世界変動展望

私の日々思うことを書いたブログです。

アザミの効用とは?-赤毛のアン、第37章

2009-05-31 00:00:19 | スポーツ・芸能・文芸

赤毛のアン(原名 Anne of Green Gables)の第37章に次の文がある。

アン「髪の毛も今じゃみんな金褐色だっていってくれるわ。もっともジョーシー・パイは別だけど。」

マリラ「ん?」

アン「お葬式の日にね、ジョーシーったら私の髪が前よりもっと赤くなったみたいだっていうの。少なくとも喪服を着ると赤さが目立つんですって。

マリラ、ジョーシーを好きになろうとすることなんかもうやめようと思うの。これまで、そのために涙ぐましいほどの努力をしてきたつもりだけど、どうしてもジョーシーを好きにはなれないわ。」

マリラ「ジョーシーはパイ家の一人だからね。気に障るようなことばかり言うはめになるのさ。

あの手の人間でも社会に役立つことがまるっきりないとは思わないけど、せいぜいアザミの効用といったところだろうね。

「アザミの効用」とはいったいなんだろう?アザミとは参考[1]のような紫色のトゲのある花である。アザミは花だから、一般的な効用は飾るなどして楽しむことだろう。昆虫にとっては蜜を集める対象でもある。

しかし、この場合の「アザミの効用」とはそのようなものではない。アザミは昔スコットランドに偵察に来た敵兵がアザミのトゲを踏んで悲鳴を上げて捕まったことから戦に勝ち、以来スコットランド救国の花とされている。そのためスコットランドではアザミが国花となった。

アザミは周りが味方ばかりでなく敵もいることを知らせる役目を果したわけだ。赤毛のアンの第37章で出てくる「アザミの効用」とはその意味の効用であり、マリラは「ジョーシー・パイやパイ家の人たちは、周りの人たちに世の中には味方ばかりでなく敵もいるんだということを知らせるくらいの役目は果すだろう。」といっているわけだ。

こんなのスコットランドでのアザミの意味を知らなければわからない。

赤毛のアンを読んだことのない人のために少し解説をすると、アンは自分の赤い髪をとても気にしている。11歳の時にギルバートがアンの赤い髪を「にんじん」といってからかい、彼女の逆鱗にふれ石盤で頭を叩かれたほどだ。そのアンに対して「髪の毛が以前より赤くなった。」というのは、アンを怒らせる発言である。

アンが「ジョーシーを好きになるために、これまで涙ぐましいほどの努力をしてきた。」と言うくらい、アンはジョーシーのことが嫌いである。嫌いな人を無理に好きになろうとするのは涙ぐましいほどの苦痛なんだろう。

嫌いな人をそこまでして好きになろうと長年努力してきたなら、なぜギルバード・ブライスを5年も許さず無視し続けたんだろう。アンはそういう努力をギルバートにこそ向けるべきであった。

参考
[1]アザミの写真


史上最強力士は誰?

2009-05-30 00:28:25 | スポーツ・芸能・文芸
史上最強力士は誰か。相撲ファンではしばしば出る話題である。しかし、時代が違う力士同士の相撲内容や実績を比較して最強力士を決めることはできない。例えば、現代と江戸時代では相撲の様子がかなり違う可能性がある。例えば、現代の大横綱と呼ばれる大鵬が江戸時代の雷電爲右エ門より弱いとは断定できない。

