万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

「ミヤネ屋」放送の火災映像はフェイク?

2024年12月24日 12時20分50秒 | 日本政治
 先月11月27日に東京都文京区にて発生した猪口邦子参議院議員宅の火災に際し、日本テレビ系の情報番組「情報ライブミヤネ屋」が火災直後の様子を撮影したとされる映像を報じたことから、SNS等で批判を浴びることとなりました。BPO(放送倫理・番組向上機構)にも、12月19日までに250件の苦情が寄せられたと報じられております。

 同映像に関する批判の多くは、映像があまりにもショッキングであるため、ご遺族への配慮を欠いているというものです。同火災では、ご家族となるお二人の方が亡くなられたことが既に確認されており、動画に映されていた炎を前にしたベランダの女性もその内のお一人である可能性があるからです。逃げ遅れた方の様子を放送するのは無神経で残酷であり、放送倫理に反するということなのでしょう。確かに同主張には一理も二理もあるように思えるのですが、全く疑問がないわけではありません。何故ならば、これらの批判は、映像が‘本物’であることを前提としているからです。仮にこの前提が崩れますと、同火災事件は、全く別の様相を呈してくることとなりましょう。

 先ずもって、同動画には、加工が加わっている疑いがあります。火災の現場をリアルタイムで撮影したものであるならば、途中で画面やアングルの切り替えがあるはずもありません。ところが、同動画は少なくとも3つのパートから構成されており、しかもカメラの位置にも違いが見られるのです(その一つには木の枝が映っており、ベランダの内側から撮影したとしか思えない・・・)。また、ベランダの女性は轟々と燃えさかる炎を前にしているのですが、衣服には全く引火していない点にも不自然さがあります。仮に、あたかも中世の火あぶりのような悲惨な状況が映し出されていたとしますと、同番組に対する批判は、今日の程度では済まされなかったことでしょう。むしろ、動画の最後のパーツでは、女性は、画面右の方向に小走りで逃げており、同動画の見た人々の多くは、この女性は無事に避難したものと信じたかも知れません。 ‘ご遺族への配慮が欠けている’とする批判は、映像に映っていた女性が長女であるとする前提において、はじめて成り立つのです。

 これらの他にも、火災の被害状況に関する情報にも齟齬が見られます。玄関付近で倒れているところを発見され、病院に搬送されたとされる第三の女性の存在は、その後、何故か、消されてしまっています(初期の放送では、搬送されるシーンも報じていたらしい・・・)。こうした同火災に関する不審点をも考慮しますと、同番組に対する批判点は、放送倫理の欠如ではなく、動画の真偽を確認する作業を怠ったところにあるように思えます。今日は、生成AIの技術を用いればフェイク動画は素人での簡単に造れる時代でもあります。一般の視聴者提供とは言え、同動画もフェイクである可能性について十分に留意すべきであったと言えましょう。また、逆に本物であるのならば、ベランダ沿いに逃げていた女性が、なぜ、屋内に戻って台所でなくなったのか(映像の猛火では、屋内に入ることすら不可能では・・・)、搬出されたという女性は、いったい誰であるのか、などの多くの謎が残ることになります。

 そして、このことは、BPOの報告をもって同動画の問題が解決したわけではないことを意味しています。否、同動画を‘本物’と決めつけた上で、倫理問題に閉じ込める形で幕引きが意図されているとすれば、やはり、同火災には何らかの事件性があったものと推測せざるを得ないのです。しかも、火災の現場検証等に際して警察も同動画を入手しているはずですので、映像の真偽については、公的な鑑定に付されるべきものでもありましょう。事実を突き止めるには、すり込まれた最初の前提を疑ってみることこそ、大事なように思えます。マスメディアも、SNSにも、世論誘導のプロは潜んでいるものです。放送倫理を問う前に、先ずもって、映像の真偽を問うべきではないかと思うのです。

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お米の先物取引は即刻廃止すべき

2024年12月23日 11時36分01秒 | 日本政治
 秋の収穫期も過ぎ、年の瀬も押し迫っている今日、凡そ2倍に高騰したお米の価格は一向に下げる様子は見られません。収穫量も十分に確保されているはずなのに、お米の集荷業者間では‘争奪戦’が続いているというのです。この‘異常現象’も、あるいは、大阪堂島商品取引所で始まったお米の先物取引の影響であるのかもしれません。


 商品の先物取引一般には、通常、限月における現物の受渡しを伴います。このことは、先物取引への投資額が増えるほど、消費者とは無関係な次元でのお米の取引量が増加することをも意味します(「受渡決済」)。もっとも、大阪堂島商品取引所におけるお米の先物市場につきましては、現物の受渡しを伴わない形での決済も行なわれているようです。取引参加者の大半は、農家、農協、卸売業者等の当事者ではない「非当事者」即ち、証券会社や内外の投資家といった人々によって占められているからです。これらの「非当事者」が先物取引を行なう場合には、「差金決済」が行なわれています。例えば、SBI証券による顧客向けの説明では、同取引には現物の受渡は伴わず「差金決済」のみとしています。


 現物の受渡しを伴わないならば、お米の需給関係に対する影響は薄いようにも思えますが、これでは、何故、お米の先物取引の再開が許可されたのか、国民に対して合理的な説明を行なうことが難しくなります。現物の受渡を伴わない取引とは、「空売り」や「空買い」ともなりかねず、実体経済を離れた値動きによるバブルが生じかねないからです。証券等での空取引は法的規制の対象になっていますので、何故、政府が、お米の先物市場の開設に際してこれを許したのか、不思議でなりません。消費者や生産者にとりましての先物取引の唯一のメリットは価格や所得の安定化機能にあるのですから、これでは、内外の投資家に対して投機、あるいは、マネーゲームの場を提供したに等しくなります(海外投資家にも開放されている・・・)。農林中金の1兆を越える巨額損失は、先物市場に投機マネーを呼び込んだことでしょう。


 また、上述したように先物取引の契約には、最終決済日となる限月が定められているものですので、一般の顧客に対しては「差金決済」としつつも、実際には、証券会社等で一括管理している先物取引の契約書には、お米の受渡日が明記されているのかも知れません。となりますと、「買いヘッジ」を行なった証券会社や直接に取引を行なった内外の投資家には受渡請求権があり、この売り手側に対する権利の行使が、収穫シーズンを過ぎた時期においてもお米の買取争奪戦が収まらない原因であるとも考えられましょう。そして、それは、さらなる米価の上昇をもたらすとともに、「買いヘッジ」による利益をも一層押し上げていることにもなります。その一方で、先物価格が下落するとすれば、それは、投機マネーが、今度は米価の暴落を見込んで「売りヘッジ」に仕掛けている予兆として警戒すべきなのかも知れません。

 何れにしましても、大阪堂島商品取引所におけるお米の先物取引の再開は、今般の米価高騰と無関係であるとは思えません。先物取引については、変動リスクの回避による物価や所得の安定化をもってその存在意義が説明されていますが、お米の場合には、今日、国レベルでの備蓄米制度もあり、価格の安定は、流通量の調整によって実現することができます。先物取引に安定化機能を求めることが如何に国民に採りまして危険であるのかは、今般の一件によって示されたのですから、政府は、先ずもって、お米の先物取引市場を閉鎖すると共に、米価の正常化に努めるべきではないかと思うのです。


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日本国政府の米価高騰に対する奇妙な沈黙

2024年12月20日 09時28分42秒 | 日本政治
 昨今の米価高騰について、その原因として先物取引等の投機マネーの流入が推測される理由は、日本国政府の沈黙にあります。物価高につきましては、ガソリンや電力・ガス等に対する対策は一先ず練られていても、凡そ全ての国民のエンゲル係数を上げる米価高騰につきましては、対策らしい対策を採ろうとはしていないのです。マスメディアもまた、この件については沈黙を守っています。この現象は、如何にも不自然なのです。

 主食である米価が2倍にも跳ね上がれば、通常は、一揆が起きてもおかしくありません。もちろん、‘飽食の時代’とも称されておりますように、今日では、お米の価格が高くとも、小麦やトウモロコシなどの他の食品で代替できます。このため、過去の時代よりも深刻度は低いのでしょうが、それでも、食卓にご飯のお茶碗が添えられている家庭が圧倒的に多いはずです。食べ盛りのお子さんがいる家庭では、お米価格の高騰は家計を逼迫させていることでしょう。

