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渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

グリップの保持位置 〜二輪走行技譚〜

2025年04月02日 | open
 


 
二輪のライディングにおいて、
グリップの保持位置はいろい
ろなやり方がある。
教習所では嘘教えが多く、グ
リップの両端近くを握らせよ
うと強制する教官も多い。
理由は「梃子の原理で、遠い
ほうが軽い力でレバーを操作
できるから」との事だそうだ。
単一的な固着思考であり、
多角的見地からみて見識が浅
すぎる。

あくまで私の場合だが、私は
スロットル側も左手側も、グ
リップ部の円筒部だけを持つ
保持方法は採らない。
グリップはなぜ凸形状になって
いるのか、ということだ。
私の場合は、凸部の平面部分
に指を接触させている。


理由は、無段階回転の円筒で
あるスロットルを1/120回転
毎に任意に制御操作するには、
円筒部だけを持って回転させ
るのは人間には困難で、円筒
保持に加えて面に接触させ
いる部分があると、円筒の
転そのものが精密に操作で
るからだ。これは物理的な
として。
特に2ストローク車でのスロ
トル操作は非常にシビア
で、
円筒部をいきなりクルン
と回
したらプラグが被ってし
まう。

とりわけレーシングマシン
などは公道車とは比較にな
らない程
超シビアで、外見
上は見えない
ほんの僅かな
力を指に加えただ
けでエン
ジン回転は3000rpm程
跳ね
上がる。レーサーのスロッ

トル操作はアクセルを回転
させ
ない。繊細に絞るよう
に操作す
る。ガバッと開け
てツキを待つ
ようなのは
「馬鹿右手」と呼ば
れて、
そんな雑で出鱈目な操作

2ストレーサーに乗るレーシ

ングライダーは誰もやらな
い。
そのような馬鹿右手だと、
鈴鹿
のS字登りで被って止
まって
レッカー車載りがオ
チだ。


この技法は何も2ストレーシ
ング
マシンだけでなく、繊
細なスロッ
トルワークが要
求される公道で
の二輪走行
にも同条件の物理
現象が発
生する。4ストマシンで
も繊
細なスロットル操作は必須

だが、特に2スト。
2ストに乗っていながらスロ
トル操作が全くできない
人は
多く、目の前で実見し
てみると、有名なユーチュ
ーバーも
まるでスロットル
コントロール
ができていな
い。動画でも然り。

要するに「馬鹿右手」であ
り、
ガバッとアクセルを回
して、あ
とからエンジンの
ツキを待つ
ようなスロット
ル操作をして
おり、ツキが
来るまでのタイム
ロスと混
合気の不完全燃焼を
乗り手
が与えてしまっているの
だ。

日本の毛筆書きは空中に手
浮かせて筆を操作して文
字を
書く。
これは非常に高度な技が必
だが、筆書きだからでき
る。

鉛筆やペンなどでは手の部
を机の盤上に接地させる
が、
非常に安定して文字が
書ける。

この原理と同じ事が二輪の
スロットルの凸部の鍔部分
手を接触させる事で発生
する。

そして、それにより、スロ
トルは1/120段階分けの
微細で
繊細な適切開度を与
える操作
が可能となる。
二輪のアクセルは回して開
るのではなく絞るのだ。

なお、上掲図は走行状態の
ある
部分のシーンでの保持
方法で、
これは走行シーン
により形状
は可変する。
親指側が鍔部分にくっつく
場合
もあるし、人差し指と
親指の
付け根を全部ペタン
と鍔部分
に接触させる場合
もある。

手の内は握りしめない。
日本刀の操作と異なるのは、
本刀の保持方法は一切鍔
に指が
接触しない(でない
と自在に
刀身を振り回せな
い)点だ。

これは縦横無尽に円弧運動
させる日本刀の運刀原理
二輪車での回転方向しか
動か
ないスロットルの操作
という
差異による違いだ。
どちらも物理的特性から来
操作の違いとしてある。
二輪のスロットルはぐるり
と回転させるよう
に操作す
るのではなく、繊細
に絞る
ようにして最適適合燃
料量
をエンジンに送り込んで

るのだ。
たとえ超低速時でも200km/h

超の場合でも。速度により
開け幅は異なるが。

「アクセルは回すな、絞れ」
というのは私が1970年代中期
にヤマハ系レーシングチーム
にいた頃に先輩レーシングラ
イダーたちから徹底的に教え
られた事だった。
その後、日本選手として初め
世界チャンピオンになった
片山
敬済さんのメカニックを
やって
いた柳沢雄造さんと懇
意になっ
た時も、ゆうさんか
ら耳タコ
程にスロットルは絞
れと叩き
込まれた。どやしつ
けられるように。
店に到着すると、雄造さんは

私の二輪の排気管部分を指で
触り、オイルで濡れていたら
どやしつけられた。
スロットル操作ができていな
い、二輪などやめちめえ、と。
サーキットではレーススター
以外では半クラ発進などせ
ず、
短い半クラでつないでか
らは
あとはスロットル操作だ
けで
パパパパァァァ~とピッ
トロード進ませろ
とも。
公道でさえも信号からの発進
などでもそれをやれ、と。
交通事情など無視なのだが(笑
とにかくスロットルは回すな
絞れ、を大昔から叩き込まれ
が、それは先達たちの共通
長い実践経験から得た高度
知見があったからだ。
そこには事実としての物理現
の現出に対処する適合処理
とし
ての操作というものが存
在する。

私が手をグリップの内側に寄

せるのにはもう一つ大きな理
由がある。
それは、グリップエンドのバ
ランサー付近を保持するより
も手を中に寄せたほうがハン
ドルの振動が減少する現象が
どの二輪でも発生するからだ。
たぶん、共振点の問題が作用
していると推察できる。
そして、さらに重要な事があ
る。
それは、手を中に寄せたほう
がフロントフォークの伸縮と
タイヤが路面を捉える状態、
つまり微細な振動や挙動が
ダイレクトに感知でき、それ
によって接地感を掴みやすい、
という物理的現象から来る
適切な操縦判断を促進しやす
い、という事柄が確実に存在
する事。
それゆえグリップは中側方向
に寄せた部分を私は保持する。
グリップの外側を握ると挙動

把握が大味になるのだ。
力でねじ伏せる場合には端

握りのほうがよいのだろうが、
それよりも微細な挙動を逃さ
ず感知して適正操作を下す
のほうが重要だ。
接地感は
走行の命だからだ。

レバーの握り位置については、
可変の手の内を用いて任意の
位置に指をかけて操作する。
テコの原理が云々だから端を
握れなどという一面的な偏波
な発想は全捨象しないとなら
ない。
二輪走行の大敵が固着脳、思
の停止だからだ。
モーターサイクルは「考えて
乗る」乗り物なのである。

 

じげんりゅうの木刀(2021年9月8日記事再掲)

2025年01月10日 | open
薬丸どんの自顕流の小太刀
だ。
野太刀木刀と共に流派の方か
らの
頂き物。
私は流派が違うので、これで
実際に
稽古はしないが、かな
り気に入って
いる。木刀の研究にもなる。
野太刀木刀は丸太棒みたいだ。
武蔵の削った櫂の木刀のよう
に。
薬丸どんのとこの普段の稽古
では
ユスの木のただの太枝を
木刀とし
て、とにかく奇声
とともに横に束
にしたユス
の枝を連続してぶっ叩
き続
ける。
幕末に薩摩の殿様が「狂人の
術なのか?」と気分を害し
て席を
立った程に、常人らし
からぬ長く
高い叫び声を発し
叩き続ける。
薬丸自顕流では、音曲の笛と
琵琶
の稽古も稽古をする若者
の素養とし
て必須であり、
れにより武技の
拍子(リズ
ム)と長息の呼吸法の
要点
を覚える。薩摩琵琶は弾
くだけでな
く、声を出して
うたう。祇園精舎の
平家物語
ような悠長古雅なもので
はなく、まるで津軽三味線
のように
激しく、慟哭を響
かせるような音調
と勢いが
ある。現代風に言うならば、
弦調のアタクック感が極め
て強い。
 
一般的な日本剣道形で使う小刀
(しょうとう)木刀との比較。
 
昔、ある物切り大会に出た。
自由刀法演武の時、ある参加者
が、
真剣を蜻蛉(風)に構え(あれ
は取って
はいない。構えていた)、
「チェス
トー」とはっきりした
発音でバリト
ンの音階の大声
叫んでドタドタと走りな
がら畳表を切った。
会場からは感嘆のどよめきが
上がっ
た。
 
私は思った。
これは自顕流ではなく自己流
だ、と。
素人が生半可な知識のコレク
ション
を貼り合わせてこしら
えてやってる、
と。
それに対し、会場のこの賛
辞の
どよめきとは、みんな
腰に刀を差し
ていながら、
ど素人大集合なのか?
と。
本物の猿叫は「チェストー」
などと
は一切発声しない。
「キィーッ!!」
に近い甲高
い雄叫びだ。
今目の前で何か大声だしてド
タドタ
やってるのは真っ
赤なニセ
モンにごわんど
と思った。
 
そうしたら、その人が大会優
勝した。
ああ、物切り大会なんてのは
こんな
もんか、と思った。
爾来、そこの大会には出てい
ない。
今から30年ほど前の話だ。
世の中ナンチャッテは多いし、
それ
を見抜けない人も多い。
 
左:自作木刀。
自分が属する流派の手さばき
刀術も
稽古できるように造形
に工夫を入れ
た。
中:一般木刀。娘が中学の時
に剣道
二段取得の剣道形の稽
古で使用。
日本剣道形の稽古は私がつけ
た。
普段は木刀での稽古だが、一
人稽古
では真剣を振らせて刃
筋を覚えさせ
た。
右:一般の市販流派木刀。反
り強し。


厚みの違い。
左の私の自作木刀は、二天一流
の木
刀を参考に新陰流の木刀の
工夫点も
採り入れて、土佐英信
流の運刀さば
きに適した造形に
した。


鋒(きっさき)部分。


土佐いあいの真剣はまっつぐ
過ぎる
程にまっつぐだ。長さ
は定寸で短い。
あれは幕法を守りながらも、
土佐の
流儀の抜刀術を駆使で
きるように設
定しているの
ろうと推察する。
これは妄想ではなく、現実的
な現象
を見ての推察。
 
直伝英信流17代宗家大江先生
の刀。
現在は高知の英信流後継者の
先生が
所持管理している。
戊辰戦争での斬
り合い
痕跡がある。
大阪でのフランス兵との揉め
事で、
土佐藩士を介錯したの
が大江正路
(まさじ)先生だっ
た。切腹の儀は、
次々と潔く
果てるあまりに壮絶見事
な土
佐藩士たちの割腹ぶりに、

では懲罰にはならんと
フランス将官
が途中で中止
させた。
 
ちなみに、1970年市ヶ谷自衛
隊基地
での三島由紀夫先生の
介錯刀は
警察から遺族に返
却され、うちの
MCの者が
陸自二尉時代から
遺族より
委託されて所有者
登録
て本刀を管理している。


 
 


ベスパLX125ABSに新色登場

2024年05月29日 | open


 

ベスパから「LX 125 ABS」の2024年モデルが登場!クラシックベスパのDNAを受け継ぐモダンな1台

ピアッジオグループジャパンが、ベスパのラインナップの中で最も軽量コンパクトで、エレガントなクラシックベスパのDNAを受け継ぎながら、新たなボディカラーやシートカラー...