それに取り組みには相性というものがある。優勝回数や連勝などの実績が相手より下回っていたとしても相手に高率で勝利することはある。

だから、史上最強力士が誰か断定することはほとんど不可能である。しかし、時代ごとに最強力士と呼ばれる人がいるので、その人を紹介する。

江戸時代
第4代横綱 谷風梶之助
無類力士・大関 雷電爲右エ門

明治時代
第22代横綱 太刀山峯右エ門

昭和時代
第35代横綱 双葉山定次
第48代横綱 大鵬幸喜
第55代横綱 北の湖敏満
第58代横綱 千代の富士貢

平成時代
第66代横綱 貴乃花光司
第68代横綱 朝青龍明徳
(将来的にはおそらく)
第69代横綱 白鵬翔

白鵬は除くとしても、上記の人はいずれもその時代で最強とされる力士だろう。雷電と白鵬以外は皆大横綱と呼ばれている。

記録を純粋に信じて、最も実績の高い力士を判断すると私は

第4代横綱 谷風梶之助 通算勝率 94.9%
無類力士・大関 雷電爲右エ門 通算勝率 96.2%
第22代横綱 太刀山峯右エ門  幕内勝率 87.8% 横綱勝率 96.6%

の3人が他の力士より実績が高く圧倒的な強さを誇っていたと思う。この3人と他の力士の決定的な違いは勝率の高さである。勝率が際立って高いので圧倒的な強さを感じさせる。太刀山は谷風、雷電に比べれば幕内勝率が低いといえるが、横綱になってからの勝率は彼らに比肩する。太刀山は大関になってから休場を除いて13場所横綱・大関として出場したが、負けたのはたったの5回のみである。

つまり、横綱・大関での出場場所(休場除く) 13場所 107勝5敗5分3預である。
横綱・大関で太刀山は圧倒的強さだったといえよう。

相撲の神様などと言われ、横綱としての理想像とされることがある双葉山ですら、
幕内成績 276勝68敗1分33休 勝率 80.2%
横綱成績 17場所(休場含む) 180勝24敗22休   勝率 88.2%

最多優勝回数の大鵬ですら、
幕内成績 746勝144敗136休 勝率 83.8%
横綱成績 58場所(休場含む) 622勝103敗136休 勝率 85.8% 

大鵬は谷風、雷電、太刀山、双葉山と違って年2場所制ではなく6場所制であることに注意してほしい。

昭和以降の大横綱はそこそこ負けるが、谷風、雷電、太刀山、特に谷風、雷電の勝率は非常に高く圧倒的な強さを誇っていたのがわかる。谷風、雷電は生涯、太刀山は横綱、大関在位中ほとんど無敵の強さを誇っていたといえる。

谷風梶之助の通算成績
49場所 258勝14敗16分16預5無勝負112休 勝率 94.9% 優勝相当21回 63連勝
現役期間 約25年(1769年4月~1794年11月)、当時 年2場所制

雷電爲右エ門の通算成績
35場所 254勝10敗2分14預5無勝負41休 勝率 96.2% 優勝相当 28回 44連勝
現役期間 約21年(1790年11月~1811年2月)、当時 年2場所制

谷風、雷電ともに20年以上の力士人生で10~15回くらいしか負けていない。端的に言って、驚異的である。

記録を純粋に信じて、一番高い実績の力士を論じた場合は、おそらく谷風と雷電が1,2位だろう。私の感では最強力士はやはり雷電だと思う。その理由は抜群の優勝相当成績回数のためだ。雷電は優勝率(=優勝回数/幕内在位数)が80%で、他の大横綱たちに比しても、飛び抜けて高い。2位の大鵬ですら、優勝率は46.4%なのだ。雷電以外のどんな力士も優勝率は50%に届いていない。年2場所制では優勝20回以上を達成するのはほぼ不可能なのに、雷電は30回近い優勝相当成績を達成したのだから、非現実的な優勝相当回数といえる。

さしもの谷風も優勝回数では雷電に及ばない。しかし、勝率では雷電と谷風はほぼ同じ程度の実績で、甲乙付けがたい。勝率も1.3%しか違わないし、負け数も4しか違わない。谷風の方が4年長く相撲を続けていることを考えると、それくらいの差で優劣はないと思う。