 国民生活を第一に考える政府であれば、先ずもって、米価高騰の要因を詳細に分析するはずです。本ブログでも指摘しておりますように、インバウンド説、猛暑説、肥料価格高騰説、輸送コストアップ説などは何れも主因とは考え難く、5キロで6000円と言ったバブル的な値動きは、先物取引市場への投機マネーの流入を仮定せざるを得ないのです。それでは、何故、政府は、無策なのでしょうか。

 第一に推測されるのは、政治家自身がお米の先物取引から利益を得ているというものです。今年8月の大阪堂島商品取引所での先物取引再開が、SBIホールディングスのロビー活動の結果であったとすれば、政治家の懐には、相当のマネーが転がり込んでいるはずです。また、SBI証券をはじめ、幾つかの証券会社が一般顧客向けに先物への投資を募っていますので、政治家が直接に先物取引を行なっている可能性もありましょう。この事実が明らかになりますと、国民から強い反発を招くことになりますので、政治家の人々は、嵐が過ぎ去るのを首をすくめて待っていることとなりましょう。国民生活を犠牲にしつつ、自らは肥え太っていることになるのですから。

 第二の推測は、今夏における収穫前に備蓄米の放出を渋った責任を問われたくないとする政治家の意識です。しかも、秋の収穫期が過ぎれば米価は平年並に戻るとされながら、高値が続いています。本来であれば、去年の備蓄分も含めて放出すべきところなのですが、政府には、備蓄米を供給する動きが見られないのです。この推測についても、仮に、先物取引が主因であれば、政府は、敢て高値を維持するために備蓄米を放出せず、供給量を減らしているとする疑いも生じます。

 そして、第三の推測としては、政府は、減反政策の失敗を認めたくないのかもしれません。しかも管政権以来、日本国政府は、カーボンニュートラルの目標を掲げると共に、再生エネルギーの導入に積極的に取り組んでいます。この結果、農村の耕作放棄地に太陽光発電のパネルが並ぶ事態にも至ったのですが、政府は、国民の生活よりもグローバリストが推進している国際公約としての‘グリーン政策’を優先しているのかもしれないのです。日本国の農業の衰退は、食糧安全保障をも脆弱化しますし、海外依存も高まりますので、グローバリストにとりましては一石二鳥なのでしょう。そして、あるいは、お米の先物市場には、海外マネーも流入している可能性もありましょう。

 何れにしましても、説明責任の回避は疑いを強めますし、米価高騰に対する政府の沈黙は不気味ですらあります。‘あらぬ疑い’であれば晴らさなければなりませんので、政府は、米価高騰について国民に対して詳細を説明すべきなのではないでしょうか。また、政治とお金との問題を解決するためにも、授受に関する入り口の規制のみならず、内外のマネーの流れと政策との関係を調べる必要がありましょう。因みに、古代ローマにはセンソールという役職が設けられており、元老院議員といった政治家の綱紀粛正を行なう強力な権限が付与されていました。今日にありましても、独立的な立場から政治家に対して調査を行なことができる専門機関を設置する、あるいは、検察庁の特別捜査部の独立性を強化すべきではないかと思うのです。

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SBIホールディイングスが先物取引を再開させた理由

2024年12月19日 11時18分07秒 | 日本政治
 今年8月の大阪堂島商品取引所におけるお米の先物取引の再開につきましては、同取引所の凡そ3割の株を保有するSBIホールディングスの強い働きかけがあったと指摘されています。同取引所と民間の一企業との関係は、市場の運営者と事業者の癒着が生じますので、独占禁止法に抵触する可能性もありましょう。それでは、何故、SBIホールディングスは、お米の先物取引に手を出したのでしょうか。

 お米の先物取引については、既に2011年から試験的に実施されていたのですが、参加事業者が集まらないことを理由に農林水産省が許可を与えず、2023年には一端終了しています。お米の先物取引については、過去においても米価高騰の要因となり、国民生活を苦しめてきた歴史がありますので、農林水産省が二の足を踏むのも当然と言えば当然なことです。ところが、2024年に至って事態は急速に展開し、2024年6月21日には農林水産省は大阪堂島商品取引所におけるお米の先物取引に許可を与えるのです。強引とも言える再開ですので、おそらくその背後には相当の‘お金’が動いたことは容易に推測されます。もっとも、SBI証券は、自らの参加によって米の先物市場が復活したとして恩を着せようとすることでしょう。

 ‘政商’とも揶揄されてきた孫正義氏をトップに頂くSBIホールディングの経営戦略の特徴とは、再生エネ、情報通信あるいは半導体(産業の‘コメ’)といった経済の基幹的な分野への集中投資です。お米もまた、弥生時代より日本人の主食として広く栽培されてきましたので、先物取引を介して価格形成に関与することで、日本国民の食料基盤を押さえようとしたとも考えられます。実際に、昨日の記事で述べたように先物取引が今般の米価高騰を引き起こしているとしますと、お米価格の主導権は、一民間事業者であるソフトバンクに握られてしまったことにもなりましょう。

 さて、SBIの投資傾向が基盤掌握型であり、どこか植民地支配との共通性も伺えるのですが、もう一つ、推理するとすれば、それは、農林中央金庫(農林中金)の巨額損失問題との関連性です。農林中金とは、農業協同組合(JA)、漁業協同組合(JF)、森林組合(JForest)を統括する金融機関であり、純資産100兆円、運用資金の規模は凡そ50兆円ともされます。その農林中金が、今年の5月の決算会見において、外国債権の運用の失敗によって3月期の最終損益で凡そ5000億円の赤字が生じたことを公表しています。翌6月には、2025年3月期の最終赤字が1兆5000億円規模となる見通しを述べたのです。

 同巨額損失については、農協等からの出資による資本増強で対応するとしていますが、この情報が、お米の先物取引において莫大な利益をもたらすチャンスと認識された可能性があります。何故ならば、農林中金とリンケージする農協を中心にお米を高い価格で販売する動機が生まれるからです。農家の所得が増えれば預金額も増えますし、農協が平年よりも高い価格で卸売りをすれば(先物取引の指標となる「現物コメ指数」は相対取引の平均価格・・・)、その増収分を農林中金の増資に充てることもできます。米価上昇が見込まれる状況下にあって買いヘッジを仕掛ければ、相当の収益が期待できるのです。ここに、お米の先物取引市場の復活が急がれた理由があるように思えるのです。

 もちろん、以上に述べてきたことは推測に過ぎませんが、異常なまでの米価高騰は、金融機関や投資家等による投機的動きなくしてはあり得ないようにも思えます。日本国政府は、国民生活を護るためにも、お米の先物取引の問題に真摯に取り組むべきなのではないでしょうか。大阪堂島商品取引所におけるお米の先物取引の許可取り消しも選択肢の一つであると思うのです。

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お米の先物取引が米価を上げる理由

2024年12月18日 11時37分02秒 | 日本政治
 大阪堂島商品取引所で今年の8月から再開されたお米の先物取引は、米価高騰の一因となっているようです。それでは、何故、先物取引がお米の価格を押し上げるのでしょうか。

 この価格上昇のメカニズムは、‘人とは自らの利益を最大化するために行動する’と仮定しますと、容易に理解することができます。先物取引では、現在の取引価格よりも将来の限月における価格が上昇した場合、両者の差額による差益が生まれるのは‘買いヘッジ’です。このため、先物市場で高値が付いている場合には、同市場で取引に参加していない人々までも、大凡の将来における値動きを予測することができるのです。将来的な価格上昇が見込まれるからこそ、‘買いヘッジ’において高値が付くからです。先物市場での高値は、将来における値上がりの‘サイン’とも言えましょう。

 先物市場における価格は公開されていますので、先にも述べましたように、一般の人々も広く知るところとなります。こうした先物市場での価格情報は、売り手側にある人々に様々な反応を引き起こします。先ずもって、直接の生産者であるコメ農家の人々は、将来の値上がりに期待して、現時点で収穫したお米を売却するよりも、より価格が高くなった将来において売り渡そうとするかも知れません。つまり、‘売り渋り’が起きてしまうのです。この結果、お米の供給量が減少し、将来のお話でありながら現在の価格を押し上げる方向に作用します。