バイクのニュース

 

あ~、これは可愛い色だ。
この空色とレモン色が結構
いい。


イタリアンカラーといったら
レッドとイエローだけど、特
装自
動車業界でいうところの
高価
色系って退色するんだよ
ね。
赤や黄色は。
下地に白を必ず塗らないとい
けないので塗膜は別色よりは
厚くて強いのだけどさ。
特に黄色などはむらになりや

すいので、塗装業界では一番
難しい色とされている。
赤はもう現在存在する塗料で
は耐候性が低く、完全に退色
するのはやがて来る必定。
かみさんが乗っていたベスパ
100なんて、イタリアンレッド
だったのに退色してオレンジ
調が強くなっていたし、色番
によっては赤色は退色でピン
クがかったりもする。
赤色が退色するのは、これは
もう紫外線による影響なので
防げない。赤の顔料は窒素元
素を含有しているので物理的
に光を吸収しやすい。

一切退色色褪せしない赤塗料
を発明
したらノーベル賞物だ
と思い
ますよ。(大げさか)

この私のベスパ LX125ie3Vも、
そのうちどん
どん赤みが薄れ
て行く事だろう。


退色を視野に入れてか、ベスパ
の赤色は真紅ではなく、最初
からややオレンジを含む色調
にしてある。退色時の色変化
が真紅より顕著ではないので、
それを狙ったものだと推察する。

ベスパはなぜこのモデルLXie

だけ125ccジャストなの?
他のモデルは124ccなのに。
ベスパはよくわからない。
かつてあった2ストのベスパ
100なんて「100cc」ぴったり
だしさ(笑
ただ、1ccでも違いは出ていて、
このLX125ieは馬力もトルクも
124cc物よりも少しだけ
高い。

私個人は全ての2輪にABSなど
は無いほうが
よい。人力制御
のほうが私の乗り方と二輪の
科学的解釈においては安心

実。握りゴケ、踏みゴケ(は

新世代4stベスパには無いが)な
どは私は絶対
に二輪でやらない。
後輪踏みすぎて制御不能でマシ
ンごと吹っ飛ぶなどというのは、
それは二輪を運転できない事と
同義だ。
私はやらない。突発的シーンで
あっても。

最近のSS高額モデルはあえて
リアブレーキを利きにくく標
準設定されている(これは
二輪の物理性の原理を的確に
操作で実現させる為のメーカー
側からのセッティング。極めて
重要な意味を持っている)。
そうした装置が無くとも、リア
ブレーキを使う場合にセンシ
ティブに
使う方法はあるのよ。
それは、ブレーキペダルでは
なく、ペダルのステーを踏む
のさ。足裏で掴むような感覚
で。さらにそれでの繊細タッチ
の使い方のやり方、技法もある。
これは秘伝だけどさ(笑
本間ちゃんみたいに3億円とは
言わないけれど(笑

 
 

 


パティーナ

2024年01月16日 | open



1874年製コルトSAA

美術の世界には「パティーナ」
というものがあります。
それは象牙などが典型的なの
ですが、「経年変化」による
象牙の飴色に変化する状態を
指す時にパティーナと呼ぶ。
良い味が出て来る状態の事を
指し、日本語でいうならば
「時代がついている」という
美術界での表現になります。
日本刀の世界では、金を使っ
た金具などに「金錆」と刀剣
界で呼ばれる経年変化の風味
などもそうしたパティーナの
一つです。
これは、使い込んで発生した
味の場合もそうした概念で括
りますが、使い込みによる
「用の美」とも別な概念とし
て表現される言葉が「パティ
ーナ」です。
英語の美術の世界でもよく
使う単語。

上掲の1874年のコルト・シン
グル・アクションは、完全に
ブルーイングが剥げてしまっ
ています。
しかし一切錆びてはいない。
百数十年の間、良性保管の為
か、手入れされ続けている為
か、表面保護のブルーが剥げ
て鋼鉄の地肌が出たままでも
錆びていない。
この時代の風合いがパティーナ。
これが赤錆が出たらパティーナ
とは呼びません。
それは「風化」であり、朽ち
て行く事。パティーナとは、
創作物が経年変化を見せながら
もある種の不朽性を持つ状態を
指します。

この時代のパティーナは日本の
法律の下での非鉄金属の亜鉛
合金(白もしくは黄、金以外は
銃刀法違反)やプラスティック
では表現できません。
また、プラスティックに特殊
処理をしたブールイングでも
この実銃の経年変化のパティー
ナは表現できない。
どんなに巧みな技術でブルー
イングを施しても、実銃のパ
ティーナは出せません。
似て非なるものになる。日本刀
のベタ研ぎ=花魁研ぎのように。

私見ですが、実銃のブルーが
剥がれた物でも、アンティーク
ガンに見られる「金属表面が
露出しているのに一切錆びて
いない銃」というのは、私は
鋼鉄が日本刀の表面のように
「不働態化」しているのでは
と思う。
古い日本刀が錆びないのは、
そうした化学変化によるもの
であって、毎日磨いているか
らではない。
表面が化学変化により、錆が
発生しないような被膜が形成
されるのが不働態で、実銃の
アンティークガンもそのよう
な状態になっているのではと
私は推察します。

このような私あたりのプラへの
ブルーイングでなくとも、遥か
に職人技を有する人がプラを
ブルーイングしても、実銃の
アンティークガンのパティーナ
は表現できません。
これはこれで実銃ぽいのですが、
「使い込んだ実銃ぽい」範疇を
超えていません。
やはり本物の時代の重みを超え
る事は、後年の創作物では難し
いようです。

どんなによく見積もっても、
「まあ、お上手ですね」という
程度のブルーイングでしかない。
実銃の150年の歴史を再現する
には程遠い。
というか、再現はできない。
それは日本刀が鎌倉南北朝時代
の刀身を現代では復元できない
のと同一線上の定めにある。


ライダーズカフェの行く末

2023年08月29日 | open


現在休業(数か月)。


オートバイに乗る人たちは今
気づいて
いるだろう。
数年前のプチバイクブームの頃に
ライダーズカフェがドッと増えた
事を。
そして、現在はそれらの多くが
廃業閉店している事を。

それの原因は推察できる。
まず、一般的にも飲食店というの
は順調経営がかなり困難である
という事。
そして、モトカフェは二輪乗りを
対象にしたカフェであるので客層
が限定的である、という事。
この客層限定というのが曲者で、
モトカフェの根幹にも関わるの
だが、まずそのターゲット層たる
二輪乗りたちは飲食代を盛大に
使いますか?という問題がある。
二輪ライダーはごく近所の裕福
な常連以外はツーリング等の旅
途中でライダーズカフェに寄る。
一般的な町中の喫茶店以上に金
は落とさないのである。
食事もコンビニおにぎりやせい
ぜいファストフードやファミレス
等の廉価
な物で済ます程度だ。
あるいは最近は高額になった

ラーメン屋等で。

では、ライダーたちだけでなく、
観光客も含めての集客狙いの
営業方針にしたらどうか。
それも、かなり厳しい。
本格レストランで修業した料理人
がライダーズモトカフェの店長
である事はほぼ無いから。
仮に料理が値段相応の極上逸品
だとしても、値段の額面自体が
高かったら財布の紐が超堅い二輪
乗りなどは注文などしない。
また、一般観光客もそうそう年中
来店する訳ではない。厳しい。
まして、レンジでチンの調理物
ばかりでは一般観光客はまず
一度来たら二度と来ない。
では、腹を空かした二輪乗りは
というとレンジでチンの調理物
でも厭わない層ではあるが、
その店を根城とするような層が
大量に存在しない限り難しい。
現実は、立ち寄ってすぐに
去り、
今度来るのは数年後、と
いう
パターンの二輪乗りが殆ど
だ。

ただでさえ一般的な街中の喫茶店
でも資本系のチェーン店でない限
り経営持続が困難な時代、客層を
旅の二輪乗りのみに絞ったライダ
ーズモトカフェは経営継続自体が
最初から困難なのだ。

それゆえ、その通りで、プチバイク
ブームで開店してはほんの数年で
全国的に廃業閉店が相次いでいる。
経営者が別人に権利を譲渡して別
な人がバトンタッチで再度開店
するライダーズカフェも多いが、
根本的な構造に変化は無いので
ほぼどこも第二経営者、第三経営
者が再オープン、再々オープンし
ても経営破綻で閉店している。

理由は明白。
開店前から、現代的に非常に経営
が厳しい一般的喫茶店よりもさら
に痛烈に険しい店舗開業であるの
がライダーズカフェだからだ。
二重三重四重に経営困難な構造に
なっているのである。
そして、サイドメニューの軽食や
本格的な食事があったとしても
それであるのに、ドリンクだけの
ライダーズカフェはその何倍も
経営が困難である事は開業前から
不動の原理として存在している。

さらに、追い打ちをかけるような
条件がライダーズカフェ開店には
備わってしまっている。
それは、ライダーズカフェの店舗
開業をする人は、飲食店で成功
したいという人である前に、二輪
好きが高じて店を持つ人が殆ど
という点だ。
つまり、経営については素人。
ただのバイク好き。
それらの人が飲食店を開店する。
簿価も損益分岐点も何も知らない
人たちが。
それで商売成功すると思いますか?

