世界変動展望

私の日々思うことを書いたブログです。

複数の列の順番について

2009-06-30 00:02:26 | 社会
コンビニなどでレジの順番待ちをするとき、レジが複数あるのですいている方のレジの列で待ち自分の順番になると、「お先にお待ちのお客様、どうぞ。」と店員が言って、自分を劣後し他の列の客を優先することがある。

こういうことをされるとたまにイラっとする。まあ、順番一つくらいどうということはないし、店員としても時間的に先に待っている客を優先し客の不満を解消しようと思っているのだろう。

しかし、私はそのレジが早いと思っているからこそ並んだわけで、店側に上記のような対応をされるとその列に並んだ意味がない。他の列の客が遅くなったとしても、遅い列に並んでしまった以上仕方ないし、その不利益はその列に並んだ人が負担すべきだ。

それに、事前に「他の列で待っている人でも先に待っているお客様優先」と明示されているならともかく、レジの順番はそれぞれの列の順番で決まるのが慣習で、自分の待っている列以外の列に割り込む権利はない。百貨店やスーパーなど、レジが複数ある場合は大概そういうルールである。

店の管理権があるにしても、事前に「他の列で並んでいる人でも先に待っているお客様優先」と断っているわけでもないし、店側のルールに同意した覚えもない。まして一般的なルールがあるのに、店側が一方的に時間的に早く並んでいる他の列の客を優先し、その列で一番順番が早い人を劣後させるのは納得いかない。

たいしたことではないのだが、列の順番はその列ごとの順番をきちんと守るべきだし、店側が時間的に早く並んでいる客を優先させたいなら、劣後することになる客の同意をきちんと得るべきだ。

この地球のどこかで

2009-06-26 00:08:05 | 合唱・音楽
「この地球のどこかで」(作詞・三浦恵子、作曲・若松歓)は1998年に発表された混声3部合唱曲。この曲はネットで初めて聴いた。なかなか良い曲である。

歩いて行く道は違うけれど、きっと同じ空を見上げている、この地球のどこかで。

そう思うと、遠くの大切な人とどこか繋がっている気がして安心する。

誰が東国原なんかに投票するか!

2009-06-25 00:09:43 | 政治・行政
自民党の古賀選挙対策委員長が23日、宮崎県知事・東国原英夫知事(そのまんま東)に次期衆議院選で自民党候補として出馬してほしいという要請をし、東国原氏が「総裁候補という条件なら自民党から出馬する。」と回答した件について、私は彼が総裁候補になるなら絶対に自民党には投票しない。

はっきりいって、東国原英夫は人気だけで政治や行政の能力は乏しいし、そんな人物が国の最高責任者である内閣総理大臣になる可能性のあるポストにつくのは間違っている。

東国原が総裁になるなら、まだ麻生の方がました。

政治は芸能人の人気でやるものではない。選挙は人気投票ではない。東国原のような人物が総理大臣になって政権を担当したら日本はだめになる。

政治や行政の能力がない芸能人が総理大臣になって国をめちゃくちゃにされたのでは、たまったものではない。東国原は総裁候補条件での出馬を真剣に考えているらしいが、考えるのは確かに自由だ。

しかし、東国原を総裁候補して擁立したのなら絶対に東国原には投票しないし、自民党に投票しない。

羽生、名人位防衛!-第67期名人戦第7局

2009-06-24 19:51:29 | 囲碁・将棋
第67期名人戦第7局は羽生善治が81手で郷田真隆を降して、名人防衛を果した。羽生はこれで通算6期目の名人獲得である。

最終局の第7局は序盤から両者とも長考が多くゆっくりとした展開だった。特に郷田は2日目の午後2時の時点で残り時間2時間とかなり考慮時間を使った。それだけ郷田にとって嫌な展開だったということだろう。

この対局は序盤では形勢互角と判断した人もいたが、観戦した限り序盤から徐々に羽生がリードを広げていったように思う。2日目の午後5時くらいでは形勢がわからなくなり、羽生が若干リードしているものの勝つのは容易ではないと解説されていた[1]。しかし、振り返ってみると終始郷田にはよいところがなく、一方的に羽生が攻めて郷田をKOしたような勝ち方だった。