連勝記録ではさすがの雷電も谷風に及ばない。雷電は44連勝だが、谷風は63連勝だ。さらに、江戸、京都、大阪本場所を含めた谷風の98連勝は2位(双葉山の69連勝)の記録を大きく突き放している。それに、優勝20回以上、50連勝以上、通算勝率9割以上を達成したのは大相撲の長い歴史の中で谷風だ。さらに、谷風は雷電よりも品格がよく、横綱の模範とされている。寛政の相撲黄金時代をもたらしたのは谷風の影響が一番大きいし、現在の相撲界の発展への貢献という点でも谷風の方が雷電よりも大きい。それは強さと関係ないとしても。

谷風には小野川というライバルがいて、雷電には誰もライバルがいなかったため、優勝回数の達成の難度という点では雷電の方が谷風よりも有利という気はするけれど、それでも優勝回数や優勝率の違いの点で、雷電の方が谷風よりも実績が高いといえる。なぜなら、やはり最大の実績は優勝回数だから。

しかし、この実績はあまりにも高すぎるので本当かと疑ってしまう。雷電の優勝相当成績は現在の年6場所制に直せたら、非現実的に高い優勝回数になるだろう[1]。年2場所制で優勝相当28回なんて、あまりにも非現実的すぎて「そんなの嘘じゃない?」と思うのが普通だ[1]。記録としては世の中で真正なものとして通用しているので、一応それに従っているが。

太刀山の時代は明治時代で相撲も多くの人に公開されているから、嘘があれば誰かに指摘されて間違いと判明していようが、江戸時代の相撲記録はどれほど記録が正確なのだろう。だからこそ、実績評価の冒頭で「記録を純粋に信じて、最も実績の高い力士を判断すると」と断った。

明治末期~大正初期の横綱・常陸山のように幕内通算勝率90.9%という人もいるから、案外江戸時代では勝率90%以上ということもあり得るのかもしれない。現代では江戸・明治・大正時代の谷風、雷電、梅ヶ谷(初代)、常陸山といった人たちの勝率を出すのはほとんど期待できないが、当時は90%以上の通算勝率は現実的だったのかもしれない。

いずれにせよ、最強力士の候補として昭和・平成の大横綱の他に谷風、雷電、太刀山といった江戸・明治の大横綱・大関が入るのは間違いない。

参考
[1]本文でも述べたように、年2場所制で優勝20回以上を達成するのはほとんど不可能である。雷電以外のどんな力士も優勝率50%に届いていない。仮に、15歳から38歳まで力士を勤めるとして、幕内を勤められるのは前相撲~十両を各1場所で通過しても、42場所程度である。42場所のうち、半分を優勝しても21回だから、優勝20回以上はかなり難しい。ほとんど不可能といってよい。

しかし、雷電は優勝相当28回、優勝率80%なので、非現実的に高いといえる。雷電の優勝回数を年6場所制に直せたらどのくらいなのかはわからない。場所数が3倍になったからといって、雷電がそれに応じて優勝を3倍していたかはわからない。だから、単純に28×3 = 84回優勝相当とはいえない。

故に、参考にならない可能性が高いが、以下のような検討をしてみる。

現在は幕内を勤められてもせいぜい120場所(20年)くらいだろう。現にそこまで長く幕内を勤めた力士はいない。そのうちの半分を優勝したとしたら、優勝回数は60回になる。歴代1位の優勝回数である大鵬ですら、32回だから、これだけでもかなり非現実的だ。

雷電の場合は、幕内を35場所(約20年)勤めて、優勝相当28回、優勝率80%だから、年6場所制でも優勝60回以上の価値はあると思う。雷電は優勝率80%だから、120場所勤めて優勝率80%なら、優勝回数96回になってしうが、先にも述べたとおり、場所数が増えたからといって、それに応じて優勝回数が増えるとは限らない。

しかし、雷電の場合は現実に達成した優勝率から30%も落として計算したののだから、少なくとも60回以上の優勝に相当する実績があると推測できる。

以上は、確実な根拠に乏しい推測なので、正しい計算ではないとしても、雷電の優勝相当回数が年6場所制の優勝回数に直せたとしても、非現実的に高い優勝回数になるのは間違いないだろう。

