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渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

三原~福山バイパス/国道2号

2025年05月11日 | open



三原~福山バイパスは、20
歳未満および自二車免許3
年以内の運転者は二人乗り
禁止。
ミニカー、小二輪、軽車両
(自転車等)も通行禁止。
オールフリーの国道17号新
大宮バイパスとは大分違う(笑
横浜新道と第三京浜は80年
代は完全に二人乗り禁止だ
た。今は自動車専用道と
ての扱いで条件により二
乗りは可。
国道1号西湘バイパスは国
道2号三原バイパスと同じ
く、自動車専用道なので原
付および20歳未満ならびに
自二輪免許取得3年以内の
二人乗りは通行禁止。
西湘は昔から有料道路だっ
た。

西湘バイパスって、まっつ
ぐで走りとしてはつまらな
い道だけど、ずっと海の上
を走る高架線のようなロー
ドなので、なかなか景観が
良い。てかかなり良い。
広がる大きな太平洋沿いに

ロードがずっと走る。
湘南江ノ島から海岸線沿い
に箱根に行くには西湘が便
利だ。
神奈川県民には馴染みの道
路が西湘バイパスだ。


【道路情報】西湘バイパスが全線開通から50周年。近年では箱根や海水浴場など観光利用数が増加 - Webモーターマガジン

【道路情報】西湘バイパスが全線開通から50周年。近年では箱根や海水浴場など観光利用数が増加 - Webモーターマガジン

2022年1月27日、西湘バイパスは全線開通から50周年を迎える。首都圏在住の人以外は、あまり走ったことがない道路かもしれないが、この50年で経済波及効果は約3兆2000億円に...

 

 

 

 


プジョーのスクーター

2025年04月12日 | open



なんと洗練されたスクーター
なのかと思う。
プジョーは世界最古の自動車
メーカーだ。モーターサイク
ルも作る。自転車まで作って
いた。車界の老舗中の老舗だ。

最近は使わなくなったが、馬
力を表すのはPS(大文字が正
しい)だったが、これはメー
トル法による仏馬力であり、
1PS=735.5ワット≒0.986HP。
私などは、暫定措置で日本で
は使用されていたPS(ドイツ
語のPferdestärke(馬の力))
表記に慣れている。
現在は日本でもキロワット表
示が常用されてきているが、
法規上は1999年の新計量法の
定めにより、内燃機関の出力
は仏馬力で表記する事となっ
ている。
なお小文字のpsは法律上は使
えない。表記は大文字PS限定。

このプジョージャンゴの125
の馬力は10.2PS(7.5kW)だ。
車重は乾燥129kg。
二輪乗りたちは車重と仏馬力
から二輪の凡その走行力を判
断できる。
ベスパ LX125 3V ie はカタロ
グ上は10.8HP=10.95PS、乾
燥重
量114kg、最高速91km/h、
124cc。

私の個体は特殊年式車で排気
量は124ccではなく125cc丁度
のモデル。やや124ccモデル
よりもパワーも速度も出る模
様。出力は11PS以上あるので
は。


実際のところ、メーター読み
で私の個体は110超まで出る。
実速100程か。
70km/h制限一般道では免停
になるかならないかのあたり。
30キロ超は6か月以下の懲役
または10万円以下の罰金、加
点6点の行政処分。

80km/h制限の一般道では20
キロオーバーで、2点加点の
則金1万5000円。
私はたまたまだが、ゴールド
免許だ。法規上は優良運転者(笑

なお15km/h未満であっても
速度超過は違反。違反は違
反だ。

よく「無事故無違反」を自称
している人たちが多いが、
れは認識錯誤だと思う。
40キロ道路を実速45キロで
走行したらその瞬間に違反
だ。国道に
多い50キロ制限
の道を60キ
ロで走っても違
反。50キロ
を1キロでも超え
たら違反。

「無事故無違反」の自称は
かなり事実関係は疑わしい。
速度違反をしないのは公務
中の
警察官くらいのものだ
ろう。

広島県警とかは一時停止や
停止線無視などの道交法違
反はしょっち
ゅうやってい
るが。

過日などは原付警官が国道
185号の1車線部分で左から
追い越して
行った(笑
広島県警の警察官の車両運
は「自分中心」だ。法は
視。
困ったもんだにぃ。

これ、あかんやつ。

警察といえば、最近は所轄

の警らは白いスクーターに
乗っている。
とっつあんバイクやチャリ
ポリは消滅したのだろうか。


プジョーはオサレ。街に映
える。

でも現車を見ると、かなり
車体が大きい。



 

 


2スト小排気量二輪のチューンナップ

2025年03月11日 | open




基本的に小排気量二輪の
速度とトルクを上げるに
は、ボアアップという事
案が必ず出て来る。
道交法規制云々を抜きに
すれば、49ccよりも大排
気量にしてトルクとパワー
を得られるのが基本骨子
だ。

内燃機関において、排気
量の変更による効果は実
に甚大で、49ccをほんの
60cc未満に腰上シリンダー
とピストンを変更しただ
けで、全くエンジン出力
特性も異なって来る。
排気量は小排気量になれ
ばなるほど、ほんの僅か
な容積アップで効果がて
きめんに出る。

そして、ボアアップという
排気量変更を前提とせずと
も、同排気量でもATスクー
ターなどの場合は、駆動系
の変更により特性が変化す
る。吸排気の変更もそれに
プラスとなる。

また、WR=ウエイトロー
ラーの全重量変更であった
り、プーリーの斜面形状の
変更であったり、ベルトや
その他の駆動系の重量変更
やハウジングの開きの速度
を変える為のバネ係数の変
更だったり、いろいろなア
プローチがある。
さらには点火系の変更や、
クランク重量の変更、点火
時期や電子ユニット交換に
よる電子的なリミッターの
カット等もある。
減速比もいろいろ変更した
りもする。

実は、ギア付きの小排気量
二輪よりもATスクーターの
ほうがいじれる部分は多岐
に亘る。
だからこそ、1980年代には
2スト原付スクーターの魔改
造が大流行したのだろう。
モトチャンプという改造啓
蒙専門バイク雑誌まであっ
た程だ。

2スト原付スクーターは実に
面白い。
なぜか。
「打てば響く」からだ。
二輪改造の基本が詰まってい
ると同時に、通常のオートバ
イ以上の奥深さが存在してい
る。
そして、2スト原付いじりが
面白いのは、それは小排気量
ゆえに、いじりかた次第で爆
発的な動力性能を現出させた
り、あるいはセッティングが
少しでも外れると全く話にな
らない実態を即見せる点だ。

2スト原付はまるで生き物。
なので、いじって乗る側の生
き物も、生き物に接するよう
に取り組まないと即そっぽを
かれる。
原付スクーター。
かなり面白い。
こいつは生きてるぜ。

 

 


スクリムショウ ~ナイフ~ (2012年7月24日記事再掲)

2025年02月05日 | open




米国のガーバー社のナイフの
ラインナップにシルバー・ナ
イトという製品があった。
これがなかなか垢ぬけたデザ
インをしており、大昔からガ
ーバーファンは1本持っていた。
折り畳み式のフォールディン
グ携帯小型ナイフだ。

ハンドルには針で彫り物が施
してある。これはスクリムシ
ョウという。
いわゆる毛彫り。

象牙やクジラの骨に航海中の
船員が時間つぶしで加工し始
めたのがはじまりという。


こちらは私のガーバー・シル
バーナイト#300である。

飛翔する鴨のスクリムショウ
が彫られている。


なかなかカワイイよ、これは。
プリントではなく本物の手彫
りのスクリムショウだから、
同じ図柄の作は二本とない。


しかし、シルバーナイトのグ
リップは、象牙やウッドより
も一番似合うのが貝だと思う。


アバロンのこの美しさ。

アバロンときて、押井のあの
作品を思い出したマニアック
な貴方。

ガーバーのシルバーナイトの
アバロン、1本どうですか?
ブレードは銀紙1号だからめ
っちゃ切れます。
ブレードロック式で刃長さが
6センチを少し超えるので、
常時携帯はできません。
もっとも、6センチ未満でも
「正当な理由」なく刃物を携
帯することは銃刀法で禁じら
れていますし、軽犯罪法では
刃渡り関係なく刃物の携帯は
禁止されています。

