親王殿下のお名前は、悠仁(ひさひと)さまと名付けられた。皇族男子のお名前に、「仁」の文字を含むのは、皇室の伝統である。明治天皇は睦仁(むつひと)、大正天皇は嘉仁(よしひと)、昭和天皇は裕仁(ひろひと)、今上天皇は明仁(あきひと)と申し上げる。皇太子殿下は徳仁(なるひと)、秋篠宮殿下は文仁(ふみひと)と申される。他の皇族の男子の方々も、みな「仁」の文字がついている。
この伝統は、平安時代以来のものというから、皇室がいかに「仁」という徳を重んじてきたかがわかる。
●仁
「仁」とは何か。「仁」とは、いつくしみ、思いやりをいう。
「仁」は、シナの孔子が提唱した徳目である。儒教の道徳思想の中心にすえられ、宋学では「仁」を天道の発現と見なし、一切の諸徳を統(す)べる主徳とした。智仁勇の三徳または仁義礼智信の五常等の徳目の中にあって、他を統括するのが、「仁」である。
いにしえの大和言葉で言えば、「うつくしび」がこれに当たる。「うつくしび」に「慈愛」の文字をあてるように、「仁」とは、慈愛を垂れ、大切にすることである。
歴代の天皇は、国民を我が子のように慈しみ、大切にされてきた。それは、記紀において、国民を「大御宝(おほみたから)」と呼ぶことによく表われている。これは実に初代・神武天皇以来の伝統であって、その精神を一文字で表すのが、「仁」なのである。
●忠と孝
これに対し、国民が天皇に対して表すのが、「忠」である。「忠」は、偽りのない心、まごころ、まことをいう。忠実、忠心などと使われる。君主に対しては、臣下として、真心・誠を尽くすのが、「忠」である。
シナにおいては、「忠」よりも「孝」が優先された。君主と親のどちらかを選ばねばならない時には、「孝」を優先するのが、美談とされる。
「孝」とは、子が親を敬い、親によく尽くすことをいう。「孝」は、自分の親を大切にすることにとどまらない。祖父母・曽祖父、さらに祖先を大切にすることでもある。親への孝行は、先祖への孝養につながる。
わが国では、皇室は国民の本家のような存在と考えられ、自らの祖先をさかのぼると皇室につながると考えてきた。それゆえ、親を大切にし、祖先を崇めることは、皇室を尊ぶことに通じる。「孝」と「忠」が別々ではなく、一つに連続している。
しかも、源にさかのぼれば、皇室が本(もと)であって、国民が末(すえ)という関係になる。そこで、「忠」と「孝」では、「忠」が本と考える。これを「忠孝一本」という。
「孝」は、私的な家族道徳である。「忠」は、公的な社会道徳である。シナが私的な「孝」を優先するのに対し、日本では公的な「忠」を根本とする。これは、国民と皇室が大家族のように結ばれていると信じられてきた国柄においてのみ可能なことである。
●敬神崇祖
皇室は天照大神を祖神とする。国民もまた祖先は神々につらなると考えてきた。それゆえ、わが国では祖先を崇め、皇室を尊ぶことは、神を敬うことにつながる。また、神を敬うことは、親孝行をし、祖先を大切に祀り、皇室を尊ぶことと、一つにつながっている。敬神崇祖と忠孝一本が、日本人の生き方の根底にある。
親・先祖・皇室・神ーーこのつらなりのどれを欠いても、仁・忠・孝は成り立たない。
●和
天皇が「仁」を行い、国民が「忠」を行い、各家庭に「孝」が行われている状態。それを表す言葉が、「和」である。
日本人は、古くから国名を「わ」と呼び、「倭」を嫌って「和」の字をあてた。国の中心となる「やまと(山門)」には、「大和」の字をあてた。いかに日本人が「和」を重視してきたかを示すものだろう。
聖徳太子は、「和」を十七条憲法に明文化し、国家国民の理念として確立した。それを受けて、日本人は「和」の精神を発展させてきた。
「和」を実現するには、天皇が仁を行い、国民が忠を行い、各家庭で孝を行うことが必要である。十七条憲法、五箇条のご誓文、教育勅語の間には、千年の時を超えて貫かれているものがある。そこに表われているのが、日本人の精神、日本精神なのである。
●美しい国へ
悠仁親王殿下のご誕生により、改めて皇族の命名における「仁」の字が注目された。皇室における「仁」の伝統を思い返し、わが国に受け継がれてきた美徳を取り戻すとき、日本は「美しい国へ」と再建されるだろう。
参考資料
・拙稿「天皇に伝わる『仁』の伝統」
http://khosokawa.sakura.ne.jp/j-mind10.htm
項目01をご参照のこと
・拙稿「聖徳太子に学ぶ政治・外交・文化のあり方」
http://khosokawa.sakura.ne.jp/j-mind05.htm
項目01をご参照のこと
・拙稿「教育勅語を復権しよう」
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion02c.htm