旅立ちの日に

2009-05-29 00:08:49 | 合唱・音楽
『旅立ちの日に』(作詞・小嶋登、作曲・坂本浩美(現・高橋浩美)、編曲・松井孝夫)は1991年に埼玉県秩父市立影森中学校の教員によって作れた。

卒業式で歌われることがある曲で、序奏、中奏(1番と2番の間のピアノ演奏)、終奏のピアノ演奏がとてもきれいで気に入っている。

前にCMのBGMで流れているのを聞いたことがある。そこそこに知名度はある曲だと思う。中学校の教員によって作られた曲としては「マイバラード[1]」があるが、この曲もマイバラードと同じく生徒とよく接する教員が作ったと感じさせる歌詞となっている。

そこそこよい曲だと思う。

参考
[1]世界変動展望 著者:"マイバラード"  世界変動展望  2009.2.14

近年の横綱の活躍と横綱昇進基準について

2009-05-26 00:13:12 | スポーツ・芸能・文芸
近年の横綱は強い人が多い。第64代横綱・曙以降で10回以上優勝していないのは第66代横綱・若乃花(三代)だけだ。今までの記録を見ても、10回以上優勝した横綱は少ない。

1909年に個人優勝表彰制度[参考1]が始まってから10回以上優勝した横綱は

1位 第48代横綱 大鵬   32回
2位 第58代横綱 千代の富士 31回
3位 第55代横綱 北の湖   24回
4位 第68代横綱 朝青龍   23回
5位 第65代横綱 貴乃花   22回
6位 第54代横綱 輪島    14回
7位 第35代横綱 双葉山   12回 ※年2場所制
7位 第67代横綱 武蔵丸   12回
9位 第64代横綱 曙     11回
10位 第31代横綱 常ノ花   10回 ※年2場所制
10位 第44代横綱 栃錦    10回
10位 第45代横綱 若乃花(初代)10回
10位 第52代横綱 北の富士  10回
10位 第69代横綱 白鵬    10回

である。1909年以降に初めて横綱に昇進した第22代横綱・太刀山から数えて、47人の横綱が存在するが、優勝10回以上の横綱は14人で10位以内に入る。

1958年より前は年6場所制ではないから、年2場所制等の年間の場所数が少ない横綱と1958年以降に誕生した横綱の優勝回数を単純比較するのは公平でない。少なくとも年間場所数が6場所より少なかった時代の横綱の実績は同じ優勝回数の横綱より上だろう。

年6場所制が始まった1958年以降に初めて横綱に昇進した第45代横綱・若乃花(初代)から数えて横綱は25人いるが、それでも優勝回数10回以上の横綱は上位10位以内である。つまり、10回以上優勝した横綱は相対的評価の観点で、強い横綱だといえる。

一方で、近年誕生した第63代横綱・旭富士以降の横綱はすべて2場所連続優勝での横綱昇進だった。

第63代横綱 旭富士     優勝4回
第64代横綱 曙       優勝11回
第65代横綱 貴乃花     優勝22回
第66代横綱 若乃花(三代目) 優勝5回
第67代横綱 武蔵丸     優勝12回
第68代横綱 朝青龍     優勝23回 ※現役
第69代横綱 白鵬      優勝10回 ※現役

旭富士は横綱昇進時30歳だったので、それほど活躍は期待できなかった。横綱昇進後の優勝も1回だけだった。

旭富士以降の横綱で、ある程度長く横綱在位が期待できたのに活躍しなかったのは今のところ若乃花(三代目)だけで、それ以外の横綱は皆優勝回数10回以上である。

1958年の年6場所制開始以降10回以上優勝した横綱12人のうち5人が1993年3月以降に誕生した第64代横綱・曙以降なのだから、近年の横綱はほとんどの人がよく活躍し、強い横綱だといえよう。

