生きていれば、面倒なことは色々ありますが、今回は「留守番電話」についてです。面倒なことのほとんどは、「人間関係」から生まれるワケですが、それを一つ断ち切るのが「留守番電話解約」です。これについて詳しく述べる前に
新刊、『縁の切り方 ~絆と孤独を考える~』よろしくお願いいたします。
さて、私は留守番電話を2004年に衝動的に解約しました。疲労困憊している中、渋谷の道玄坂を上っていたら、ボーダフォンショップが目に入り、衝動的に「る、留守番電話サービスを解約してください……」と店のお姉さんに懇願したのですね。そこから10年、果たして私の人生はどうなったか? 留守番電話は本当に必要なのか? について解説します。
結論を言うと、留守番電話はいらない。サッサと解約した方がいいぞ、この野郎、と提案します。理由は簡単で
この10年間で困ったことが1回もないから
ということに尽きます。なぜ、困らないのか、そして留守番電話がない生活がいかに快適かを説明する前に、私が留守番電話を解約した理由についてまずは説明します。2004年6月、私はタイに2週間ほど行った後、帰国しました。当時の最新鋭ガラケーを成田空港に着いた時に電源を入れました。すると留守電が入っているマークがつきまして、留守電を聞きます。すると無機質で愛想の悪い女の声でこう出ました。
「27ケンノアタラシイオンセイメッセージガアリマス」
この瞬間、私は「はぁぁぁぁ…………」と脱力したものの、これだけ入っているのであれば、キチンと聞かなくては、と思い、再生してみたのですが、どれもこれもクソみたいなメッセージなワケですよ! 大別するとこんな感じ。
「中川さん、電話下さい」
「なんで電話に出ないんですか?」
「明日、時間ありますか?」
「電話にお出にならないので、留守電に残しました」
一体、何の用件か分からないものだらけだし、もはやこれから何かができる類のものでもありません。27件のメッセージ、すべてが意味ないんですよ。
そして、成田から渋谷に移動している最中、何件かには連絡を取ったのですが、すべては「もう解決しました」「あぁ、海外に行ってたので繋がらなかったのですね」という反応ばかり。つまり、別にオレでなくても良いどうでもいい用件だったんですよ。緊急事態も一つもない。そこで出した結論がコレ。
・留守電に入れる人は、そこまで真剣ではない
・留守電は、あくまでも「あなたに連絡取りたいよ」の意思を伝えるもの
・留守電の契約に月額の課金がある
・留守電を聞くのにもカネがかかる
さらに、留守電に吹き込む言葉って「えぇとぉぉ~、今日はぁ~、ありがとぉぉ~、ございましたぁぁぁ~。それでぇぇ~、えぇとぉ~、中川さんにぃ~~、ちょっとぉぉぉ~相談をぉぉぉ、したいことがぁぁ~。あれ、えぇとぉぉ~。またぁぁぁ~、電話ぁぁぁ~します~」みたいに間延びしたバカ丸出しのものが多い。
これをいちいち聞くのも不快なんですよ。だからこそ留守電の不要さについては、ほぼ確信を持っていたものの、決定的なものに気付きました。それは
主導権を渡される
これです。前述の「留守電の大別」に一つ付け加えることです。留守電に入れることは、「こっちは仕事をしたからな」という表明になってしまうのです。これが顕れるのが
「留守電に入れましたが……」
という言葉なのです。たとえば、商品説明のプレスリリースを出すにあたり、外注先である私に「○○食品の2月のプレスリリースを出したいのですが、中川さん、一回打ち合わせをお願いできませんか?」ということを言いたいとしましょう。それに対し、私は返事をしていない。そりゃ、海外にいるので知りませんよ(当時、海外ローミングサービスは高かった)。
相手としては、「留守電に相談のメッセージを入れたのに返事がない。よって私は悪くない、キリッ。返事をしない中川さんが悪い、キリッ」ということになるのですね。
