世界変動展望

私の日々思うことを書いたブログです。

年2場所制の優勝回数と年6場所制の優勝回数の価値比較

2010-10-31 00:00:00 | スポーツ・芸能・文芸
力士の強さを比較するとき、よく優勝回数だけを単純比較して強さを決める人がいる。例えば、双葉山の優勝回数は12回で、北の湖の優勝回数は24回だから、北の湖の方が双葉山よりも実績がずっと高く、強いと考える人はいるかもしれない。しかし、双葉山が年2場所制、北の湖が年6場所制であることを考えると、必ずしもそういえない。むしろ、北の湖より双葉山の方が強いと考える人の方が多いだろう。

では、年2場所制の優勝回数は年6場所制では優勝何回相当か?これは質の違うものどうしの比較だから、かなり難しい。例えば、双葉山は年2場所制で12回優勝しているから、年6場所制では12×3 = 36回優勝相当という人がいるが、これは粗すぎる考えだろう。仮に双葉山の現役時代が年6場所制だったとしても、双葉山がそれに応じて3倍優勝していたかどうかわからない。

そこで、優勝回数の比較ではなく、優勝率という観点で考えてみた。優勝率というのは、優勝回数/幕内在位場所数で計算したものである。以下、大横綱とよばれる力士の成績をならべると、

左から
四股名、優勝回数、幕内在位場所数、優勝率、引退年齢

(年2場所制)

谷風    21回 49場所 42.9% 44歳
雷電(大関) 28回 35場所 80.0% 44歳
太刀山   11回 31場所 35.5% 40歳
栃木山    9回 22場所 40.9% 33歳
双葉山   12回 31場所 38.7% 33歳

(年6場所制)

大鵬    32回 69場所 46.4% 31歳
北の湖   24回 78場所 30.8% 31歳
千代の富士 31回 81場所 38.3% 36歳
貴乃花   22回 75場所 29.3% 30歳
朝青龍   25回 55場所 45.5% 29歳
白鵬    16回 39場所 41.0% 現役
(白鵬は2010年9月場所終了時)

※ 優勝率 = 優勝回数/幕内在位場所数、優勝回数には優勝相当(幕内最高成績)も含む

となる。この基準では、年2場所制で大横綱とよばれる太刀山、栃木山、双葉山の優勝率は現在の年6場所制で大横綱とよばれる千代の富士、北の湖、貴乃花といった力士に何ら遜色ないことがわかる。太刀山と双葉山は幕内を31場所(約15年)勤めて、それぞれ優勝率が35.5%、38.7%だから、かなり長い間優勝しまくっていた印象を当時の人に与えたに違いない。

こう考えると、太刀山、双葉山の優勝回数は年6場所制の優勝回数になおせたとしても、かなり大きい記録だと思う。間違っている可能性も高いので憶測といわれても仕方ないが、私の主観判断では太刀山、双葉山の優勝回数は現在の優勝回数になおしたとしても、少なくとも20回相当はあるだろう。

なぜなら、年2場所制で東京場所の優勝回数(優勝相当成績を含む)10回以上を達成したのは、谷風(21回)、雷電(28回)、稲妻(10回)、柏戸利助(16回)、太刀山(11回)、常ノ花(10回)、双葉山(12回)の7人にすぎないことを考えれば、年2場所制の優勝10回以上にはそれくらいの価値があると考えられる。

年2場所制は約150年続いたが、それでも優勝10回以上はたったの7人だ。年6場所制は約52年の歴史があるが、20回以上の優勝を達成した力士は5人いる。白鵬が優勝20回以上を達成するのは時間の問題だし、年6場所制が150年続けば、優勝20回以上達成の力士数が7人を超えることは、ほぼ確実と考えてよいだろう。

一ついえることは、年2場所制で優勝20回を達成するのは至難の業で、ほとんど不可能ということだ。年6場所制では優勝20回以上で、大横綱とよばれる傾向があるが、年2場所制の力士が優勝20回に達しなかったからといって、成績的に大横綱とよべないということはない。それは次の考えによる。

1 幕内在位場所数を42場所と考える。
2 優勝率を50%と考える。

すると、優勝回数は21回となる。20回というのはこれに近いので、優勝20回は年2場所制での限界優勝回数を超えているか、それに近いと思う。

1の基準の根拠は次のとおり。年2場所制の力士は42場所も幕内を勤められたら、かなり長い力士人生といえる。力士はどんなにはやく入門しても15歳で、長く勤められたとしてもせいぜい38歳くらいだろう。つまり、力士人生は長くても24年くらいだ。そのうち、前相撲~十両を通過するのに、各段を1場所で通過したとしても、最低6場所はかかるから、幕内を長く勤めたとしても、24×2 - 6 = 42場所程度であろう。現に、太刀山、双葉山の幕内在位場所数が31場所であることを考えれば、42場所という数値は十分に長い場所数だと考えられる。