情熱や個人的な夢や思いだけでは
実社会では店や企業の経営は成り
立たない。
それは、全く以て、という程に。
かつて、日本の伝統職人たちが
自分の仕事で飯が食えたのも、何
も仕事が確かだったからではない。
作った物を売る販売者がきちんと
顧客を確保する活動をしていた
からだ。
なので伝統職人の仕事は、そうし
た販売者や活動をフルサポートす
る敏腕プロデューサーがいないと
物を作っても売れない。ルート
さえ確保できない。経営&運営
活動戦略が無いから。
物を作ってさえいればお客がつく、
店を構えてさえいればお客が来る、
という事はまず無い。
情報宣伝=情宣をどのように展開
して、どのように既存マーケット
に食い込んで集客をするかという
事を見定めて、戦略と細かい戦術
を立案実行できるブレーンと現実
にその作戦に基づいて動く人員が
無いとモノヅクリや店舗経営は
うまくいかない。
会社などの企業体は、そうした
経営の組織化されたもので、人員
配置を含めて、首脳部が高度な
戦略と戦術を練り、現実的に現場
で動く人間たちがその真意を熟知
熟考して営業活動を展開する。
ゆえに営業は馬鹿ではできない。
売れる営業マンは売れる術を
物理的に身に着けているのでは
なく、どうしたら売れるのかに
ついて精通しているのだ。

企業体ではない個人事業者は、
現代産業界では非常に経営自体
が困難で、大資本のグループ
参加に入らないままの経営持続
が厳しい情勢になっている。
個人経営の精肉店、青果店、
鮮魚店が軒並み潰れたのは
1980年代に開始された。
大手スーパーの登場がその個人
店舗破綻に火をつけて、さらに
大手企業コンビニエンスストア
の乱立が個人店舗廃業を助長
した。
そして、30数年後の現在は、
大手企業系グループに属さない
生き残れないのは、飲食店で
はごく普通の景色になっている。
ラーメン店しかり、レストラン
しかり、だ。

1980年代のバブル経済時代に
「プールバー」なるものが爆発
的に増えたが、軒並み数年で
倒産廃業している。
それは、丁度今のライダーズ
カフェの乱立と倒産廃業に似て
いる。
破綻の構造は両者は同質性を
有している。
客層がどうであるかだ。
現在、ビリヤード場を順調経営
している店は、オーナーがきちん
とした経営形態を模索してそれ
を維持しているからだろう。
ビリヤード店でもカフェでもそう
だが、同じ店舗の箱のままオーナ
ーが入れ替わった店は、まずその
うち潰れる。集客構造に変化を
つける経営実施をしていない店
が殆どだからだ。
つまり、同じ道を歩む。経営破綻
だ。
オーナーが次々と何人も交代する
店はまずそれ。いずれまた潰れる。

では、生き残るにはどうしたら
よいのか。
答えはある。
成功している店に、その答えは
ある。
その経営者の経営活動の芯部から
重要なものを学ぶ事無くして、
経営の起死回生は望めない。

あと一つ重要な事を。
「経営コンサルタント」なるもの
を職業としている企業に自社の
経営方針を委ねる企業も多い。
大抵は経営破綻する。
外部の部外者が社内を滅茶苦茶
に引っ掻きまわして去るのが殆ど
だからだ。
そもそも、経営が成功するので
あれば、自分らで企業活動を
すればいい。
それをやらずに、口出しだけして
企業を引っ搔き回して操ろうと
する。
駄目なのだ。経営コンサルタント
という集団は。
考えてもみてほしい。
彼らは何のリスクも負わない。
もし、年次計画に対してコンサル
タントの出した社内改革方針に
沿って事業展開して、これだけの
損益を出したら、そのコンサルタ
ントが損益分を負担する、などと
いう形態は日本全国どこにも無い。
非常に無責任であり、そうした
集団に企業経営の方針に発言権
を持たせるのは極めて危険なのだ。
だが、経営コンサルタントの
導入により実質経営破綻した企業
は多くある。
それは、中小零細から大手まで。
経営者が取る最後の手段は、企業
売却だ。
それによって、自分ら経営陣のみ
は充分な金員を確保しつつ、労働
者従業員は切り捨てる。

さて、個人店舗だが、飲食業が
極めて厳しい現代。
よほどの作戦を練らないと、ライ
ダーズモトカフェは経営持続が
難しい。
最初から、困難性が極度に高い
構造を有しているのがライダーズ
モトカフェだからだ。
だが、よ~く、世の中を俯瞰して
成功者たちのパターンを分析する
事で、困難な状況を突破できる
かも知れない。
それにはブレーンも必要だが、
経営者本人が自分の頭で深く
洞察する事が大切だ。
果たして、「ただのバイク好き」
にそれができるのか。
できている店は成功しているだろう。
また、成功している店には多くの
ヒントが隠されている。
見るべし。
コーナーの先を。


重量設定 〜ビリヤードキュー〜

2023年05月06日 | open
 

ウエイトボルトを抜いた状態で
メインシャフトとのセットで
490.5グラム=17.30オンス。
550グラム=19.40オンスに
するには、2.10オンス足りな
い。グラム計算では550-490.5
=59.5グラム。
 
アダムのボルト既存製品は以下。


120mm長の56.6グラムボルトを
使えば総重量は490.5+56.6=
547.1グラム。
これに5円玉3.7グラムを仕込め
ば490.5+56.6+3.7=550.8g→
19.42オンス。
すり減った5円玉だと3.7を切っ
ているので、仕込めば19.40に
近づく。
ボルトの重量個体差もあるので、
ボルト個体を計測しながら、
そのあたりはセットすればいい
だろう。
 
手持ちのウエイトボルトでは
マッチする個体は無い。

5円玉1枚仕込みでは厚み1.5ミリ
のみの後部突出なので、ノーマル
と殆ど変わらない。


これは、ボルト無し状態での
仕込み仮組み。
120ミリスチールボルトとコイン
仕込みだとこのようなゴム突出
になり、違和感は無い。

長尺ボルト挿入なので、極端
な後ろ
バランスにもならず、
程良い
重量バランス配分にな
りそうだ。
キューのネジ切り穴をノギス
て計測したら150ミリを遥か
に超える長さの中心穴が加工
されている。キューが軽い筈
だ。
このハウスキュー・ラインは、
ウエイトボルト穴を深く取って
ボルトを選択する事で、19.5
オンスや19.0オンスの設定に
する設計なのだろう。長めの
ウエイトボルトにも対応
できる
ようにハンドル
の奥深く
まで穴があいて
いる。
木材は種類により気乾比重が
ほほ定まっているが、木によ
り個体差があるので、それを
カバーするために長めの重い
ウエイトボルトもねじ込める
ような作りなのだろう。
 
結局、現在の27g95ミリ長の
ボルトを120ミリボルトに
して、多少コインを
詳細ウエ
イトとして微細
調整するだけ
で19.40オ
ス前後
にセッティングでき
そうだ。
 
キューには人それぞれで好
の総重量とバランスポイ
ント
がある。
19.0オンスが好きな人もいれば、
19.2オンスにこだわる人
もいる。
私の場合の基準値は19.40オン
で、それに近ければ近いほう

いい。
だが、バランスポイントも大切
で、極端な前バランスや後ろバ
ランスは使いにくい。
 
また、バランスポイントは、
は重要なキューの性能の要
構成する。
それは共振点の位置だ。
棒状の物体には必ず共振点が
存在する。弦楽器の弦にも。
ハーモニックスポイントの位置
は素材の硬度と長さ等によって
物理的に決定してくるのだが、
テーパー形状の物では重量
バランスポイントも影響
して
来る。
振動がいつまでも収束しない
キューは良い性能は見せない。
かといって、全く振動しない
棒状の物はキューとしての必要
な動きをしない。
適正な振動を適度に発生させ、
かつその振動が円筒の中心に
集中して早期収束して後方に
抜けて行くようなキューが性
能的には良好な能力を発揮
る。
 
このキューがノーマル箱出し
状態でとても良い振動収束性
を見せたのは、中ぐりネジ穴
が深いため、内部の空気の存
在の影響で良好現象を生んで
いたのかも知れない。
中空がキューにとってある種
のディフレクション減少をも
らす事はこれまでに知ら
いる。ハイテクシャフ
トの
中空構造がそれだ。
私も、パイロッテッドジョイ
ント形状のバットにフラット
フェイスシャフトを連結する
と、純パイロッテッドよりも
振動収束性が向上する事は体
感している。
キューは硬く固める方向と振
動をどうさばくかという方向
に二分される。
硬く固めたバットにはそれ
合うシャフトがあるのも
事実
だ。
一番よくないのは固める所を
固めずに中途半端な硬度の素
材で密着ソリッドにする事だ。
硬くない素材によりいつまで
も振動が収まらない。ディフ
レクションが続く。
その振動はショットの瞬間も
当然発生し、いわゆるベナン
ベナンの腰の無いキューとな
る。
 
シャフトの開発はかなり現代
では進んで来た。
中空という構造が一つの回答
を示したのは歴史の中でのハ
イテク中空シャフトの存在が
証明した。
手玉が何が何でも直進すれば
「良いキュー」ではないのだ
が、早期振動収束による不正
振動の継続をカットした効果
は中空シャフトには確実にあ
る。
バット構造については、セン
ターコア構造が現在は主流だ。
固める方向。
だが、今後はハイテクシャフト
の理論をさらに進化させて、
中空構造によって振動をさばく
設計も進められて行ってもよい
のではななかろうか。
私の今回の自主ステインリペア
のキューは、ハンドル部が硬い
人工樹脂で、その部分は殆
ど反
り返る振動をしない。
だから、
中空にしても振動
に対する強度
も保てるし、
多様なボルトの調
整で重量
を確保できる構造設計
になっ
ているのだと推察する。
ハウスキューラインであるのに
特筆的な良い打感であるのは、
そうした構造的な要素が複合的
に加味された結果だと思える。
また、このキューは6本同時に
クラブで台を購入した際に無償
で業者が提供してくれた物だが、
その無垢ソリッドシャフトがず
ば抜けて良い個体であった
事も
キューとしての良性確保
に寄与
していると思える。
「良いキュー」なのだ。
良品というものが存在するのは、
値段という販売金額に依拠す
るもの
ではない。


原本。といっても箱出しでは
なく、これも私が再ステイン
し、クリアをリフィニッシュ
塗装してリペアした物だ。


バラブシュカ

2023年04月26日 | open
 

ジョージ・バラブシュカ本物。
 
タイトリスト・コンバージョン
である。

2005年撮影。

この実物バラブシュカを手に
取ってまじまじと鑑賞してい
ると、ある事が推測できた。
バラブシュカが至高の撞き味、
究極の性能、と呼ばれていた
のにはある背景による理由が
あったのでは、と。
それは、バラブシュカは、ガス・
ザンボッティのように一から
木材の角材からキューを作る
人ではなくて、出来上がった
パーツを組み合わせて仕上げ
をして完成させる人だった事
に起因する、と。
ブランズウィックのメーカー
ューであるタイトリス
切断して、ジョイントさせる
ネジ切りをして、エンドキャ
ップを装着してキューを作っ
たのがバラブシュカだ。
その後は、バートン・スペイン
やガス・ザンボッティからハギ
ブランクを仕入れて組み立て
た。アメリカ企業だった日本
のアダムからも仕入れたとの
説もある。
有体にいえば、バラブシュカ
はキュービルダーではなく組み
立て屋だ。
 