NHK-BS2の午後8時50分~午後9時の渡辺明の解説によると、郷田はずいぶん苦しい戦いで最後の方は戦意喪失状態だったらしい。そのため周囲ではもう少し粘るのかと思っていた人もいたようだが、81手という早い段階であっさり投了となった。

本局は31手目の▲4六歩(先手は羽生)が序盤の勝負手で、新構想の勝負に持ち込んだのか勝負の鍵だったのではないかと思う。この手で全く未知の戦いとなり、ゼロから戦略構想を練る戦いとなった。こういう戦いは知識や作戦といった事前に準備できるものが活かせず、どちらがより最善手を指せるかという純粋な生の棋力が勝負を分けることが多いと思う。本局もそれが勝敗となって表れたのではないだろうか。

このシリーズを振り返ってみると、羽生が勝ち郷田が負けるように神様に仕組まれていたかのように感じる。なんといっても第3局の最終盤で、郷田がはっきりとした勝勢で勝利目前だったにも関わらず自玉に詰みがあると勘違いし誤った手を指して大逆転負けをしたのが今シリーズを通しての致命的敗戦で、第3局最終盤での郷田のミスによる敗着は今シリーズを通しての致命的敗着だった。もし第3局を郷田が勝っていたら、4勝2敗で名人位を奪取していた

「名人は神様から選ばれた者がなる。」というオカルト的な考えは非科学的で何の根拠もないとは思うが、人気将棋漫画「月下の棋士」の監修を務めた河口俊彦七段の巻末解説によれば、将棋界で一部の棋士がそのような考えを持っているのだと思う。

しかし、今回の郷田真隆のミスによる名人獲得失敗は名人獲得に何か不思議な力がはたらいているような気にさせられた。思えば昨年の第66期名人戦も第3局で森内俊之が最終盤で50年に一度と言われる大スカをして羽生が大逆転勝利し、この敗戦が結果的に森内俊之にとって致命的敗戦となり羽生が名人・永世名人資格を獲得した。案外、河口俊彦七段の言うように将棋の神様とやらがいて名人になる者を選んでいるのかもしれない。

今回の第67期名人戦は熱戦で難解な将棋が続き、第6局のように名局と呼ばれるような対局もあったので、なかなか良かったと思う。

参考
[1]"名人戦第7局。" 渡辺明ブログ 2009.6.25

恋愛はいつまで続くのか?

2009-06-24 00:17:00 | 社会
恋愛はいつまで続くのか。熱愛で結婚したカップルも数十年その熱愛が続くことはない。愛しているから結婚するというのはもっともだが、愛情はそれほど長く続かない。

調査研究によれば、恋愛感情は結婚後せいぜい4年くらいしか続かないらしい。だから、長年恋愛感情が続くのはそれなりにすごいことかもしれない。

愛している。だから結婚する。しかし、それは長く続かない。

愛していない。だけど夫婦でい続ける。愛情以外に結婚を続ける理由がないと結婚はうまくいかない定めである。

最強横綱、最弱横綱は誰?

2009-06-21 00:00:00 | スポーツ・芸能・文芸
記録等を基礎に最強横綱、最弱横綱を判断すると私は、

最強横綱 谷風梶之助(2代) - 第4代横綱
最弱横綱 大錦大五郎 - 第28代横綱

だと思う。理由は後述するが、その前によく最強横綱、最弱横綱を議論する場合の一般的な傾向として、多くの人が最強横綱は双葉山以降の戦中・戦後の横綱、最弱横綱は千代の富士が活躍した1980年代以降の横綱ばかりを候補にあげる。

具体的にいうと、

最強横綱 双葉山、大鵬、北の湖、千代の富士、貴乃花、朝青龍
最弱横綱 双羽黒、大乃国、若乃花(3代)

といった横綱ばかりをあげる。双葉山を除けばすべて戦後の横綱である。特に、最弱横綱の候補は1980年代以降の比較的新しい横綱ばかりである。

これはおそらく判断する側の現代人が他にも強い横綱や弱い横綱がいるにもかかわらず、自分たちが他の横綱を知らないために候補にあがっているにすぎない。特に典型的なのは最弱横綱の議論で、過去に双羽黒、大乃国、若乃花(3代)よりも弱く活躍していない横綱がいるにも関わらず、他に弱い横綱を知らないだけで彼らの名前があがっている。