あちらはパスを出してきた。こちらはそのパスに対して答えなくてはいけない。だが、私はパスが来たことを知らない。だが、相手は「パスを出したのに返答がない」と言う。完全に相手としては「私は私の仕事をした。中川さんが返事をしないのが悪い。私は留守電に吹き込んでいる。私を責めないでくれ。悪いのは中川さんだ」と言い張ることができるようになるワケですよ。
これが続いただけに、私としては「留守電に吹き込んだだけで、こっちが了承したことにされるのはたまったもんじゃねぇな……」と思ったんですよ。あちらは「留守電に吹き込んだキリッ」でもう仕事は終わった気持ちになっている。こっちは「いや、まだ返事していないから、了承してねぇぞ」となる。だが、「留守電にぃ、入れたんですがぁ」の威力はハンパない。
こちらとしては「オレはお前に返事していねぇのに……グヌヌ」という気持ちはあるものの、あちらさんはすべてが完結したと思っている。社会全体が「留守電に入れたら主導権は渡した」というコンセンサスがある以上、オレができることは「オレが合意するまで、主導権は渡させない」ということになります。
故に、オレは相手がオレに主導権を渡させぬためにも、自分が合意をしていないのに合意させたと思い込ませぬためにも、留守電を解約したのでした。
あれから10年、留守電がなくて困ったことがあるか? と聞かれたら。
一回も困ったことない
と断言できます。会議とか電車に乗っているために電話に出られなくても、着信履歴があれば、ちゃんと折り返します。そこできちんと話します。着信があるだけで、こちらとコミュニケーションを取ろうという意思は明確なだけに、「あのぉ、電話くださぁい」みたいな豚が寝ぼけたような声でメッセージを入れずとも、こちらは折り返しますよ。それに、本当に喋る必要があるんだったら、何度でも電話してくるでしょ?
この話をすると、若いフリーライターとかからは「そりゃ、中川さんがオッサンで、エラソーにできる立場だからでしょ?」なんて言われますが、オレが留守電を解約したのは31歳の時ですよ。31歳が若いかと言われれば微妙ですが、フリーの編集者としてはまだ若手ですよ。
その若手時代から10年間、1回も困ったことないワケです。
というわけで、皆さん、留守番電話、解約しちゃえば? 余計なストレスも、余計なカネもかからないぞ。
新刊、『縁の切り方 ~絆と孤独を考える~』よろしくお願いいたします。
さて、私は留守番電話を2004年に衝動的に解約しました。疲労困憊している中、渋谷の道玄坂を上っていたら、ボーダフォンショップが目に入り、衝動的に「る、留守番電話サービスを解約してください……」と店のお姉さんに懇願したのですね。そこから10年、果たして私の人生はどうなったか? 留守番電話は本当に必要なのか? について解説します。
結論を言うと、留守番電話はいらない。サッサと解約した方がいいぞ、この野郎、と提案します。理由は簡単で
この10年間で困ったことが1回もないから
ということに尽きます。なぜ、困らないのか、そして留守番電話がない生活がいかに快適かを説明する前に、私が留守番電話を解約した理由についてまずは説明します。2004年6月、私はタイに2週間ほど行った後、帰国しました。当時の最新鋭ガラケーを成田空港に着いた時に電源を入れました。すると留守電が入っているマークがつきまして、留守電を聞きます。すると無機質で愛想の悪い女の声でこう出ました。
「27ケンノアタラシイオンセイメッセージガアリマス」
この瞬間、私は「はぁぁぁぁ…………」と脱力したものの、これだけ入っているのであれば、キチンと聞かなくては、と思い、再生してみたのですが、どれもこれもクソみたいなメッセージなワケですよ! 大別するとこんな感じ。
「中川さん、電話下さい」
「なんで電話に出ないんですか?」
「明日、時間ありますか?」
「電話にお出にならないので、留守電に残しました」
一体、何の用件か分からないものだらけだし、もはやこれから何かができる類のものでもありません。27件のメッセージ、すべてが意味ないんですよ。
そして、成田から渋谷に移動している最中、何件かには連絡を取ったのですが、すべては「もう解決しました」「あぁ、海外に行ってたので繋がらなかったのですね」という反応ばかり。つまり、別にオレでなくても良いどうでもいい用件だったんですよ。緊急事態も一つもない。そこで出した結論がコレ。
