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八幡神社
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万因の寺の隣にある。鳥居前や境内の中にも駒札等何もないので、創建時期や由緒については全く何も分からない。
八幡宮というのは八幡神を祀る神社であり、また誉田別命を祭神とする。これは日本書紀に登場する応神天皇ということになっており、基本的には神話上の存在と考えられている。日本の神社の中でも平安時代の神仏習合がかなり早くから進められていた神社となるらしい。
ここの八幡宮は正面に石造鳥居があり、少し参道を進むとまた鳥居があって、本格的な拝殿、そしてその奥に本殿が構えている。境内の敷地全体は決して広くないものの、神社の境内そのものはかなり本格的なものだ。この八幡宮はいつからあったのかはわからないが、もし仮に上記の万因寺と同じ頃に、東山にあったお寺の鎮守社としてともにこの地に移ってきたとすれば、鎮守社と言えるかもしれない。しかし万因寺の説明書きには八幡宮のことは一切書かれておらず、やはり違うのではないかと思われる。八幡神は戦いの神とも関係があると言われ、本殿には日露戦争における戦役の記念の額が掲げられていた。
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万因寺
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『万因寺由緒
当寺は元、東山仁王門あたりにあったらしく、貞観元年(八五九年)祐源開基と伝えられる。その後、応仁文明の乱(一四六六年〜一四七七年)を逃れて山科に、 隱栖した祐正(当時第一世)、本願寺第八世蓮如上人の化導を蒙り六字名号を賜わった。その孫祐清、石山合戦(一五七〇年〜一五八〇年)に功あり、本願寺第十一世顕如上人より祖師絵伝を賜わった。 後年に至り、大谷派本願寺第十三世宣如上人へ願い、釋祐念と法名を賜わり、正保四年 (一六四七年)真言宗の道場を改めて浄土真宗の一宇を創建し、石谷山万因寺と降し賜わり、合わせて本尊阿弥陀如来・十字名号を賜わった。
又、後世に至るまで新年御礼拝顔仕る許可も頂戴した。
なお、本山法要時の稚児も当寺より出仕する事になっている。以後連綿として法義継承し今日に至る。』 (説明書きより)
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万因寺と八幡宮は1箇所に隣接している。山科盆地中央部の国道1号線及び新幹線の高架線が走るすぐ横にある。国道を走る自動車の音はさほどでもないが新幹線の騒音はなかなかのもの。しかも本数が多いのでここら辺に住む人は結構黄になると思う。
万因寺の創建及び由緒については上記の説明書きの通り。平安時代の創建であり現在の東山の方にあったものが、応仁の乱を逃れてこの地に移ってきたとのこと。隣にある八幡宮との関係を考えれば、神仏習合による鎮守社としての八幡宮、と考えてしまうがこの由緒によると決してそうではないような感じだ。しかし移転してきた際に隣に八幡宮があったとしても、当時としてはごく当たり前に受け入れられていたものだろうと言うことになる。
お寺自体は本格的な造りで、山門を入るとすぐに本堂が構えており、前に広がる境内には鐘楼もある。小さいお寺では鐘楼を持たないところも多いが、本格的な梵鐘が吊るされている。除夜の鐘が撞かれると言う。すぐ隣にお寺が経営する保育園か何かがあって、子供の元気な声がよく聞こえてくる。境内には浄土真宗ということで、蓮如上人の像が立っていた。門前は八幡宮の前と共同で、少し広めの土地になっており、地域の人たちにとってもゆっくりと落ち着けるような場となる。新幹線の音はあるものの全体的にこの一角がなかなかいい雰囲気の場所となっている。
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いろいろ拝見しましたが、何やら胡散臭いような印象でした。