それだけ2場所連続優勝という横綱昇進基準は厳しいものということだろう。その基準をクリアーして活躍できなかった横綱は旭富士のように高齢での横綱昇進を除けば少ないだろう。

若乃花(三代目)のように横綱昇進後一度も優勝できず、横綱皆勤負け越しの不名誉記録を作ってしまった事例などから、「2場所連続優勝」という優勝面にだけ拘った横綱昇進基準は見直し、相撲内容もあわせて横綱昇進を考えるべきだという意見はあるが、実際2場所連続優勝で昇進したほとんどの横綱がきちんと活躍した実績を考えると「2場所連続優勝」という基準は厳しい基準という感こそするが、決して甘い基準ではない。

そもそもどんなに厳しい横綱昇進基準だったとしても、その基準をクリアーした横綱が一人の例外もなく活躍するといった考えの方が空想的である。どんな基準にしろ神様でない人間が横綱になるのだから、横綱としてふさわしい活躍を残せない横綱が誕生する可能性を排除できないのは仕方ないことである。

だから、私は少なくとも2場所連続優勝という横綱昇進基準は厳しい基準だと思うし、これをクリアーした大関力士を横綱に昇進させるのは非常に妥当な考えだと思う。

参考
[1]1909年6月場所から毎日新聞社が幕内最高成績力士に優勝額を贈呈したのが個人優勝制の始まりとされ、一般に力士の優勝回数は1909年6月場所以降からカウントする。その後、1926年1月場所から正式に個人優勝表彰制が始まった。

1909年6月場所より前は個人優勝表彰制はなかったが、事後的にできた個人優勝表彰制度の基準を適用し、幕内最高成績者の優勝相当回数を数えることは可能である。例えば第4代横綱・谷風の優勝相当回数は21回である。

第22代横綱・太刀山峯右エ門のように個人優勝表彰制度がなかった時代と個人優勝表彰制度ができた時代の両方で幕内最高成績を収めた横綱の優勝回数は、優勝と優勝相当に分けて数える。例えば太刀山の場合は、優勝9回、優勝相当2回である。

たまに、両者を合わせて優勝11回とする文献があるが、正確に言えば上記のようになる。

実質的な初代横綱、谷風梶之助

2009-05-23 00:05:19 | スポーツ・芸能・文芸
現在通用している歴代横綱の記録によると、初代横綱は明石志賀之助である。現在の横綱代数は1900年(明治33年)に第12代横綱・陣幕久五郎らが富岡八幡宮に建てた横綱力士碑に刻まれている歴代横綱の記録によっている。つまり、富岡八幡宮の横綱力士碑に初代横綱として明石志賀之助と刻まれているため明石が初代ということになっている。これは日本相撲協会の公認であり、公認の初代横綱や横綱代数は横綱力士碑に従って数えられている。

しかし、調査によれば明石志賀之助を含めた初代から3代までの横綱は横綱の実体がない伝記上の空想的横綱とされているのが通説である。2代横綱・綾川五郎次、3代横綱・丸山権太左衛門は実在した人物らしいが、初代の明石は実在したかどうかもわからない人物である。

2代横綱・綾川、3代横綱・丸山というのは寛政元年(1789年)に吉田司家が谷風・小野川に横綱免許を与えるとき、会所から伊勢ノ海が幕府に出した書類の中に、「その儀は先年、丸山権太左衛門、綾川五郎次などと申す者ども、右横綱伝授申請候儀にご座候…」という文章があったからである。

これは先例がないと横綱制度を幕府に認めてもらえないため、吉田司家が故実門人の中である程度有名な綾川と丸山を引き合いに出して「先に丸山と綾川が横綱を付けて土俵入りすることを認めた例がある」とでっち上げただけである。

2代横綱・綾川、3代横綱・丸山と綾川の方が先の代数となったのもよくわからない。上記の文献で丸山の方が綾川より先に名前があがっているので、横綱代数は丸山の方が綾川より先だといっている人もいるらしい。つまり、第2代横綱・丸山、第3代横綱・綾川とする説もある。

