世界変動展望

私の日々思うことを書いたブログです。

次世代スーパーコンピューターはなぜ1番でなければいけないか?

2009-12-28 00:59:15 | 政治・行政
事業仕分けで民主党の議員が「次世代スーパーコンピューターはなぜ1番でなければいけないんですか?2番じゃだめなんですか?」と質問していた。

基本的に科学の研究道具は1番の性能でなければならない。理系の実験系研究の世界では研究者が所持している実験器具の性能で勝敗が決まっていることが少なくない。基本的に2番以下の性能の実験器具を持っているところは1番の性能の実験器具を持っているところに勝てないし、1番はやく成果をあげなければ全く意味がないのが研究の世界なのだ。新規発見の業績は1番の発見者が独り占めするのである。

次世代スーパーコンピューターは計算道具として汎用性が高いものだし、この器具が1番の性能を持つことはいろいろな研究分野で革新的な成果をあげることに貢献する可能性が高い。だから1番の性能を持つ次世代コンピューターを持つ必要性は高いのである。

おそらくそれが1番の性能を持つ次世代コンピューターを開発しようとする目的だろう。

「次世代スーパーコンピューターはなぜ1番でなければいけないんですか?2番じゃだめなんですか?」という問いに対しては、

「2番以下では研究競争に勝てないので1番でなければだめだ。」

と答えるのだろう。

若さって何だ?愛って何だ?

2009-12-27 14:25:27 | Weblog
Youtubeで宇宙刑事ギャバン(1982年)のオープニングを聴いたら笑ってしまった。

1番
若さ 若さってなんだ? 振り向かないことさ
愛ってなんだ? ためらわないことさ

ギャバン あばよ涙
ギャバン よろしく勇気
宇宙刑事 ギャバン

2番
若さ 若さってなんだ? あきらめないことさ
愛ってなんだ? くやまないことさ

ギャバン あばよ昨日
ギャバン よろしく未来
宇宙刑事 ギャバン

「若さって何だ?愛って何だ?」「あばよ涙、よろしく勇気。」「あばよ昨日、よろしく未来。」とか恥ずかしくなるような言葉だ。熱いなあ、この歌は。調べてみると、宇宙刑事ギャバンは1982年放送なので約28年前の番組でメタルヒーローシリーズの最初の作品らしい。幼稚園や小学校低学年向けの番組で「若さって何だ?愛ってなんだ?」なんて問うても対象年齢が低すぎてわかるまい。

笑ってしまう曲だった。

参考
[1]「宇宙刑事ギャバン」(作詞:山川啓介 作曲:渡辺宙明)

来年の参議院選、1票の格差是正見送りへ

2009-12-22 00:52:03 | 政治・行政
参院選での「1票の格差」の是正を検討している参院改革協議会(座長・高嶋良充民主党参院幹事長)は、来年夏の次回参院選では選挙区定数増減などの是正策を見送る方針を固めた。

各会派代表で構成される同協議会は、格差是正を求めた今年9月の最高裁判決を受けて対応を協議し、抜本的な選挙制度見直しを2013年の次々回参院選で行うことで合意している。

しかし、次期参議院選までには準備が間に合わず見送りになった。一票の格差は我が国の民主政治の根幹に関わる問題だから、今年9月の最高裁判決が述べたように現行制度を改め可及的に格差を1倍に近づけなければならない。アメリカのようにビル方式を導入すれば格差を縮められるが、日本で導入されるだろうか。

受験国語の問題点について

2009-12-21 22:00:22 | 社会
受験国語の問題は悪問が多く嫌いだ。悪問が多いと思う理由は問題の判断基準が明確ではなく、結論が不自然な問題が多いからだ。

国語の問題は本質的に主観的であり問題文の読み方・解釈の仕方によって解答が変わる場合が多く、問題文をうまく作らなければ答えが唯一ということはことは少ない。通常の文章は正解が複数あるのが普通だ。俳句や詩歌などは典型的な例だろう。一つの考えが正解となる世界ではない。