ナイフは持ち運ぶときは厳重
に梱包していないと取り締ま
り対象になります。
キャンプ場などで使う場合、
運搬は梱包して「すぐに取り
出せない」ようにしておく必
要があります。車の中に置き
っぱなしとかいうのは、職質
くらうと逮捕されるよ。
狩猟などでも、車内にナイフ
置いたままというのは駄目で、
実際に猟銃所持免許取消の案
件が発生したりしています。
不当だ!と言っても、現場の
警察官の裁量という権力が行
使されますので、抗議しても
駄目です。日本で「武装」し
ていいのは、警察と自衛隊だ
け、ということに表向きはな
っているのでやむなし。武装
じゃないのにね、工具ナイフ
は。
最近銃刀法が改正されて、模
擬刀でも「正当な理由」なく
携帯してはいけないことにな
ったみたいで「コスプレのた
め」とか「好きだから」とか
で持ち歩くのは処罰対象にな
るようです。
だから、軍人の格好してサバ
ゲフィールドに軍刀持って来
たり、侍の格好してコスプレ
記念撮影などというのも、全
部アウトになりました。
特に本物のナイフは、首都圏
ではたとえ刃渡り2センチの
ツールナイフだろうと携帯が
発覚すれば検挙されています。
一般人が検挙されまくりです。
キーホルダーナイフでさえ逮
捕されています。私の東京の
友人は、車の中にドライバー
が付いた十徳ナイフを車の工
具箱に入れていただけで最近
検挙逮捕されています。
それと・・・車の中にマグラ
イト置いていたり、スパナや
ドライバーなどの工具を裸で
置いていたりするのもアウト
とされます、法では。法解釈
が現場の警察官の裁量という
のが、なんともそちらの方が
警戒しないといけない。

ガーバーとガバ、よく似合う。

こちらは私が仕上げたガバチョ。
オールドタイプですが、よく当
たります。
(プラ製には見えないよなぁ。
いわゆる表面処理は技法を凝
らした「時代つけ」というやつ
ですね)

 


二輪免許制度の変遷(1975~1995、それ以降)

2024年11月08日 | open



私は1970年代の16才高1の昭
和時代に自動二輪免許を取っ
た。
1975年、日本の二輪免許制度

が大変更された。
それまでは「原付、小型自動
二輪、自動二輪」の三種の免
許があり、その枠組みは改正
後も変更が
なかった。
だが、自動二輪枠の免許の中
に1975年10月から「自二車
中型に限る」という400cc
まで
の限定条件付と限定無し
の排
気量無制限免許が設定さ
れたのだ。
これは法制史上も歴史的な
「事件」だっ
た。自動二輪の
限定無の免許=限定解除は教
所では取得できない仕組み
に国が制度を変更したのだっ

同じ自動二輪免許の中で二分
化さ
せるシステムだった。
この排気量無制限の限定無し
免許は、警察の免許センター
の一発試験でしか取得でき
ない。
免許取得は超絶難易度を極め
た。もろに戦中の軍隊方式だ。
まず、服装や言葉遣いが
悪い
と審査前から不合格。敬礼の
角度と同じく、後方確認の首

曲げ角度が少しでも試験官の
意に沿わないと不合格。
とにかく100%ロボットのよ
うな体の動きをしないと不合
格。とにもかくにも不合格。
晴れて免許を取得できるまで
10回20回は当たり前、という
「合格させない為」の免許制
度となった。
そのため、白ジェットヘルメ
ットに黒手袋に黒いブーツ着
用は「限定解除法第1条」と
まで揶揄された。現実にそう
だった。新任警察官のように
身だしなみも態度もピシッと
していないと実技以前に不合
格にされた。
10回以内で限定
解除となった
ならば優秀なほ
うだ。私の知
る人では30回以
上受けてよう
やく合格した人
もいる。
この1975年免許制度の改変に
より多くの若者は400cc以下の
限定条件付対応機種に乗るよ
うになった。
現在の大型二輪とは異なり、

16才から二輪限定解除試験は
受験資格が国民には認められ
ていたが、完全なる「国家統
合の政策」として二輪の免許
制度は改変されたのだった。
国民に受験資格は認めても、
まず簡単には免許は与えない、
むしろ積極的に不合格にさせ
る事を趣旨とする、という制
度改変が1975年の二輪免許制
度改定だった。

この時期の限定付自動二輪
免許は
乗れる二輪の排気量
が400cc
までだが、いわゆる
民間で俗称される「中型
免許
=中免」というものは
存在し
ない。中型免許という
免許そ
のものが実在した歴史
は無い。
126cc以上可はすべ
てが「自
動二輪」という免許
だった。

1995年以降に初めて小型、

普通、大型という新設定免
が登場した。
1975年~1995年(改正以前)
までは、自動二輪の限定付
免許で401cc以上を運転した
らただの「条件違反」だった。
1995年以降は無免許運転で
一発取り消し扱いとなった。
1975年以降からの二輪免許と
95年以降の二輪免許は法的に
も別物なのだ。

現在は401cc以上の二輪に乗
れる二輪免許は「自動二輪限
定無し(=限定解除)」ではなく、
新設の「大型自
動二輪免許」
区分枠に変更されている。

かつての限定付き自動二輪免
許は「普通自動二輪免許」に
分類されるようになった。
ここにおいて自動二輪は完全

に三種類の免許、小型、普通、
大型
という独立免許制度にな
った。従前のように自動二輪
免許の中に排気量限定条件付

き⇔限定無しという区分では
なくなった。普通自動二輪免
許で大型二輪を運転する事は
初めて「無免許運転」という
規定に変更されたのだった。
過去に取得した自動二輪限定
解除は自動的に現行の「大型
自動二輪」に区分されて免許
証の種類欄に「大自二」と記
載される。
従前に取得して
いた限定付自
動二輪免許(=自
二車は中型限
定)は、現行法で
別個に「普
通自動二輪(普自二)」と免
許の種類欄に別枠で現在は記
載され
る。
現行は従来の自動二輪免許と
は別免許扱いなので、それぞ
れは別
免許として記載される。
四輪車で大型と普通があるの

と自動二輪も同じ扱いとなっ
た。





なお、昭和や平成時代初期に
得した四輪免許(普通免許)
は、総重量8トン以内の四輪
中型車(いわゆる旧称4トン
車)までを運転できる特別な
免許に分類される。現在この
限定付四輪免許を新たに取得
する事はできない。
新たに総重量8トンまでのト

ラックを運転するには、普通
四輪免許では運転不可で、新
たに中型四輪免許を取得しな
いとならない。
この四輪免許の従前の普通免
許で8トンまでのトラックを
運転できる措置は、運送業者
のうち、普通免許で4トント
ラックで小配送をしている
職業運転手への失業を回避す
るための措置だろう。
私も大昔は引っ越しなどでは
普通免許で4トンロングトラ
ックをレンタルして引っ越し
等していたが、現行の四輪
普通免許では運転できない
仕組みになった。
今の新設普通四輪免許しか
持たない人が4トン(総重8
トン未満)のトラックを運転
したら、違反となる。


 







 
 


オートバイの排気量

2024年10月06日 | open


(ワークスマシンヤマハYZR
750/AMA /ケニー・ロバーツ/
デイトナ200マイルレース)


日本の公道市販車のオートバイ
の排気量は、世界選手権(世界
グランプリ)や欧米の選手権レ
ースの排気量に準じて設定され
ていた長い歴史がある。
それにより
・750cc
・500cc
・350cc
・250cc
・125cc
・80cc
・50cc
という世界の選手権レースの
カテゴリー排気量が日本の公
道市販オートバイにも適用さ
れてきた。
50ccは日本では公道では原動
機付自転車に区分されるが、
世界においては列記とした
世界グランプリマシンだった。
ヤマハにおいても2気筒50の
ワークスマシンを作っていた。
(高校時代それを私は磨いて
いた)
日本人で世界初、マン島TTの
世界グランプリ(当時はマン
島TTがWGPに加えられていた)
を制したのはスズキの伊藤光夫
選手だった。1963年に世界グ
ランプリのマン島戦をスズキ
ワークスマシンのRM63で制し
た。