2の基準の根拠は、上の大横綱たちの優勝率の統計による。雷電はバケモノだから除外するとしても、どの大横綱たちも、優勝率50%に達していない。最も高い優勝率の大鵬ですら、46.4%なのだ。その大鵬も引退は31歳だから、38歳まで勤めていたら、優勝率はもっと下がっていただろう。つまり、42場所勤めて、優勝率50%というのは、かなり多目の見積もりであり、限界数値として高すぎるとしても、低すぎることはない。

実際は、各1場所で前相撲~十両を通過することはないだろうし、優勝率が50%もいかないだろうから、年2場所制での優勝回数の事実上の上限はもう少し低い優勝回数だろう。

現実には、谷風、雷電が優勝20回以上を達成しているが、両者は非現実的な力士と考えていいだろう。谷風の場合は、幕内を49場所と非常に長く勤めて、朝青龍や白鵬並みに優勝しまくったため、優勝相当21回になったのだと思う。

幕内を49場所勤めるのは約25年幕内を勤めることを意味し、15歳から幕内力士を始めたとしても、引退するのは40歳になる。これは現在の基準では非現実的に長いというしかない。

それに、それだけ長く勤めれば力士人生の晩年は体力低下のため優勝が難しく、必然的に優勝率は下がるはずだ。現に優勝率40%台の栃木山、大鵬、朝青龍は29~33歳での引退であり、40歳に比べればずいぶんはやい引退だ。彼らが40歳まで勤めていたら、優勝率はもっと下がっていたに違いない。しかし、谷風は40歳どころか44歳まで勤めて、優勝率が42.9%であり、最後の優勝を達成したのは、なんと42歳の時だ。谷風の最後の優勝や優勝率は年齢を考えれば異常に高い数値といえる。

以上から、年2場所制下で谷風が幕内在位49場所、優勝相当21回、優勝率42.9%を達成したのはすごい記録を通り越して、非現実的な記録といってよい。

雷電の優勝相当28回、優勝率80%というのは、谷風よりもっとわかりやすく非現実的であり、端的にいってバケモノの記録だ。上の大横綱たちの優勝率と比較しても、雷電の優勝率が飛び抜けて高いことがわかる。雷電は現役中ほとんど優勝していたわけだが、はっきりいっていんちきくさい。こんなに勝てるわけがない。

上でも述べたとおり、どんな大横綱たちも優勝率50%に届かないのが現実だ。それなのに優勝率80%なんて、とても信じられない。雷電の記録は谷風の記録以上に非現実的でいんちきくさい。

一応記録としては世の中で真正なものと扱われているので、本ブログでもそれに習って彼らの記録を真正なものとし、彼らの記事を書く時も超人的な評価をしているが、本音をいえば、谷風、雷電の記録は非現実的でいんちきくさいので、あまり参考にならないと思っている。それは私を含めて多くの人が思っていることだろう。

以上、谷風、雷電は除くとしても、年2場所制の力士が優勝20回を達成できなかったことは、無理からぬことであり、太刀山、双葉山など現在の基準で優勝20回以上の実績に相当する実績を残した力士は年2場所制でもある程度存在したことは間違いないだろう。

里見香奈、史上最年少の女流三冠に!

2010-10-30 00:22:20 | 囲碁・将棋
第32期女流王将戦は里見香奈が2勝1敗で清水市代を降して、女流王将を奪取した。里見はこれで女流名人、倉敷藤花、女流王将の三冠を達成。女流三冠の達成は清水市代、中井広恵に続いて3人目、18歳での女流三冠はこれまでの記録(清水市代の26歳)を大幅に短縮する最年少記録。

今の女流棋士界の実力第一人者は間違いなく里見香奈だ。ひょっとすると、女流のタイトルを全冠制覇するかもしれない。清水市代は18年ぶりに無冠になったらしいが、将棋連盟のプロフィールをみると女流六段の欄に紹介されていた。清水は一般タイトルの永世称号に相当するクィーン資格を持つが、タイトルホルダーの欄では紹介されなかった。

男性棋士の場合は、永世資格を持つと、段位の欄ではなく、タイトルホルダーの欄で紹介される。例えば、谷川浩司、佐藤康光、森内俊之は現在無冠の永世資格保持者であり、タイトルホルダーの欄で紹介されている。

しかし、清水市代はタイトルホルダーの欄で紹介されない。この違いは、ひょっとして男女差別?