しかし、受験国語の指導者に言わせると「国語とは本文に書かれた内容を正確に読み取り、それを答える科目であす。受験国語は「感想文」でも「道徳」でもありません。国語は自分の意見を押さえて、作者の述べたこと『だけ』をもとにして答えるものなのです。問題文に忠実に解答すれば答えは一つで迷いません。必ず正解になります。だから国語の問題は人によって解答が分かれるものではなく、客観的なのです。」ということらしい。

つまり、本文に忠実な解釈や本文の文言のみを根拠として判断し解答するのが国語の「正しい答え」なのだという。こういうことを述べる人は受験国語の問題が客観的でないと自ら認めているし、おかしい考えだと思う。

第一に考えの基準を一つに限定することで一つの結論になる様を客観的とはいわない[1]。客観的とは対象が普遍的であり、考えの基準によって変わるものではない。考えの基準によって変わるのは主観的という[2]。受験国語の問題はまさに主観的な問題が多いのである。上述のような受験国語指導者の主張は国語の指導者のくせに「客観的」の意味を完全に誤解している。

第ニに本文に忠実な解釈や本文の文言のみを根拠として判断し解答するのが国語の「正しい答え」だという考えは自分勝手で合理性がなく問題だと思う。かかる主張をする人に大きな声で反論したいのは、なぜその他の解釈等に基づく判断が間違いになるのかという点だ。先にも述べたが受験国語の問題は主観的なものが多く、一つの考えに限定して考えること自体がおかしなことなのだ。

主観的な問題に対して無理やり他の判断基準を排除し、自己の見解を正しいと押し付けるのは実に身勝手な考えである。このような見解をする人物には「おまえは万能の思考を持っているのか?」と文句を言いたい。

受験国語の出題・採点で通用している問題文に忠実な解釈等に限定して解答したものを正解とするという取り決めは最適な答えを選ぶ・正解を考えること問うているのではなく、無理やり押し付けた一つの基準に基づいて結論を導かせているのであり、思考力・判断力を試す点で適切でないことが少なくない。

また、受験国語の問題の中には本文に忠実な解釈や文言のみの根拠にとらわれるあまり、結論が論理的におかしい等不自然で妥当でない解答が正解になっていることが少ない。このような解答は合理性がないだろう。むしろ、問題は「・・・最も適当なものを選べ。」等と記されているのだから、本文に忠実な解釈や文言のみの根拠によると妥当性がない結論になる場合は解釈で補完し妥当な結論にすべきではないか。

別な分野になるが、法律でもそうだろう。法律を適用するときに、条文の文言に忠実な解釈をすると妥当な結論にならない場合は、法律の趣旨を合理的に解釈して妥当な結論になるように運用する。いわば文言に足りない部分を解釈で補って妥当な結論になるようにしているのだ。国語の問題文に記されている「・・・最も適当なものを選べ。」等の指定は、必要な場合は本文の根拠に基づかない解釈を取り入れないと実現できない場合もある。

仮にこのような処理をして解答したとしても正解にしてよいのではないか。国語は文章がきちんと読み取れ、適切に表現できることを目的としているはずであり、このような能力をきちんと持っているからこそ上述の行為ができるのである。

このようなことを述べると、「そうすると国語の答えは人の数だけ正解があり、試験として機能しない。」「出題者の主観と一致するかどうかという偶然の事情で正解が左右され、問題の公平性が保てない。」と批判する人がいる。

しかし、問題自体が主観的であり、そのような問題を出題する以上解答者の数だけ正解が生じても仕方ない。その人の解釈が合理的な理由でおかしい等特段の事情がない限り、解釈によって結論が複数生じたとしてもやむを得ないのだ。

また、解答者は国語の試験が試そうとしている読解・表現ができていないのではなく、きちんとした能力を持っていると認められる以上、正解としても試験の趣旨に反しない。

また、このように考えれば出題者の主観と一致しなかったとしても不合理な解答でない限り正解になる以上解答者に不利益は無く、合理的な解答の範囲内で公平性が保たれているといえる。

