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日本人は、いつ、どのように日本国家主義から解放されるのか 1

2009年11月16日 | 個人史・地域史・世界史
        季刊誌『飛礫』32号(2001年10月つぶて書房発行)に掲載されたキム チョンミ「国民
       国家日本、二〇〇一年  日本人は、いつ、どのように日本国家主義から解放されるの
       か」を4回に分けて連載します。



 防弾ガラスのなかの天皇一族に向かって「ヒノマル」を振る日本国民。顔に「ヒノマル」を描きいれて日本人選手を応援する日本国民。自民党候補者らの演説会場で「ヒノマル」をもつ日本国民。
 強制されないで、主体的に「ヒノマル」を掲げる日本国民が少なくない。強制されないで、日本国民が、平気で「元号」をつかう。
 二〇〇一年八月一八、一九日に共同通信社がおこなった有権者を対象とする緊急電話世論調査(ランダム・デジット・ダイヤリング。回答者一〇九二人)では、小泉日本首相の「靖国参拝」に反対する人は二三・二パーセント、賛成する者は七四・一パーセントで、小泉内閣支持率は七九パーセントだったという。民族差別をくりかえし煽動する東京都知事を支持しつづける東京都民もおおい。
 なぜ、こんなことになっているのか。

一、日本の「戦前」・「戦後」は連続している
 毎年、八月一五日正午の時報と同時に、アイヌモシリ・日本本土・ウルマネシアの各地でサイレンがならされ、テレビでは「戦歿者慰霊式典」会場や甲子園球場などで「黙祷」する日本人の姿がうつしだされる。
 なぜ、八月一五日なのか? なぜ、正午なのか?
 日本政府は、一九四五年八月一四日午後一一時、ポツダム宣言を受諾し無条件降伏した。八月一〇日から内閣書記官長らが日本国民むけに執筆開始していたポツダム宣言受諾「詔書」の審議は、その三時間まえに終っていた。午後一一時すぎ、ヒロヒトはその「詔書」を、「宮内省」に運びこまれたNHKの録音器にふきこんだ(「詔書」の日付は八月一四日であり、同日付けの『官報』号外や八月一五日の新聞各紙に全文が掲載されている)。
 八月一五日正午、「キミガヨ」のあと、「詔書」の録音放送がはじまった。
 それだけの理由で、日本政府・日本国民は八月一五日正午をアジア太平洋戦争が終った時日として、「戦歿者」などを対象として「黙祷」してきた。日本の敗戦日は、ほんとうは八月一四日だったにもかかわらず。
 一九四五年四月二八日にムッソリーニがパルチザンに銃殺され、その二日後にヒットラーが自殺した。だが、ヒロヒトは生き残ってポツダム宣言受諾の「詔書」を読みあげた。
 その「詔書」で、ヒロヒトは、「忠良なるなんじ臣民」にたいし、なおも日本の戦争目的を「東亜の解放」であったと強弁し、「神の国」である日本は不滅だが、敵が残虐な爆弾を使うのでこれ以上戦争をつづければ民族が滅亡し、人類の文明が破滅するので、ポツダム宣言を受諾すると、傲慢な口調でかたっている。
 その後、一九四七年五月三日からヒロヒトは、日本国の象徴および日本国民統合の象徴となった。
 日本の敗戦の日時もまた、日本国民にとっては、天皇制の枠内におかれてきた。日本国民(一九四七年までの約八〇年間は「臣民」)は、一九四五年八月一五日を、それまでの他地域・他国侵略を否定する起点としてこなかった。 日本国民は、一九四五年八月一五日正午に、ゼロから再出発したのではない。日本国民は、他地域・他国を侵略して奪ったものを返還せず、賠償もせず、侵略の「成果」を放棄せず、侵略して蓄積・建設した富やインフラストラクチャーを基盤にして、日本経済を成長させていった。日本の「戦前」と「戦後」は、経済的にも政治的にも文化的にも連続している。
 日本国民(「臣民」)にとって、「ヒノマル・キミガヨ」は、侵略と他地域・他国植民地化による利益獲得、国民生活向上のシンボルである。日本国民は「ヒノマル」を掲げて他地域・他国に侵入し、奪い、殺した。
 日本国民のおおくは、敗戦後も、侵略や植民地支配を否定していない。日本国民のおおくは、敗戦前も敗戦後も、侵略(領土拡大、資源奪取)に反対していない。
 一九世紀中期から二〇〇一年まで、国民国家日本の近現代史は、他地域・他国侵略の歴史であった。
 二〇世紀末の日本の「国旗国歌法」は、日本国民(「臣民」)が、他民族・他国民からの強奪によって生活を向上させてきた近現代史を肯定的に再確認する法律であった。
 日本国民のおおくは、最近になって、「あらたな帝国意識」や「あらたな皇国史観」をもちはじめたのではなく、一貫して「帝国意識」「皇国史観」をもちつづけ、天皇制を維持しつづけてきた。
 このことにかかわって、日本人イデオローグとマスメディアがこれまで果たしてきた役割は小さくなかった。
                                          キム チョンミ
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