グランプリライダーは排気
量マウントなどは取らない。
そんな事をするド馬鹿は一人
もいない。
最小排気量の50cc(未満)で
あろうとも、最大排気量の
フォーミュラ750(750cc未満)
であろうとも、世界チャンピ
オンには同格として敬意を
それぞれが示した。
500クラスライダーが250クラ
スライダーを馬鹿にしたり見
下したりする事は一切無い。
そうしたくだらない事をやっ
て喜んでいるのは世界の中で
日本の1995年以降のお手軽
大型二輪免許を金で取って金
で大型バイクを買っておぼつ
かないニワカ載りをしている
ような頭の弱い連中だけだ。
そういうのはバイク乗りでも
なんでもない。
高額な腕時計を見せびらかし
てご満悦の馬鹿たちと同類。
決して単車乗りではない。

50原付が新車では消滅する
今、あたかも50のみは日本
の特化排気量であるかのよ
うな動画拡散をさせている
人たちが多く散見される。
それは、かなり見当違いを
している。
世界レベルでグランプリで
さえも重要視されていたの
が二輪の50cc(未満)なのだ。
そして、グランプリはその
上の排気量に80があり、125
があり、250と350があり、
最大排気量クラスとして500
があった。
1980年代初期に350と50と80
が廃止され、世界グランプリ
は125、250、500の3カテゴリ
ーに集約された。

その3カテゴリーに再編されて
からがグランプリは大変な事
になった。
ライトウエイトクラスの50と
80の選手は125に移行し、
350クラスの選手は250に移行
もしくは500にスイッチした
からだ。
大激戦時代となった。
奇しくもそれは全世界的なオー
トバイのロードレース人気と
重なり、選手層は非常に濃い
ものとなった。
日本もその影響を受けて、レー
スの選手になる人口が爆発的
に増えた。
日常的に練習のための走行券
が買えない状態が続いた。
あるカテゴリーのレースでは
決勝枠30台のところに500台
以上がエントリーしたような
事も発生した。四時間耐久で
さえ、エントリー台数1500台
でライダーが3000名以上とい
う情況も発生していた。

日本独自の排気量カテゴリー
に、WGPの350クラスをベー
スとした400クラスというも
のが公道車では登場したのが
1975年の道交法改正による
車両の変更からだ。
そして爆発人気となった400
は、それをベースとした市販
車改造プロダクションレース
のベース車ともなった。
そして1980年代初期から日本
独自のロードレースカテゴリ
ーであるTTフォーミュラ3が
登場する。
これはプロダクションクラス
とは異なり、市販車ベースで
ほぼ改造無制限だった。
ただし、排気量は4スト車は
400cc未満、2スト車は250cc
未満と規定された。
世界グランプリのようにエン
ジン形式が4ストだろうと2ス
トだろうと同排気量とする
規定にすると、4ストは逆立ち
しても2ストの速さには勝てな
いからだ。雲泥の差。
だからこそ、同排気量縛りの
世界グランプリでは2ストの
レーシングマシンばかりが
1970年代初頭から2000年まで
の30年間定番だった。
4スト車も勝てるレースとして
は大排気量4スト車によるレー
スが欧米では開催されていた。
それでも、そのマシンをボア
ダウンして500にしてWGP
などに持ち込んでも全く勝負
ならないどころか速度差が
あり過ぎて危険なので、誰も
そのような事はしなかった。
世界中が。

4スト車は倍近くの排気量が
ないと2スト車には勝てない
のだ。これは今でもそう。
2スト車の10000回転は4スト
車の20000回転にあたる。
エンジン構造が異なるので
同排気量ならば2ストのほう
が圧倒的(超絶圧倒的)に
速いのは物理的に仕方ない
事なのである。
ホンダが性根を入れて本気

で作った4スト500ワークス
マシンでさえも、全くお話
にならない結果だったのは
事実だ。
そのため、ホンダはGPに復
活してから3年間を棒に振り、
ようやく「勝つための車」
である2ストNS500を開発し
本格的にWGPに全戦投入し
たのが1982年だった。
開発車は1981年に既に完成
していた事だろう。
ホンダはようやくお家芸の
4ストではなく2スト車で
世界を制し、それ以降のヤ
マハとスズキの独走を抑え
る事に成功した。
グランプリ車両が4スト車に
ルール変更になるまで、ホ
ンダはかつての絶対王者だ
ったヤマハと鎬を削った。

そして真のライダーである
二輪の選手は2ストや4スト
の拘り
は無い。速いマシン
に乗りたがるし、乗る
のだ。
レースをやらない一般公道
車両ファンにおい
ても、2
スト絶対主義や4スト
しか認
めないような人間は
真のバ
イク人ではない。

2ストの事を芋虫だと言って
見下したり、4ストの事を
鈍重ドンガメと言って馬鹿
にしたりするような人間は
まともなバイク人ではない。
これはどんなに世界的に高名
なチューナーであってもだ。
真のバイク人は、エンジン形
式に拘らず二輪を愛している。
得手不得手はあるが、己の
得意とするエンジン形式以外
を蛇蝎のように嫌ったり、侮
蔑的に見下す事は本物の人は
しない。
たとえエンジンがロ
ータリー
であろうとだ。
内燃機関が搭載されている二
輪全体を真のバイク人は愛し
てい
る。

普段自分が乗る排気量などは
どの排気量でもいいのだ。
バイク人ではないニワカや
ニセや贋物野郎たちのみが
人の排気量や免許区分を馬
鹿にして喜んでいる。
本物の人間のクズで頭の弱い
ニセモ
ノたちだ。
125スクーターに乗っている
女の子を直にその場で排気量
マウントで馬鹿にしたり、ネ
ットで愚弄したり誹謗中傷し
たり。
ただ免許を持ってバイクを
転がしているだけの本クズ
は世の中に結構多い。
そいつらは、バイクを下りて
も人間が腐れ外道で社会の
ゴミだ。
そして、私はある事実に気づ
いている。
そうした事をやっているネト
カスやリアルでのマウント
クズたちは、実はまともに
バイクを運転できない。
おぼつかない超ドントロ走
行しかできない。
これ、結構鉄板で笑える。
実力がまるで無い奴に限って
虚勢を張って中身の無い自
分をどうにか維持したいの
だろう。
カスやクズやスカは社会に
おいて全員それをやる。
それはどの分野でも。

ゴミ人間は意外と多い。
だが、数が多いのが正義では

ない。不正義は不正義であり、
ゴミはゴミだ。


 

 
 


ライトウエイト・ホビー・モーターサイクル

2024年09月18日 | open



私自身は軽量趣味二輪として

このまとめ方は極めて好みだ。
この仕上げのモデルならば、
これだけでこれを見ながら酒
がかなり飲める。
ノーマルから換装タンクを載
せて、セパハンに
バックステ
ップにした仕様。

ライト周りステーやブレーキ
周り等の細
かい改造や排気系
の改造等もあるが、仕上がり
に色付けの取って着けた感が
全く無い。
まるでノーマルでこのままメ

ーカーが売っていそうな自然
さを醸し出しているまとめ方
だ。
タンクをオールドスタイルの
マッハSS350カラーにしてい
るのもワンポイントになって
いる。

SS350。通称マッハ2。45PS。

クラス最速だった。音が独特。
ヤマハのように透き通る音で
はなく、野太いカワサキの2
ストの音。加速するとクォウ
ワッ!という音と共に爆発加
速した。旋回性能は良くな
い。
旋回性はヤマハRDのほう
が圧
倒的に良質だった。