ピアノの音色について

2010-10-25 00:00:00 | 合唱・音楽
ピアノの音色はとても好きだ。オーケストラも好きだけど、ピアノだけの演奏もとてもよいと思う。最近ある曲を聴いて、とてもよいと思ったけれど、それはオーケストラではなくピアノの演奏だったからだろう。

ピアノの音色はとてもよいですね。オルゴールの音色もとてもよいですが。

長くてすみません!

2010-10-23 00:00:00 | Weblog
いつも思うが、私の文章は長くてすみません。それが私の個性なんです。語りたいことがたくさんあって、つい長くなってしまうのです。2000字、3000字なんてしょっちゅうですよ。

ただ、読者の方には読みにくいんでしょうか。言いたいことを短くいうのは技能がいることでしょうか。昔、誰かが本質的なことだけ集めれば、言いたいことを短くいえるものだと言っていたのを聞いたことがあります。

原稿、論文、特許、書く対象は様々ですが、こういう技能はどれでも役に立ちますね。

きざな言葉より率直な言葉の方が恋を生むのに効果的!

2010-10-22 00:27:51 | Weblog
「君の瞳に乾杯!」

これは映画カサブランカに出てくる有名なセリフだ。きざな言葉の代名詞的なものといってよい。恋を生むのにはこうしたきざなセリフの方が効果的と考える人はいるかもしれない。去年結婚した石田純一はこのセリフを言ったことがあるに違いない。

しかし、心理学の実験によると、こういうきざなセリフよりも、率直に想いを伝える言葉の方が恋を生むのに効果的だという[1]。つまり、

「君のことが好きだ!」
「あなたのことが大切です。」

と率直に伝えた方が好感度が高いという。この実験は言葉を伝えるのが男性で、相手が女性として行われたものらしく、女性は恋愛の相手にまじめな人を求めているらしい。真剣に自分を大切に想ってくれる人がよいということだろうか。

もともと、きざは気障りの略で、相手の言動を不快に感じることをいう。つまり、きざはもともと良い意味ではなく、悪い意味なのだ。「君の瞳に乾杯!」と言われても、ぞっとする人の方が多いということだ。こういうのをきざといったのだから、昔の人は心理学の実験をしなくても、きざな言葉の効果をわかっていたのかもしれない。

参考
[1]齊藤 勇:"図解雑学 恋愛心理学(第3版)" p38,39, 2005.7.10 ナツメ社 

コンピューター勝利!- 清水市代 VS コンピューター

2010-10-21 00:00:00 | 囲碁・将棋
11日行われた清水市代 VS コンピューター(あから2010)は86手でコンピューターが勝利した。女流とはいえ、プロの棋士をコンピューターが破るのは史上初。

この対局は非常に注目を集めたが、おそらく結果は予想どおりだったと思う。コンピューターの実力は数年前のボナンザ-渡辺明の対局でも奨励会三段程度であることが証明されており、奨励会初段程度の実力と考えられている女流棋士トップは実力的に劣っていると予想されていたからだ。

今回はコンピューターの進歩もあるだろうが、それよりも女流棋士の実力の低さを改めて証明した結果になったと思う。将棋界は権威を売り物にしているから、コンピューターにプロ棋士が負けることは沽券に関わることだが、女流棋士は四段以上の正式なプロとは違うという考えから、将棋界にとっても女流棋士の敗北は何ら痛手ではないと考えているに違いない。

「コンピューターに負けたといっても、本物のプロが負けたわけじゃないから。」

そういう考えが日本将棋連盟にあるだろう。今回の清水市代 VS コンピューターは悪いが、日本将棋連盟が宣伝でお金をもうけるため、清水市代を生贄にしたようなものだろう。踏んだり蹴ったりの女流棋士界だが、いつかは女性の棋力も上がり、対等に扱われる日がやってくる?

飯島澄男氏、ノーベル賞逃す! - 2010年ノーベル物理学賞

2010-10-19 00:00:00 | Weblog

2010年のノーベル物理学賞グラフェンを開発した英マンチェスター大学のアンドレ・ガイム教授(51)とコンスタンチン・ノボセロフ教授(36)が受賞することになったが、日本の飯島澄男(71)さんは受賞しなかった。

飯島さんは1991年にカーボンナノチューブの発見し、ノーベル賞候補と呼ばれている。グラフェンを筒状にしたものがカーボンナノチューブなので、同時受賞も期待されたが、残念ながらそれはならなかった。