だが、使ったタイトリストは
新品ではなかった。
使い込まれた物をリペアして
仕上げた。
最初から使い込まれて育ち切っ
たシャフトを使ったのだ。
これこそが、バラブシュカが
最高の性能を持ち得た秘密だ
った事だろう。
 
日本のプロでもよく見られる
傾向に、使い込んで古くなっ
たシャフトは、チョークの粉
や手の脂で真っ黒になってい
る。
だが、上級プレーヤーはそれ
をエタノール等で清拭したり
軽く削って肌を白くしたりは
しない。
何故か。
彼らは、手のシリコンが染み
込んだ使い込まれた古いシャ
フトが「育ったハードロック
メープルのシャフト」である
を知悉し切っているからだ。
程よく枯れ切って、安定して
いる。反発力や振動収束性も
削り出して出来上がった直後
よりも格段に向上している。
なので、その状態を崩すような
見かけの綺麗さなどはプロや
上級プレーヤーは求めない。
中身を取る。
ソリッドシャフトの「キュー
を育てる」「育つ」とはそれ
の事をいう。
勿論、プレー後には乾拭きし
たりして清潔さは保つ。
だが、使い込むとメープルの
シャフトはどんどん黒ずむ。
キューとして育って来ている
のだ。
 
数十何使い込んで黒ずむ私の
シャフト。


バラブシュカは、極言するな
らば、出荷段階でいわば使い
込まれて育った逸品をリプロ
によって新品にさせたキュー
作りだったといえる。
それゆえ、他のメーカーの新
品キューがまだ育ち過程の段
階でバラブシュカのみは最
から高次元な能力を発揮
した
のではなかろうか。
 
状況証拠だけからの推察だが、
そうした背景がバラブシュカ
の突出したプレーアビリティ
を担保していたのではと思う。
一つの現象として、完成した
キューは使わずにただ寝かせ
て時間経過を待っていても、
性能向上となる「育ち」は見せ
ない。使い込む事によりどん
どん能力が向上する。
これは、多くの経年プレーヤー
が感知しているところだろう
し、這界でも喧伝されてきた
ところだ。
単純な時間経過ではなく、打撃
と振動を与えて動かし続ける
と、手のシリコン浸透が木材
何らかの「良性効果」を付与
せる働きがあるのではと私は
んでいる。
演繹法ではなく、帰納法として
考察ではそうなる。
 
レーシングマシンでいうなら、
ナラシを終えた段階でどうぞ
とプレーヤーに渡していたのが
バラブシュカ。
ピストンもシリンダーもタイヤ
も。
当然、最初から全開ぶっちぎり
が可能となる。

福山城

2023年04月11日 | open









備後福山城。
美しい城だよなぁ。
再建だけど。
再建でも外見は復元。
江戸期もこうした姿だったのだ
ろう。
福山藩の藩校は現在の広島県立
誠之館高校だ。

江戸初期に安芸備後二国を治め
た福島正則は、広島城無断改築
の嫌疑により転封させられた。
その後、安芸備後は統治が分割
され、備後福山城には水野氏が
入り、安芸と備後西部三原には
紀州から浅野氏が入国した。
浅野家は幕末まで広島藩を治め
た。

備後国三原までが吉備国だ。
今の時代、何故か誤認が多いが、
広島県三原市東部は吉備国であ
る。
今の三原市内の広島県立大学の
丘が備後国と安芸国の国境。
三原城は戦国期の城なので、
天守は存在しない。
だが、築城した小早川時代の
様式ではない事が史料から看取
できるので、やはり、完全に完
成させたのは築城名人の福島正
則が三原城を完成させたのでは
なかろうか。
ただ、不思議なもので、三原人
は浅野氏や福島氏には敬意など
は払わず、遥か彼方の時代の
土地開発者の小早川氏を上げ奉
っている。
これは、個人的には私には奇異
に感じる。
江戸だった東京で、太田道灌を
奉ずる気風は無いからだ。やは
り徳川家に敬意を払う。
広島県三原市民の感覚は、私に
はよく解らない。
多分だが、現実的な時代的な脈
絡にある殿様を身近に感じず、
遠い戦国期の武将を夢物語の絵
空事のように夢想しているので
はなかろうか。
かといって、小早川氏以前にこ
他(陸地山地部分)を領してい
た中世の武将山名氏などには全
興味を示さず。
結局は、現実的に人的につい何
代か前に存在した安芸広島藩浅
野家の殿様や家中たちには気持
ちを一切寄せない層が450年前の
小早川氏を持ち上げているので
と推察する。


ベナンベナンの時代

2023年04月06日 | open



1988年に全米女子プロたちを
日本のプロモーターが招聘し
てエキジビショントーナメント
を開催した。
私はエワ・マタヤ本人のこの
キューで縁があって撞いた事
がある。
あまりに一般市販品のメウチ
とは大違いなので驚いた。
一般売りの80年代後半時代の
メウチは、シャフトもバットも
ベナンベナンだったからだ。
マタヤ本人のメウチは芯が通っ
た腰の強いキューで、木材が
厳選された物であった事が即座
に判別がついた。

実は、1980年代後半の一時期、
マスプロキューメーカーでは
一つのキューの総体的な変化
が見られた。
それは、1980年代初期までの
腰の強いバットとシャフトでは
なく、腰が抜けたようなベナン
ベナンのキューが大量に増えた
という社会現象だった。
これは、ショーンにもアダムに
もこの傾向がみられた。
まだMezzというブランドは登場
していない頃。

思うに、これはビリヤードキュー
用の良質メープルが大量には入手
困難になった為ではなかろうかと
推察している。
ショーン、アダムだけでなく、
米国マスプロメーカーも、良質
キューを製造していた台湾メー
カーもベナンベナンのキューが
大量に出回った。
明かに1986年公開の米国映画
『ハスラー2』の爆発的ヒット
による全世界的な大ビリヤード
ブームによる影響かと思われる。
個人ビルダーでさえも、とも
すればベナンベナンになる傾向
も見せた。リチャード・ブラック
などは顕著で、個体差がかなり
あり、大ブーム以前の作品は
しっかりして腰もあったが、
86年以降の作品ではかなりベナ
ンベナンとなって玉がまともに
入れられないようなキューが
多く出た。
マタヤ本人が使っているメウチ
で撞いた時には衝撃が走った。
これならば手玉は自在に制御
できる、と感じた。長い硬質
ゴム棒で撞いているような感覚
ではないからだ。

その後、自動乾燥機の発達による
気乾比重頼りだけでなく、木材
硬化剤を含浸させる方法がキュー
にも採用されて、かなり改善され
た。
ただ、削ってみると判るが、それ
までの良質メープルのように硬い
チーズを削るような感覚ではなく、
薬品含浸硬化のシャフトなどは
シャリシャリとしたまるでかき氷
のような削りの感覚と削りカス
だった。明確にそれまでの良材
とは物が異なる。
だが、薬品含浸のシャフトが一概
に撞球性能が悪いとはいえない。
その差は微細なものだ。
しかし、性能上大きく異なる事も
ある。
それは、木材の質性から来る
振られた時の戻りの速度だ。
これは決定的に異なる。
古い良材は重たいのだが粘りが
強い為か、重量増しの法則を
裏切るかのようにキュー先の
ぶれが少なく逃げと戻りが早い。
結果、どんな現象が出るかという
とトビが薬品含浸の白いシャフト
よりも少ないのである。
これは不思議な現象だが、単に
重量如何で逃げと戻りの速度が
決まるのではないという事なの
だろう。
古い良材はまるで板スプリング
のように活き活きと逃げて戻る。
新材の薬品付けのシャフトは、
あたかも生鉄のような反応なの
だ。

この事に気づいたのは、やはり
マタヤ本人のキューで撞いてみて
だった。
それと当時、ちょうどキュー全般
の変遷の趨勢をタイムリーに実感
していたことによる。
今のこの傾向性はなぜだろう、と。

その後、良材枯渇問題に局所療法
的に分割張り合わせのシャフトが
登場した。苦肉の策だったのだろう。
最初はブレイク用の安シャフトと
して開発された。
だが、瓢箪からコマで、特殊構造
にしたそのシャフトは、キュー先
の逃げが早く、手玉の横トビが
異様に少ない事に製作者たちは
気づいた。
木材の質性如何から来る現象補足
ではなく、キュー先の重量の軽量化
というかつてキャロム界が行なって
いた手法と偶然合致した事による
トビ減少という産物だった。

そこから大誤認の大混迷が日本を
中心として開始された。
手玉が直進させすれば「よいキュー」
とする大誤謬がそれだ。
それまでの良質ソリッドシャフト
さえも「時代遅れの性能の低い
シャフト」と思い込む連中が雨後
の筍のようにドワッと増えた。
メーカーも、それまでのビリヤー
ド130年の歴史を大変換する事を
やり始めた。
それは、次々と新商品として
新構造シャフトを宣伝して発売
すれば、嘘のように飛ぶように
売れた社会現象があった事だ。
そうして、キューは「古い良質
な物を大切に使う」という存在
から「次から次に新商品を買い
求めて古い物はポイ捨てする」
という存在になってしまった。
これは日本人が開始し、全世界
をその構造に作り上げた。

それからの流れは、新構造シャ
フトは飽和状態になる。
数えきれないメーカーが二匹目
ならぬ数十匹目のドジョウを
狙ってシャフトを製造し始め
たからだ。
飽和状態になった後は、業者は
タップに目をつけた。
良質一枚革が入手しづらくなって
いた現象は良質メープル枯渇と
似ていた。
その背景を利用して、一枚革では
なく豚革の薄い革を積層接着して
販売した。日本人が始めた。
大爆発ヒットだった。
だが、まだ一部だったが、今世紀
に入ってからはビジネスパターン
として抜け目ない業者たちに目を
つけられた。
またシャフトと同じように、同じ
構造のタップを作る業者がドワッ
と増えた。
そして、飽和状態になった。
すると、今度はチョークに目を
つけた。
さも自分のとこの製造チョークが
最高の製品であるかのように宣伝
して。
独自ブランドチョーク販売業者が
嘘のように増えた。数百匹目の
ドジョウ狙いだ。

今は、黒いカーボンシャフトと
手袋が狙い目で、次から次に使い
捨てで新商品を出している。
それがまた飛ぶように売れる。
多くの人間が買うから。
すべて、日本人が世界を相手に
仕掛けた「商売」である。