上掲トップ画像の4スト単気
筒と同機種ベースでここまで
いくと、逆にトラッドな英国
に寄り過ぎていて、微細な
和感を覚える。


単純にまとめ方、仕上げ方の
方向性の違いだが、そうした
ものは個人の好みによるだろ
う。
醤油ラーメンが好きなのか味
噌ラーメンなのか、あるいは
醤油つけ麺なのか、みたいな。
同じラーメンでもいろいろと
人によって好みはあるような、
その手の類かと思う。
ただ、人それぞれ「琴線」に
触れる仕上がり方というのは
確実にあるだろう。
上掲トップのマシンのまとめ
方は、センスとして私はツボ
った。ずっと見ていられる。
日常的に乗れるちょい乗り用
を含めて、ロングもいける車
でこのようなまとめだと超絶
ほしい。
だが、この車種は120km/h以
上巡行ではピストンとバルブ
にトラブルが発生するし、カ
ムチェーンテンショナーとか
いろいろ問題も抱えている。
セカンドバイクとしてこの車
種を選んで、このSSカラー車
と同じようなまとめ方にしよ
うかと思っていたら、走行相
方の奴から言われた。
「その車はやめてくれ。一緒
にツーリング行けなくなる」
と。
つまり、2スト250ではないの
で、TON-UPは最初からでき
ない車であり、高速道路の高
速度巡行は完全に不能な車種。
TON-UPどころか、新東名の

120km/h制限区間でも合法
速度ぎり一杯で巡行継続した
ら車が壊れる、という車種。
走行能力は4st原付125に毛の
生えたようなものであるのは
確かだ。ヤマハのSR400でさ
えTON-UP巡行は不可能だ。
やはり現行の4スト単気筒の
250は非力だ。ホンダがよく
30PSもの単気筒250を出して
いたなぁと思うが、この画像
の車は20PSだ。
ヤマハの2スト125のRZ125が
22PSだったのだから、その倍
の排気量でさらに低い馬力な
のだからいかに「走らない車」
であるか分かるだろう。
(仏馬力の表記は大文字でPS
が世界的決まり。公式文書で
は世界的に小文字のpsは使用
できない。日本の雑誌やネッ
トでは誤表記が蔓延している
が、正確には大きな誤り。な
お仏馬力と呼ばれるが、PSは
ドイツ語のPferdestärke(フィ
エドシュテァカ=馬力)を略し
たもの)

だが、上掲トップの車は、私
からすると見た目はとてもカ
ッコ
いいと感じる。
このスタイルで軽く200
km/h
程出る車だったら申し分
ない
のだが(笑
大排気量では200km/hなどは

現在は当たり前だが(かつて
は地球上では公道用二輪では
排気量を問わず200km/hの壁
存在した)、このスリムさ
軽量と250未満の排気量で
200クリ
アの車だったら最高
だ。
そもそも、現行のどれでも

即200出る大排気量車を前提
に速度を語ったり概念化する
のなどはバカバカしくて話に
ならない。比較で大排気量車
を持って来るのさえ非常識で、
ほんとの論外。それやるのは
本物のバカだ。ジェット戦闘
機を前提として「ゼロ戦は遅
いから」とか言い出すような
馬鹿さ加減だ。

別な例えをすれば、普通車の
四駆車の積載量について考察

している時にダンプを対比さ
せて普通車は積載量が少ない
ら等云々するようなもの。
だが、そうした本馬鹿は大型
二輪簡易免許制度以降日本で
はドワッ
と増えた。小さい日
本人。視野狭窄のくせに大海
を知ったが如く傍若無人に振
舞う慮外者らの推参。
それ以前にはそういう排気量
マウントなどを取る大馬鹿は
不存在だったが、1996年以降
は一気に爆発的に増えた。
多分、難関大学受験が偏差値
32程度の中学受験のように簡
単になった事で有頂天になっ
て自分が偉いと思い込む人間
的素が出た人が大量発生した
のだろう。
そしてそうした愚者たちが小
排気量乗りや普通二輪免許者
の他者を睥睨して喜んでいる。
よほどそれまでの人生で底辺
ばかりにいたコンプレックス
があるのだろう。虐げられた
感を自己発生していた人生だ
ったのだろう。哀れだ。

今やド下手だろう
と誰でも乗
れる大型二輪を
以て優越感に
浸りたいだけの
精神的スカ族
がよくそういう同排気量での
比較が脳内考察不能で、別物
を持って来て対置させようと
するド頓珍漢な発想を
する。
そして免許マウントや排気量
マウントを取って自慰的に喜
んでいる。

哀れな存在ではあるが、現実
社会では腐臭の漂う本物のカ
スたちだ。

匿名ネット掲示板でもその手
はやたら多い。

そういうマウントクズたちは
大抵は峠ではその自慢の大型
で原付
にぶち抜かれたりする。
なのに虚勢のマウントの自慰

行為を公の場でやる。キモい。
そういう小さな害虫のような
のが群
がってごちゃごちゃ蠢
いている。

害虫は殺虫剤で一気に殲滅す
る対象でしかない


結局はTRとエストレヤのエン
ジンはトコトコ用設計
なので、
やはり街中やちょい
乗りの趣
味的モーターサイク
ルの範疇
になるだろう。高速ドカンは
物理的能力としてでき
ない。
高速道路と自動車専用道路も
一応通行はできる原付、程度
に捉えておいたほうが無難だ
ろう。
となると、オールマイティー
に使いたいサブマシンとして
の選択からは外れる事になる。
「用途特化車」であり、それ
ゆえに複数台所有しなけらば
ならないという結果になり、
経済的には非効率的。
お金持ちのお遊びでしか持て
ない機種となる、という要素
を具有の二輪となる。
結論的に、所有は手控える。
友人からストップ要請かかっ
た時に、それを瞬間的に考え
て購入するのは踏みとどまっ
た。

ノーマル状態のカワサキ エス
トレヤ。
これはこれでノーマルでいけ
るが、どうしてもいじりたく
なる食指をそそる車でもある。



でもねぇ、何だか売れてる
みたい。
新車は数年前に製造中止に
なったけど、中古市場でつ
い先ごろまでエストレヤは
玉数が500台程あったのに
今は200台ベースにまで減
少した。
新車からの放出は無くなっ
たのだから、それだけ中古
の在庫がかなり売れている
という事だろう。
初心者からベテランまで楽
しめるオートバイなんだよ
なぁ。瞬発力と最高速は低
いけどさ(笑



 


1989 MFJ GP TT-F3 青木宣篤が全日本国際A初優勝 & GP250

2024年08月27日 | open

1989 MFJ GP TT-F3 青木宣篤
が全日本国際A初優勝 & GP250


史上最年少高校生国際A級
青木信篤選手が国際A級F3
で初優勝のレース。
青木選手の横にはキャンギ
ャルレースクイーンの岡本
夏生当時23才(笑

TT-F3は市販車改造クラス
で、4スト400cc未満、2ス
ト250cc未満のレギュレー
ション。
1980年代当時、GP250クラ
スよりもファンの間では人
気があり、メーカーもワー
クスをF3クラスに投入する
程だった。
純レーシングマシンで戦わ
れるGP250よりも市販車改
造(ステージ3チューン)
のレースのほうが人気があ
るという日本固有のカテゴ
リーだったが、世界選手権
は純レーサーのみで戦われ
るので、レース関係者では
純レーサーでのGPクラスに
こそ将来設計では力を入れ
ていた。
だが、市販車改造クラスは
即一般公道市販車の販売成
績に直結したので、メーカー
も力を入れていた。
なお、現在は600ccクラス
(過去の250に相当)は純
レーサーでのレースではな
く、市販車改造クラスとな
っている。
GP250マシンの速さは、こ
の1989年時点で筑波で57秒
台だ。そのほんの何年か前
にはA級で1分0秒台だった
のに。
この時期、毎年いかに車が
速くなっていたかが判る。
筑波57秒台などは1983年時
点では「フレディ・スペン
サーしか出せないだろうタ
イム」などと呼ばれた幻の
タイムだった。
感覚としては陸上短距離で
100m8秒台で走るような異
次元のタイムの感じだった。

 



 


 


無課金おじさん ~銀メダリスト ユスフ・ディケッチ選手~

2024年08月03日 | open




今話題の無課金おじさんこと
トルコのディケッチ選手。
イケオジとしても話題だ。
さりげない佇まいでの射撃
が注目された。

だが、ポケットに手を入れて
いるのはポーズではなく、中
でしっかりと「ロック」(専
門用語)を取っているのだ。
きちんとしたワンハンド射撃
の基本は一切崩していない。
これがトルコのスタイルだろ
う。