昨年の西澤潤一氏といい、おしい。しかし、まだ西澤氏同様飯島氏がノーベル賞を受賞できる機会はあるので、今後に期待したい。


YAWARA!の感想

2010-10-18 00:00:00 | スポーツ・芸能・文芸
私は今まで浦沢直樹原作の「YAWARA!」ほど、どきどきし、ときめいて読んだマンガはない。浦沢直樹は「Monster」、「20世紀少年」など大ヒット作をいくつも発表し、日本を代表する天才漫画家だが、彼の最初の大ヒット作が「YAWARA!」(1986年~1993年)だ。

このマンガは柔道マンガで、主人公柔の愛称で呼ばれる田村亮子(現、谷亮子)の活躍やマンガ自体の大ヒットのために、柔道ブームを巻き起こしたらしい。

しかし、このマンガは柔道よりも恋愛マンガといった方が適切で、読者の最大の興味が主人公猪熊柔と相手役の新聞記者・松田耕作の恋愛に集中していたため、それを軸に話が進んでいった。序盤、中盤、終盤の山場であるソウルオリンピック、ユーゴスラビアの世界選手権、バルセロナオリンピックでは柔と松田の恋愛が大きく進展する話が描かれている。無論、このマンガのクライマックスは最終回で柔と松田が結ばれるシーンだ。

このマンガの大きな魅力は主人公猪熊柔が非常に愛らしく、美人で、多くの人から好感を持たれるところだろう。Happy!の海野幸や20世紀少年の遠藤カンナなど猪熊柔と同じ容貌を持つヒロインが浦沢直樹の作品には登場するが、彼の作品が大きな人気を獲得する大きな要因は、猪熊柔系統のヒロインの容貌が多くの読者に好感を持たれるからに違いない。

昔、あだち充の作品展で「かわいい女の子が描ければ、それだけで食っていけるぞ。」とあだち充自身か、その関係者が発言した文献を見たことがあるが、浦沢直樹は愛らしく、美しい女性を描くことで、人気を獲得していると思う。無論、それだけが人気の要因ではない。

YAWARA!はそういう愛らしいヒロイン柔が松田の優しさや想いに接することで、自分の本当の恋を見つけて、松田との恋を発展させていく様の一点に読者の興味が集中していたといってよい。柔と松田の恋愛は20世紀少年でいうところの「ともだちの正体」なのだ。

そのため、マンガは柔と松田がくっつきそうでくっつかない展開が延々と続き、読者は散々じらされたため、「松田さん・・・」、最終回など、終盤で柔がいよいよ松田への愛情を顕在化させるシーンを読むと、とてもどきどきして、ときめいてしまう人が多かったのではないだろうか[1]。

私は二人のくっつきそうでくっつかない展開に散々じらされたため、終盤の「松田さん・・・」やラスト三話あたりの柔が松田に対する愛情を顕在化させるシーンを初めて読んだときは、かなり胸がどきどきして、ときめいてしまった。他にも、「不敗神話」、「最高のプレゼント[2]」など柔と松田の恋が進展するシーンを読むと、とても嬉しくなったことがある。

おそらく多くの読者にとって、柔と松田の恋が進展することは、とても嬉しく好感が持てることなのだろう。そのため、このマンガではそれに読者の興味が集中した。

大学受験の日に試合で痛めた柔の右手にシャープペンを松田がハンカチで結んで助けるシーンなどを読めば序盤でも読者には、柔の相手役は松田であり、最終的に柔と松田が結ばれることは明白で、誰でもそれを予想できた。

このように序盤から二人の恋愛は描かれ、上のように読者がこのことに最大の関心を寄せたため、急所に触れない二人の恋愛関係がずっと続いたと思う。

私を含め、多くの読者はそういう展開にとても満足し、YAWARA!を絶賛したと思う。しかし、作者の浦沢直樹はこういう展開を描きたくなかったのかもしれない。昔NHKの番組で浦沢が取り上げられたとき、この作品で浦沢は自分の描きたいものを描いていなかったと紹介され、この作品の連載は彼にとって不満な部分があったことが明らかにされた。

東京大学物語などで有名な江川達也はテレビで「漫画家は読者がご主人様で、自分の要望とは関係なく、読者の要望のとおりに漫画を描くようなところがある。」と述べたことがある。当時は江川達也も浦沢直樹も同じ週刊ビッグコミックスピリッツの漫画家だったので、おそらく同じことが浦沢にも当てはまったに違いない。

浦沢の描きたかったものは、おそらく違う話で、ひょっとすると、当初の計画では二人の恋愛を中心にするマンガではなく、途中で二人をくっつかせるつもりだったのかもしれない。なぜなら、柔と松田の恋愛の進展は、現実的に考えると不自然な部分があるからだ。

