世界変動展望

私の日々思うことを書いたブログです。

羽生、竜王戦挑戦者に!- 第23期竜王戦挑戦者決定戦

2010-08-31 00:00:00 | 囲碁・将棋
第23期竜王戦挑戦者決定戦は羽生が2連勝し、挑戦権を獲得した。羽生の竜王挑戦はあの永世竜王をかけた2008年の戦い以来2年ぶり。すでに渡辺明竜王のブログでは「反響が大きかった2年前に負けない勝負が出来るように頑張ります。[1]」とコメントが発表されているが、本当にあの2年前の永世竜王をかけた時の7番勝負はすごかった。

かつてゴールデンカードといえば大山康晴-升田幸三、中原誠-米長邦雄、羽生善治-谷川浩司というカードがあったが、現在の実力からいって現在のゴールデンカードは羽生善治-渡辺明だろう。2年前のような大熱戦を期待している。

参考
[1]渡辺明:"挑戦者決まる。" 渡辺明ブログ 2010.8.30

時間反転対称性

2010-08-30 00:00:00 | 物理学・数学

運動方程式やマックスウェル方程式など現在見つかっている物理学の基礎方程式はみな時間反転対称性を持っている。時間反転対称性とは基礎方程式で時間tをt → -t と変換しても、元の方程式の状態と同等になる事をいう。簡単な例はニュートンの運動方程式である。

x(-t) は元の運動x(t)をビデオ撮影して、それを逆向き再生させた状態を示す。また、適切な初期条件を与えればx(t)の軌跡を逆向きにたどる事が可能である事も示す。これはこの運動が可逆過程であることを示す。

可逆過程とはある状態から別の状態に変化させまた元に戻す過程を考えたとき、外界になんの変化も及ぼさずにこの過程を実現できることをいう。つまり、時間反転対称性を持つ基礎方程式はすべて可逆なのだ。

しかし、現実の変化はすべて不可逆過程で、可逆過程は一つもない。例えば死んだ人が生き返るとか混ざったミルクとコーヒーが勝手に分離することはない。現在見つかっている物理法則はすべて時間反転対称性を持っていて可逆なのに、現実の物理現象はすべて不可逆なのはいったいなぜか。そういうことは熱力学や統計力学でよく論じられる。

それは私の想像では熱エネルギーを力学的エネルギー等他のエネルギーに転換するのが他のエネルギーから熱エネルギーに転換するのに比べて難しいからではないか。例えば物体の運動を摩擦で止めて熱エネルギーに転換するのは簡単だが、その逆は容易ではない。このようなエネルギー変換の非対称性は熱力学第2法則として現在知られている。

熱力学第2法則とは「ある物体から熱を取りそれをすべて力学的仕事に変えて、それ以外に何の変化も残さないようにする循環過程は不可能である」(トムソンの表現)ことをいう。ただ、この法則は経験則であり、現実の過程がすべて不可逆なのでこのように法則化されたのであり、別の原理から演繹的に導かれたものではない。では、なぜ熱エネルギーを他のエネルギーに転換するのが難しいのか。それはよくわからない。もし熱エネルギーの転換が容易になれば、世界はすごく変わるだろう。


坂井秀至、碁聖獲得!

2010-08-29 00:00:00 | 囲碁・将棋
坂井秀至が碁聖を獲得した。医師免許を持つ囲碁棋士という異色のキャリアのため注目されている。坂井秀至は京都大学医学部医学科を卒業した後に医師免許を獲得しプロの囲碁棋士となった。

通常は入段試験を受け、初段でプロになるが、確か坂井氏の場合はアマの棋戦での実績が評価されてプロ入りは入段試験を経ずに認められ、採用時にプロとの対局でとても好成績だったので五段からプロ入りしたと記憶している。

少し前にNHKの囲碁講座の司会を担当していたので覚えているが、ついにタイトルホルダーとなった。とても素晴らしいと思う。

小沢一郎、民主代表選に出馬!

2010-08-28 00:00:00 | 政治・行政
民主党の小沢一郎が来月行われる民主党の代表選に出馬するという。出馬は自由だが、これで彼が代表となり総理大臣になったら政府の支持率はまた急降下だろう。先の参議院選は小沢・鳩山の不祥事で負けたところが大きいのにこれで小沢氏を代表にするというのは政権を任されている政党として自殺行為とさえ思える。これで小沢氏が代表になったらかなり驚きだ。

女性が男性よりも数学が苦手なのはなぜか?