今や、良質な赤木ソリッドシャフト
を使って素手でプレーするのは
プロでさえ激減している。
手袋が良い物ならば、そんな物は
30年以上前から存在したので、
全員が使っていた。
だが、そうではなかった。
今は「ハヤリ」だから多くの者が
使っているだけの事だ。
新素材の新構造シャフトやキュー
もそう。
使い捨て続けさせて消費者に
どんどん次から次に新商品を
買わせるための商業戦略が採ら
れ、それに「大衆」は乗りたがる。
そして、「プロ」がその新商品
の広告塔となり、大量消費構造
にユーザーを引き込むお先棒を
担ぐ。
それが現在のビリヤード界の
経済構造となっている。
1個88円のチョークで世界戦も
戦えるのに、1個3000円のチョ
ークを使ってPRするのだ。
タップも1個800円程だったのに
1個3000円のタップが史上最強
かのような宣伝を展開する。
そして、それらが売れまくる。
次には手袋だ。
ごく最近手袋をしている歴25年
以上とかのプレーヤーは、なぜ
昔使わなかったのか。
それは「ハヤリ」だからだ。
昔の上級者は手袋装着者を「グロ
ーブ君」とか呼称して格下に見て
いた。それは素肌の繊細な感覚
を無視して、ただの滑りだけを
求める大雑把さを批判的に見て
いたからだった。
そして多くの上級者は素手で
プレーしていたし、その本筋を
崩さない軸線がぶれないプロ
や上級者は今でも素手でプレー
する。エフレン・レイエスなど
は典型だ。

思うに、今の時代は、かつて
1980年代後半にじわじわと
蔓延したベナンベナンのキュー
と同じくベナンベナンの時代
なのだと思う。
それはかつてのような物質的な
背景に基づくものではなく、
仕掛け人たちによって「作出」
された「ブーム」に乗るのが
トレンディ(死語)であるかと
思い込む「大衆」が大多数で
ある、という意味において。

次の使い捨て消費商品の狙いは
何だろう。
思うにウエアや靴ではなかろう
かと推測する。
室内で着帽したまま人様に「指導」
とか言って教えている者もいる
ので、帽子かもしれない。
人様にお教えするときも着帽
しましょう、みたいに。
これ、冗談ではなく、そうなる
かも知れない。
これまでの世界的潮流は、今世紀
初頭からすべて日本人が作り出し
た。
社会的な礼儀知らずの無礼行為
も既に自称「指導者」の「コーチ」
によって開始されている。
着帽ビリヤードもそのうち日本
で「流行」するのかも知れない。
開発途上国=後進国などはごく
フツーに多くが着帽でプレーして
いる。プロでさえ。
それが日本から再発信で全世界に
広まるかも知れない。

ベナンベナンの時代。
世も末だ。

 


ジョイント ~プールキュー考~

2023年04月04日 | open



ビリヤードキューには実に多彩な
連結ジョイントの構造がある。
そのうち、プール=アメリカン・
ポケット・ビリヤードのキューは、
このフラットフェイス・ジョイン
トがかなり打感が良い。
ダイレクトに撞き感が撞き手に
伝わるのだ。ソリッド感がある。
ただの硬いスティッフとは異なる
リニア感。
打てば響く、というような、やった
事がそのまま曇らずに伝達される
感覚がフラットフェイスジョイン
トのキューにはある。
ただし、金属カラーを使ったパイ
ロッテッド・ジョイントでも良好
な打感を得る方法がある。

パイロッテッド・ジョイントは
いわば凸凹の両者をネジだけでな
く凸の突起側面を凹の内径面と
きつく接触させて一体感を出す
構造だ。バラブシュカが多用し、
多くのキュービルダーがそれを
模倣した。
だが、TADもごく初期はその純
パイロッテッドだったが、60年
代後半あたりから構造を変えた。
それは、シャフト側の凸を出べそ
程度の突起とするだけで凹の内
径面との接触率を下げたのだ。

だが、凹のへこみは作っている。
いわば、本来のパイロッテッド
の全域密着構造と目的を無視す
る新構造
で、疑似パイロッテッド
ともいえる。


だが、この新構造は新規にその
構造体が呼称される固有名詞が
存在しない。
誤認によるものか何であるのか
原因は不明だが、そのTADの
新構造も「パイロッテッド」と
一括りで呼ばれて現在に至る。
実は凸凹密着連結ではないので、
パイロッテッドではないという
現実が存在するのだが、誰も
その新構造のジョイントに専用
言語を命名しないまま60年近く
過ぎた。

そのTADが採用したちょび出っ
張りのシャフトのブラス突起
+完全パイロッテッドバット
ジョイントの構造は、日本の
アダムが70年代初期にいち早く
採用した。まだアダムが米国内
販売専門の外資系のアメリカの

メーカーだった時代。
その構造はこれまた多くのメー

カーに模倣された。「パイロッ
テッド」と呼称して。

だが、本当はパイロッテッド
ではない。凸凹完全密着構造
ではないので疑似パイロッテッド・
ジョイントだ。

TADの「パイロッテッド」と

フラットフェイスシャフト。
パイロッテッドシャフトの凸
部は、バラブシュカやボブ・
ランデのようにバット凹の内壁
に完全密着させておらず、ただ
のガイドのような役目を持たせ
ている。


一般的なTAD18山のジョイント。


真鍮のネジ。


凸の出っ張りは申し訳程度。
円周部もバットにきつく締
まるタイプではない。


初期TADの密着性の高い完全
純パイロテッドシャフト
と短い
凸部ののパイロテッドシャフト。

バットの連結ピンはTAD特有の
ショートタイプ。



TADの純正フラットフェイス。
最高の打感を持つ。


いわゆるセミ・パイロッテッド
は全方位的完全密着をあえて
回避させる設計構造といえる。
ボブ・ランデなどは後年のMezz
のようにきっつきつの締め具合
の密着度だ。本来の凸凹密着で
一体感を出そうとした純パイロッ
テッド構造である。
セミ・パイロッテッドはそれの
構造とは似ているが、取り出し
の目的が異なり、振動収束性を
高めている。
よけい揺れそうに思えるが、揺
れが減少する不思議な傾向を見
せる。

TADの打感は非常に良い。
TADキューがぐにゃぐにゃとか
言っている人はTAD持ちのTAD
知らずといえる。TADの特性は
ソリッドでリニアな反応を示す
独特のキューだ。独特な反発力
によって自在な手玉出しのでき

る性質のキューである。
これは1968年のオレンジカウン

ティの地元新聞に取材された際
の記事にもその特徴が記載され
ている。
「他のメーカーのキューは、
キューの横を軽く叩くといつ
までも揺れているが、TADキュー
はシュンとすぐに揺れが収まる」
と。
TADがぐにゃぐにゃとか言うの
は、多分、大昔に流行った闇雲
にシャフトを自分で削って細く
して腰砕けにしてしまった個体
(TADを駄目にする人は多かった)
を撞いてみて、本来の新品TAD
とかけ離れた状態なのに、それ
をTAD本来の姿と誤認した人たち
だろう。

さて、TADが採用してアダムにも
採用された構造、仮に命名する
ならばセミ・パイロッテッドと
呼べるその構造ををさらに進化
させると、その構造
よりも良質
打感を得られる事に
気づいてい
る上級プレーヤーも
多いのでは
なかろうか。

それはパイロッテッドバット構造
にフラットフェイスのシャフトを
連結させるのだ。
パイロッテッドのバット部分の
空間が多分かなり撞球時に振動
収束に貢献していると思われる。
完全な純パイロッテッドだと
いつまでもジョイント部分が
ぶんぶんと揺れて振動が収束
せず、打感もぼやける傾向が
あるが、それがフラット+パイロ
のセミ・パイロッテッドだと
一気にシュンとした振動収束を
見せるのである。
キューの中間部の振動がスッ
と収まって尻に抜けていく感じ。
そうした打感はフラットフェイス
では顕著だが、セミパイロだと
さらにそれが促進される現象が
確実に存在するのだ。
この現象に気づいている人は
国内でも何人もいると思う。
TADが採用してアダムが真似した
きっつきつに凸凹が面同士で連結
されない疑似パイロッテッドは、
独自のダイレクトリーな撞き味
を獲得していたが、それをさらに
進化させたのが、私の言う完全
フラットフェイスシャフトと
パイロッテッドの凹部を持つ
バットの連結だ。
実質的にはTADとアダムの連結
方法なのだが、セミパイロは
さらに振動収束性が高くなる。
つまり、中間部のディフレク
ションの収まりが早くなる。
理由は不明。
私の推測では、内部空間部が
振動収束現象に寄与している
のではと推察している。
一体感を増し過ぎたパイロッ

テッドは、振動したらそのまま
一体でブンブンと揺れる。
収束は木部の質性に頼るしか
ない。まして金属カラーだと
重量の影響でなおさら振動は

継続する。
だが、セミ・パイロッテッドだ
と、内部の空間が揺れに関して
エアダンパー
のような役目をし
て早期振動収束が
発生するので
はなかろうか。あくまで推測だ
が。

とにかくこれはジョイント連結
させて撞いてみれば判然とする。
シビアな繊細な感覚を持つテス
ターであるならばたちどころに
その差異を感知できるだろう。

セミパイロは素晴らしい打感を
得られる。
但し、シュート力は個人の力量

なので、この構造だからと玉が
入る、という事には直結しない。








 

アメリカの西部のど田舎

2023年03月03日 | open



50年以上前のアメリカンニュー
シネマの傑作『イージー・ライ
ダー』(1970)はアメリカの
闇を描いた映画だった。
ラストシーンは、バイク乗りを
邪魔者のよそ者だとする野良
仕事帰りの百姓に「おどかして
やれ」とピックアップトラック
からショットガンを発砲される。
ハーレーに乗る仲間が肩と腹に
被弾して転倒。
なんてことするんだ、と追い
かけたら今度は主人公はバイク
ごとショットガンで吹っ飛ばさ
れて即死して終わる作品。
実際にそんな社会がアメリカ合
衆国
だったし、実質のところは
今も
そうかも。
よそ者や目障りな奴は殺してし
まえ、というような。
映画『カラー・オブ・ハート』

(1998)はファンタジーだが、
アメリカの排外主義と単純に
「不愉快な奴は殺せ」という
ようなUSAの構造をえぐり出し
た作品だった。
現実は今でもアメリカはあれ
なのだろう。

ごく最近のネット記事でこんなの
があった。
これ、ワイルドワイルドウエスト
に行った場合に、バーでビリヤー
ドをやりたい時の注意をさらりと
書いているが、かなり危険だ。
下手したらスボコでは済まなくて、
銃で撃たれて埋められたりする
かもしれない。
大いにありうる事だ。
中米、南米、フィリピンなどでは
そうした事は日常茶飯事だが、
合衆国も中身は似たようなもんだ。