 加えて、卸売り業者の行動にも、変化が生じます。農業者の側の基本的な姿勢は‘売り渋り’ですので、お米を売ってもらおうとすれば、当然に、買い取り価格を上げざるを得なくなります。しかも、品薄状態ともなれば、需要と供給との間の均衡も崩れ、供給減少が価格上昇に拍車をかけます。1918年の大正時代の米騒動に際しては、米問屋等の卸売業者がお米の買い占めや売り渋りを理由に焼き討ちに遭うことにもなりました。取引の自由化は、供給量が需要を上回る場合には、価格引き下げ競争が起きますので消費者に恩恵がもたらされますが、需要が上回る場合には、逆に‘値上げ競争’となりますので、一概には消費者にメリットになるとは言えないのです。

 こうした生産者サイドにおける値上がり要因に加え、お米価格の上昇を口実とした便乗値上げも誘引されます。小売店側にとりましても、消費者の間に高いお米価格を当然視する風潮が広がりますと、自らの利益のために価格を上乗せするかも知れません。ましてやお米は日本人の主食ですので消費者は買わざるを得ず、足元を見られがちなのです。また、お米は様々な食品に加工されていますので、値上げラッシュはお米を原材料とする商品にも波及してゆくことでしょう。

 かくして先物取引における高値は、将来を先取りする形で現在のお米の価格にも反影され、消費者は、物価高に苦しむことにもなります。そして、価格上昇による差額の収益期待は、証券会社や商社等の先物市場における参加事業者達にも、高値維持あるいはさらなる価格上昇を望む強い動機ともなるのです。この点、本日Web記事として‘年上げ後にさらなる米価の値上げが予測されている’とする主旨の記事が掲載されていましたが(FBC福井放送)、こうした値上げ予測の記事や情報は、事実を伝えるというよりも、先物市場での値崩れを防ぐことを目的としている可能性もないわけではありません。言い換えますと、‘令和の米騒動’とは、お米市場におけるバブルとも言えるかも知れないのです。

 農業者であれ、卸売業者であれ、証券会社であれ、そして投資家であれ、お米のさらなる価格上昇は、何れに対しましても利益をもたらします。その一方で、負の部分が重くのしかかるのは、高いお米を買わされる一般の国民と言うことになりましょう。先物市場の解禁が人々の利己心をも解放してしまい、多くの人々が生活に苦しむ事態を招いているのが、今日の日本国の現状のようにも思えます。無制限な利己心、あるいは、欲望の追求が社会全体にマイナス影響を及ぼす場合、適切な規制を設けるべきなのですが、大阪堂島商品取引所の大株主となったSBIホールディングスの意向で先物取引が再開されたとなりますと、この問題は、今日、政治とお金との問題にも発展することにもなります。一体、どのような経路や働きかけによって、政府は、お米の先物取引に許可を与えたのでしょうか。米価高騰は、日本国を蝕む様々な問題が絡んでいるように思えるのです(つづく)。

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米価高騰を推理する-先物取引原因説

2024年12月17日 11時28分02秒 | 日本政治
 不思議なことに、主食であるお米の価格が2倍近くにも跳ね上がるという異常事態にありながら、マスメディアのみならずネット上では同問題に関する情報が圧倒的に不足しています。物価高が先の衆議院議員選挙における自公政権の敗因理由の一つでありながら、石破政権もまた、国民生活を護るために対策に乗り出す様子も見られません。‘令和の米騒動’と称されながら、政府は積極的な説明も対策も怠っており、この‘沈黙’には何らかの意図が隠されているようにも思えてきます。余りにも不自然なのです。昨日の記事で述べたように、インバウンド説、猛暑説、肥料価格高騰説、輸送コストアップ説の何れもが説得力に乏しいとしますと、真の原因は、別のところにあるのでしょう。そこで、情報不足の状況にありながら、幾つかの推理を試みてみたいと思います。

 第一の推理は、投機マネーの流入による価格高騰です。お米の先物取引については2011年から試験的な上場が始まり、一端は終了したものの、大阪堂島取引所において先物取引が「コメ指数先物」という名で復活したのは、まさに米価高騰中の今年の8月のことです。日本国には、米の先物取引については、江戸時代から堂島にあって帳合米取引が行なわれていた歴史があります。先物取引とは、長期的な価格安定に寄与する役割を果たす反面(変動リスクのヘッジ)、価格変動の結果としての差額が利益となるために投機の対象ともなり得るのです。

 先物取引にあって投機的な利益を上げる方法としては、買いヘッジと売りヘッジがあります。将来の決済日における価格上昇が予測される場合には先物で買いヘッジを行い、実際に価格が購入価格よりも上がった場合にその差額が収益となります。例えば、お米の先物取引ですと、先物で1俵17000円で購入したお米が、最終決済月である限月には20000万円の価格に上昇していたとしますと、3000円の差額が収益となります。このため、買いヘッジは、将来における値上がりが予測される場合に行なわれます。言い換えますと、将来的に価格が上がるほど、利益も増えてゆくのです。その一方で、価格低下が予測される際に予め高値で売っておく手法が、後者の売りヘッジです。

 こうした先物取引における投機性に注目しますと、堂島取引所の仕組みは、価格調整機能よりも投機的な取引に偏っているようにも見えます。何故ならば、先ずもって同市場への参加事業者は、商社のみならず、金融事業者、即ち、証券会社も参加しているからです(売りヘッジは、価格調整機能を必要とする生産者側にメリットがある・・・)。開始直後は三社程度でしたが、今日では、SBI証券も参加しています。堂島での先物復活にも、SBIホールディングスが暗躍したとされ、同取引所が会員組織から株式会社への衣替えする際に株式の取得により3割を越える議決権を握っているとされます。ここに、投機的なマネーがコメ先物市場に流入する要因を見出すことができましょう。因みに、同取引での米価は、全国の相対取引を平均化した「現物コメ指数」であり、農林水産省が作成して毎月公表されています(正確には公益社団法人米穀安定供給確保支援機構)。

 そして、先物取引と米価高騰との関係を探るに際しては、うるち米ともち米との値動きの違いにも注目すべきかもしれません。何故ならば、農林水産省が公表している東京穀物商品取引所に関する資料に依りますと(同取引所は、2013年に大阪堂島商品取引所と東京商品取引所に移管・・・)、2012年に策定された「米穀の合意基づく早受渡しの特例」における同特例の対象は「水稲うるち玄米」としているからです。また、現在、同省のホームページで公開されている相対取引価格の一覧表を見ましても、同表に掲載されているのはうるち米の銘柄みのようです。昨今の物価を見ますと、もち米の価格はうるち米ほどには値上がっておりません。スーパーでのお餅一袋の小売価格の全国平均は、去年2023年10月では729円でしたが、一年後の激しい米価高騰に見舞われていた今年2024年10月では743円に過ぎません。内外の要因がもたらす稲作に対する影響は同じなのですから、両者の値上がり幅の著しい違いは、全てではないにせよ、先物取引の影響を示しているように思えるのです(つづく)。

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日本国の米価高騰は人災か?

2024年12月16日 11時19分18秒 | 日本政治
 2024年は、異常なまでのお米価格の上昇に見舞われた年でした。夏頃には平年ですと5キロ2000円台程度であったお米の小売り価格があれよあれよという間に3000円台に上昇し、秋の収穫期が過ぎた今日でも、一向に価格が下がる気配はありません。4000円台や5000円台のお米も珍しくはないのです。米価格だけを見れば、50%から100%を越えるインフレ率ともなりましょう。お米は日本人の主食ですので、急激な米価高騰は国民生活を直撃します。ところがこの状態を、日本国政府は、全くと言ってもよいほどに放置しているのです。今般の米価高騰については、様々な理由が挙げられていますが、一体、どこに原因があるのでしょうか。

 米価高騰の原因の一つとされるのは、コロナ禍収束後におけるインバウンドによる需要の増加です。需要増を受けて国内の米供給が逼迫したことから、お米価格が上昇したとする説です。しかしながら、訪日外国人数は、コロナ以前のレベルを回復した9月でも凡そ287万人に過ぎません。仮にこの説が正しければ、既に200万人を越えていた2016年から2020年までの期間にあっても、お米価格の急激な上昇が見られたはずです(統計に依れば、同期間の米価は横ばいのようです・・・)。しかも、お寿司に代表されるように和食にはお米を使う料理が多いものの、観光であれ、ビジネスであれ、来日した外国人が、日本国のお米価格を暴騰させるほど大量のお米を消費したとも思えません。インバウンド説は、どこか説得力に欠けているのです。仮に同説に従うとすれば、日本国政府は、国民の食料確保の観点から、今後、外国人の入国規制を行なわざるを得なくなりましょう。