この伝統は、平安時代以来のものというから、皇室がいかに「仁」という徳を重んじてきたかがわかる。
●仁
「仁」とは何か。「仁」とは、いつくしみ、思いやりをいう。
「仁」は、シナの孔子が提唱した徳目である。儒教の道徳思想の中心にすえられ、宋学では「仁」を天道の発現と見なし、一切の諸徳を統(す)べる主徳とした。智仁勇の三徳または仁義礼智信の五常等の徳目の中にあって、他を統括するのが、「仁」である。
いにしえの大和言葉で言えば、「うつくしび」がこれに当たる。「うつくしび」に「慈愛」の文字をあてるように、「仁」とは、慈愛を垂れ、大切にすることである。
歴代の天皇は、国民を我が子のように慈しみ、大切にされてきた。それは、記紀において、国民を「大御宝(おほみたから)」と呼ぶことによく表われている。これは実に初代・神武天皇以来の伝統であって、その精神を一文字で表すのが、「仁」なのである。
●忠と孝
これに対し、国民が天皇に対して表すのが、「忠」である。「忠」は、偽りのない心、まごころ、まことをいう。忠実、忠心などと使われる。君主に対しては、臣下として、真心・誠を尽くすのが、「忠」である。
シナにおいては、「忠」よりも「孝」が優先された。君主と親のどちらかを選ばねばならない時には、「孝」を優先するのが、美談とされる。
「孝」とは、子が親を敬い、親によく尽くすことをいう。「孝」は、自分の親を大切にすることにとどまらない。祖父母・曽祖父、さらに祖先を大切にすることでもある。親への孝行は、先祖への孝養につながる。
わが国では、皇室は国民の本家のような存在と考えられ、自らの祖先をさかのぼると皇室につながると考えてきた。それゆえ、親を大切にし、祖先を崇めることは、皇室を尊ぶことに通じる。「孝」と「忠」が別々ではなく、一つに連続している。
しかも、源にさかのぼれば、皇室が本(もと)であって、国民が末(すえ)という関係になる。そこで、「忠」と「孝」では、「忠」が本と考える。これを「忠孝一本」という。
「孝」は、私的な家族道徳である。「忠」は、公的な社会道徳である。シナが私的な「孝」を優先するのに対し、日本では公的な「忠」を根本とする。これは、国民と皇室が大家族のように結ばれていると信じられてきた国柄においてのみ可能なことである。
●敬神崇祖
皇室は天照大神を祖神とする。国民もまた祖先は神々につらなると考えてきた。それゆえ、わが国では祖先を崇め、皇室を尊ぶことは、神を敬うことにつながる。また、神を敬うことは、親孝行をし、祖先を大切に祀り、皇室を尊ぶことと、一つにつながっている。敬神崇祖と忠孝一本が、日本人の生き方の根底にある。
親・先祖・皇室・神ーーこのつらなりのどれを欠いても、仁・忠・孝は成り立たない。
●和
天皇が「仁」を行い、国民が「忠」を行い、各家庭に「孝」が行われている状態。それを表す言葉が、「和」である。
日本人は、古くから国名を「わ」と呼び、「倭」を嫌って「和」の字をあてた。国の中心となる「やまと(山門)」には、「大和」の字をあてた。いかに日本人が「和」を重視してきたかを示すものだろう。
聖徳太子は、「和」を十七条憲法に明文化し、国家国民の理念として確立した。それを受けて、日本人は「和」の精神を発展させてきた。
「和」を実現するには、天皇が仁を行い、国民が忠を行い、各家庭で孝を行うことが必要である。十七条憲法、五箇条のご誓文、教育勅語の間には、千年の時を超えて貫かれているものがある。そこに表われているのが、日本人の精神、日本精神なのである。
●美しい国へ
悠仁親王殿下のご誕生により、改めて皇族の命名における「仁」の字が注目された。皇室における「仁」の伝統を思い返し、わが国に受け継がれてきた美徳を取り戻すとき、日本は「美しい国へ」と再建されるだろう。
参考資料
・拙稿「天皇に伝わる『仁』の伝統」
http://khosokawa.sakura.ne.jp/j-mind10.htm
項目01をご参照のこと
・拙稿「聖徳太子に学ぶ政治・外交・文化のあり方」
http://khosokawa.sakura.ne.jp/j-mind05.htm
項目01をご参照のこと
・拙稿「教育勅語を復権しよう」
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion02c.htm
久しぶりに覗きました。
この項目を読んで・・・感動しました。
なんとゆう文字の説得力!
魂がおおいにゆさぶられました。
本をあまり読まない私ですが、行間
とゆうか、尊厳さ、魂の共感
静かな空間に落ち着いてゆく。
しあわせですね
まことにまことにまことにありがとうございます
文章の力というより、事実そのものの偉大さだと思います。