2010-08-26 00:00:00 | 社会
一部男女間に数学能力の差はないとする調査結果はあるものの、多くの調査や統計は男性は女性よりも数学的能力において優れていると述べている[1][2][3][4][5][6]。2006年のOECD生徒の学習到達度調査では「男子の方が女子より高いのは35か国で、女子の方が男子より高いのはカタールの1か国である。日本は男子が女子より20点高く、統計的な有意差がある。[1]」と述べている。

また東亜日報の記事では「女子生徒は、男子生徒より数学が弱いというのが常識だ。05~09学年度の大学修学能力試験(修能)で、数理領域で1等級がつけられた生徒を分析したところ、男子生徒=62%、女子生徒=38%と差が大きい。少なくとも、修能では男子生徒が女子生徒より点数が高かったのは事実。[2]」と述べている。

では、このような差はなぜ生じるのか。東亜日報の同記事によると『かつてはこのような差は、生物学的原因から始まっているという見方が大半を占めていた。韓国女性開発院のチョン・ギョンア博士は、05年、中高校の数学教師403人を対象にアンケートを行った結果、38.8%(332人)が、「(数学の実力の差は)先天的な性差によるものであり、教師の努力により、このような現実を変えることはできない」と答えた。

しかし、米シカゴ大学・心理学科のスーザン・レービン教授の研究チームの考えは異なっていた。研究チームは26日、国立化学アカデミー学会誌に発表した研究結果の中で、「女子生徒が数学に弱いのは、社会・文化的原因のため」と主張した。研究チームは、「女子生徒らは小さい時から、女性教師から男子生徒より数学が弱いという声を頻繁に聞かされ成長するため、結果的により数学の成績が落ちるのだ」とし、「特に、小学校低学年には女性教師が多く、このような現象が激しい」と指摘した。』

要するにかつては男女間の数学の能力差は両者の生物的な差に起因するものだと考えられていたが、近年になってシカゴ大学の研究チームが女子が男子より数学が苦手なのは「女子は男子よりも数学が苦手」という教えによって心理的な支障を背負うからだと主張したという事だ。

また、数学者の新井紀子によると、『各地での出前授業やネット授業を通じた観察では、女子生徒の理数系への苦手意識は中学校で発生しているように感じます。わたし自身を振り返ってみても、ちょうどその頃から数学が嫌いになったという記憶があります。

この現象は「女子は抽象的な概念の把握が苦手だから」と説明されることがあります。が、私は、中学・高校の理数科の教え方が女子生徒の精神構造にマッチしていないからだと考えています。

男子生徒を観察していると、彼らが「限界突破」や「競争」に強い関心を持っていることが分かります。一方、女子生徒は「共感」や「全体の物語の把握」に非常に価値を置いています。女子生徒は,今自分がいる場所を確認できないと、迷子になったと感じ、成績の良し悪しにかかわらず、強い不安感を訴える傾向があります。

中学・高校の数学の教科書では、各単元の定着には心を配っています。が、2次方程式の解の公式の「数学全体のストーリーにおける位置」といった情報は提供されません。[7]』

要するに男女間で身につきやすい教え方・覚え方に違いがあり、現在は女子に不利な教え方しかされていないため、女子は男子よりも数学が苦手だと主張している。

以上をまとめると、女性が男性よりも数学的能力が劣っている原因は、

(1) 男性と女性の生物的な差 -かつての多数説[2] 
(2) 女性の方が男性よりも数学が苦手という教えによる心理的負担 - 米シカゴ大学研究チームの説
(3) 女性には身につきにくい教え方をしているため - 新井紀子の説

無論これらの見解の正当性は確立していないので、まだわからないのが現状だろう。考えられる原因はこの他にもあるかもしれないし、この中の複数が原因となっている可能性もある。ただ、私はこの中で一番怪しいと思うのは(3)の説だ。(3)の説は数学の教え方に女子に融和しやすい「共感」「全体の物語の把握」がないためだとするが、「共感」「全体の物語の把握」がない教え方をしているのは数学に限った事ではなく地理や英語でもそうだろう。

