6月に刑事訴訟法が改正され、殺人事件などの遺族が刑事事件で被告に尋問・求刑できる制度になった。改正の背景には、ある犯罪被害者の会の会員である光市母子殺害事件の本村氏や会長である弁護士が筆頭になって厳罰化などを求めて運動したことがある。しかし、別な犯罪被害者の会の主張の方が重要であると思う。
「被害者と加害者が向き合うことで憎しみ以外の感情がうまれる」ことを主張して活動を続ける人たちがいる。この被害者の会のある人は、親族を殺され当初は「極刑以外望まない」と主張していたようだ。しかし、加害者から謝罪の手紙が何度もよせられ、だんだんと心が変わってきた。10年後初めて加害者と向き合い泣きながら「これでようやく安心して死ねます。」と遺族に述べたとき、「そんなことをいうなよ。」と声が出てしまったという。
きっと加害者も真剣に反省していたのだろう。それがきちんと相手に伝わったのではないだろうか。遺族はこうした体験をもとに、「被害者と加害者が向き合うことで憎しみ以外の感情がうまれる」ということを呼びかけ、新しい刑事制度を考えている。
私は極刑、厳罰化といった制度を考えていくよりも、こうした制度を考えていく方が重要だと思う。極刑で望むよりも加害者がきちんと反省し、それによって被害者が感情を回復するのなら、そちらの方がいいのではないか。勿論、罪を許されるのは簡単なことではない。大変苦しいことだ。加害者は長い時間と真剣な謝罪・反省が必要だ。一方で、被害者の側も加害者が反省をしているならば、それをきちんと見たほうがよいのではないだろうか。被害者側がいつまでも向き合おうとしなければ、解決しない。一方だけが真剣に何かを行っていても効果がないからだ。加害者と被害者の”両者”が向き合わないと真の解決にはいたらない。
「被害者と加害者が向き合うことで憎しみ以外の感情がうまれる」ことを主張して活動を続ける人たちがいる。この被害者の会のある人は、親族を殺され当初は「極刑以外望まない」と主張していたようだ。しかし、加害者から謝罪の手紙が何度もよせられ、だんだんと心が変わってきた。10年後初めて加害者と向き合い泣きながら「これでようやく安心して死ねます。」と遺族に述べたとき、「そんなことをいうなよ。」と声が出てしまったという。
きっと加害者も真剣に反省していたのだろう。それがきちんと相手に伝わったのではないだろうか。遺族はこうした体験をもとに、「被害者と加害者が向き合うことで憎しみ以外の感情がうまれる」ということを呼びかけ、新しい刑事制度を考えている。
私は極刑、厳罰化といった制度を考えていくよりも、こうした制度を考えていく方が重要だと思う。極刑で望むよりも加害者がきちんと反省し、それによって被害者が感情を回復するのなら、そちらの方がいいのではないか。勿論、罪を許されるのは簡単なことではない。大変苦しいことだ。加害者は長い時間と真剣な謝罪・反省が必要だ。一方で、被害者の側も加害者が反省をしているならば、それをきちんと見たほうがよいのではないだろうか。被害者側がいつまでも向き合おうとしなければ、解決しない。一方だけが真剣に何かを行っていても効果がないからだ。加害者と被害者の”両者”が向き合わないと真の解決にはいたらない。