他にもいろいろ書いてあるが、
まあ、額面通り文字通りに読む
その先の状況推察というものが
ある。
いまだに、ハウスキューでやる
ほうが無難で安全というのは、
それは危険地帯である事を示す。
まかり間違っても数千ドルの
カスタムキューなどは持って行
かないように、という事だ。

そもそも、対戦ゲームをやるのに

場代は負け持ちで賭けてやってい
るのが日本とは違う。
アメリカは何でも金金金だ。
人様の家に行った時に、酒を出さ
れそうになっても「金がない」と
言って辞退しようとするのは
映画『ハスラー』でも出てきたが、
そんな60年以上前の話でなくとも、
今でもアメリカは何でも金だ。
金に換算して物事の価値を判断
したり、人々の善意を量ろうと
する。
そういう価値観の国なので、日本
のようにそれが「汚い事」という
感覚は一切ない。
尤も、最近では日本も金こそが
全ての判断基準になりつつある。
「勝ち組、負け組」の汚い思想
や、それを遂行する子を持つ親
たちの煤汚れた心。
日本も今完璧に変質しつつある。
そして、政治屋たちは今でも

賄賂が大好物だ。違法であって
もそれをやる。
なんたって、次期検事総長候補
が賭け麻雀強制参加のパワハラ
をやっていても何の罪にも問わ
れないという司法までもが汚れ
た国になってしまっている。
まるで、バクチと賄賂と横領

横行の発展途上国みたいだ。

ただ、ビリヤードの世界では光
がここ10数年程から射して来た。
それは、かつてほんの20年程
前までは国内では金を賭けない
(違法賭博)と相撞きをして
もらえなかった。
つまり、違法犯罪者にならない
と相手にしてもらえない、とい
う世界だった。
今は一切の賭けなくして相撞き
ができるし、それが一般化した。
今でも賭け5-9リングゲームや
他の賭け玉
をしようとしている
プロやアマ
もいるが、最低人だ
といえる。

彼らは撞球がやりたいのでは
なく、撞球を利用して小銭を
稼ぎたいだけだからだ。
今でも、協会に隠れて賭け玉を
しているプロは結構いる。
ばれたら除名処分対象案件なの
だが、今に至ってもやっている。
愚かだ。人間の中身が。
いくら玉突き玉入れが上手くと
も、スカはスカだ。

ちなみに、法解釈としては、勝負

して勝ったほうがごはんおごると
か飲み物一本をおごるというのは
「賭博行為」には該当しないとい
う判例が出ている。
ゼニカネ賭けてのバクチが違法な
のだ。
そして、法制度がどうであれ、
バクチは人の心を荒ませる。
バクチはバクチだ。
人と家族を滅ぼす毒なのだ。


タップ・セッティング

2023年02月08日 | open
 

グラスファイバーのシールドシャ
フトのタップを交換する。
ル・プロを付けて20ラック程撞い
たが、タッチが良くならないので
切り落とした。相性の問題だ。
手持ちの秘蔵氏橋ファイバー締め
を使おうと思った。この個体に
以前着いていた氏橋ブラファイバ
ーのブルー締めタップが極上だっ
たからだ。
だが、ネットで独自のノウハウで
溶液を含浸させて締めたタップが
良いタッチとの宣伝文句だったの
で買って使ってみる事にした。
 
これまでで最高レベルの厳密作業
で先角の平面出しをした。
旋盤と同レベルの手作業平面出し
加工。一切の妥協を許さない既存
最高峰の到達
点。


シアノで接着。


削り前のこの段階で、音質確認
の為に試打をしてみる。


それと別ファクター確認の為に
自重落下音質チェック。

何だか、あまり良くなさそうな
音。
音程が低すぎるのだ。
 
新品のカッターの刃でカット。
ファイバー系なので新品の最上の
切れ味の刃物で切る必要がある。


ファイバー系は金ヤスリは忌避
しろとは喧伝されているが、そ
れは一面的な言い方だ。
かつては、ヤスリがけ専門の職
人がいた。
それは、ヤスる方法に優劣が存
する事を示している。
要はやり方次第なのだ。
私がやるとファイバータップでも
ケバ立たせて革の繊維を崩落させ
る事は無い。


ニコルソンよりも効く世界一の
広島県呉市産の金属ヤスリで整
形して行く。
ちなみにこのヤスリは、刀工た
ちも刀身整形に愛用しているヤ
スリだ。


最終的な整えはアダムのタップ
シェーパーを使う。


これは実に優れた細かいヤスリだ。


成形と整形が完了した。




実際に玉を軽く撞いて(この軽く
というのがテイスティングでは
重要)、タップの音質を確認する。


頑張って物を開発している開発者
には賛辞を送りたい。
だが、良い物は良いし、悪い物は
悪い。
忖度無く評価するのがテスターで
あり、それを使う者の真摯な態度
だ。
開発者におべんちゃら忖度で評価
していたら、世界チャンピオンが
走らせても転ぶ今のダメダメ日本
二輪のような体たらくになる。
良い物は良い、悪い物は悪いと
きちんと真実を共有しないと、真
に良い物は生まれない。
 
この廃番タップをより良い物にと
開発カスタムした方には敬意を表
するが、今の段階では良いと思え
る要素が無い。
 
ファイバーブルータップの秘密
溶液含浸締め。
硬度も粘りもあるが、音は低す
ぎる。
また、反発弾力もル・プロより
も劣る。
しかし、実際に玉撞きで使用し
ないと真価は判別できない。
悪いタップならば、即切り落と
す。
それが、開発者への礼儀だ。
介錯のように。
 
暫く、撞き込んでみる。
撞き締めは要らないとの事だが、
そんなタップはこの世にはない。
凡そ20ラック程は撞き込んでみ
る。
それから判断する。
 
あくまで私の個人的な推測だが、
このタップ
の秘密含浸溶液と
うのは、ネル
ソナイトではなか
ろうか。
カットや削りから推察するに。
 

世界一の男エフレン・レイエスのキュー

2023年02月02日 | open

Who Wants Efren Reyes' Winningest Cue !!!!

バドワイザーを瓶ごと飲んで
つまみを
口でもぐもぐしなが
ら話す
エフレンさんが、日本
でも
ドヤ街あたりにいそうな
おっ
ちゃんぽくてとてもラブ
リー&フレン
ドリーだ。


エフレンさん、足元が何とも
いい。いわゆるツッカケ。
どうみてもそこらの下町の
おっちゃんなのだが、この
人が世界一の技術派のプール
プレーヤーだと知らない人
は、ワンカップ持って西成
や浅草公園あたりにいそう
なおじさんと見えるのでは
なかろうか。

以前から私が指摘している
この後ろに立てかけてある
キューが非常にカッコいい。
エフレンさんも気に入って
いるようで、よくキューを
替える人だが、このキュー
はとても長い期間愛用して
いる。
シンプルなノーラップ本ハギ
四剣キューだが、白樹脂が
美しく映える。
素朴なデザインにしてある
が、明らかにスペシャルの
カスタムキューである事が
推察できる。

エフレンキューのシャフトの
テーパーはとても細い。
だが、細くともトビが少なく
玉切れも良い。
しっかりとしなやかに正確に
撞かないとトビがかなり出る
が、
淀み無いなめらかなエフ
レン
撞きをすると、とてつも
ない
パフォーマンスを見せる。
私は大好きなテーパーだ。
動きがとても面白いシャフト
になる。
キュー全体は60インチと長い。

エフレンスペックのキューは、
昔の良いカスタムキューを
さらに研ぎ澄ましたような
撞球特性を見せるキューだ。

以前、大阪の道頓堀で知り合っ
たバーテンダーさんの矢羽八剣
のTADが、エフレンテーパーと
は異なるが、やはり異様に細か
った。
撞かせてもらったら、順ヒネリ
はもとより、逆ヒネ入れても
トビが極めて少ない。
そのくせよく押せて滅法引ける。
玉負けをしない。
音は甲高い透き通る快音だ。
なにこれ?と思った。
良い方で、「このTADはここ
に置きキューしているので、
貴方ならいつでも私がいない
時でも使ってください」と
言ってくれた。
難波人、太っ腹。
江戸前気質(かたぎ)にとても
よく似ている。
その人とは穴の渋い華台で朝
まで撞いた。
今はその玉屋も消滅してしま
った。


タップ

2022年12月28日 | open


推察するにかなり良さげなタップ
が、数は少ないがある所で売られ
ている事を知った。

それは、私がストックしている
この極上のタップに見た目も近
い。


このような厚みが一枚で取れる
革はもう今ではほぼ無いのだが。

試してみる価値はありそうだ。
ただ、別な一枚牛革タップの手持
ちストックが300個程あるので、
そちらが使用メインになるかとは
思うが。

ユーザー比率は、現在は豚革積層
タップが99%以上を占めるらしい
が、牛革一枚のほうが全方位的に
良いのは論を俟たない。
だが、物が極端に少なすぎる為に
牛革一枚を超えるかのような宣伝
をして積層タップが売られている
のが実相だ。
そして、そうした誇大広告とプロ
を広告塔として使うと爆発的に
売れる事が分かったので、味をし
めたメーカーは立て続けに大幅
値上げをしてきた。
また、二匹目ならぬ数十匹目の
ドジョウを狙う者たちが雨後の
筍のようにタップを製造販売し
始めた。積層のほうが良いかと
誤認した多くのユーザーがこぞ
って買うからだ。
今は数えきれない程のタップの
メーカーと種類がある。
かつて戦後の日本には200社を
超えるオートバイメーカーが
存在したが、そこまでいかなく
とも、それに近い、あるいは
非常に似た現象が発生している。
積層タップは作ると売れるので、
多くの儲け狙いのサードパーティ
ーが乱立しているのが今。
これは15年程前に開始された。
モーリやカムイは、今となって
は老舗になった。
タップ製造販売のみで企業を経営
できて従業員にも給与を支払える
のだから大したものだ。
たしかにカムイタップなどは、
開発者が代わってから格段に良く
なった。物は本当に良い。
接着剤を相当開発したのだと思う。
ただ、やはり「接着剤で撞いてい
る」感は払拭できない。一枚牛革
には撞き味が及ばないからだ。
ただし、カムイは物は良い。

これまでの経験ではTADタップが
かなり良かった。過去最高かも
知れない。日本の目黒自由ヶ丘の
アルファ・インターナショナルが
TADタップの革を供給していた。
今は無い。原材が仕入れられない
からだ。