地理や英語には共感やストーリー性といったものはなく、学んだ事を吸収するのがメインだ。例えば地理でアメリカ、ヨーロッパの工業、農業などを単元別に学ぶが、多少の関連性は否定しないが、関連性は薄く独立に近いといってよいだろう。交通と工業、地質と農業のように関連性がある部分もあり、高等学校では主に国別ではなくそのような種別で学んでいくが、国語の小説や歴史のようなストーリー性はない。英語でも関係代名詞、不定詞、英作文、英訳といったものに繋がりはなく、ストーリー性は認められない。また学問の性質として「共感」という要素が薄い感じがあり、これは数学だけでなく英語等でも同じだろう。

つまり、地理や英語といった科目でも数学と同じように「共感」「全体の物語の把握」といった要素や教え方はない。しかし、これらの科目で女性が男性よりも苦手だとする根拠は乏しく、英語など語学ではむしろ女性の方が男性よりも得意だとさえ言われている。新井紀子の説はこの点について矛盾している。

また私は「男性の方が女性よりも生来的に数学が得意」という考えにも疑問を持っている。確かに多くの調査や統計によれば男性の方が女性よりも数学能力が高い[1][2][3][5][6]。しかし、これは生来性に起因するとは必ずしもえいない。例えば日本で女性が主に進む職業は看護、通訳、専門主婦とか数学を必要としないものが多く、多くの女性にとって数学の努力をしなければならない社会的な必要性が乏しい。女性の方が生来的に数学が苦手なのではなく、社会的に求められていないので努力しないため数学能力が低いのかもしれない。つまり、ポテンシャルとしては低くないが努力が足りないだけかもしれない。おそらくそうした要因もあるだろう。

いずれにせよ男女間の数学能力の差の原因はわからないが、原因がきちんとわかるとよい。

参考
[1]"数学的リテラシー得点の国別分布及び男女差" OECD生徒の学習到達度調査 p9 2006
[2]"「女子生徒は数学が弱い」小学校女性教師たちが作った偏見 米研究者が報告" 東亜日報 2010.1.28
[3]世界変動展望 著者:"男女の数学能力は同等か?" 世界変動展望 2009.1.31
[4]"「女性は数学苦手」は俗説 全国試験解析で米研究者" 47NEWS 2008.7.25
[5]文部科学省のHP
[6]文部科学省のHP
[7]荒井紀子:"女子が数学嫌いになる理由" 朝日新聞 2009年2月15日付朝刊23面

定圧比熱が定積比熱よりも大きいのはなぜか?

2010-08-24 00:00:00 | 物理学・数学

理想気体の定圧比熱と定積比熱の間には"Cp-Cv = nR"という関係式が成り立つ。これをマイヤーの関係式という。Cpは定圧比熱、Cvは定積比熱、nは物質量、Rは気体定数である。この関係式の導出は参考[1]を参照。定圧比熱等ではなく定圧モル比熱での考察だが、基本的には同じである。マイヤーの関係式の導出は簡単だが、定圧比熱が定積比熱より大きい理由を定性的に説明できない人をたまに見かけるので説明する。

マイヤーの関係式の導出をやらなくても定圧比熱が定積比熱より大きいことは定性的に考えれば明らかである。比熱とは物質1グラムの温度をセ氏1度上げるのに必要な熱量をいう。つまり、比熱が大きいほど物質は温まりにくいということである。従って定圧比熱と定積比熱のうちどちらが大きいかを決めるには、定圧変化と定積変化でどちらの方が気体が温まりにくいのかを考えればよい。

定積変化を考えると、例えば100[cal]の熱量を気体に与えた時、気体は外部に対して力学的な仕事をしないから与えた熱量はすべて気体の内部エネルギーの上昇、すなわち気体の温度上昇に転換される。

一方で定圧変化を考えると、同じ100[cal]の熱量を気体に与えた時、その一部は力学的仕事に転換し、残りの部分が気体の内部エネルギーに転換する。そのため定積変化よりも内部エネルギーに転換される熱量が小さく温まりにくい。

すなわち、定圧比熱は定積比熱よりも大きい。

以上である。定圧比熱が定積比熱よりどれだけ大きいのか定量的に求めるには計算するしかなく、それは上述のマイヤーの関係式となる。内部エネルギーの上昇は気体の温度上昇を意味するのはよいだろうか。ミクロの立場から言えば、気体の内部エネルギーは気体分子又は原子の平均運動エネルギーの総和であり、温度に比例する。温度とは物体を構成する原子・分子の運動エネルギーの尺度を表す事を考えれば、内部エネルギーの上昇が温度上昇を示すのは当然である。ちなみに理想気体の場合内部エネルギーは温度のみの1価関数である。