 第二に米価高騰の要因とされているのは、天候の影響です。過去の事例を見ましても、天候不良による不作が米価の高騰を引き起こしており、歴史上の大飢饉の大半も冷夏や日照不足が原因となっています。この点、天候説の方が上述したインバウンド説よりも説得力がありましょう。しかしながら、今般の不作の原因は、異常な猛暑が続いたところにあり、過去にあって幾度も飢饉を引き起こしてきた冷害ではありません。高温の影響で、「一等米」の率が減少したというのです。全国平均で「一等米」の率が17.6ポイントも下回ったとされます。確かにこの説明を受けると納得しそうにもなるのですが、実のところ、「2等米」や「3等米」であっても食用に適さない、ということではないようです。実際に、ネット上では「2等米」が販売されており、ブランド米ですと「1等米」より僅かに低価格であるに過ぎません。品薄の原因が消費者の「1等米」への拘りにあるのならば、低価格をアピールして「2等米」や「3等米」の販売を促進し、供給量を増やせば、品不足は緩和されるはずです。政府は、何故、「2等米」や「3等米」を活用しようとはしないのでしょうか。

 また、従来の冷害ではなく、‘熱害’が原因であるならば、事前の対策も打てたはずです。ましてや日本国政府は、地球温暖化説に基づいてカーボンニュートラル政策を協力に推進しているのですから、エネルギー政策のみならず、農業政策にあっても温暖化への対策を講じるべき立場にあります。お米とは、熱帯地方では二毛作が行なわれているように、本来、気温が高い地域に適した作物です。これまでの品種改良は、緯度の高い地域でも栽培し得る品種の開発であったのでしょうが、温暖化予測を信じるならば、猛暑にあっても収穫量や品質が落ちない品種を準備しておくべきであったと言えましょう。あるいは、供給量を増やすならば、猛暑を逆手にとった二毛作用の品種の開発や導入も検討すべきであったのかも知れません。

 加えて第3の要因とされるのが、肥料価格の上昇です。確かに、国際市場における状況の変化から、2022年をピークに著しい肥料価格の上昇が起きています(サプライチェーンの寸断リスクやEU、ブラジル、中国、インド、ロシア等の動向が影響・・・)。しかしながら、この点についても、2023年には平年レベルに低下しており、国際価格の影響は薄らいでいます。また、同様に肥料価格の高騰に見舞われた2008年にあって日本国内における米価への影響が全く見られませんので、この説明も説得力に乏しいのです。

 以上に、米価高騰に関する幾つかの主要な説を見てきましたが、何れも、著しい米価の高騰を招く要因としては根拠が弱く、かつ、政府の無策が目立ちます。これらの他にも運送費等の上昇説もありますが、この説も、他の商品価格の高騰率と比較しますと、説得力を失います。そして、さらに要因を突き詰めていきますと、長期に亘る減反政策のみならず、米先物市場の開設、農協並びに農林中金の巨額赤字問題、米製品の輸出促進など、農政全般の問題が浮かび上がってくるように思えるのです(つづく)。

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否定できない新型コロナパンデミック陰謀説

2024年12月13日 10時15分21秒 | 国際政治
 2019年12月に中国の武漢市に始まるCovid19パンデミックにつきましては、発生当初より、SNS等では様々な憶測が飛び交ってきました。もちろん、中には陰謀説もあったのですが、同パンデミックから凡そ5年が経過した今日では、マスメディアやウェブ上で公開されている情報だけからでも、ある程度は真実に迫ることができるようになりました。そして、同ウイルスについては未だに不明な点は多いものの、点と点が線となり、やがてこれらの分散されていた線が一つのキャンパスに吸い寄せられてゆくと、素描ではあれ、そこにはやはり陰謀の姿が浮かび上がっているように思えるのです。

 陰謀の実在性は、ここ凡そ十日間におけるCovid19パンデミックをめぐる動きからも容易に推測されます。先ずもって、12月2日に、アメリカの議会下院の特別委員会は、「新型コロナウイルスは中国・武漢の研究所にまつわる事故で出現した可能性が高い」とする最終報告書を公表しています。天然のウイルスであれ、人工ウイルスであれ、あるいは、意図的であれ、偶然であれ、同ウイルスは、武漢市に設けられていたバイオセキュリティー・レベル4のウイルス研究所から流出したとしているのです。

 もっとも、武漢ウイルス研究所におけるウイルス研究については、アメリカも無関係ではなく、同報告書では、米国立衛生研究所(NIH)がウイルスの「機能獲得」に関する研究のために資金を提供していたことを事実として認めています。「機能獲得」とは、自然界に存在する天然のウイルスの遺伝子配列に遺伝子操作を加え、新たな機能を付加することを意味します。ウイルス研究所における研究目的が、純粋に自然界に存在するウイルスが引き起こす感染症の撲滅や治療を目指しているならば、あえて‘機能’を拡張させる必要はないはずなのです(有毒化機能や感染促進機能の獲得としか思えない・・・)。ここに、流出の有無に拘わらず、米中が、生物化学兵器にも転用し得るウイルスの遺伝子改変技術の開発を共同で行なっていた実態が明らかになったとも言えましょう。武漢ウイルス研究所は、人民解放軍との関係も指摘されています。

 また、仮に中国が主張するように、Covid19が武漢市の海鮮市場で売られていた野生コウモリを宿主とするウイルスであるとしますと、今日、中国は、12億人ともされる人口大国ではなかったはずです。当時にあって武漢市で撮影された映像では、街を歩く人々がバタバタと倒れていましたが、中国の人々が伝統的にコウモリを食材としていたとしますと、今回の感染拡大も珍しいことではなく、歴史にあって同疫病は何度も繰り返されていたことでしょう(Covid19感染症に耐性を有する人も多いはず・・・)。自然発生説は、おそらく武漢ウイルス研究所からの流出説を打ち消すために創作された‘カバー・ストーリー’としか考えられないのです。
 ここまで事実が明らかになりますと、誰もが、Covid19が武漢ウイルス研究所において実験対象とされてきた研究用ウイルスであり、かつ、遺伝子操作が加わっている可能性が限りなく高い、という結論に容易にたどり着けるように思えます。ところが、新型コロナ発生から5年目に当たる12月8日に、新型コロナ政府分科会会長を務めた尾見茂氏は、報道番組のインタヴューの中で「パンデミックがまた来ることは想定していた方がいい」と語っています。次いで、その二日後の12月10日には、WHOのテドロス・アダノム事務局長が、WHOへの国家主権の移譲を伴うリスクが指摘されてきたパンデミック条約について、2025年5月までに締約国館で合意が成立するものと確信していると述べているのです。

 これらの発言は、なおもCovid19自然発生説を前提としているのですが、上述したように、武漢ウイルス研究所からの流出が真の原因であれば、同条約は最早必要ではないはずです。パンデミックが発生する確率は著しく低下するのですから。採るべき対策は、各国のウイルス研究書における管理体制を強化すると共に、生物化学兵器に転用し得る機能獲得研究の禁止と言うことになりましょう。全く対策の方向性が違っている、あるいは、的外れのです。
 
 しかしながら、このパンデミックの再来を確信しているかのような不可解な対応も、武漢ウイルス研究所からの流出が故意であったと仮定すれば、自ずと理解されてきます。そして、あたかも既に準備されていたかのようにmRNAワクチンが米英の大手製薬会社から大量供給されると共に(従来型であれ、中国でも即座にワクチン提供が開始された・・・)、各国政府も、足並みを揃えるかのようにロックダウンやワクチンパスポート、並びに、全国民ワクチン接種体制の導入に邁進した理由も分かってくるのです。かくして同パンデミックが発生した当時、‘陰謀論’として一笑に付されていた陰謀説も、俄然、信憑性を増してきます。‘プランデミック’とも称されるように、パンデミックを口実とした人類支配体制構築のためのプランが作成されており、コロナ禍とはその実行過程であったと見た方が、余程、現実に起きてきた一連の出来事が一つの計画として説明できるのです(米中の対立も表面に過ぎない・・・)。プラン発動の前に、各国政府を含む世界レベルでの協力体制は、水面下にあって既に整えられていたのでしょう。今や、陰謀説を否定する方が難しくなっているのではないかと思うのです。