丸山は横綱制度があれば当然横綱になっていただろうという考えもある。しかし、丸山が日下開山にふさわしい強豪大関だったとしても当時横綱制度がなかった以上、横綱としての実体はなかったに違いない。

明石、綾川、丸山は残念ながら実体のある横綱ではない。

では、きちんと裏づけのある確かな実体のある初代横綱は誰か。それは現在の通説では、第4代横綱・谷風梶之助(2代)である。横綱に昇進したのは小野川喜三郎と同時なので小野川とあわせて実質的な初代横綱とする考えもあるが、同時昇進の場合の横綱代数は引退が早い方の力士に与えられる決まりのため、横綱代数では谷風梶之助が実質的な初代横綱である。

谷風と小野川は同時昇進なので2人とも最初の横綱だが、横綱代数という形式面では初代横綱・谷風、2代横綱・小野川である。

谷風梶之助(2代)は1750年9月8日生まれ、1795年2月27日没。陸奥国(現在の仙台市若林区)出身で、優勝相当成績21回、江戸本場所63連勝、江戸・京都・大阪本場所98連勝、江戸本場所における通算成績は49場所258勝14敗16分16預5無勝負112休、勝率9割4分9厘という天下無双の大横綱である。

谷風は大相撲史上随一の大横綱であり、寛政の大相撲黄金時代の主人公である。谷風の連勝記録は江戸本場所のみの63連勝を指すことが多いが、これは第35代横綱・双葉山が69連勝するまで約150年間更新されなかった記録である。京都や大阪本場所を含めた98連勝はいまだに破られていない。しかも、谷風は連勝を止められた直後から再び43連勝を記録した。

もっとも、江戸時代の相撲の記録がどれほど正しいのか疑問がある。例えば勝率9割4分9厘というのはあまりにも高すぎるだろう。戦後の最強横綱にあげられる大鵬ですら、通算勝率8割2分3厘である。

しかし、谷風が大相撲史上随一の大横綱であることは多くの人が認めている。大相撲の歴史で最強の力士は誰かと議論する場合、双葉山、大鵬、北の湖、千代の富士といった戦後の大横綱をあげることが多いが、江戸時代の力士まで含んだ場合は谷風や無類力士・雷電爲右エ門(最高位・大関)が最強力士に挙がることが多い。おそらく寛政年間では谷風と雷電が最強の力士であったろう。

谷風の経歴は
1769年(明和6年)4月場所:看板大関として初土俵 [用語1]
1770年(明和7年)11月場所:看板大関をよしとせず前頭筆頭から再スタート
1781年(安永10年)3月場所:正式に大関昇進
1778年(安永7年)3月場所初日~1782年(天明2年)2月場所7日目:江戸本場所63連勝、江戸・京都・大阪本場所98連勝を達成
1789年(寛政元年)11月:小野川とともに吉田司家吉田追風から横綱を免許される。これが実質的な横綱発祥とされるのが定説
1791年6月11日:上覧相撲を行い、11代将軍・徳川家斉が観戦する
1795年2月27日:35連勝中に病没

谷風は実質的な初代横綱にふさわしい実績を持つ天下無双の大横綱である。このような人物が実質的な初代横綱だと横綱に大きな威厳が感じられる。

用語
[1]看板大関:江戸時代に相撲の大関不在時の穴埋めとして、大きくて見栄えがするというだけの理由で番付に大関として記載した力士

中堅の意味について

2009-05-21 00:13:38 | Weblog
現在使われている中堅という言葉の意味は本来の意味から離れているように思う。中堅の意味は

①精鋭を集めた大将直属の軍隊
②職場・学校・社会などの集団の中核になって活躍する人や団体
③野球の中堅手の略。センター。

である。①が本来的意味で、②は①の意味から転じた意味だ。①の軍隊は全軍の中心となって活躍するのだから、②の意味に転じた理由はわかる。③は野球から独自に発生した意味だ。