これは高校レベルでも理解可能な説明だが、何か物理量を計算した場合、計算するだけでなくなぜそのような性質になるのか併せて考えると理解が深まるし、間違いを防止する事もできる。物理学は数学やテストではないから「計算しただけでおしまい。」というのは学問といえない。きちんと考える姿勢を忘れないでほしい。

参考
[1] マイヤーの関係式  Wikipedia 2010.8.18


離婚の財産分与で家を半分に

2010-08-23 00:00:00 | 社会

2008年頃カンボジアのある夫婦が離婚するとき財産分与として文字通りに家を真っ二つにしたという話がある[1]。


離婚の財産分与として半分にされた家 (参考[1]より)

離婚した元夫婦は40年以上暮らした熟年カップルだったらしい。離婚原因はどちらが悪いのかよくわからない。このような財産分与はカンボジアでは弁護士を雇って離婚調停に資金がかかりすぎるため、家を半分にする方が効率が良く、公平な離婚方法だと主張する人もいるらしい。

しかし、端的にいってバカな事をしたものだと思う。これでは家が使い物にならないではないか。家を壊す社会経済的な損失の方が大きい。普通は家をそのままにして家の半分相当の金銭を受け取る等するだろう。元夫の方が家半分の材料を持って行き、元妻が残って住んでいるという。夫の選択らしいが、この方が経済的に儲かるというなら経済的な理由はわかるが、本当に儲かるのか?

これは日本のテレビ番組でも放送されたことがあり、上記の行為が元夫の元妻に対する嫌がらせのようにも見えるため、出演していた若い女性芸能人たちは皆「最低!!」と元夫を非難していた。元夫の主張では「財産分与なんだから当然だ!」、それを聞いた元妻は「あの人らしいですね。大嫌いです!」と余計関係が酷くなっていた。

こうした問題とは関わりたくないないが、こうした事の原因の一つに元夫、元妻ともきちんと話をしようとしていない事があると思う。元夫、元妻の話を聞いているとそのように感じる。お互いが排他的になった結果これほど不幸な結末となってしまった。お互いの排除・否定による悪循環の末路といえよう。

こうした結末の責任は元夫、元妻の両者にあり、離婚原因がどちらにあるかとは関係ない。番組に出演していた若い女性芸能人は元夫が一方的に悪いかのように非難していたが、こういう結末の責任は明らかに元妻の側にもある。この結末はお互いが排他的姿勢を続けていた悪循環の結末であって、そうした悪循環を作り出していた責任は元妻にもあるからだ。

排他的姿勢では悪くなっていくだけ、きちんと話し合いをして解決しないとお互いにとって良く生産的な状況とならないと以前主張した事があるが、上述の事例はまさに排他的姿勢で悪循環を作り大きな不幸を招いた典型例といえよう[2]。

人間関係のトラブルがおきたら、相手を排除するのではなくきちんと話し合いの姿勢を持つ事が大切だ[2]。

参考
[1] "Married Cambodian couple saw home in half after separation" BST 2008.10.8
[2]世界変動展望 著者:"話をすることの大切さについて"  世界変動展望  2010.6.4


論文や学会発表の捏造は放置されるのか?

2010-08-21 00:00:00 | 社会
東京大学、大阪大学など大規模な研究機関の論文捏造事件をみると論文や学会発表の正当性をきちんと確認することは非常に重要な事であると感じる。ある文献によると、捏造を疑われる論文は多く、世界中に蔓延しているが、真相の追究がたいへんなので正面から追究しないのが普通だという[1]。

結構捏造と疑われる論文や学会発表は多いのかもしれないが、科学者はあまり振り回されないのかもしれない。基本的に科学者は追試や検証されない結果を信用しない。その論文が注目されているかどうかは例えばインパクトファクター等によってわかるので、捏造を疑われる論文等は自然と注目されない無価値なものとなろう。それも捏造が放置される理由の一つなのかもしれない。

つまり、過失による論文の誤りも故意による捏造や改ざんも発表が真実ではなく無価値という点では同一であり、それだけわかれば自分の研究に支障はないのだ。捏造の疑惑追究によって大きな労力をかけるよりも、論文等を無視する方がずっと楽というわけだ。私も追究したいと思わない。

ただ、捏造を疑われる論文等が蔓延しているとすれば、それを防ぐ何らかの対策が必要となるだろう。触らぬ神にたたりなしで放置すればよいとしたのでは、研究界全体の信頼性にかかわる。