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どうして企業・団体献金は‘だめ’なのか

2024年12月12日 10時11分59秒 | 日本政治
 自民党のパーティー券に端を発した政治資金の問題は、先の衆議院議員選挙にあって自民党の議席激減の一要因として指摘されたように、多くの国民に政治腐敗の元凶として認識されています。今般の一件では、収支報告書の記載における不正が‘裏金’として咎められたものの、企業・団体献金自体は、政治資金規正法等の法律に従っていれば許されています。このため、先の選挙では、立憲民主党や日本維新の会など、公約に団体献金の全面的な禁止を掲げた政党も現れることとなりました。とは申しますものの、企業・団体献金の禁止については、幾つかの側面から反対意見があります。果たして、これらの反論には、合理性や説得力があるのでしょうか。

 今月10日に開かれた衆議院予算員会での石破首相の答弁からしますと、先ずもって、反対論の根拠としては、‘憲法第21条への抵触’が挙げられているようです。石破首相に依れば、企業献金の禁止は、憲法の同条が保障している表現の自由を侵害するというのです。企業による政治献金も、自らの政治的見解を自由に表現したものであるので、これを禁じることは企業の自由の侵害に当たる、とする論理です。

 石破首相の同見解は、「禁止に反対するのは参政権侵害に当たると考えるためか」立憲民主党の米山隆一氏の質問に応えたものです。この米山氏の質問から、第二の禁止反対の論拠として、参政権の侵害も指摘されていることが分かります。こちらの方は、企業・団体による政治献金は政治活動の一環であるので、これを禁じることは、政治に参加する権利を侵害することになる、ということなのでしょう。

 何れも、憲法違反を根拠とする禁止反対論となり、尤もらしくも聞えます。しかしながら、どこか詭弁のようにも思えるのは、人々の心の中に、公権力をお金で動かすことに対する内なる理性の声とも言える拒否感や懐疑心があるからなのでしょう。何故ならば、お金で公権力を買い取ることができるのであれば、公権力は、極少数の資金力のある人々に私物化され、大多数を占める資金力の無い人の声は、政策に反映されなくかってしまうからです。言い換えますと、民意に応えた政治ではなく、マネー・パワーを有する一部の人々の利益を叶えるための政治に堕してしまい、民主主義に反してしまうのです。

 しかも、企業・団体献金の禁止が、これらの表現の自由や参政権を侵害したり、奪ったりするわけでもありません。献金とは、数ある表現手段の一つに過ぎず、請願制度の利用、陳情、要望書の提出など、政府の政策に対する自らの立場や要望を政治の場に届ける手段やルートは他にもあります。否、企業・団体献金の場合には、政治家は、資金を提供する特定の企業や団体の‘声’しか聞かないことになるのですから、むしろ刑罰の対象となる贈収賄に限りなく近い行為ともなりましょう。

 企業の参政権侵害の指摘につきましても、企業・団体献金の容認は、政治参加の手段としての‘お金’の授受を公然と認めることを意味します。国民が個人レベルで参政権を行使する場である選挙制度にあっては、一票の格差が常々問題視され、最高裁判所などでも違憲判決が示されています。その一方で、企業・団体献金を集団レベルでの政治参加の手段と見なすならば、平等原則から著しく逸脱してしまうのです。‘見返り’を前提として献金する一部企業・団体のみに‘参政権’を与えることになるのですから。これこそ、憲法違反ともなりかねないのです。

 因みに、日経新聞の「私の履歴書」欄にて日本政治の研究で知られるジェラルド・カーティス氏が自らの半生を綴っております。この中で、同氏は、資金力に乏しい一般の人が政治家になるためには、ある程度の献金やお金を受けとるのは仕方がない、との主旨の見解を述べておられました。この側面は、民主主義国家である日米とも変わりはないとしています。カーティス氏の見解は、被選挙権における機会の平等に注目した、もう一つの企業献金擁護論となりましょう。しかしながら、資金力のない政治家が献金を介して資金力のある一部の勢力の意のままに動き、政策を決定してゆくとなりますと、結局は、政治家の傀儡化による一部の‘富裕者のため政治’に至ってしまうのではないでしょうか(一方、国民のニーズは無視され、重税のみが課せられる・・・)。同士の両親は、ゼレンスキー大統領と同じくユダヤ系ウクライナ人なそうですが、腐敗大国であるウクライナの政治体質を是認しているようにも思えます。そしてそれは、今日のグローバリストとも‘世界観’を共有しているのかも知れません。

 以上に、企業・団体献金における公権力の私物化問題について述べてきましたが、仮に、政治家自身が、企業の表現の自由や参政権を尊重すべきと考えるならば、政治資金に関する改革のみならず、より公平・平等に企業や国民が意見や要望を表明し得る制度を構築すべきです。政治家がマネー・パワーに取り込まれてしまう現状こそ改善すべきであり、資金力の如何に拘わらずに誰もが政治家となり得、また、政治と企業を含めた国民をむすぶための制度的な工夫が凝らされた、真の意味での民主的な国家を目指すべきではないかと思うのです。

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「ブダペスト覚書」の教訓-日台同時核武装が対中戦争を防ぐ

2024年12月11日 11時42分48秒 | 国際政治
 ウクライナ戦争を誘発した遠因として、しばしば「ブダペスト覚書」に基づくウクライナの核放棄が指摘されています。同覚書によって、ウクライナは同時に核の抑止力をも失ったからです。事実を直視しますと、「ブダペスト覚書」とは、NPTの縮図にも見えてきます。核兵器を手放したウクライナと核放棄の見返りに同国の安全を保障したアメリカ、イギリス並びにロシア等との関係は、NPTにおける非核保有国と核保有国との間の関係との相似形であるからです。ウクライナは、結局、約束を反故にされて騙される形となったのですが、核保有国による核兵器使用の可能性が高まる今日、核攻撃のリスクに晒されている非核保有国の多くでは、核保有国、否、NPT体制の背後で蠢いてきた世界権力によって‘騙された’とする感情が湧いていることでしょう。

 もっとも、ウクライナでは既に戦渦に見舞われていますが、他の非核保有国には、戦争を未然に防止する手段が残されています。その方法とは、速やかに核の抑止力を備えることです。つまり、一般国際法としてのNPTの終了、もしくは、各締約国によるNPTからの脱退ということになりましょう。軍事大国による核使用の現実性に加え、インドとパキスタンとの間の核の均衡については別に置くとしても、イスラエル、北朝鮮、イラン等が核を開発・保有した時点で、NPT体制の仕組みは既に破綻しているのですから。NPTの理想論にしがみついていても戦争を回避することはできない段階に、今や至っていると言えましょう。今日とは、物理的な対応をもってしか剥き出しの暴力を止めることができない時代にあるのかもしれないのです。

 「ブダペスト覚書」の事例が人類に教訓を与えているとすれば、それは、核の抑止力の重要性です。同教訓に学ぶならば、中国による台湾侵攻を防ぐためには、先ずもって台湾の核武装を急ぐ必要があるとの結論に至ります。同核武装につきましては、台湾が独自に開発・保有する方法と準軍事同盟国であるアメリカ等の核保有国から提供を受けるという二つの道がありましょう。台湾は、NPTの正式な締約国ではありませんので(条約遵守国の地位)、前者については、NPTによる法的な縛りは格段に弱くなります。台湾の核武装が実現すれば、核の抑止力の効果により台湾有事の可能性が著しく低下しますので、同時に台湾有事が日米同盟により日本国に連鎖的に波及するリスクも下がります。

 もっとも、日本国の場合には、中国との間に尖閣諸島問題も抱えていますので、中国による台湾有事が断念された場合、中国あるいはその背後の世界権力が、日本国に狙いを定めるリスクは逆に高まります(真の目的は第三次世界大戦の誘発にある・・・)。対日侵略のリスク、さらには共に核保有国であるロシア並びに北朝鮮の脅威を考慮すれば、日本国も同時に核武装を急ぐべきこととなります。そして核武装の必要性は、南シナ海問題で中国との間で紛争が生じているフィリピンについても言えましょう。