確かに双羽黒、大乃国、若乃花(3代)は横綱として活躍したとはいえない。しかし、もっと活躍せず弱いと思わせる横綱はいる。

例えば、大乃国、若乃花(3代)を最弱横綱にあげる人の多くは、彼ら2人が横綱皆勤負け越しの不名誉記録を作ったことを理由にするだろう。しかし、皆勤負け越しの横綱は15日制定着以前にも、鳳、宮城山、男女ノ川、安藝ノ海らが達成しており、特に宮城山は3回も皆勤負け越しを記録している。横綱皆勤負け越しを理由として最弱横綱というなら大乃国、若乃花(3代)より皆勤負け越しの数が多い宮城山の方が弱いと評価すべきである。

しかし、私は横綱皆勤負け越しはそれほど悪い要素ではないと思う。確かに横綱の皆勤負け越しが不名誉記録であることは否定しないし、これまで負け越した横綱が少なかったのは事実だ。

しかし、皆勤負け越しの横綱が少なかった一番の理由は多くの横綱が負け越ししそうになると休場して皆勤負け越しを回避してきたからである。いわば最高の相撲を提供しなければならない責務を負った横綱が逃げた結果として皆勤負け越しの横綱が少なくなっているに過ぎない。

平成に入って大横綱といわれる貴乃花や朝青龍でも大関以下の力士同様に「成績が悪くても休場は許されません」という条件で相撲をとっていたら、おそらく皆勤負け越しを達成していたただろう。

横綱が逃げずにきちんと戦っていれば、皆勤負け越しを記録した横綱は今よりもずっと多かったに違いない。

双羽黒を最弱横綱という人の多くは、彼が一度も優勝経験がない横綱ということを理由に挙げるだろう。確かに彼は前代未聞の廃業によって横綱の地位を追われ、若くして相撲界を去った。そのため横綱在位は短かった。

しかし、双羽黒は2場所連続で12勝3敗(次点) 14勝1敗(優勝同点)という成績をあげ、大関昇進からわずか4場所のスピード記録で横綱に昇進した。横綱昇進時22歳。横綱昇進年齢22歳といえば、平成に入ってからは貴乃花、朝青龍、白鵬といった活躍した横綱ばかりである。双羽黒の時代は現在よりも横綱昇進の基準が甘かったという感は否めないが、22歳というとても若い横綱昇進年齢を考えれば弱い横綱という感はしない。優勝31回を達成した千代の富士も「双羽黒が廃業せず相撲を続けていたら、自分はこんなに優勝できなかっただろう。」といっていた。双羽黒はそれくらい才能を認められた横綱だったといえる。

それに優勝経験がない横綱という点では上述の大錦大五郎、大木戸森右衛門も同じである。私は弱い横綱としては大錦大五郎、宮城山、武蔵山、男女ノ川といった横綱の方が双羽黒、大乃国、若乃花(3代)より弱いと思う。

特に大錦大五郎が最弱横綱だと思う理由は彼が一度も優勝経験がないということもそうだが、東京相撲の横綱や大関にほとんど勝てなかったからだ。そもそも彼は横綱昇進理由自体が力量とは関係なく、品位抜群という理由で横綱免許を与えられたにすぎない。

現在の大相撲である東京相撲の番付で大錦大五郎の力量を表せば、明らかに大関より格下で、小結や関脇にすら力量がとどいているのか怪しい。参考[1]では「大錦大五郎の実力は三役以下」とすら言っている。

およそ大錦大五郎以外の横綱は大関の中で実力が抜群だったからこそ横綱に推挙された。大錦大五郎は実力が大関にすら達していないのだから、最弱である。それが私が大錦大五郎を最弱横綱とする理由である。

では、最強横綱はというと、記録を純粋に判断すれば谷風と答えるしかない。年2場所制の時代で優勝相当21回、63連勝、生涯の通算勝率94.9%という記録を考えたら全ての横綱の中で谷風がずば抜けて実績があるというしかないからだ。そして、今後もこの記録を超える横綱は決して現れないだろう。現代以降の大相撲で生涯勝率94.9%を実現するのはほとんど不可能だからだ。