参考
[1] 川本眼科だより 80 - "実は論文捏造は多い"、 "捏造を証明するのは困難" 2006.9.30

国公立大学と私立大学の違い

2010-08-19 00:01:17 | Weblog
昔「大学受験では国公立大学と私立大学でどちらの方が第1志望の人が多いの?」と尋ねられたことがある。私の主観では国公立大学だと思うが、高校受験と違ってまちまちだろう。高校受験の場合は東京都といった一部の例外を除いて、公立高校を第1志望にする人がほとんどだろう。もっとも、東京都の場合も私立志望者は中学受験で抜けていくので高校入試の段階で私立が第一志望の者が多いのか不明だ。中学・高校受験と併せれば、東京都の進学希望の者は中学受験の段階で私立を志望する者が多いだろう。

高校受験の場合は公立高校の方が授業料が安いし、進学実績も東京や神奈川、京都といった一部の都道府県を除いてその地域に有力な私立高校がないため、公立高校の方が高い場合が多い。だから、高校受験の場合はほとんどの都道府県で私立校を第1志望にする人より公立高校を第1志望にする人の方がずっと多い。

しかし、大学受験の場合は全国規模で入試が行われるから、早稲田大学や慶応義塾大学といった私立の有力校を第1志望にする人もたくさんいるため、一概に「国公立大学の方が私立大学よりも第1志望とする人が多い。」とはいえない。

だた、国公立大学と私立大学の一般的な違いはあげられ、例えば次のようなものだろう。

1 学費
学費は国公立大学の方が私立大学よりずっと安い。国公立大学の年間の学費は50万円程度だが、私立大学の場合は文系の場合90万円~150万円、理系の場合は110~200万円。特に顕著な違いがあるのは医学部で、国公立大学の場合は6年間で300~400万円程度だが、私立大学の場合は3000~4000万円もかかる。まさに桁違いといえる。

2 個性
一般に私立大学の方が国公立大学より個性が強い。国公立大学は国や地方公共団体が運営するため、いろいろ制約があり、できるかぎり平等・中立・公平な学校運営をしなければならなず、私立大学に比して無個性となるが、私立大学はそうした制約がないため色々と自由な事ができる。

具体的には有力なスポーツ選手や芸能人の推薦入学や学費免除といった特別待遇や宗教教育があげられる。こういった事は国公立大学では不可能だ。国公立大学の場合、経済的な困窮のために授業料や入学金が免除される場合はあるが、私立大学のように成績が優秀だから学費免除という事はない。甲子園で活躍したから、芸能人で有名だから推薦・AO・一芸入試による入学という事も国公立大学の場合はない。一方で私立大学の場合は、自校の名を売るため経営を良くするため、商業的な目的でそういう優遇政策ができる。

甲子園で活躍した野球の有力選手や芸能人が国公立大学に入学せず、私立大学にばかり入学する理由は国公立大学では商業的な学校運営が禁止されるため、彼らが私立大学に入学せざるを得ないというのが最大の理由だろう。仮に東京大学で私立大学と同様の入学制度があったなら、多くのスポーツ有力選手や芸能人が入学しているに違いない。もっとも、芸能人ならともかく、将来プロ野球選手を目指す人が非常に弱い東大野球部に入るため入学するかどうかわからないが。

宗教教育も同じで、国公立大学は政教分離原則のために特定の宗教教理に基づいて指導する事はできないが、私立大学はそれが可能となる。例えば上智大学や立教大学は宗派の違いはあるがどちらもキリスト教系の学校だ。国公立大学の場合は宗教系の学校は一つの例外なく存在しない。もっとも、宗教という個性に基づいて入学志願する者は牧師志望とか一部の例外を除いていないだろうが。

3 研究設備
大学ごとに個別比較すれば異なるが、概して研究設備は国公立大学の方が私立大学よりも良い。特に理系ではその傾向が顕著だ。私立大学はほぼすべてを自校の資金で運営しているため、理系で必要とする高額な研究設備を準備する資力が乏しい。一方で国公立大学ではその資金があるため十分な研究設備を準備できる。

特に国公立大学でもトップクラスとされる旧帝大と他の私立大学を比較するとわかりやすい。旧帝大の研究設備は全ての私立大学と比較しても圧倒的に優れている。これは早稲田大学や慶応義塾大学といった一流私立大学や東京理科大学といった理系に特化した私立大学でも例外ではない。