 なお、シリアにあってアサド独裁体制崩壊の混乱状態の中、イスラエルがシリア領に侵攻したとの報道もあります。イランに対しては抑制的な対応をとる一方で、シリアに対しては‘火事場泥棒’の如きに傍若無人に振る舞うイスラエルの態度には、あるいは、前者が核保有国であり、後者が非核保有国であるとする認識の違いがあるのかも知れません(おそらく、イランは既に核兵器を保有している可能性は相当に高いのでは・・・)。

 仮に、近い将来において中国が台湾に侵攻した場合、後世の歴史家は、何故、時間があるにも拘わらず、台湾、並びに、日本国やフィリピンが核武装をしなかったのか、その非合理的かつ非現実的な無防備さを訝しがることでしょう。否、今日にあっても、「ブダペスト覚書」の教訓に学ぼうとせず、戦争回避のために手段を尽くそうとしない政治家の責任が問われるべきですし、仮に、故意に回避手段をとらないのであるならば、第三次世界大戦を欲する世界権力の傀儡であることを自ら認めたに等しいのではないでしょうか。ノーベル平和賞の授賞式が行なわれている中、核武装の議論は不謹慎として眉を顰める方もおられましょうが、時間は待ってはくれないと思うのです。

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日本国は台湾有事で第二のウクライナに?

2024年12月10日 11時58分46秒 | 国際政治
 非核保有国であるウクライナの運命は、同国と同じく核を保有していない日本国ともオーバラップします。「ブタベスト覚書」が存在しながら、‘核の傘’を提供する国が現れなかったように、日米同盟が存在していても、必ずしも‘核の傘’が開くとは限らないからです。核保有国と非核保有国との間の絶対に越えることができない軍事力の差は、NPTを遵守してきた非核保有国にとりましては死活問題となります。

 この点に注目しますと、東アジアにおける台湾有事は、アメリカを介して日本国をも第二のウクライナの立場に追い込むリスクがあります。アメリカと台湾との準同盟関係が日米同盟に連鎖する可能性が極めて高いからです。否、アメリカ側は既に自衛隊の参加を織り込み済みなのでしょうし、日本国側も効果的な日米合同軍事行動の実現を目指して着々と法整備を進めています。もっとも、米シンクタンクのシミュレーションに依れば、多少の犠牲を払ったとしても、何れもアメリカ側が台湾から人民解放軍を追い出し、最終的に勝利を収めるとしていますので、‘勝ち戦’の予測から日本国の参戦については楽観視する空気があります。

 しかしながら、中国は、‘負け戦’を認めるでしょうか。ウクライナ戦争では、ロシアは、通常兵器による戦いで敗北するぐらいなら、自国の「核抑止力の国家政策指針」に基づいて核兵器を使用すると公言して憚りません。中国の習近平国家主席もまた、自らの面子を保つためにも核兵器の最終的な使用を選択肢に含めていることでしょう。否、周辺諸国の反発から公表は控えているものの、政権内部にあって中国版「核抑止力の国家政策指針」が既に策定されていると考える方が妥当です。中国もまた、威嚇を含めて核の効果的な使用を自らの国家戦略に組み込んでいることでしょう。

 中国による核使用が一般的な予測の範囲内にあるとしますと、台湾有事における日本国の事実上の参戦は、台湾のみならず、日本国をも窮地に追いやります。両国共に非核保有国なのですから。最悪の場合、中国は、アメリカとの核戦争だけは回避したいがために、‘核の傘’が開かないことを見越して、米軍基地への攻撃を口実として日本国に対してのみ核攻撃を加えるかも知れません(日本国に対する核攻撃を機にアメリカの世論が硬化し、台湾防衛を断念して撤退に動くかも知れない・・・)。あるいは、米中両国が核の使用を自制しているとするパフォーマンスの下で、ウクライナのように通常兵器による戦争が‘だらだら’と続いてゆくとも考えられます。通常兵器戦であっても、兵器がハイテク化した今日では、その破壊力は飛躍的に高まっています。‘超限戦’ともなれば、生物化学兵器の使用やサイバー攻撃等もあり得ることとなります。何れにしましても、日本国並びに日本国民の被害は、第二次世界大戦時を凌ぐかも知れないのです。

 中国の習近平国家主席が台湾侵攻を決断する時とは、自国の勝利を確信するか、あるいは、勝敗に関係なく、第三次世界大戦シナリオにあって世界権力によって命令を受けた時となりましょう。今日の国際情勢を見ておりますと、あたかも連携するかのように各国が陣営形成に急ぐ節が見られ、後者の可能性の方が極めて高いように思われます。この場合、日本国の危機はさらに深まります。日本国の破壊や人類支配が、第三次世界大戦を引き起こす目的の一つであるのかも知れないのですから。

 非核保有国の安全をどうのようにして護るのか、と言う問題は、今や日本国のみならず人類共通の緊急課題でもあります。この問題に関連して、昨今、トランプ次期大統領は、NATOからの脱退を仄めかして周囲を慌てさせています。その真意はアメリカの負担軽減にあるともされますが、やがては日米同盟の終了をも言い出すかも知れません。それが、交渉上の‘ブラフ’であれ、第二次世界大戦後のアメリカを中心とした同盟網による‘西側’の安全保障体制は、今日、重大なる転換期を迎えつつあるとも言えましょう。そしてそれは、今後、国際社会はどうあるべきなのか、という、NPT体制の見直しを含めた全人類の未来にも関わる重大問題であると思うのです(つづく)。

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NPT時代の残酷な戦争

2024年12月09日 11時55分02秒 | 国際政治
 ウクライナ紛争は、それが非核兵器保有国と核兵器保有国との間の戦争に発展したため、NPT体制を根底から問い直す機会ともなりました。何故ならば、50年代に始まるNPTの成立過程にあって、核保有国対非核保有国との間の非対称な戦争は想定されていなかったからです。戦後、アメリカの核独占状態が崩れ、ソ連邦をはじめ各国が核兵器を開発・保有に成功する中、核兵器の拡散を防ぎ、核戦争の恐怖から人類を解放することが、NPTの主たる目的であったのですから。言い換えますと、核戦争の未然防止策として始まったのが、同条約に基づく核放棄の義務化であったのです。因みに、1958年にNPT構想を発案したのは、当時、アルランド外相であったフランク・アイケン(Frank Aiken)であったとされます。

 未然防止策とは、時にして、その防止したはずの事柄が起きてしまう可能性を忘れがちです。未然に防止したのだから、懸念すべき出来事は起こらないと信じてしまうのです(‘結果の先取り’思考・・・)。とりわけ、安全面において深刻なリスクとなるのは、手段の保有を禁じつつも、全てのメンバーがこれを放棄しない場合です。何故ならば、一方的に放棄した者は、平時の抑止力のみならず、有事の正当防衛の手段さえも失うからです。この問題は、日本国の憲法第9条にも通じており、軍事力の放棄=平和という命題がたとえ‘真’であったとしても、それが一国のみでは意味がないどころか、むしろ戦争を誘発する要因になり得る現実に目を瞑りがちなのです。NPTの場合もこの傾向が顕著であり、誰もが核兵器の放棄=平和という等式を信じて疑おうとはしませんでした。否、NPTを疑いますと、‘異端’と見なされかねなかったのです。

 かくして、NPT加盟国は増加の一途を辿る一方で、トラテロルコ条約(中南米33カ国:1968年発効)、ラロトンガ条約(南太平洋諸国:1986年発効)、バンコク条約(東南アジア諸国:1997年発効)、ペリンダハ条約(アフリカ諸国:2009年発効)、セメイ条約(中央アジア諸国:2009年)など、今日に至るまでに地域的な非核化条約が凡そ10年おきに成立していきました。1992年には、韓国と北朝鮮の間で「朝鮮半島の非核化に関する共同宣言」まで打ち出されていますので、非核化は抗いがたい時代の大きな流れともなったのです。