種目は10mのエアピストル
競技。炭酸ガスを使って競技
用専用ピストルで鼓弾を射撃
する。(日本では一般人は
所持できない空気銃の実銃)
過去に日本人がオリンピック
で金メダルを獲得したピスト
ル競技は.22口径の実弾射撃
競技だった。
日本人でも国内でピストル
射撃は可能だが、実銃の保
管は警察に預ける事になる。
また、ピストル競技の選手
と法執行機関の者しか実銃
けん銃は触ってはいけない
法律になっている。
これは戦後から。
終戦までは、日本国内でも
誰でも銃砲店で拳銃が購入
できた。
なお、軍隊の将校装備のピ
ストルおよびリボルバーは
自弁、つまり自費で購入す
るのが決まりだった。
そのため、事実上、好みの
実銃拳銃を将校は装備する
事ができた。
軍刀も然り。自弁だ。

戦後銃刀法制定以降、日本
での民間人の銃器保有は非
常に厳しくなった。
特にけん銃に関しては、国
家の法執行機関勤務者が職
務で携帯する以外は一切禁
止。職務執行者も携帯する
けん銃は私物ではない。仕
事上一時貸与の物で、所有
権は国にある。
ただし、国内でもピストル
射撃選手のみは競技用けん
銃のみを所持できるが、銃
の保管は猟銃やライフルの
ように自宅保管はできない。
警察に全てけん銃は預ける
法律になっている。
当然、発射薬を使ったけん
銃競技の選手で一般人は少
なく、ほぼ全員が自衛隊か
警察関係者となっている。
エアピストルのほうはやや
一般人に門戸が開かれてい
る。
いわゆる玩具銃のエアソフ
トガンとは大きく性能が異
なる「実銃」の空気銃だ。
玩具銃のエアソフトガンは
法規定の威力を超えたら
「準空気銃」として実銃に
みなされ、所持しただけで
銃刀法違反となる。
けん銃所持は1年以上10年
以下の懲役。
玩具銃に関しては、国内メ

ーカーの販売しているガス
ガンであるならば法的規制
値以下の威力なので、所持
は何ら問題はない。
ただし、各都道府県の条例
により、18才未満は所持で
きない物と所持できる物に
分けられている。
なお、玩具銃は長物につい
ては黒い
金属製でも所持し
ても違法ではないが、
けん
銃タイプの銃の遊底や本体
ボディ
に黒い金属を使用し
た製品は、
所持すると銃刀
法違反とな
る。海外製の製
品の所持に
は、たとえ玩具
銃であろう
と厳格な注意を
要する。


イケオジのユスフ・ディケッ
チ選手は猫好きな独身。
法執行機関畑の人。



印象(2017.8.18記事編集再掲)

2024年07月22日 | open



2016年初冬のフィールドにて、
付き合い長いゲーム仲間が

私のことを私といえばイメ
ージは FAL だと言っていた。


FN FAL は1970年に望月三起也
先生の隠れた名作の反戦漫画
『夜明けのマッキー』を読ん
で以来、ずっとFAL

ファンだった。まだM16さえも
国内でよく知られていない時代
に、私は望月先生が描いたリア
ルなフィクションである『夜明
けのマッキー』に出てくるアフ
リカの白人傭兵部隊が装備して
いる FN FAL に心が奪われた。
10歳の時だった。














FALは世界初のモデルガンメー
カーである日本のMGCから「夢
のブローバックシリーズ」とし
て発売される予定だったが、つ
いにMGCが1990年代に任意解散
するまで発売されることはなか
った。

1980年代にJACという統一協会
のエアガンメーカーがガス式エ
アソフトガンの英国版FALであ
るL1A1を発売したが、プラステ
ィック製のために、剛性がまっ
たくないどうしようもないモデ
ルだったので、私は購入するこ
とはしなかった。統一協会だし。


そして、トイガンの世界では
FN FALを世界で初めてフルメタ
ルで製作販売したのが香港のト
イガンメーカーのキングアーム
ズ社だった。

ディティールの甘いところはあ
ったが、日本人が協力し、日本
の無可動実銃のG1(ドイツ版FAL)
を実測して採寸製作されており、

なかなか雰囲気はリアルなもの
を醸し出している。

バージョンはいくつもあり、現
在は超廉価な価格帯に抑えられ
たが、発売当初は電動ガンのFAL
が1丁95,000円程した。その頃の
ロットは非常に丁寧な作り込み
の製品だった。



ところが、広島のエアソフト
倶楽部(河川敷の複数チーム
合同ゲーム会)のリーダーの
先輩は、私のイメージがFALだ
というメンバーに対し、「そ
うなの?俺のイメージはXMな
んだよなぁ」と言っていた。

私のXM使用期間はかなり長い。
東京時代もコクサイのスーパー
ウエポンのXM177だったし、
それが発売される前も自作改
造ポンプアクションXM177だ
った。

コクサイのXM177はセミしか
なかったが、実によく働いた。
あれは本当に良くできたモデ
ルだった。

電動ガンが出てからは、東京
マルイから電動XM177E2が発
売され、これはホップアップ
機構が追加されたらすぐに購
入して、内部をカリンカリン
にチューンし、しばらくした
らアルミ無垢のメタルボディ
を購入して自分でブルーイン
グしてそれにマルイメカボッ
クスを搭載した。

バレルは当時勢いがあったTN
バレルを組み、メカボックス
の内部チューニングで弾速も
かなり出していたが、ゲーム
ルールのレギュレーションに
合わせて、2008年銃刀法改正
以前に1ジュール未満どころか
0.2g弾で初速90m/s未満に落と
している。

こうした弾速のコントロール
はメカボックスを自分でバラ
して各種調整などを自分でで
きるから実行できる。

トイガンファンは大抵「自分
でいじる」ことができる人た
ちばかりで、まったくトイガン
をいじれないという人のほう
が少ない。

ゲームだろうが何だろうが、
歩いて前に進むのは自分なの
で、自分の銃のメンテナンス
くらいは自分でできないと、
ゲーマーとしてもまったくは
じまらない。
ただし、「腕の良い友人チュー

ナーに委託する」というのは、
その腕を買っての事なので大い
にアリだろう。

XM177E2とE1(一部。別な
フルメタルXM177は整備中)



FN FAL は戦後東側のAK47と
並んで地球上の東西を分けた

区分けで西側資本主義国を代
表する軍用小銃だ。

戦後各国は小口径化の軍用弾
を採用すべく開発していた。

それは西側諸国の趨勢だった
のだが、米国がごり押しで、
自分ら
の採用するM14小銃に
合わせて軍用弾を7.62×51と
決めて
しまった。
ベルギーFN社や英国兵廠など
は小口径弾用に開発していた
銃器
の開発をストップさせて、
戦時中の米軍弾頭と同じ弾頭
径の7.62
ミリ口径弾仕様の軍
用銃を開発せざるを得なかっ
た。

そして、実際の出来レースの
米軍軍用トライアルでは後の
M14を
米軍は採用し、世界中
にNATO弾としては当時とし
ても強力過ぎる
7.62ミリ=.308
弾をNATO弾として採用させた
のだ。

FN社は米国の軍需産業の思惑
に乗せられ、やむを得ずFALを

7.62ミリ仕様にすることでトラ
イアルに参加した。

米軍はトライアルと称して、
大量のFALをベルギーから仕入
れて国内
生産し、無刻印のま
まで世界中の反共組織に横流
しした。いわゆる
これが俗に
いうCIA FALと呼ばれるもので、
反共傭兵部隊などの装備となっ
た。

1979年のソ連のアフガンへの
軍事侵攻に対抗するためにゲ
リラの
ムジャヒデン=イスラ
ムの聖戦士であるオサマビン
ラディンのアルカ
イダを育て
たのは米国だが、それと似た
ような裏で糸引くことは戦後