例えば、有名なニュートリノ研究施設である東京大学のスーパーカミオカンテや加速器のような研究施設を私立大学が持つことは不可能だろう。スーパーカミオカンテの資金は約100億円と聞いたことがある。素粒子実験ではこれでも安い方で加速器を使った実験施設になるともっと高額になる。私立大学でそれらの研究設備を設ける事は経済的に不可能だろう。

4 主力学部
3との関係で一部を除き私立大学は必然的に文系学部が主力となる。前文で一部除かれる大学とは理系に特化した大学である。例えば、早稲田大学、慶應義塾大学、上智大学といった大学は理系学部はあるものの、法学部とか経済学部といった文系学部の方が主力であり、大学全体をみると文系主力の大学という印象が強い。

一方国公立大学は文系が主力という場合もあるが、理系が主力学部となるケースも多い。特に上述の旧帝国大学はほとんど理系主力大学である。旧帝大の場合は我が国の研究の基幹となる機関であるため、どの大学も文系理系ともに突出した業績があるが、どの大学も理系の方が規模が大きいため、理系の業績の方が大きい。これは規模のため仕方ないといえよう。官僚や法曹の輩出で有名な東京大学でも例外ではない。東大の場合は先の事項のため文系主力というイメージを持つ人も多いが、文系・理系の規模の違いを考えれば、どうして理系の研究業績の方が多くなるのは仕方ない。

5 学生の男女比
4との関係で私立大学の方が国公立大学より女性比率が高いことが多い。女性は男性よりも学問における好みの偏りがはげしく、主に文学、教育、語学といった人文科学や家政学を専攻し、理系、特に工学や数学、物理学といった数物系の学問を専攻する者はあまりいない。

上の大学の例では上智大学は女性比率の方が高い大学だ。おそらく文学部や外国語学部等の影響だろう。それに対し、旧帝大はどこも女性比率は2~3割程度で男性の方がずっと多い。

6 校舎の立派さ
校舎は私立大学の方が国公立大学よりも立派な事が多い。国公立大学の場合は建物の外観にそれほどお金をかけられないのだろう。私立大学は研究施設よりそうした外見的な良さにお金をかけている気がする。

東京大学の本郷キャンパスのように歴史や古さを感じさせるという意味で立派だという校舎はあるが、はっきりいってそういう建物は中で講義や研究をするのは不便な事も多いと思う。

他にもいろいろ違いはあるだろうが、私が思い浮かぶのこのくらいだ。具体的に志望の大学を決定する時は、こういう大まかな傾向ではなく大学ごとの特性に基づいて決めるだろうから、上述の違いはあまり意味がないかもしれないが、参考程度にはなろう。

興味があれば、参考にしてほしい。

山本モナの結婚について

2010-08-18 00:00:00 | スポーツ・芸能・文芸
山本モナが結婚した。正直よく結婚できたなという感じだ。あれだけ不倫を続けて世間から叩かれたのによく相手がいたものだ。結婚相手は山本モナの不倫が心配ではないのだろうか。この人は2年前にプロ野球選手の二岡と不倫が発覚して謹慎したが、それが明けた後太田総理の番組で「二岡さんが事実と違う事を言っていて男の人が怖くなった。」と言っていたが、報道によれば結婚相手との交際期間は2年程度らしく、二岡との不倫発覚の直後くらいからすでに男と交際していたことになる。男が怖いといっておきながら男と交際する。彼女の言っている事は信用ならず、都合がよいことだけ言っているように感じてしまう。

まあ、また不倫で離婚になるのかもしれないし、せいぜい世の中を騒がせぬように努めてもらいたい。

羽生先勝!- 第23期竜王戦挑戦者決定戦第1局

2010-08-17 00:03:17 | 囲碁・将棋
第23期竜王戦挑戦者決定戦第1局は羽生善治が勝利し、竜王戦挑戦者に王手をかけた。なんとなくだが、今年は渡辺-羽生の名人竜王対決になるような気がする。両者の対決は2008年の永世竜王をかけた対決以来だが、あの時はものすごい対局で感動した。またあのすごい対決を見たいものだ。

異論はあるかもしれないが、羽生と渡辺は現在の将棋界の実力1,2位だろう。かつての羽生、谷川のゴールデンカードの戦いは現在では羽生、渡辺の戦いという気がする。すばらしい戦いが見れるなら何でも歓迎だ。