「試験として機能しない。」という批判を述べる問題作成者は自己の作問能力の乏しさを棚に上げている。良い国語の問題は主観的ではあっても、問題文をみれば解釈が明白又は一義的で、かつ 結論としても妥当で、かつ、解答者側の読解力・表現力をよく試せるように作られている。

努力し問題作成能力を高めればそのようあな問題を作れるにも関わらず、問題文の文言のみにとらわれるあまりに妥当でない結論となる問題や、他の解釈による結論を「問題文の忠実な解釈等による結論ではない。」という理由で不条理に排除する問題が多い。最初に述べたように受験国語の問題は問題作成者の能力が乏しいせいで、悪問が多い。

このような問題作成者は「解答者が間違ったのはその人に読解力や表現力がなかったせいだ。」と本気で思っているのだろうが勘違いも甚だしく、不正解となったのは解答者に読解力・表現力がないためではなく、作成者の作問が悪いせいで不条理にも不正解になっているに過ぎない。国語の問題作成者は解答者側に読解力云々を問う前にまず自分の問題作成能力を向上させるべきだ。

国語の問題は解釈が明白又は一義的で、かつ 結論としても妥当で、かつ、解答者側の読解力・表現力をよく試せるように作るべきである。

参考
[1]客観的:個々の主観の恣意を離れて、普遍妥当性をもっているさま。 goo国語辞典 2009.12.23
[2]主観的: 必ずしも他に通用しないが、自己の独自の考えによっているさま。

ドラゴンクエスト9についての感想

2009-12-21 00:12:00 | Weblog
最近ドラゴンクエスト9をクリアーした。プレイ時間は14時間程度で、連休を利用して2日ほどでクリアーできた。今回はニンテンドーDSでの発売なので、かなり子供向けに作られている気がした。

画面が小さく画質等の性能も前作よりずいぶんと低いし、謎解きが簡単でダンジョンもほぼ一本道で迷わない上、ストーリーが物足りない。一言でいうとこれまでのドラクエと比べて本編の内容が薄いと思う。8のファーストプレイの時は確か26時間程度でクリアーしたので、今回は半分程度の時間しかかかっていないことになる。それだけ内容が少ない証だろう。

その代わり本編クリアー後のクエストや宝の地図のイベントが多く、こちらはそこそこ難しいし、内容も多い。9はクリアー後からの話の方が多いくらいだ。それにしてもクリアー後のクエストや宝の地図のイベントはやっかいなものが多い。

「メイジキメラを猛毒のダメージで5匹倒す」 ※ レンジャーになるためのクエスト
「火ふき芸でクラウンヘッドにとどめをさす」 ※ スーパースターになるためのクエスト
「トロルキングにメラでとどめをさす。これを5回行う」 ※ 賢者になるためのクエスト

これはやってみるとかなりめんどくさい。あまりにもめんどくさすぎて嫌になってくる。大昔にやった裏ドルアーガの宝箱の出し方のようだ。

こうしたクエストや宝の地図イベントがたくさんあり、やりこもうと思えばたくさん遊べるゲームだが、とてもじゃないがやってられない。

以上のことを総合して考えると、ドラクエ9はこれまでのドラクエ作品より面白くないゲームだと感じた。画質等の品質を考えるとドラクエは携帯用ゲーム機ではなく、卓上用ゲーム機で発売してほしい。それに今回はあまりにも子供向けすぎてつまらなかった。もともとテレビゲーム自体が子供用の遊び道具なのだから、当然といえば当然だが、今までのドラクエと比べると一段と子供向けになった気がする。それに今回のクエストや宝の地図のようなクリア後のやりこみ要素は別にそれほど必要ないので、本編の内容にもっと比重を置いて面白く作ってほしかったと思う。

ドラクエ9は自分にとって残念な出来だった。