 しかしながら、今日、人類が直面しているのは、NPT体制に起因する戦争であり、核戦争の恐怖です。その根底は、上述したように、未然防止策にありがちな‘結果の先取り’問題があります。性善説に基づく未然防止策が描いて見せた平和な未来は、一国でも性悪な国が出現した途端に幻として消えてしまいます。そこに残されるのは、‘持てる国’と‘持たざる国’との間の残酷なまでの不平等な格差です。後者は、前者から戦争を仕掛けられた場合、決して勝つことが出来ないからです。それが、人道に反し、国際法に違反する侵略やジェノサイドを伴うものであったとしても・・・。

 未然防止策に潜む破綻リスクを考慮しますと、NPTとは、全ての諸国に対して正当防衛権を認めた国連の第51条をも空文化したとも言えます。圧倒的に軍事力に差がある場合、正当防衛権とは、事実上、‘持っていても使えない権利’となるからです。ピストルを手にしている相手を前にしては、素手で自らの身を守ことができる人がいないのと同じことです。結局、NPT体制とは、抑止力を放棄した大多数の中小諸国に対する、核という暴力手段を独占的に保有している軍事大国並びに‘無法国家’の勝利を保障しているに等しいと言えましょう(世界権力がNPT体制を堅持したい理由の一つでは・・・)。

 しかも、仮に非核保有国が核保有国に対して通常兵器で自国の勝利寸前まで追い込んだとしても、相手国の核兵器の使用によって一瞬のうちに形勢を逆転され、多くの自国民が被爆すると共に国土が焦土と化してしまいます。軍事同盟によって‘核の傘’を核保有国から提供されている国も、自らも核攻撃を受けることを覚悟してまで同盟国が核兵器での報復を行なってくれると信じてはいないことでしょう。否、軍事同盟の信義から‘核の傘’を開いた時こそ、人類が遂に双方が核ミサイルを撃ち合う核戦争に見舞われるという‘終末の時’となるのです。

 残酷なるNPT体制の現実を直視しますと、ウクライナ戦争をこれ以上継続することは、犠牲ばかりが増えるのみであり、無意味で無駄なように思えてきます(利益を得るのは戦争ビジネスや戦争利権に与る勢力のみ・・・)。このように考えますと、ウクライナを核武装中立国としつつ、ロシアが自国に一方的に併合した地域については、住民投票を実施するなど、改めて国際法に則った手続きをもって法的地位を確定すべきではないかと思うのです。

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NPT体制維持のための茶番劇か-ウクライナの単独核武装を拒む勢力

2024年12月06日 10時48分49秒 | 国際政治
 ゼレンスキー大統領による停戦提案につきましては、NATO側はウクライナの早期加盟に否定的な態度を示す一方で、ウクライナに対する継続的支援については積極的な姿勢を見せています。その背景には、戦争ビジネスの温存があるのでしょうが、軍事同盟の連鎖経路を断つことによる第三次世界大戦の回避、並びに、同戦争に伴う関係諸国の国民の負担や犠牲等を考慮しますと、ウクライナの単独核武装こそ、現下にあっては最も望ましい方向性のように思えます。しかしながら、ウクライナの単独核武装が現状における最適解でありながらも、何故か、国際社会ではこの選択肢を潰そうとする人々が湧き出てきます。敵味方に関係なく、あたかも全員が結託しているかのように・・・。

 ウクライナの核武装につきましては、先ずもってロシアのプーチン大統領が脅しをかけています。ロシアが近年に策定した「核抑止力の国家政策指針」では、核使用条件の一つとして「通常兵器によるロシアへの侵略により存立危機に瀕したとき」と明記されています。同指針は、‘ロシアの安全のために非核保有国の核武装を阻止するために核攻撃’の可能性を強く示唆し、ウクライナの核武装にも適用されるものとして議論を呼んでいました。その後、同指針は先月の11月19日に改定され、「核保有国の支援を受けたロシアへの通常兵器攻撃」に拡大されることとなります。つまり、アメリカもまた核攻撃の対象に含まれることとなったのですが、この文脈において、ロシアは、ウクライナに対するアメリカの核ミサイル配備を牽制したとされます。

 実際に、11月28日付けの本ブログの記事で述べたように、ゼレンスキー大統領は、プーチン大統領の‘相応の反応’という表現による核の恫喝に屈するかのように核武装の断念を表明しています。また、バイデン大統領が「ブダペスト覚書」に基づいてアメリカに引き渡されたウクライナの核兵器の返還の可能性を示唆したことに対して、プーチン大統領は、「われわれと戦争をしている国が核強国になれば、すべての破壊手段を使ってこれを許さない」と脅しています。そして、プーチン大統領の同脅迫に呼応するかのように、アメリカのジェイク・サリバン大統領補佐官は、ウクライナへの核兵器返還は考慮していないと述べているのです。ここでも、アメリカがロシアの恐喝に屈しているのです。なお、同問題については日本国も無関係ではなく、アメリカによる日本国内へのミサイル配備について、同様の核の恫喝をロシアから受けています。

 以上に述べてきましたように、ロシアの昨今の核ドクトリンには、単独武装であれ、同盟国であれ、ウクライナその他の諸国の核武装は、核兵器の先制攻撃をもってしても阻止するとする強い意志が覗われます。しかしながら、ロシアの脅しに易々と屈するウクライナやアメリカの反応は、いかにも不自然です。ロシアこそ、ウクライナとの開戦後にベラルーシに核を配備していますし、今年の6月に「包括的戦略パートナーシップ条約」を締結し、軍事同盟国となった北朝鮮にももちろん核は‘配備’されています。ロシアの態度は、‘自分には許して他者には許さないという’呆れかえるほどの自己中心的な傲慢さなのです。そして、この恫喝を認める側も、呆れかえるほどの‘素直さ’と言えましょう。

 この点、ソ連邦時代の1979年12月12日には、「NATOの二重決定」が採択されています。1972年に核搭載ミサイルであるSS-20弾道ミサイルを配備したソ連邦に対して、軍縮を推進する一方で、NATO側も中距離核兵器を配備するとする決定です。このときには、NATO側は、ソ連邦の核戦力強化に対して核の抑止力、即ち、核の均衡の観点から同レベルの核兵器の配備をもって応じています。ところが、今般のアメリカの対応は、核の先制攻撃を含むロシアの一方的な核戦略を認めており、対抗処置を採ろうとしないどころか、自発的に核武装や核配備路線を放棄し、ロシアの前に膝を折っているのです。因みに、両陣形の中距離核兵器は1987年に米ソ間で締結された中距離核戦力全廃条約(INF)により撤廃されるのですが、SS20弾道ミサイルは、今日、ウクライナの航空博物館並びにキエフの大祖国戦争博物館に展示されているそうです。

 戦争当事国が核兵器を保有できないとする状態は、第二次世界大戦末における核兵器開発競争を思い起こせばあり得ないことなのですが、今日では、NATO諸国でもニュークリア・シェアリングも行なわれており、ベルギー、ドイツ、イタリア、オランダ、トルコの五カ国にはアメリカの核が既に配備されています。同盟国に対する核配備や‘核の傘’の提供は、核の拡散を禁じるNPTにあっても一先ずは許されていますので、自らも同盟国に核を配備しているロシアには、なおさらにこれを否定する立場にはないはずなのです。

 この理解に苦しむアメリカの露骨な屈服は、‘茶番’をもってしか説明できないようにも思えます。核の独占を許すNPT体制こそが、世界権力による支配体制を支える重要な基盤の一つであるからです。そして、それが核保有国による核の恫喝と先制使用を認めるという意味において、NPTの存在意義をもその根底から否定していることに(NPTの維持のために核戦争が起きかねない矛盾・・・)、どれだけの人々が気ついているのでしょうか(つづく)。

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NATOによるウクライナ加盟拒否の思惑

2024年12月05日 12時16分45秒 | 国際政治
 ウクライナのゼレンスキーが提案したNATO加盟とロシア占領地域の現状維持をセットとした停戦案は、早くもNATO側の加盟拒否という壁にぶつかってしまったようです。冷静に未来を予測すれば、何れか一方によって停戦が破られた時点で第三次世界大戦に発展しかねないのですから、NATO側もおいそれとは加盟を認めるはずもありません。