直後から米国軍需産業は官民
一体となって世界中で行なっ
ていた。

「やかましいわ、あそこ」と
なったら平気で乗り込んで行
って暗殺と殺戮を
実行するの
が米国だった。

日本に対しても、戦後多くの
暗殺事件が「事故」や「犯人
不明」のまま
実行されてきた。
下山事件、松川事件、三鷹事
件などは米国諜報部
の犯行で
あろう。今後も日本でも要人
暗殺は繰り返されるだろう。
そもそもが、自国の大統領を
「こいつは使えない」となっ
たら暗殺する
ような国がアメ
リカ合衆国であるので、他国
での暗殺などは平気の
平左だ。
「あいつは悪」というフレー
ムアップを世界中にばらまき、

テロ抑止と称して他国に乗り
込んで行ってその国のトップ
を殺害する。

こういうことを21世紀の現代
においても大手を振って行な
っている
のがアメリカ合衆国
なのである。

ビンラディンを育てたのはア
メリカだし、9.11ツインタワー
自作自演
激突の前にはビンラ
ディンの家族を国家の保護付
きで国外へ逃がし
たりしてい
るのにビンラディンを殺した。
予定通り。

フセインもカダフィも殺した。
予定通り。

たとえどんな独裁者だろうが、
一国の元首を他国の国家の軍
隊が
乗りこんで行って殺害し
て「これが正義だ」としてよ
いという道理が
この地球上の
人の世にあるわけがない。

だが、アメリカ合衆国はそれ
を今でもやっている。

それの御先棒を担いでいる提灯
持ちの茶坊主が日本である。

だが、なぜISには米国は公式に
軍事派遣して乗りこんで行か
ない
のであろうか。それには
それ相応の裏の事情があるか
らだ。
じっくりと絵を描いてそれを米
国は実行している。ISが政権を
取るだろう事も見越しているの
が米国だ。
また、北朝鮮にはなぜ攻めない
のか。北朝鮮には原油がないか
らね。
それ。


私がやってるのは、遊びのゲ
ームだけど、遊びのゲームな
できないまじもんの国では
当然にしてサバゲ(英語では
エアソフトという和製英語が
海外での標準語になっている)
などはできない。

存外まじもんをやってる連中
も、それが日常になっている
ので、毎日
緊張状態の連続と
いうことではないのだけどね。

銃に関しては、FALはそれほど
紛争地帯では出回っていない。

圧倒的に多いのが中華帝国製
のAKだ。北朝鮮物も多い(質
は最低。中華製はアモは結構
いい)。

それと、M16A1も結構東南ア
ジアでは多い。というか、か
なり多い。

出回っているアモが良くない
ので絶対に使いたくない銃だが。

M16用60連バナナマガジンなど
という変態マガジンも現地には
あったり
する。
まあ、でも、まじもん国であっ
ても、本国人も外国人部隊の連
中も、年がら年中ピリピリして
いるわけではない。


「落ちるなよ~。恐竜に食わ
れちまうぞ~」てなもんで。



広島ゲーム参加においては三原
組3名はXM177を使用する予定
で今後はアイテム整備に入る。

という情報を仲間内でリークし
たら、北部方面組もXM177フル
メタルを装備する
計画があると
いう。多分実行するだろう。
うちの一派の西部方面組はAK
装備だ。

いよいよ、紛争地ぽくなって
きたが、こういうことを不謹
慎だと考え
てはいけないが忸
怩たるものが微塵も無いのも
よくない。
なぜならば、サバゲなどは所詮
「趣味の悪い遊び」であり、

争ごっこであることには変わり
ないので、呵責に似た忸怩たる
思いがプレー
ヤーに微塵もない
としたら、これまた傲岸に過ぎ
るからだ。

逆に不謹慎であると断定できる
のは、そういう傲岸や自分に対
する刃を向けて
の自省や自問が
一切存在しないサバゲーマー
が、
3.11東日本震災の直後直近に見
せた態度・言動・言質に現れた
ような
非人間的なものの考え方
のことであり、国民受難の直後
にサバゲのゲームで遊ぶことを
正義
である事か何かのように捉
えているトンチキおけさ全開モ
ードという
アホ脳ゆえ自分たち
の無軌道ぶりを自覚していない、
というような事例が
極めて不謹
慎な事柄なのである。
国内で同胞がどんどこ死んでい
る直近直下において、疑似とは
いえ戦死ゲームを楽しんで行な
おうとして「我々が普段と変わ
らない日常を見せてやるのが東
北の人たちへの心遣い」と言い
切る連中とは、私は少なくとも
同じ空気の中で「お遊び」など
は出来ないと判断する。

広島ゲーム会とは私は今も良
好な関係にある。
主宰は私の3歳年上の先輩ゲー
マーで、広島県内の市内河川
敷ゲーム=広島エアソフト倶
楽部(個別チームが連合して
ゲーム月例会を開催している。
すでに20年程の歴史がある)を
ビシッと取り仕切っている。
リーダーは、なんというか古武
士みたいな気概の人。問題が発
生しても絶対に逃げない。安心
の安定感と潔さを備え、多くの
人の信頼を獲得している。
そういう人って、いそうでいな
い。九州人。


2017年の次回の広島河川敷へ
の参加は、XMが4名になる可
能性大だ。
コルトナンバーはM629である。

恐竜に食われちまうということ。
Jurassic Park (4/10) Movie CLIP - Tyrannosaurus Rex (1993) HD


亡国の閣僚

2024年07月15日 | open

 


バカは永田町にいる。

 


国道2号線バイパスの規制 ~松永・三原間~

2024年05月06日 | open
 

国道2号線バイパスは自動
二輪車の二人乗りは規制が
あります。
20歳未満又は免許取得3年
以内の者は二人乗り禁止。
さらに、自動車専用道路
なので、125cc以下の原付
(原付1種、原付2種)の通行
は禁止です。
福山~松永間は原付も通行
可。二人乗りも規制無し。

遠方からの通行者はご注意
ください。



PCはクリックで拡大

広島県三原市から原付で東に
海沿いを走る際には国道2号
線バイパスは通れないので、
下道の国道185号→下道国道
2号線を走るしかありません。
(広島県呉市からの国道185
号線は三原市糸崎八丁目バ
イパス交点で国道2号線とな
る)

三原市東部の海岸線を走る国
道185号線は、旧国道2号線で
す。
景観のよい道。


大正時代。


現在の同地点。


昭和初期。

この道が西国街道(旧山陽道)
だった。古代山陽道は内陸部。

国道2号線は昭和30年代に開通
した。


国道2号線と三原(1960年代
末期)。斜めに走る道路が
国道2号線。現在の三原の住
宅密集地エリアは私が大学生
だった1980年代初頭頃にも
田圃しかなかった。街であっ
たのは旧城下のみだった。


三原帝人と国道2号線。
まだ国道2号線は完成開通して
いない。昭和30年代。






旧城下エリアのみが街だった
のが三原だった。
「三原」と今では一概に言う
が、元来「三原」とは、三原
城周辺の狭い街区のみの事を
差した。今は市政管轄部まで
すべてを三原と呼んでいるが、
本来「三原」といったら城=
駅周辺のエリアのみの事だ。
これは1600年代の江戸時代初
期から昭和末期の1988年頃
まで。三原に数百年住む人の
感覚と市民(戦前からの)の
概念はそれだったようだ。

明治期の人口河川である西野川
と帝人(帝国人絹)の工場。
1960年代末期。北側から南方角
を撮影した写真。
写真一番奥の橋が国道2号線。
その一つ手前が国鉄山陽本線と
呉線の鉄橋。
一番手前の橋が「かじ新橋」。
通称土橋。昭和7年に架設され
た。元々は石製欄干が低かった
が転落者が相次いだので子ども
の肩ほどの高さに欄干が設置
された。
平成時代にこの橋は撤去され、
現在はクランク状の道路が敷
設されて新橋が架かっている。
なぜ土橋かというと、元々の
橋は木橋の上に土が敷かれて
いたからだという。
欄干付きの石橋になってから
は、その石の欄干部分は戦後
に城下の子どもたちのベーゴマ
削り台となった。
平成時代にも欄干手渡し上部の
真ん中が削れて溝状になってい
たのが確認できた。
私の叔父や小学生のその仲間た
ちがベーゴマを強化するのに
平べったく背を落とすために
石部分に擦りまっくったのだ。
現在の三原市西町の街の子ども
たち。
この川の右側は江戸期には海。
左側が城下町。
かじ新橋は「梶新橋」とも書か
れるが、あて字だろう。
城下西町には江戸期には鍛冶屋
が数十軒あった。大元の語源は
「鍛冶新橋」だったと思われる。
明治以降の架設とはいえ、三原
という場所は昭和末期まで江戸
時代とさして変わらぬ土地だっ
た。湾岸埋め立てエリアに企業
工場が誘致されていても。

