東北大で第三者委員会ができて不正疑惑を解明する動きがあるという[1]。

このフォーラムで高橋は日本学術会議に研究不正を調査する第三者機関を設置することを提言した。学術フォーラムでは多くの議論が交わされたようで、小林良彰日本学術会議副会長は「日本学術会議会員等の不正・不祥事には、日本学術会議として厳正に対応して処分する」、と再三明言したという[2]。

どうなるかまだわからないものの、こういう発言や薬害オンブズパースン会議の要望、ネイチャーやJST第三者委員会(御園生誠委員長)の提言などを見ると、何となくだが近いうちに研究不正調査の第三者調査機関が常設されるのではないかと思う。

第三者調査機関が設置されたら、Jikei Heart Studyの事件、三重大A准教授らの事件、琉球大医学系M教授の残りの不正、独協医大H元教授事件の二重投稿など再調査してほしい事件がいくつかある。三重大Aと琉球大Mはきちんと調査されたら懲戒解雇だろうか。東大トルコ人元助教事件の告発者などはこれらの事件の再調査を第三者調査機関に告発するだろうか?

そういえば大分大学医学系の前学部長らの不正事件はいつ調査結果が出るのだろうか。調査委員会設置決定が昨年5月15日なので、それから約10ヶ月。そろそろ調査結果が出てもよさそうだが、どうなっているのだろうか?そういえばこの事件の告発は文科省になされたらしく、東大トルコ人元助教事件の告発者が名市大OやHの事件の調査結果発表後頃にツイッターで大分大の事件の事を述べていたし、前医学部長や某講師の不正を述べていたので、もしかして告発したのは東大トルコ人元助教事件の告発者と同じかその仲間だろうか?

現在の研究不正調査制度の問題については近いうちに執筆する。

参考
[1]学術フォーラムでの高橋禮二郎の発表要旨 2013.2.19
[2]井上総長の研究不正疑惑の解消を要望する会(フォーラム)の記載(2013.2.26)


京都府立医大、バルサルタン不正疑惑を再調査!

2013-03-02 23:19:36 | 社会

『バルサルタン:降圧剤論文撤回 京都府立医大、調査チーム設置へ

毎日新聞 2013年03月02日 東京朝刊

 京都府立医大のチームによる降圧剤「バルサルタン」に関する臨床試験の論文3本が、「重大な問題がある」との指摘を受けて撤回された問題で、京都府立医大は1日、問題となった臨床試験の精度検証チームを早急に設置すると発表した。大学は予備調査で捏造(ねつぞう)などの不正を否定しているが、論文を掲載した日本循環器学会が再調査を求めていた。論文の責任著者で、辞職を申し出ていた松原弘明教授(55)は2月末付で退職した。

[1]』

バルサルタン論文撤回について、ついに調査チームが発足した。Jikei Heart Study(統括責任者 望月正武 武蔵野大学メディカルセンター 院長、元東京慈恵会医科大学教授)もKyoto Heart Studyの調査結果が捏造や改ざんだったら、やばそうだ。これも告発されている。

現在は不正を大学が調査するしかない制度だが、前もいったように第三者機関が調査すべきである。特にこの問題はディオバン(バルサルタンの商品名)の販売を行っているノバルティスファーマ社が京都府立医大に奨学寄附金を渡していたことを認めたし、同大が調査するのは不公正な調査になる危険がある[2]。

研究不正の第三者調査機関を常設し、実効的な規定([3])を作り、公正かつ積極的に研究不正調査を行う制度や懲戒処分の統一規定、科研費の原則返還、医師免許や博士号剥奪などの制裁規定などを一刻もはやく実現する必要がある。

参考
[1]毎日jp 2013.3.2
[2]asahi.com 2013.2.28
[3]例えば過失と主張しても多い誤りは故意とみなす、告発は原則きちんと調査する、告発者を圧殺しない等の規定を作りかつ実効性を確保する。