牛革もしくは水牛革の一枚タップ
が全ての面で最高である。
だが、もう殆ど手に入らなくなって
しまった。


日本刀の損耗具合 ~実戦データ~

2022年12月12日 | open


『実戦刀譚』(成瀬関次著/昭和16年発行)から


徐州戦刀銘記録

 
照包 板倉言之進照包、大阪新刀、二尺三寸位、華やかな濤欄刃、某将軍

忠光 忠光、古刀末備前、石川大佐

兼元 兼元、古刀 末關三代目か、某参謀長

忠光 忠光、細めの直刃、杉村中佐

無銘 古刀、京物ともまた小備前物とも見ゆ、早川少佐

忠吉 肥前國陸奥守忠吉、二尺三寸位、やや細身、切先二分折れ、血糊の
    あと白々と残れり。河津獣医少尉

無銘 一枚物現代刀、偽銘を削りたるもの、中刃こぼれ、敵兵数名を斬りたる
    由、某大尉

清光 八字銘なりしと覚ゆ、古刀末備前、乱れ刃、二尺三寸、やや細身、そり
    中位、敵を斬る事無数、更に故障なし、國森軍曹

祐定 祐定の銘、備前新刀、切先小刃こぼれ、鷲野軍曹

無銘
 備前新刀、切先に中刃こぼれあり、血痕ありしところより見て若干斬撃

    せるものと思われる。古市軍曹

無銘 右に同じ、切先、物打ちに大刃こぼれあり、西迫軍曹

長義 備州長船長義の銘、古刀、のたれ乱れ、大曲、稲垣准尉

無銘 古刀、二尺四寸五分、直刃、小刃まくれあり、激しく戦いて敵を斬る事四、
    後名誉の戦死を遂げられたり、藤越少尉

無銘 古刀應永備前、敵を斬る事四、身は少々曲がりたるも、刃こぼれ等更に
    なし、秋本少尉

無銘 古刀青江代下り、二尺三寸、物打ちに刃こぼれ、加藤(正)少尉

無銘 村田刀、二尺三寸位、川口少尉

安廣 於武州江戸安廣作之、新刀大阪石堂橘康廣が紀州在住当時の銘、二尺
    三寸強、中刃こぼれ、敵若干を斬り、刃奥歯にあたりて欠く、八木少尉

偽銘 一枚物現代刀、在中曲がり、切先中刃こぼれ、武装の敵若干を斬る、某准尉

國定 河内大掾國定の銘、會津新刀、川村大尉

無銘 古刀、焼刃殆どなし、物打ちに大刃まくれ及び小刃こぼれあり。敵兵若干
    を斬る、三谷曹長

無銘 新刀、物打ちに大刃こぼれ、松井曹長

無銘 古刀、關物、左に小曲がり、楢岡少尉

無銘 新村田刀、右に中曲がり、金森少尉

無銘 新刀、中刃こぼれ、日野軍曹

忠光 備州長船修理亮忠光、文明八年、乱れ刃、鉄板を切る、大刃こぼれ、井上某

無銘 現代刀、岩田中尉

無銘 古刀、二尺三寸余、尾久曹長

元興 大磨り上げのため角大八とのみ残る、二尺二、三寸位中直刃の剛刀、會津
    新々刀、左に小曲がり、敵若干を斬る、山崎軍曹

祐定 祐定の数文字銘、備前新刀、二尺二寸余、大刃こぼれあり、敵十三を斬る、
    佐藤(亥)伍長

祐定 備州長船祐定の銘、備前新刀、田中上等兵

忠吉 肥前國住忠吉の銘、新刀、小谷准尉

弘包 信濃守藤原弘包、二代目、大和住、新刀、春名少尉

秀永 一心子秀永、新々刀、一尺六寸、元身巾一寸四分、重ね二分六厘、物打ちに
    中刃こぼれあり、若干敵を斬りたる由、井川某

偽銘 一枚物現代刀、豊後高田實行の偽銘、某大尉

義隆 逸見大吉義隆、備前新々刀、(明治初年)二尺四寸三分、大のたれ乱れ、切先
    急角度に左曲がり、敵若干を斬る、近藤曹長

忠國 信濃大掾忠國の銘、因幡國住新刀、二代目、中刃こぼれ、右に大曲がり、岩下
    衛生軍曹

無銘 古刀、細身、二尺二寸位、反り浅し、敵十数人を斬る、刀身に異状なし、佐野少尉

宗次 固山宗次の銘、大切先の剛刀、二尺二寸位、新々刀、松井少尉

無銘
 新刀、小刃こぼれ二、中刃まくれ、藤原某


兼延
 兼延の銘、古刀末關、外に尾張関無銘古刀一、桑田中佐


眞改
 井上眞改、裏銘寛文十三年八月 日、菊紋を彫る、中刃こぼれ一、江口大尉


眞改 井上眞改の銘、東中尉

靖憲
 現代刀、大刃こぼれ二つあり、須山少尉


吉道 大和守吉道、榊原少佐

則國
 則國二字銘、伯州小鴨住即國作にて稀刀なり、古刀、二尺三寸位、細めの直刃、

    地小板目、田中獣医大尉

清重 備前國住二王清重の銘、本國長州萩、新刀、大刃こぼれ、若干敵を斬りし由、
    竹原軍曹

元武 薩摩新々刀、元平の次男、銘字数文字あり、二尺四寸位、剛壮の刀姿、敵若干
    を斬る、歯に斬りつけ大刃こぼれ、神吉曹長

無銘 新刀、大刃こぼれあり、敵若干を斬る、高梨某

祐包 長船住横山祐包、明治二年の裏銘、備前新々刀、物打ち外三ヶ所小刃こぼれ、
    水田軍曹

正行 源正行の銘、越後新發田新刀、大刃こぼれ、井上伍長

行廣 肥前國住行廣の銘、以阿蘭陀鐵造之、とあり、新刀、二尺三寸、中刃こぼれ、
    刀身左に中曲がり、敵多数を斬る、重政軍曹

祐定 友成五十六代孫横山加賀介祐定、備前新々刀、中刃こぼれあり、田淵少尉

信秀
 信秀作、明治三年の裏銘、大切先三分折れ、敵兵三名を斬る、岡崎某


清麿
 山浦正行(清麿)の銘、中刃こぼれ三ヶ所あり、敵若干を斬る、浅井某


則定
 藤原則定の銘、豊後國住、新刀、藤田軍曹


祐定 七兵衞尉祐定の銘、寛文七年の裏銘、切先及び物打ち下大刃こぼれ二、
    敵若干を斬る、高尾某

無銘
 新刀、元来より横疵二ヶ所ありたるもの、敵と戦い、右へ曲がり、物打ち外

    三ヶ所に大刃こぼれあり、しかるに、元来の疵二箇所には何の損傷もなし、
    諸井伍長

忠吉 肥前國住陸奥守忠吉、刃齒朶〔シダ〕葉の斜めに垂れるが如き丁字乱れ、
    二尺四寸位、宮武某

眞改 井上眞改の銘、田中通訳

忠廣 肥前國住忠廣の銘、新刀、尾上大尉

綱廣 相州扇子谷住伊勢大掾源綱廣作(花押)干時寛文八戊辰八月吉日、地肌は
    板目に柾目交じり、のたれ心の直刃、新刀、大塚少尉

長幸 多々良長幸、大阪石堂新刀、中反り、大房の丁字乱れ、二尺三寸位、渡邊少佐

永則 永則、古刀、備前後出雲住、初代の作、某兵士

定幸 尾州名古屋住、新刀、小刃こぼれ、熊谷伍長

盛綱 源盛綱作、博多住、金剛兵衞の後代、新刀、小刃こぼれ二ヶ所、大澤大尉

宗正 相州相模守宗正、皆焼きに似たる刃、左へ中曲がり、前田少尉

無銘 備前物古刀、二尺三寸、松本少尉


これについて、軍刀研究サイト
の大村主宰は以下のようにまと
めた。


(以下引用)

本書は、昭和13年2月13日に出立し、
(尉官待遇)として、北支、蒙疆
(もう
きょう=蒙古の境)の全戦場を9ヶ月
間に亘って軍刀の修理を行った
記録
「戦ふ日本刀」の姉妹編として昭和
16年1月27日に刊行された。「戦ふ

日本刀」は「花」であり、この
「実戦刀譚」は「実」 であって二つ
は不可分で
あると述べている。
前者は「陣中日記」が、本書は「日
本刀修理の記録と日本刀の考察」が
中心
となっている。

徐州・胡山々麓、黄河陳留口渡河点、
蘭封縣の激戦で、兵器部に従った

修理班は部隊と共に全滅を覚悟して
いる。

大敵に重囲され、家人知人に別辞
(遺書)を書き錻力缶(ぶりきかん)や

雑嚢(ざつのう)の底に入れ、「こ
れだけは世に残れ」と念じ、三度
死に直面
して、不思議に命を永ら
え得た記念物であり、この「命が
けの記録」から
「戦ふ日本刀」と
本書が生まれたと述べている。

14項目に亘り、軍刀及び日本刀の
考察を詳細に記述している。

日本刀の本阿弥鑑定、山田浅右衛門
家の欺瞞(ぎまん)の実態が良く解る。 

美術鑑刀・鑑識に偏重した「作為
された常識」の目を覚まされる筈だ。


成瀬氏は、激戦での日本刀の実戦
使用は二件しか目撃していない。

徐州・胡山、開封・原武の二つの
戦場で各々曹長が使用し、決着は
兵の銃剣
の助けを借りている。
「戦ふ日本刀」も本書も、軍刀戦
果は修理に来た本人又は代理人の
話や自慢
話、部隊での伝聞であり、
「戦果」は過大になる事を前提に
斟酌(しんしゃく)して読
む必要が
ある。


時代背景から、「軍刀成果」は戦意
昂揚にも配慮された内容である事も
勘案
する必要がある。
「戦ふ日本刀」には断片的にしか
出てこない刀銘も240例が出て
くる。

中心(茎)を外して修理した物は全修
理品の二割(約400振り)で、銘の
記録
はその一部である。
茎を外さずに修理した物、記録に
漏れた物が多数ある。

中心(茎)を抜いて銘を改める余裕は
殆どなく、いずれも一刻一秒を争
う緊急
修理が多く、刃こぼれ、刀身
の曲がり、柄巻き替え等は、大抵
そのままで修理
を施してさっさと
渡して了った為である。

記載刀銘例は最後の数十刀を除い
て、南下徐州戦線陣営中の刀である。


軍用日本刀の考察「実戦刀譚」より)


徐洲というのは、「徐州徐州と人馬
は進む 徐州いよいか住みよいか」
のあの徐州のことだ。

徐州会戦(ウィキペディア)

