うちは子どもの教育では一切幼児語
を使用しなかった。
靴は靴でありクックではない。
ご飯はご飯でありマンマではない。
幼児語を使わない事により、言語を
介して概念化する知能は飛躍的に
発達する。
結果、1歳3ヶ月で「歳いくつ?」と
尋ねると指を一本出して「ひとつ」
と答え、1歳半の時点で、大人とごく
普通の会話を標準語で話していた。
話しかけと本の読み聞かせはとても
大切で、まるで海綿が水を吸うよう
に言語を覚えて行った。
三歳児の時に、山を見て、とんがって
いる木と丸い葉の木の違いにより、
保水力を山が持っているかどうかを
考察して私に聞かせるようにもなっ
た。
毎週の山への行き帰りに、いろいろ
聞かせていたからだろう。
そのうち、どうしてマス族は川の
上流部にしかいないのかにも疑問を
持ったらしく尋ねるので教えた。
教える時には、まず考えさせる。
「なぜだと思う?」と。
すると子どもなりにいろいろ思考を
巡らせて、その原因を探そうとする。
ここが大切。
最初から答えを与えたりはしない。
自分の力で考えて、自分で考察して、
自分で一つの仮説なりを導き出す
訓練をする。
うちの場合はそれを親子の会話で
常にやっていた。
結果として、物を観察して考察する、
という思考の基本回路は早期から
持つようになっていた。
そして、何でも話し合う事で前に
進める事を覚えさせた。
うちの子どもは駄々をこねて地団駄
踏んだり、泣きわめいたりは一切
しなかった。親が手を上げる事も
皆無だ。常に静かに冷静に話し合う。
なんでも話して聞かせて脳で理解
できるようにしたし、理解し合う
事を会話によって形成する事を
離乳時から心がけた。
なんで?なんで?という質問攻めは
だいたい1歳児代の頃にやってくる。
幼稚園に入った3歳児の頃のかぞえ
5歳時に城の濠について娘から言わ
れた事がある。
私が「この濠、もっと水を綺麗に
すればいいのになぁ」と言ったら、
「それはどうかなぁ」と言う。
「どうして?」と訊くと、「だって、
ほら、水が綺麗だと底が見えるで
しょう?
底が見えたら何があるかわかって
しまうじゃない。深さも。そうし
たら敵が攻めやすくなるから、濠
の意味がなくなるんじゃない?」と。
ああ、なるほど、それはあるね、と
思った。そいつぁごもっとも、と。
ただ、幼児言葉を使わない事で、
言語によって概念化されたり、論理
的な思考をする事は若年時に著しい
発達を見せはしたが、後年注意された。
それはサンタクロースは存在しない
事を実年齢5歳になる年に教えたから
だ。
それを娘は大学の時に言ってた。
「事実とはいえ、子どもの夢を
壊してから」と。
だって、いないもんはいないからね。
それにサンタクロースはクリスマス
とも本来関係は無いし。
プレゼントを贈る習慣は12月の初週
あたりだったし、キリスト教とは
ほんとのところでは関係ない。
まあ、サンタがいないと知った後も
娘は別な捉え方でプレゼントは楽し
みにして喜んではいたが。
これ、実は山へ行く道中の車の中で
ユーミンをかけていたら娘から質問
されたので、思案の上、答えたのだ
った。
「恋人がサンタクロース、ってどう
いうこと?本当はサンタクロースっ
て歌っているけど、なんで?」と
訊くので。
サンタさんは世界中の子どもたちに
プレゼントを届ける。世界中にだ。
一体何人いるのか。
どのような魔法を使って一晩で世界中
に届けるというのか。
これは私が3歳ころに抱いていた疑問
だった。
鹿の仲間であるトナカイの本物を私は
見たことがない。
トナカイもそりも実在するが、サンタ
クロースは実在しない。未発見(笑)。
実在するサンタクロースは、月にいる。
これはアポロ12号が撮影した映像に
たまたま写っていた「サンタ
クロース」。月面上空2km。
NASAはコードネーム「サンタ
クロース」を確認している。