1977年、私が高2の時に原宿
にホコ天が登場した。
ホコ天エリアでは人が増えす
ぎて移動困難となり、次第に
代々木公園にロッカーたちは
移って行った。
国内の一大ロカビリー(1950
年代にロックンロール登場の
初期の形態)の再興が創出さ
れたのは、原宿にロカビリー
用品専門店クリームソーダが
1976年に登場した事が国内の
カルチャーシーンに大きな影
響を与えたからだ。
一方、1978年に原宿に登場し
た衣料店「竹の子」で購入し
たダボダボでふわりとした衣
装を着る集団が1970年代末期
に都内に登場する。
彼らは竹の子族と呼ばれた。
彼らは集団でディスコのホー
ルを占領して他の客が踊れな
くなったので、段々とディス
コから出入り禁止をくらう。
行き場の無い彼らはやがて
原宿ホコ天に進出する。
1970年代末期~1980年代初期
には、原宿は多くの買い物客
とロッカーと竹の子であふれ
返っていた。
ロッカーを凌ぐ数の竹の子族
は一時2000名を超える人数が
原宿に集結して踊り狂ってい
た。
ロッカーはせいぜい数百人程
度だった。
♪ジンジンジンギスカン
なんてのは竹の子族のラジカセ
からガンガン流れていた。
ロッカーと竹の子の違いは曲
や踊りよりも衣装で明白だっ
た。
ストリートロッカーたちは革
を着る。あるいはデニムを。
アメリカンバイカーズのよう
にアームカットオフのGジャン
も革ジャンの上に着たりもし
た。髪型はダックテール。
女子はアメリカングラフティ
スタイルのフレアスカートに
ポニーテールだ。
一方竹の子族たちは、男女と
も同じような恰好だった。
男はバイセクシャルな装いで、
それは後のホコ天出身バンド
「クスクス」の雰囲気の先取り
のような感じだった。
てか逆で、クスクスが竹の子と
トロピカルスタイルを融合させ
て衣装とメイクにしたのは間違
いないのだが。ジェンダーレス
風味で。
竹の子族
クスクス
竹の子族は消滅した。
だが、ロカビリーとロッカーは
現代でも存在する。
なぜか。
この答えや如何に。
それはクリームソーダ創設者の
故山崎眞行氏の言葉に核心が
ある。
「ロカビリーはフィフティーズ
のオールディーズだ。それを今
やるのは最初から古いものをや
っている。変わりようがない」
そして山崎氏は続ける。
「流行を着るのが一番ダサい」
ロックを好む連中は、時代や
流行などとは無縁だ。
流行りだからやる、ブームだか
ら着る、皆がやってるから興味
持つ、などという心根とは無縁
なのだ。
ロックをやる奴の魂の軸線はぶ
れない。
特にロック・ア・ビリーとロッ
ク・アンド・ロールを好む連中
は。