例えば、中盤の山場であるユーゴスラビアの世界選手権で、松田がいないために、精神的に大きな負担を負い、絶不調だった柔が松田を見たとたんに調子を取り戻して一本勝ち・優勝するシーンがあげられる。

普通の人間なら、ここまでいけば自分の気持ちにはっきり気づくだろう。一本背負いを決めた瞬間や試合終了直後柔が松田しか見ていない様を見れば、なぜ彼女がその後も「風祭さん、いいかも。」、「松田さんなんて全然関係ない!」などといっているのか全く理解できない。普通の人間なら、あそこまでいけば誰でも自分の気持ちに気がつくし、松田と付き合い始めるのが自然だ。二人の恋愛に最大の関心が集中しているというマンガ独自の事情のため、不自然ではあるものの急所に触れずに、話が続いたのかもしれない。この不自然さはマンガだから許容されたのはいうまでもない。

また、このマンガを読むと、急所に触れない恋愛関係が延々と続いたせいか、猪熊柔という人物が非常に鈍感で、未熟で、世間知らずに見えてしまう。このマンガを読めば誰でもわかると思うが、猪熊柔は、精神論とかきれい事を考え方の基礎としている人物だ。猪熊柔は一言でいえば、何でもきれい事で決めていく「純真ないい子」だ。

利益とか宣伝とは関係なく純粋に自分を必要としてくれるから、一流会社を蹴って、鶴亀トラベルに入社したり、家族の絆が壊れるから柔道をやめるとか、富士子や松田が自分を真剣に応援してくれるから、自分を大切に思ってくれるから柔道に復帰する等、柔はすべて外観と関係なく、きれい事を基礎に自分の行動を決めていく。

そんな「いい子」の柔にとって、松田と風祭のうち、どちらが自分にふさわしいか、どちらを選ぶべきかは、二人の人柄を考えれば、ほとんど自明の選択に思える。

風祭は一言で言えば「典型的な軟派男」だ。ハンサムでおしゃれでお金持ちで社会的な地位も高く、ロマンチックなムードを背景にきざなセリフを投げかけて、女をたらしこんでいくのが風祭という人物だ。これが現実世界の話なら、私は彼のそんなところを彼の魅力でよい点だと判断するが、少なくともマンガでは好感を持って描かれていないし、読者にも不快に受け取られていただろう。彼はまさに気障りな人物だ。本阿弥さやかほど非常識ではなく、軟派なだけで、どちらかといえば常識人だと思うが、彼は主に外観だけの人物で、内面的なよさが乏しい。

一方、松田はハンサムでもおしゃれでもなく、部屋も不潔で、お金も社会的地位もなく、不器用な性格だが、仕事にも柔に対しても情熱的で、真心から接している感じがする。彼は外観ではなく、主に内面のよさが光る人物だ。

そんな柔の基本的な考え方と松田、風祭の人柄を考えれば、柔が松田を選ぶのはほとんど自明のことだ。作中で風祭は「あんな三流新聞の三流記者に僕が負けるはずがない。」というが、柔を恋人にする勝負では、はっきりいって風祭は松田に敵うはずがない。二人の質は全く違うし、風祭の人柄が柔の基本的な考えに合致しない以上、柔が世間知らずのため、一時的にうまくいっても、最終的には選ばれない運命である。きざなセリフをはくなど軟派なやり方では、最終的に柔は落ちない。柔は「自分を大切に想ってくれる」ということに価値を置くため、率直に真心をこめてぶつからないと、落ちてくれないのだ。

長く書いてしまったが、上のように、柔の恋の選択は、ほとんど自明と思えることに、ずっと気がつかないため、非常に鈍感で未熟な人物にうつる。それにほとんど挫折しらずのため、何でもきれい事で決めていくところも未熟で純真な感じを受ける。まさに「純真ないい子」という感じだ。

彼女はマンガの主人公だから、そういうところは悪く描かれていないが、現実にこんな人物がいたとしたら、かなりの天然記念物ものだろう。

浦沢さんとしては、描きたいものを描けなかったので、気の毒だったが、読者にはとても感動を与えたし、私も感動したので、私は感謝している。

まだYAWARA!を読んだことのない人は、おもしろい作品なので、読んでみることをお勧めする。

参考
[1]"松田さん・・・" は終盤のある回のタイトル。バルセロナオリンピック無差別級準決勝の前に柔と松田が偶然再会し、柔が松田との思い出を振り返り、彼の自分に対する優しさや思いやりに感動し、涙する話が描かれている。柔の松田に対する愛情が決定的となった回。
[2]世界変動展望 著者:"最高のプレゼントの解釈-YAWARA !" 世界変動展望 2008.2.25