現在の市内西部住宅密集地は、
かつては城下外の農村地帯であ
り、その風景は1980年代初期
においても江戸時代から時間が
止まっているかのような風景だ
った。

1980年代初期もまだこんな風景
だった。

線路脇の用水溜池で釣りをする
中学生。昭和30年代。国立広島
大学附属中学の子たちではなか
ろうか。


三原という場所は風光明媚だ。
二輪で走っているとそれが楽
しめる。
また、鉄道の車窓からもその
景色に目を奪われる。



 


 

作る楽しみ

2024年02月21日 | open


ホンダCB125カフェレーサー

実に綺麗な造り込みだと感じる。
原動機付自転車は50~125まで
だが、普通四輪免許で乗れるの
は50cc以下まで。それ以上125cc
未満の車両は免許区分では自動
二輪小型免許が必要になる。
だが、このクラスは非常に面白
い。
車両登録管轄は各市町村となり、
地元の市町村ナンバーが着く。
125以上の二輪と違い、もろ地元
ナンバーとなる。
そして、何が面白いかというと、
いろいろな改造ができるのが
楽しい。
ギッチギチの法規制でいうなら
ば車両の改造には法的制限が加
わるが、普通二輪・大型二輪の
ような厳格な規制ではない現象
がある。(普通二輪以上はハン
ドルの高さを変えても不可)
ゆえに、プラモデルを作るよう
に、自分の好みの車にしていく
事が原付自転車では「事実上」
可能となる。

この上掲画像の125カフェレー
サーなどは原型をとどめていな
い。
実に綺麗に、かつ、カフェレー
サーのセオリーを墨守した作り
込みを見せている。
作った人のセンスが光る。
バックステップ取付ステーなど
も自作だろう。
モチーフは往年のホンダのワー
クスレーサーである事は観て
すぐに判る。



半ケツではあるが、60年以上前
にすでに膝出しハングフォーム
は使用
されている。

カフェレーサーって、結局の
ところは「レーサーレプリカ」
の事なんだよね。内実が。
タイムリーな時代的様相として
は。
そういう意味では、究極のカフェ
レーサーは、1980年代の日本の
2スト250レーサーレプリカだっ
たともいえる。
その時代のレーシングマシンを
念頭において公道マシンでレー
サーに近づけたストリートマシ
ン作り、という点で。

ある意味これが究極形のカフェ
レーサー。


保安部品外して、分離給油でなく
混合仕様にして、各部のネジを
ワイヤーロックしたら、それで
もう即サーキットでの競技に使
えるマシンに変身するのだから、
今考えると、日本のメーカーは
とてつもないモデルを作ったも
のだと思う。
さらに、ワークスレーサーや
市販純レーサーのエンジンパー
ツを市販公道車に組み込める
ような互換性を持たせる作り
込みもやっていた。
もうね、どうなってるのだ、と
いうような時代。

だが、そうした時代が日本の
二輪車の技術開発を飛躍的に
向上加速させ、世界の二輪車
の開発力の底上げになったの
は歴史の中で確かな事だ。
日本人が考案したレーサー
レプリカを否定するのは、
それは世界史の中での二輪の
技術開発そのものの中心軸に
あるものを否定する事になる。
単なる社会問題化したローリ
ング族などの現象面だけを見
て、世界の中で最高峰最頂点
だった日本の二輪車の存在と
開発に携わった日本人たちの
スピリッツを拒絶否定する権
利は誰にもない。
現代の目の前の事象だけを
視野狭窄的に見て、大きな勘
違いをしてはいけない。
2ストエンジンやロータリー
エンジンを否定するのも、そう
した客観的な歴史的俯瞰性を
持たない視野狭窄の思考がも
たらすものだ。
人類が歩んできた過去の英知

に敬意を払わない思考法は、
未来をもその者たちは作れな
い事を自ら証明しているよう
なものだ。
過去を知って未来を見つめる

能力が無いのは幼稚園児時代
だけでやめておいたほうがい
い。





350cc(未満)のオートバイ

2024年01月09日 | open
 
カワサキKR350。
なぜゼッケン1がついているか。
それは世界グランプリにおいて
このマシンが一番だったからだ。
これ以外は「その他大勢」でし
かない。
世界最高峰は1台、一人しかいな
い。
世界グランプリという選手権は
そういうもの。世界の頂点に立
つチャンピオンは一人しかいな
い。
 
私が二輪の全排気量の中で一番
好きな排気量は250だ。
それは、世界戦においての一番
ガチバトルドッグファイトがあ
るクラスだったからだ。WGP
での花形クラスでもあった。
だがミドルクラスとしては、
本の公道特定モデルの400
ではなく、世界共通の350が
一番好
きだ。
理由は、それはかつて世界グラ
ンプリ=世界選手権の過激熱戦
クラスだったから。
最大排気量クラスはそれはそれ
で人気はあったが、真の熱戦の
バトルが繰り広げられるのは
350や250だった。
しかも、たった100ccの違いで
350は250に比べて化け物性が
とても高く、最大排気量クラス
への参加も350マシンで可能だ
った。
 
公道走行市販車という二輪も、
スポーツである世界選手権に
準じて排気量のクラス分けが
設定された。
なのでかつては公道車も中型
ミドルでは350がマックス
気量の車だったのだ。
400よりも実は350が熱かっ
たのである。
 
この350は最高だったぜ。
ハマナンの青い風。

400の時代再来か ~オートバイ~

2024年01月02日 | open


【新春コラム01】400ccの時代が来る!? CB400 vs Z400に期待 | Webikeプラス

【新春コラム01】400ccの時代が来る!? CB400 vs Z400に期待 | Webikeプラス

251~400ccまでの400ccクラスはガラパゴス区分と言われ、長らくラインナップは下火になっていた。ところが近年は逆に活発化してきており、2023年はZX-4Rや新型エリミネータ...

Webikeプラス

 

元々400ccクラスというのは世界的
には存在しなかった。
同クラスで存在したのは、世界グラ
ンプリ純GPレーサー350ccクラスの
人気を受けてライトウエイトミドル
クラスとしては350ccがメインだっ
た。
日本製オートバイも、それに倣って
公道市販車のミドルクラスは350cc
クラスを各メーカーが意識してライ
ンナップしていた。
だが、スズキが371ccの3気筒市販車
を出し、ホンダはマルチとして408cc
の市販車を出して対抗した。
カワサキとヤマハは世界GPのカテゴ
リーを背景に350以下にしていた。

ところが、日本での自動二輪免許
取得制度が1975年に改変された。
自動二輪の中に排気量で運転の
可否を決める区分を初導入した
のだ。
そして、自動二輪は400cc以上も
乗れる排気量限定無しの免許条件、
400cc未満までしか乗れない中型
二輪限定条件付という2種類分け
に改定した。
同じ自動二輪でも、限定無しの
免許は教習所での取得ができない
ようにし、公安委員会での一発
実技試験のみにした。
「免許を取らせない」為の免許制
度なので、一発合格は非常に狭き
門となった。5回10回受験はあたり
前、という時代になった。
その不合格理由は、返事が悪い、
ヘルメットの色がいけない、服装
がよろしくない、きをつけの姿勢
が悪い、印象が悪い、等々であり、
そうやってどんどん検定不合格に
された。ウインカー出すのが1秒
遅いとかも。後方確認の首の回す
度合いが少ない、とかでも。
結果、二輪車新規ユーザーの殆ど
が中型限定二輪免許となった。
限定解除は不合格にさせる為の
制度だったので、受験を続ける
人たちも、諦めて中型限定で
我慢する人も多かった。
気合入れて8回で取ったとかは
まだ受験回数少ないクチだった。