多くの人が最強横綱にあげる双葉山、大鵬ですら横綱の通算勝率8割5分程度で、谷風の成績には遠く及ばない。彼らは優勝回数こそ多いがそこそこ負けるし、谷風のように無敵に近い圧倒的な強さ示さなかったといえる。

もっとも、谷風の時代と戦後は相撲の質が違うし、単純比較できないのは否定できないが、記録以外の確かなものがない以上それで判断するしかない。

最強横綱の議論にしろ、上にも書いたが多くの人は戦後の横綱ばかりをあげる。おそらく明治、大正、昭和初期の時代を生きて横綱を見てきた人なら、現代で最強横綱候補にあがる双葉山より常陸山、太刀山といった横綱の方が強いと答えた人も多かっただろう。先にも述べたが双葉山は69連勝、優勝12回、全勝優勝8回といった記録から確かに強いが常陸山、太刀山に比べればそこそこ負け数が多い横綱である。常陸山、太刀山はほとんど負けない横綱で、おそらく彼らの相撲を見ていた人は双葉山以上に圧倒的な強さを目の当たりにしていただろう。

要するに最強横綱、最弱横綱を論じる場合、知らないという理由で自分たちの知っている横綱の範囲で議論するのは不十分であり、きちんと調査すれば双葉山、大鵬より強い横綱はいるし、双羽黒、大乃国より弱い横綱はいるのである。

参考
[1]大錦大五郎の紹介

木村、タイトル戦初勝利!-第80期棋聖戦第2局

2009-06-20 00:32:10 | 囲碁・将棋
第80期棋聖戦第2局は木村一基が勝ってタイトル戦初勝利をあげた。竜王、王座とこれまで挑戦してきたタイトル戦はすべてストレート負けだったが、ようやくタイトル戦で1勝をあげた。第1局に負けたときは「またストレート負けか?」と思ってしまったが、不名誉記録もここでストップである。木村はタイトル戦で勝利したが、まだ1勝にすぎない。タイトル奪取しなければ今日の勝利も無意味だと覚悟して、今後も戦わなければならない。

不知火型土俵入りが好き

2009-06-18 00:38:25 | スポーツ・芸能・文芸
横綱土俵入りには雲竜型と不知火型の2通りがあるが、私は不知火型土俵入りの方が好きである。不知火型の方が華麗で迫力があるからだ。

雲竜型と不知火型の大きな違いは横綱の結び方と最初のせり上がり方だ。

①横綱の結び方

雲竜型  輪が一つできるように結ぶ
不知火型 輪が二つできるように結ぶ

②最初のせり上がり方
雲竜型  最初の四股を踏んだときに右手を広げ、左手を腰あたりにそえてせり上がる
不知火型 最初の四股を踏んだときに両手を広げてせり上がる

不知火型の横綱の結び方やせり上がり方は鳳凰のようで華麗で迫力がある。私は横綱の結び方はそれほど気に入っていないが、両手を広げてせり上がるのはとても気に入っている。

不知火型土俵入りは第11代横綱・不知火光右衛門の土俵入りで、第22代横綱・太刀山が完成者といわれる。雲竜型は第10代横綱・雲竜の土俵入りとされるが、実際は逆で現在雲竜型と呼ばれる型が第11代横綱・不知火光右衛門の行った土俵入りであり、現在不知火型と呼ばれる型が第10代横綱・雲竜の行った土俵入りであるとされる。

現在の不知火型土俵入りの完成者である第22代横綱・太刀山が「私の行った横綱土俵入りは第10代横綱・雲竜の型である。」といったにも関わらず報道側が間違って報道し、横綱土俵入りの考案者が逆になったまま定着してしまったらしい。

紛らわしいので、これ以降は現在の呼称に従って2つの土俵入り型を記述する。

太刀山が不知火型完成者というのは、太刀山が行った土俵入り以降土俵入りの形が完全に定まり、同じ土俵入り型が後の世代に受け継がれていったということである。おそらく太刀山以前の横綱土俵入りは雲竜型、不知火型という区別はあっても定まった形ではなかったのだろう。

有名な事実であるが、これまで不知火型土俵入りを選択した横綱は短命であるものが多く、それが嫌われ雲竜型を選ぶ横綱の方が圧倒的に多い。不知火型の完成者である太刀山以降で不知火型を選択した横綱は