 盧溝橋事件をはじめ、戦争の発端が何者か、あるいは、第三者による工作であった疑いのある場合も多く、当事者双方が遵守しようとしても、外部者の思惑によって停戦の合意が破られるリスクもあります。つい数年前の2022年9月に起きた「ノルドストリーム」爆破事件でさえ、真相が全て明らかになっているわけではありません。この事件では、デンマーク沖のバルト海に敷設されていた天然ガスの海底パイプラインが、何者かの手によって爆破されています。ロシア犯行説をはじめとして様々な説が飛び交ったのですが、仮に、アメリカのウォールストリート・ジャーナル紙が報じたように、訓練を受けたウクライナ兵が同事件の実行犯であり、ゼレンスキー大統領の反対を押し切ってこの工作を命じたのがヴァレリー・サルジニー総司令官であったとすれば、停戦後も同様の事態が起きることは予測の範囲内です。因みに、サルジニー氏は、2024年3月にゼレンスキー大統領によって駐英ウクライナ大使に任命されており、この人事が同氏を‘危険人物’とみた左遷であったのか、爆破の功績を認めての栄転であったのか、あるいは、イギリス絡みの何らかのネットワークに関連してのことなのか、同情報だけでは判然とはしません。

 何れにしましても、ゼレンスキー大統領並びにその背後に控える世界権力にとりましては、同停戦案に基づくウクライナのNATO加盟が最も望ましい未来であったのでしょう。自らの望むときに、何時でも第三次世界大戦を引き起こせるのですから。しかしながら、この案は、既に多くの人々によってリスクが認識されていますので、同案の実現は望み薄です。そこで、同勢力にとりましての次善の策となるのが、ウクライナがNATO非加盟の状態で通常兵器による戦争を続けつつ、チャンスを狙って第三次世界大戦に持ち込むという作戦なのかもしれません。

 同作戦では、NATOはウクライナ加盟による第三次世界大戦リスクを回避し得る一方で、自らを戦場となすこともなく、また、軍人を含めて自国民を犠牲にすることなくして戦争を継続することができます。戦争が継続している間は、兵器は消耗品ですので軍需産業には常に利益が転がり込んできます。兵器の製造や販売等によって利益を得る戦争ビジネスにとりましては、戦争の早期終結こそが‘悪夢’なのです。戦争に対する認識が一般の人々とは真逆と言えましょう。

 アメリカを筆頭に、フランスやイギリス等の諸国も自国内に軍事産業を抱えており、それらが金融・産業財閥である世界権力の傘下にある現状からしますと、ウクライナ加盟案が第一候補ではなく、むしろ、第二候補となる同案へと引き込むための‘囮’のようにも思えてきます。

 この路線については、フィナンシャル・タイムズとのインタヴューにおいてNATOのルッテ事務総長は、ウクライナのNATO加盟には難色を示しながらも、同国への支援継続については前向きな姿勢を示しています。また、欧州諸国が資金のみを提供し、兵器等の製造はウクライナ国内で行なうとするデンマーク方式も、欧米系の兵器製造メーカーによる製造拠点の移転として理解することもできましょう。あるいは、巨額の債務を抱え、かつ、腐敗大国のウクライナのことですから、支援金は債務返済に充てられるか、あるいは、闇に消えてしまうかも知れません。アメリカにあってトランプ次期大統領の当選が決まった直後に岩屋外務大臣がウクライナに飛び、支援継続を約束するぐらいですから、日本国政府も同路線に同調しているのでしょう。

 かくして、第二案は、戦争利権に与る勢力にとりましては望ましいのですが、何れの国でも、その負担は国民に重くのしかかります。戦争当事国のみならず、支援国の国民もまた間接的ながらも‘犠牲者’であるとも言えましょう。日本国民を含む関係諸国の国民負担に鑑みますと、戦争の早期終結は急がれるのですが、NATO加盟と停戦とをセットとしたゼレンスキー大統領の非現実的な提案はむしろ障害となり、停戦を遠のけてしまいかねません。そして、他の諸国の国民の立場も考慮すれば、現時点における同問題に対する最善ではないにしても最も犠牲の少ない方策とは、ウクライナの単独核武装ではないかと思うのです(つづく)。

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ゼレンスキー提案はミュンヘンの宥和の再来?

2024年12月04日 11時48分24秒 | 国際政治
 アメリカにおける第二次トランプ政権の発足を前にしてウクライナのゼレンスキー大統領が提示した和平案は、既に暗礁に乗り上げているようです。昨日の12月3日からベルギーのブリュッセルにてNATOの外相会議が始まりましたが、この席でも、アメリカやドイツ等の主要国もウクライナのNATO加盟には難色を示していると報じられています。もっとも、アメリカの消極的な姿勢はバイデン現民主党政権によるものですので、来年1月にトランプ政権が発足した以降は、トランプ大統領が自らの選挙公約を果たすためにゼレンスキー提案に乗ってくる展開もあり得ないわけではありません。

 しかしながら、世界大戦というものが、世界権力による誘導であった可能性を考慮しますと、ゼレンスキー提案は大いに警戒すべきです。そして、ここで思い出されますのが、イギリスの痛恨の失策とされる1938年9月29日の‘ミュンヘンの宥和’の前例です。当時、イギリスの首相であったネヴィル・チェンバレンはヒトラーの野望を見誤り、チェコスロバキア領であったズデーデン地方のドイツ併合を認めることで、ナチスとの和平を実現しようとしたとされます。ズデーデン地方はドイツ系住民が多数居住していましたので、ロシア系住民が多く住むウクライナ東部の状況とも類似しています。また、ヒトラーが、同地におけるチェコスロバキア政府によるドイツ系住民の迫害を主張していた点もそっくりです。‘ミュンヘンの宥和’につきましては、平和をもたらしたとして当時は国を挙げてチェンバレン首相の決断を称賛したのですが、その後の歴史を知る今日では、ヒトラーに対して侵略の心理的ハードルを下げるとともに、世界大戦準備のための時間的な猶予を与えたとして、評価が逆転してしまっています。

 この点についてはNATOのルッテ事務総長も同様の懸念を示しており、フィナンシャル・タイムズのインタヴューの中でロシアによる北朝鮮やイランに対する支援強化といったNATOに対する敵対的な行為が助長されるリスクを語っています。加えて、中国による台湾の軍事侵攻を誘発しかねないとして、ゼレンスキー提案に潜む危険性を指摘しています。この発言は、迂闊に和平案に飛びつくべきではない、とするNATOの事務総長としてのトランプ次期大統領に対する警告なのかもしれません。

 かくしてNATO側もゼレンスキー提案に潜む宥和リスクを強く意識していることがわかるのですが、同事務総長は、‘ミュンヘンの宥和’になぞらえてはいません。もちろん、今日のウクライナのケースでは戦争の未然回避ではなく既に交戦状態にありますので、状況の違いを認識してのことかもしれませんが、もう一つ上げるとすれば、ゼレンスキー大統領の‘怪しげな姿’が浮かび上がってしまうからとも考えられます。何故ならば、宥和策を言い出したのは、他でもない、ゼレンスキー大統領自身であるからです。これまで、‘ミュンヘンの宥和’の事例をもって国際社会に対して対ロ徹底抗戦を訴え、NATOの参戦まで主張してきたにも拘わらず…。

 和平案の発案者としては、戦争当事国のトップであるゼレンスキー大統領こそ、ミュンヘン会談におけるチェンバレン首相の立場となるのですが、ゼレンスキー大統領の宥和策、即ち停戦提案は、NATOの加盟という条件まで付いています。第二次世界大戦以上に明確なる第三次世界大戦への導火線までセットになっているのです(戦争と平和のセット…)。この点に注目しますと、同提案は、いかにも‘トリッキー’です。ゼレンスキー大統領は、これまでもNATOを参戦させるべく八方手を尽くしてきましたので、今般の停戦案も、トランプ大統領の早期停戦の公約を逆手にとった、巧妙な第三次世界大戦誘導策にも見えてくるのです(この点、韓国大統領による戒厳令の宣言もシナリオ通りに行動しただけである可能性も…)。

 そして、その指南役が存在するとすれば、それはおそらく過去の二度の世界大戦をも背後から操った世界権力なのでしょう。ミュンヘンの宥和につきましても、近年では、第二次世界大戦への準備期間が必要としたのはむしろイギリスではなかったのか、という説も唱えられています。戦争回避は表向きの時間稼ぎのための口実であり、1938年当時、敵味方を演じながら、主要各国は、それとは気が付かれぬように第二次世界大戦に向けて足並みを揃えていたこととなりましょう(つづく)。

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