そして、日本国内は二輪車製造
メーカーも新免許制度に合わせ
て400cc以下のオートバイ開発
製造にシフトした。
ホンダは408ccで発売していた
CBをスケールダウン改造して
新免許制度に適合する車種に
したし、逆にカワサキは350ク
ラスから400クラスにボアを
上げて来た。
ヤマハも350から400クラスに
ボアアップ、スズキも続いた。
1975年から1995年までの20
年間は、日本独自のカテゴリー
である400クラスがオートバイ
の中心軸となった。
世界規模ではミドルクラスは350
が中心だったが、WGPでは350が
廃止された。
ロードレースはそれまであった
50、80、125、250、500、750
が125、250、500の3カテゴリー
のみに絞られた。
日本の大型車の自主規制の750
以下という排気量規定もWGP
750を意識したものだったが、
それも意味を為さなくなった。
WGPでの350は市販車の750を
遥かに超える高性能高速二輪
で、最大排気量のWGPクラス
に350で参加する事も可能だ
ったほどだが、やがてそれら
のカテゴリールールも排気量が
固定化されていく。

一方、世界的なロードレースの
人気上昇に伴い、日本でも爆発
的なロードレースブームが1980
年代に発生した。
市販車改造クラスの日本独自の
カテゴリーが新設された。
それはF3(フォーミュラ3)と
いうカテゴリーで、ハイパワー
の2ストは250ccまで、4ストは
400ccまでの排気量の車両が
出場認可された。
2スト250と4スト400はほぼ
同等の性能だったからだ。
コーナーは2ストが速く、最高
速は4ストが高かった。
ほぼ全車両近くがホンダの2スト
で埋め尽くされた時代が1年のみ
あったが、基本的には4スト400
と2スト250はほぼ互角だった。

アメリカ政府の圧力で日本は
日本人自身が作った免許制度
を改変せざるを得なかった。
アメリカの脅しはヤクザな手口
で、日本の免許制度によって
米国製二輪が日本市場で売れな
い、二輪免許制度を改変しない
ならば四輪車や二輪車の日本車
の自動車関税を大幅に引き上げ
るぞ、と脅してきた。
日本政府は親方アメリカの鶴の
一声でアッという間に折れた。
日本という国はそれ。
そうした米国の要請に逆らうと
米国特殊機関によって暗殺さえ
される。これは戦後直後からの
多くの暗殺事件の実例がそれ。
「事故死」や別な狙撃者を犯人
と仕立てられての「銃撃死」等。

日本の二輪免許制度は1995年に
大幅に変更された。
自動二輪枠を小型、普通、大型
に分けた。
それまでの小型二輪、自動二輪
(限定付、限定無)を廃止した。
そして、排気量無制限の大型二輪
免許をかつての自動二輪免許の
ように教習所で取得できるよう
にした。
ただし、教習所の講習内容は
大改編され、極めて簡単な検定
内容に改変した。
例を挙げると自動二輪限定解除
時代の一本橋通過時間は15秒以
上だったが1995年以降は10秒だ。
それはかつての自動二輪中型
限定付免許のタイムだ。
車両の引き起こしも現在は超
簡単になっている。かつては
どこも「引き起こし専用車」が
用意されていた。タンクには
砂が満タンの不動車だ。
そして、教習所では不思議な
現象が登場した。
限定解除が存在した時代まで
は、乗車姿勢は背筋は伸ばさ
ず、背骨の力を抜いてごく自然
に軽く丸くなるような指導だっ
た。肩は落とし、両肘も張らな
い。
だが、それがどうした事か、
直立硬直乗車姿勢を教習所で
指導するように変化した。
一般公道で、二輪運転者の乗車
姿勢を見れば、即いつ免許を
取ったのか判別がつく。
硬直カカシ固まり石仏載りを
している人たちは、全員がも
れなく新免許制度以降に初め
て二輪に乗った人たちだ。
だが、しかし、それは二輪の
乗車操縦には完全に不適合な
姿勢なのだが、乗っている人
たちは人間が世の中盲目的従順
さを持つのみの人々になったの
か、その誤謬について自己検証
しようとはしていない。
物理的にも医学的にも間違った
方法を洗脳されたままでそれを
鵜呑みにして危険な運行を続け
ている。
限定解除時代には、たとえ大型
だろうと中型だろうと、立ちゴケ
をする人間などは今のように
蔓延していなかった。
しかも、Uターンがまともにでき
ないというのなどは二輪に乗る
資格さえ認められなかった。
理由は、「それは運転ができ
ない事」だから。
だが、今の時代は違う。
二輪に乗れない人たちでも公道
通行許可証として免許証が取得
できるのだ。

数年前、乗り屋の若者二人と
峠を降りて昼食に行った時、
速い乗り屋の子から言われた。
「乗れてますね。Uターンも
普通にできてたし」と。
一瞬意味不明だった。
免許持ってるのだから、Uターン
できて当たり前だし、できない
と免許は取れないでしょう、と
思ったが、現代はどうやらそう
ではないらしい。
そういえば、その日、一緒に
走っていたそこそこ速く走れる
若者も、400のネイキッドの車
Uターンさせられず、途中で
何度も切り返していた。
それか、と食事中に分かった。
今の時代
の一般的な趨勢を。
オートバイが運転できなくとも
免許が取れてしまう時代なのだ。
特に新規大型免許を取得した人
たちは、無理して大型車に乗っ
ているので、なおさら全く運転
おぼつかない。そういう人たち
だらけだ。今の日本国内の公道
は。残念な現実として。


400の時代がまた来るかも、と
二輪メディア関係者たちは口を
揃えて言う。

来るかも知れない。
ヨーロッパのメーカーも日本市
場をあてこんでか、400のライン
ナップを展開し始めた。

400の時代が来るのもいいかも。
なぜならば、パワーを国内道路
では出しきれない現在の大型
二輪は、見栄とステイタス感の
自己満足だけの事物になって
しまっているからだ。
だからこそ、そういう族がいる
から排気量マウントなどという
かつては存在しなかったねじ曲
った人間も大量発生している。
それが誤解も呼び、単純に車
に興味を持って排気量を尋ねた
だけで「ナンシーおじさん」とか
普通二輪免許の若者たちに毛嫌い
される事態を引き起こしている。
マウントなどを取る脳足りんが
いる状況が情勢を作った。
ステレオ
脳の若者も若者だが。

二輪の最高速は人間が出すので
はない。車両が出す。
そこも大型車乗りたちは勘違い
と心得違いをしている人間が
今は非常に多い。

速度が出たのは自分の腕かと
大きな勘違いをしているのは
ごまんといる。
だが、それらは峠などの曲線路
連続の場所に行くと自分より
小排気量車にぶち抜かれたり
する。
いわゆる「直線番長」だ。
そうやって二輪に接するのは
くだらない事だ。

私個人は、今のカブブームは
大型車の現状の使用のされ方
何か釈然としない人たちが
新たな二輪の楽しさの原点を
振り返る要素が強いのではと
思っている。
そうした背景があるならば、
これから始まる400ブームは
一つの日本人の原点回帰、
本当の二輪の楽しさを見つめ
なおすある種のムーブメント
の起爆剤になるかも知れない。
400クラス復活にはそうした
未来への可能性がある。
ガソリンエンジンの歴史の
最後の一期間として。
閉じる未来の展望だが、閉じる
事から始まる新たな未来もある
かも知れない。
400クラスの二輪の人気復活に、
私は日本の二輪のモーターリ
ゼーションの発達の観点から、
大いに期待したい。

何かしら、1990年代初期のレー
サーレプリカからネイキッド
人気に移行した時と同じ空気
と予感を感じるのよね。
今後始まる400クラス人気の
高まりと、日本人の大型二輪
離れ
という傾向は。
大型車には大型車の魅力がある
のに、それを「ステップアップ」
として、大型車が最上位で中排
気量や小排気量を格下に見下す
感性などは日本人の中から消滅
してしまえばいいと私は思って

いる。
世界グランプリライダーには
そうした詮無きさもしい感性
の人は一人もいない。
500ccチャンピオンだろうと
125ccチャンピオンだろうと、
同じ同格チャンピオンとして
互いに敬意を示していた。
何か、学ぶものが日本人には
あるのではないかな。
彼らスポーツマンから。