徐州戦では黄河決壊事件という痛ま
しい事件も中国軍によって行なわれ
た。自国民100万人を水死させても
作戦を決行する。1989年天安門でも
「10数億人いるのだから多少死のうが
関係ない」と政府閣僚が発言する国だ。
そういう国相手に戦争していた日本
も、「日本式」でやっていては
追いつかなかったろう。
「戦後民主主義」体制にあっては、
先の大戦の日本側の罪悪を指摘する
ばかりだが、実際のところ大戦の
功罪は別として、日本軍が黄河決壊
事件で数万人の中国農民を人道的
立場から救出したのは事実だ。
まあ、なんというか、今の時代も、
国境など関係なく領海侵犯して
沖縄横を潜水艦が通ってへいちゃら
な顔して、抗議したら逆切れという
国が中華帝国なのだが、ここでは
それ以上は展開しない。
日本もすべての面で「聖戦」とは
いえない面もあったからだ。
ただ、日中どちらも「自分が正し
い」として譲らない。
特に戦時においては、事実さえもが
多くの場面でねつ造され、真実が
歪められ、さらに自分でねつ造し
たことを真実として押しつけよう
とする。
戦争の犯罪性はそこにあると私は
思う。
自分がやったことを相手がやった
こととなすりつける中国。そして
日本も褒められることばかりはやっ
ていない。
しかし、中国に関しては一貫性が
ある。昔も今もなんら体質が変わ
っていないという点で。
戦時中の徐州戦にみる中国軍と同
じような感覚の日本人は今でも多
い。自己正当化の権化みたいな者。
人間のエゲツナイそういうのだけ
は時代も国境も超えるようだ。
現代日本人においては、特に武術
をやっている連中に自己美化で他
者へ攻撃的な人間がかなり多い。
絶対に自分だけが正しく、なんで
も他人のせいにする。自分が犯し
たことさえも相手がやったかの
ようなことを言い張る。救われない。
そのくせそういう連中に限って
「日本人」であることを強調した
がる。

さて、日中戦争の実戦での使用例
があまりないという大村主宰の主張
ではあるが、私が個別に旧軍人から
聞き及んだところでは、場面によっ
てはかなり日本刀は使われている。
多くの旧軍人に取材したが、実際
のところ、相当日本刀を使っている。
北支においても多くが「試し」に使
われた。(『聞き書き日本史』とい
う題で発表しようとかなり取材して
原稿も書き進めたが、思うところ
あり私の意思で出版公開手配は中断
した)
ただ、多くは残念ながら戦闘におい
て使用されたのではなかった。
だが、多く使われたといえば、大体
どのような場面で日本刀が供された
事実があったかは推察できるだろう。
捕虜を斬殺したのである。

現実的には日本刀は使えば傷むという
ことが先の大戦で明らかになった。

(戦後現代人による日本刀の破損例)

私の父の長兄の伯父は尉官で帯刀
本分者だった。
満鉄勤務から陸軍に入り、中支で
終戦を迎えた。シベリアに抑留され、
日本に復員したのは数年後だった。

軍刀について尋ねたことがある。
「なぁんが。昭和刀よぉ」と言って
いたので、軍歴ある者の中でも美術
刀剣史観が一般的だったことが判る。
伯父は自分の軍刀を使用した経験は
一度もないとのことだった。
伯父が学生だった頃の蔵書が本家に
残っていて、昭和初期のその書(思
想書)を読むと、当時は大正デモク
ラシーの影響なのか、右も左もなく
(あるにはあるのだが)、徹底的に
海外の思想(儒教からマルクス主義
まで)を研究していた書が発行され
ていたことが読める。
当時のインテリはこういうのを読ん
だのだなぁと思った。
その名も『英雄待望論』(鶴見祐輔
/大日本雄辦會講談社/昭和3年)。
その頃はまだダイナミックな日本が
あった。日本の思潮があった。
どこでどうなっちまったのか・・・。
まあ、社会史だけでなく日本の軍史
を勉強すると、そのあたりの勢力図
のエグさも見えてくる。軍部内部で
の確執がいたるところにあったこと
も。

近代戦で旧式武器である日本刀を
使用するのは近代戦の軍理に大いに
反するとは思うが、軍国主義的な
戦意高揚の中で日本固有の武器を賛
美することが必要とされた時代背景
があったのだろう。
戦争での日本刀の使用とは、敵兵を
斬ることだ。
中国人も斬ったし、豪州人も斬った。
それの功罪はここでは触れない。
ただ、実際に幕末以上に日本刀を
使用してみて、損傷著しいというこ
とだけは判明した。
だからこそ、昭和10年代の新日本
刀開発が行なわれたのだろう。
大局的にみると悲しい歴史ではあっ
たが、武器としての日本刀と見る場
合、それは「正当な」武器発達史の
一頁だったことだろう。

それを今更封印して、戦時下製作
の日本刀を蛇蝎のように嫌って人
身御供のように亡きものにしよう
としても、日本刀史を改ざんする
ことにはなりはしないか。
そうした戦時下日本刀を忌避して
存在さえも抹消しようとしている
現在の傾向が、実は左翼ではなく、
むしろ国粋主義的な為政者寄りの
人間たちによって遂行されている
ことが私は不思議でならない。
現況を鑑みるに、まだ戦後直後の
ほうが今よりましだった。
GHQの目を気にしていたあの時代
のほうが今よりましだった。
なぜならば、戦後の登録制度が始
まった頃は、戦時下軍刀でもプレ
ス物以外は登録が認可されていた
からだ。
現在は本鍛錬をした作でも、戦時
下の耐久試験合格刻印などがある
作はまず新規登録できずに切断廃
棄処分となることが多い。
それでも、各都道府県に裁量権が
あるので、登録審査委員の審査如
何という傾向はあるにはある。
(日本刀だけでなく、地方自治体
の裁量権が壊滅して完全中央集権
国家になったら、日本は終わりだ。
少なくとも日本刀文化の伸びやか
な発展や保存は終焉するだろう)

広島県の場合、ある個体は駄目で、
ある個体は軍刀刻印ありで98式軍
刀拵のまま審査に持ち込んでも登
録される場合もあるので、全く審
査基準が不明瞭だ。
過去にも、私の知人が実家から古い
軍刀が出てきたので、地元警察で
発見届をして、半年後の指定され
た日に登録審査に持って行った。
即、没収だった。ところどころ錆
び身であるが、きちんと鍛錬した
日本刀だった。二尺二寸強、板目
均んで地錵つき、直刃のたれて清々
しい一刀だった。
同銘作者の作が別地方自治体では
登録ができていたことをネットで
知ると、その人は非常に悔しがっ
ていた。遺品でもあったからだ。

鉄板プレス物はさすがにどうかと
思うが、せめて、本鍛錬した日本
刀は戦時下近代刀でも登録して、
先の大戦時の歴史的遺物として
大切に保管すべきだと私は考える。
しかも、平成24年には茎に軍刀刻
印入りの軍刀が軍刀拵のまま審査
申請され、広島県で認可されてい
るのである。
一方で、即破棄処分も受けている。
本鍛錬物がだ。審査は混迷してい
る。
なお、保存協会が歴史的な刀を保
存せずに破棄廃物にすることを推
奨しているいうのは、なんだかお
かしいことだ。
「日本刀は美術品」というGHQへ
の言い訳ウルトラCを行なってから、
もう来年で77年だ。
政治向きの御政道のことは俺はよく
知らないが、日本刀を廃棄するのが
文化遺産の保護には決してならない
と思う。文化は平和時の物だけでは
ないでしょう。甲冑等も保護してる
じゃない。
戦時下日本刀を廃棄処分にするの
なら、国内に残存している戦闘機
の展示物もすべてスクラップにし
たらどうなのか?靖国や大和ミュー
ジアムにある展示物も。
知覧に見学に行った時、涙が出た。
所有者がはっきりしていた戦時下
日本刀が14センチ単位で切断されて
展示されている。
いくらなんでも、あんまりだと思っ
た。
戦時中の不幸を広く知ってもらう
場所で、戦争の本当の功罪と意味
は戦後にあったということを知ら
された。
特攻で散った人たちは、「あれは
日本刀ではありません。美術刀剣
だけが日本刀で、軍刀などは刀で
はないのです。だから切断して
ポイ」と言われているように思えた。
先の大戦で亡くなった軍人たちは、
靖国に英霊として祀られていても、
「刀ではない鉄板」を刀と信じ込
まされて飛び立ったとでもいうの
だろうか。
だが、同意としてそう言っている
のだ。今の現代美術刀剣界の中枢は。
そのくせ、先の大戦の戦没者に対
して、特に軍人に対しては感謝し
たり哀悼の意を表したりするポーズ
を取っている。
それでいて、軍刀は日本刀ではない
としてこの世から抹殺しようとして
いる。
中ソの手先の左翼がそれを主張して
たならまだ分かるが、それを右より
の人間たちが率先して現在もやって
いるのだから、ほんとに世も末だと
私は思う。
靖国神社関係でさえ、軍刀抹殺論に
凝り固まっているのだから、絶対に
何かおかしい。
結局、靖国には幕臣と奥羽越列藩同
盟の武士は祀られないという構図と
同じものがある。
全般的な普遍的愛国心を大切に思う
のではなく、一部の者が政治的な
力学(戦勝国との関係)の中で、あ
らゆる利用できるものを利用しつく
そうとしている中に戦時下日本刀も
あるわけだ。
ま、政治には興味ないが。政治家が
いない国だから。政治屋ばかりで。
ただ言えるのは、見紛うことなき日
本刀である戦時下刀剣は、ある勢力
によって「消滅」させられようとし
ている事実がある、ということだ。

となるとですね、日本刀一千年の歴
史の中で、「日本刀が無かった時代」
というのが作り上げられてしまって
いる。ねつ造によって。
それ狙っているのかも。もしかすると。
こんな国、国連の常任理事国になど、
あと100年経ってもなれるわけない。
何がリーダーシップだよ。笑わす。
原爆は要らないが、日本刀は要るん
だよ。過去も現在も未来も。国だけ
でなく、国民もサムライジャパンと
か商業ベースに煽られてうかれてる
場合ではない。
刀を残せ、刀を。未来に。

考えたら、現代刀はわざと折れ易く
て武器にはならない刀を作らせてい
る現代権力者の陰謀ではないかと
疑ってしまう。
お上の言う通りにしないと免許も
やらないし、作刀なぞさせないぞ、
というような。
でもって、現代「刀」工たちは、
こぞって、黙って言われた通りに
言われた工法で造ろうっと、てな
もんで。
「美術品だからこれでいいんだ」て
な感じで、ただお上から言われたこ
とだけに従って。
そういうのって・・・それが「文化」
だとしたら、極めて駄目な文化じゃ
ない?骨がない、骨が。
美術でも音楽でも、本当の文化の担
い手というのは、土性骨というもの
があるのではないのかな。
ここで撃ち殺されてもこの一曲を奏
でるのだ、みたいな。
享楽的な文芸サロンや文壇バーと同
じ感覚で刀こさえて文化論も何もな
いもんだと思うけどね、あたくしは。