しかし、最近は中堅の意味を

④地位や状態が上位ではないが下位でもない中間的な位置にあること

といった意味で使っているように思う。例えば、中堅会社、中堅大学といった場合の中堅はこの意味で使われている。

広辞苑を初めとしたいくつかの辞書は①②③の意味しか載せていないが、大辞林は

⑤ある集団の中心となって活動する人。また、地位や規模などはそれほど上位ではないが、中心となって働いたり、確実な業績を上げたりしている人や団体。

と載せている。

大辞林の意味は現在使われている中堅の意味に近い表現といえる。しかし、④や⑤後段の意味は本来的な意味から離れた意味だと思う。上でも述べたとおり、本来の中堅は①の意味であり、中心となって活躍することが意味の本質だ。

しかし、④、⑤後段の意味は「中心となって活躍する」ということを表しているのではなく、地位・状態・実力などが上位ほどではないが下位でもない中間的であるということを表している。なぜなら、多くの場合中心となって活躍するのは上位の人や団体だからだ。

本来の中堅は例えば「彼は野球部でエースで四番でキャプテンを務める主力選手で、チームの中堅として活躍している。」といったように使うのが正しいと思う。(無論この場合の中堅は②の意味であり、③のセンターという意味ではない。)

現在の中堅の使われ方は誤用の感があり、誤用が定着して④、⑤後段の意味になったのではないかと思っている。「中堅」の「中」の字を誤って「中間」という意味だと思ってしまって「中堅=地位や状態が中間」と誤用したのが定着したのではないか。

言葉は生き物だから誤用が定着しても通俗的となれば誤用の意味を正しいと認めてもよいと思う人もいるだろうが、私はきちんと正しい意味で言葉を使いたい。

「ナオとカンナのおしえて♪13路(サーティーン)」 と新しい普及活動

2009-05-20 00:28:26 | 囲碁・将棋

2009年1月4日からスカパーの囲碁・将棋チャンネルで放送している「ナオとカンナのおしえて♪13路(サーティーン)」 は囲碁の女性棋士・万波奈穂(23)が講師、将棋の女流棋士・鈴木環那(21)が生徒を務める初級者向け囲碁講座である。

この番組は通常の囲碁講座と違いマニアックな演出がなされている。番組のオープニングは万波奈穂と鈴木環那の歌と踊りで始まる。番組中は万波奈穂が講師、鈴木環那が生徒のコスプレをして講座を行う。挨拶を終えて講座に入るときに「ナオとカンナのおしえて♪13路(サーティーン)」といって万波と鈴木が参考[1]の一番上の写真のポーズをとる。エンディングも参考[1]の一番下の写真の決めポーズが表示される。

日本棋院による番組紹介を見ると、万波奈穂は囲碁界のアイドル、鈴木環那は将棋界のアイドルと紹介されている。確かに2人は囲碁界、将棋界で人気だと思うが、アイドルなのか?少なくとも、番組中の2人はまるで10代のアイドルのようなことをやっている。最近の女流棋士はタレント的だ。

囲碁講座はあまり見たことがないが、将棋・囲碁を通じてこのようなタイプの講座は初の試みだと思う。囲碁も将棋も人口が減っているだろうから、このような新しい普及活動にチャレンジするのもいいかもしれない。

この文章で言いたいのは、最近の女流棋士がタレント的でよくないと批判することではなく、このような新しい試みをする背景と将棋連盟・日本棋院の戦略に対する私の意見だ。先にも述べたが、今の囲碁界・将棋界はファンが減り、競技人口も減っていると思う。

そのため、新しい囲碁・将棋ファン、競技者獲得のための普及は重要である。今までと同じことをや目立たないことをやっていたのではなかなか成功しないのかもしれない。NHK将棋の時間、囲碁の時間のNHK杯選手権・講座を見ればわかるが、かなり地味な演出である。将棋のNHK杯のオープニングは何の楽器を使っているかわからないが、おそらく日本古来の笛と太鼓を使った古来の日本的音楽でスタートする。これはあまり若者には受けないだろう。