・留守電に入れる人は、そこまで真剣ではない
・留守電は、あくまでも「あなたに連絡取りたいよ」の意思を伝えるもの
・留守電の契約に月額の課金がある
・留守電を聞くのにもカネがかかる
さらに、留守電に吹き込む言葉って「えぇとぉぉ~、今日はぁ~、ありがとぉぉ~、ございましたぁぁぁ~。それでぇぇ~、えぇとぉ~、中川さんにぃ~~、ちょっとぉぉぉ~相談をぉぉぉ、したいことがぁぁ~。あれ、えぇとぉぉ~。またぁぁぁ~、電話ぁぁぁ~します~」みたいに間延びしたバカ丸出しのものが多い。
これをいちいち聞くのも不快なんですよ。だからこそ留守電の不要さについては、ほぼ確信を持っていたものの、決定的なものに気付きました。それは
主導権を渡される
これです。前述の「留守電の大別」に一つ付け加えることです。留守電に入れることは、「こっちは仕事をしたからな」という表明になってしまうのです。これが顕れるのが
「留守電に入れましたが……」
という言葉なのです。たとえば、商品説明のプレスリリースを出すにあたり、外注先である私に「○○食品の2月のプレスリリースを出したいのですが、中川さん、一回打ち合わせをお願いできませんか?」ということを言いたいとしましょう。それに対し、私は返事をしていない。そりゃ、海外にいるので知りませんよ(当時、海外ローミングサービスは高かった)。
相手としては、「留守電に相談のメッセージを入れたのに返事がない。よって私は悪くない、キリッ。返事をしない中川さんが悪い、キリッ」ということになるのですね。
あちらはパスを出してきた。こちらはそのパスに対して答えなくてはいけない。だが、私はパスが来たことを知らない。だが、相手は「パスを出したのに返答がない」と言う。完全に相手としては「私は私の仕事をした。中川さんが返事をしないのが悪い。私は留守電に吹き込んでいる。私を責めないでくれ。悪いのは中川さんだ」と言い張ることができるようになるワケですよ。
これが続いただけに、私としては「留守電に吹き込んだだけで、こっちが了承したことにされるのはたまったもんじゃねぇな……」と思ったんですよ。あちらは「留守電に吹き込んだキリッ」でもう仕事は終わった気持ちになっている。こっちは「いや、まだ返事していないから、了承してねぇぞ」となる。だが、「留守電にぃ、入れたんですがぁ」の威力はハンパない。
こちらとしては「オレはお前に返事していねぇのに……グヌヌ」という気持ちはあるものの、あちらさんはすべてが完結したと思っている。社会全体が「留守電に入れたら主導権は渡した」というコンセンサスがある以上、オレができることは「オレが合意するまで、主導権は渡させない」ということになります。
故に、オレは相手がオレに主導権を渡させぬためにも、自分が合意をしていないのに合意させたと思い込ませぬためにも、留守電を解約したのでした。
あれから10年、留守電がなくて困ったことがあるか? と聞かれたら。
一回も困ったことない
と断言できます。会議とか電車に乗っているために電話に出られなくても、着信履歴があれば、ちゃんと折り返します。そこできちんと話します。着信があるだけで、こちらとコミュニケーションを取ろうという意思は明確なだけに、「あのぉ、電話くださぁい」みたいな豚が寝ぼけたような声でメッセージを入れずとも、こちらは折り返しますよ。それに、本当に喋る必要があるんだったら、何度でも電話してくるでしょ?
この話をすると、若いフリーライターとかからは「そりゃ、中川さんがオッサンで、エラソーにできる立場だからでしょ?」なんて言われますが、オレが留守電を解約したのは31歳の時ですよ。31歳が若いかと言われれば微妙ですが、フリーの編集者としてはまだ若手ですよ。
その若手時代から10年間、1回も困ったことないワケです。
というわけで、皆さん、留守番電話、解約しちゃえば? 余計なストレスも、余計なカネもかからないぞ。