第22代横綱 太刀山 横綱在位期間 1910年6月 - 1917年1月 優勝11回 [1]
第36代横綱 羽黒山 横綱在位期間 1942年1月 - 1953年9月 優勝 7回
第43代横綱 吉葉山 横綱在位期間 1954年3月 - 1958年1月 優勝 1回
第51代横綱 玉の海 横綱在位期間 1970年3月 - 1971年9月 優勝 6回 [2]
第53代横綱 琴櫻  横綱在位期間 1973年3月 - 1974年5月 優勝 5回
第59代横綱 隆の里 横綱在位期間 1983年7月 - 1986年1月 優勝 4回
第60代横綱 双羽黒 横綱在位期間 1986年9月 - 1987年11月 優勝 0回 [3]
第63代横綱 旭富士 横綱在位期間 1990年9月 - 1992年1月 優勝 4回
第66代横綱 若乃花(3代) 横綱在位期間 1998年7月 - 2000年3月 優勝 5回 [4]
第69代横綱 白鵬  横綱在位期間 2007年7月 ~ [5]

である。全部で10人。現在まで横綱が69人出たことを考えると非常に少ないといえよう。しかも、端的にいって活躍したといえる不知火型横綱は太刀山、羽黒山、白鵬くらいで、他は短命のジンクスどおり横綱在位期間が短かったり、病気による現役死という不幸があった。それだけにとどまらず、横綱皆勤負け越し、暴力事件による前代未聞の廃業といった不名誉な記録を作った横綱が多い。

もっとも、それらの不名誉記録や不幸と不知火型土俵入りとは全く関係ない。すべてたまたまである。不知火型だから短命・不吉というのは占いの結果が悪かったから試合に負けるといっているようなもので、全くナンセンスである。

不知火型が短命なのは横綱昇進年齢が高い力士が不知火型継承のためにあえて不知火型を選んでいるためという要因もあるだろう。琴桜(32才)、隆の里(31才)、旭富士(30才)の横綱昇進年齢は括弧内のとおりだが、皆30歳を越えて横綱となった遅咲き横綱である。雲竜型横綱でも三重ノ海(現日本相撲協会理事長・武蔵川親方)のように31歳で横綱昇進したため、横綱在位期間が8場所(1979年9月 - 1980年11月)と短かった横綱もいる。

優勝経験にしろ、若島、大木戸、大錦大五郎といった雲竜型横綱もまた生涯で1度も優勝経験がない[3]。もっとも、個人優勝制度が始まったのは1909年からだから、若島、大木戸は優勝相当成績がなかったということである。大錦大五郎は東京相撲では優勝経験はないが、大阪相撲では優勝相当成績を6回取っている[3]。

現役死にしろ、雲竜型横綱である第33代横綱・玉錦も現役死している。横綱皆勤負け越しにしろ、15日制では第62代横綱・大乃国が達成しているし、15日制以前も、鳳、宮城山、男女ノ川、安藝ノ海といった横綱が横綱皆勤負け越しの不名誉記録を達成している。これらはすべて雲竜型横綱である。

雲竜型も十分短命・不吉といったジンクスの要素を持っていると思う。しかし、雲竜型だから短命・不吉、不知火型だから短命・不吉といった話は先にも述べたとおり何の因果関係もないためナンセンスである。

今後もナンセンスなジンクスに負けず不知火型を選択する横綱が次々現れてほしいと思う。

参考
[1]太刀山の優勝回数の内訳は優勝9回、幕内最高成績(優勝相当)2回
[2]玉の海は現役死
[3]双羽黒は親方との間のトラブル(暴力事件)で前代未聞の廃業。優勝・(東京相撲の)優勝相当経験のない横綱は若島、大木戸、大錦大五郎、双羽黒のみ。優勝制度ができて以来優勝経験がないのは大錦大五郎、双羽黒だけ。しかし、大錦大五郎は大阪相撲で優勝相当成績は6回であるため、優勝制度が始まった1909年以降で真に優勝経験がない横綱は双羽黒のみ。
[4]若乃花(3代)は15日制定着以来、大乃国に続く横綱皆勤負け越しの不名誉記録を作った
[5]白鵬は現役。白鵬の横綱昇進年齢22才4ヶ月は北の湖、大鵬に続く史上3位の年少記録。