「ナオとカンナのおしえて♪13路(サーティーン)」のようなマニアックな講座は新しい試みなだけにいろいろ批判を招くこともあるだろうし、成功しないかもしれない。しかし、今までの地味で古い感じの講座演出とは違ったものなので、新しいファンを獲得する可能性はあるだろう。

原因を知らないことではあるが、若手女流棋士の浴衣アルバムを載せた将棋世界2007年10月号が現在販売されていないことを考えると、「ナオとカンナのおしえて♪13路(サーティーン)」は人気を得て成功するかもしれない[2]。

私の憶測だが、将棋世界2007年10月号が現在販売されていないのは若手女流棋士の浴衣アルバムが将棋ファンに好評で売り切れたからだと思う。つまり、一部の将棋ファンは美しい、又は愛らしい若手女流棋士の容貌や装飾を見たいという要望があるのではないか。囲碁ファンもその点は同じだろうから、万波・鈴木の番組が同様の理由で成功する可能性はある。

若い女性の浴衣やコスプレを見て喜ぶというのは、ある側面ではマニア的で敬遠されうるが、コスプレはともかく若い女性の浴衣姿を見てよい気分になる男性は少なくないだろう。そうした人たちが上述の普及活動で新しい将棋・囲碁ファンになる可能性はある。

もし、今後世間のニーズが上述のような若い女性の容貌、装飾などの外見的よさや歌、踊り、コスプレ、決めポーズといった若手アイドルのような方向にばかり向いていったとしたら、今後の将棋の女流棋士、女性の囲碁棋士はモーニング娘や1980年代後半のアイドルグループおにゃんこクラブのような活動をするかもしれない。

そこまで進むというのは現段階では根拠がなく現実性が乏しい空想的な将来といえるが、普及のためには多少アイドルやタレントのような活動をするのも必要かもしれない。

現在そんなタレント的な普及活動を務めている万波奈穂と鈴木環那はどういう気持ちで仕事を務めているのだろう。別に何の不満も感じていないなら問題ない。もし、タレント的普及活動や妙なコスプレなどさせられるのが不満なのに経済的立場や社会的立場の弱さから断れなくて仕方なく引き受けているのだとしたら、かわいそうだと思う。

万波奈穂と鈴木環那の番組は高い普及効果が表れてほしいと思う。

参考
[1]日本棋院による「ナオとカンナのおしえて♪13路(サーティーン)」の紹介.
[2]世界変動展望 著者:"女流棋士で誰が一番美人でかわいいかという話題について" 世界変動展望 2009.5.18


中島千波の作品

2009-05-19 01:12:33 | 絵画
中島千波は花を描く有名な日本画家である。中島千波の描く花は派手ではないが、素朴な花の美しさがよいと感じる。以前見た作品の中に緑色の背景で描かれる花や葉があったが、その色彩表現がとてもよいと思った。

中島千波が描く花の絵は日本画のよさがあふれた作品である。

参考
[1]中島千波の

2009-05-18 02:22:29 | 合唱・音楽
「虹」(作詞・作曲・森山直太朗・御徒町凧、編曲・信長貴富)は2006年NHK全国音楽コンクール中学校の部の課題曲となった作品である。

ある程度の知名度を獲得したためか、それともよい曲だと評価されたためか、どちらかはわからないが、Nコン後もよく合唱コンクールで歌われる。

私もある程度よい曲だと思う。この曲のよさはなんと表現したらよいかよくわからない。サビの部分が華やかなわけではないし、なんだか雨が降った日のように暗くさびしい感じもする。

だが、どことなくよい感じがする。雨が上がった後、雲の隙間からわずかに光が差し込めて光りのカーテンを作っている時があるが、ちょうどそれを見たときの気分と似ている。

よくわからない説明になってしまったが、私としてはよい曲だと思う。