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渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

私的秋の映画祭 『道頓堀川』(1982年松竹/深作欣二監督作品)

2022年11月07日 | open




『道頓堀川』(原作:宮本輝/
監督:深作欣二/1982年松竹)

主演:真田広之、佐藤浩市、
山崎努、松坂慶子、加賀まりこ他


またもや『道頓堀川』だ。
最高なのである。

原作は戦後間もない大阪が舞台
だが、1982年当時に現代劇と

して深作監督が撮った。
原作の小説の流れとはかなり異
なる演出描写となっている。

いわゆる宮本輝の『泥の河』、
『螢川』に連なる「川三部作」
の一つとしてこの作品がある。
ラストシーンの演出描写は原作
者宮本と深作監督の間でかなり
揉めたらしい。

ただ、DVD特典で製作者が対談
形式で解説しているように、

深作監督には彼独特の人生観と
しての映画人の「モラル」があ
る。

私は大いにこの作品の終わり
方はアリだと思う。

劇中で言われた通り、あのドブ
泥の道頓堀に住む人たちは、誰
もが心に風が吹いているのであ
る。それこそを描いた映画だ。

何度観たか数えきれない。
台詞はほぼすべてを覚えている。
ビリヤードのシーンで「なぜ
あんな撞き方を」などと突っ
込んだりしてはいけない。

加賀まりこが玉を撞くシーンで
は往年の若き古波蔵プロが吹き
替えをしている。かなりの美人
だった。

そして、これは多分、加賀まりこ
のスケジュールの関係で撮り直し
ができなかったからだろうと想像
できるが、遠くでうつむいた横
顔のシーンでは、そのまま古波蔵
プロが加賀まりこの役の吹き替
えのまま映っている。

本来は加賀まりこで撮影する
ところだったのだろう。アップ
のカットでは本人の映像を繋い
で、うまく編集で違和感がない
ようにしている。

この作品は撮影途中で「男の世
界」が続く中、松坂慶子がいわ
ゆる「うつ」になり、撮影続行
が不能になった。自分の演技の
居場所が解らなくなって、心の
病になったらしい。スタッフ等
がいろいろ働きかけて、ようや
く撮影が続行されたという。

そういえば、松坂慶子が演じる
「まち子」役の小料理屋の女将
が、武内(山崎努)と邦彦(真
田広之)が店に来た時にビール
で3人で乾杯をするシーンで映
像上のミスがあることに私は
気づいていた。

それは、ビールをグラスになみ
なみと注がれて3人で乾杯をす
るシーンにおいて、最初まち子
のグラスに注がれて乾杯までは
泡が立っているのだが、いざ次
の瞬間にまち子が飲もうとした
カットでは泡は完全に消滅して
いるのだ。

映像特典の解説によると、この
シーンでは「松坂がうつになり、
まったく盛り上がるシーンが
撮影できなくなった」と説明し
ていた。

たぶん、何度も撮り直しでOK
テイクが出ないまま、しかた
なしに撮影済みのカットを編集
で割りこませて繋いだのだろう。
ほんの0コンマ数秒でグラスの
泡が完全消滅するわけはないの
で、とても不自然な映像となっ
ている。


この映画にハマり、東京から
広島に赴任した1997年には、
大阪への出張の際には大阪
ミナミの道頓堀界隈を「聖地
巡礼」のように歩き回った。

だが、映画に出て来た撞球場
はひとつもなかった。

当時はビデオしか発売されて
おらず、DVD特典で語られた
撮影裏話を知らなかったからだ。

実はこの映画に出てくる室内
のシーンはすべてスタジオ
セットだったのだ。

道頓堀の戎橋わきにある物語
の重要な舞台である「リバー」
という喫茶店は、現実には
喫茶店オグラがあったが、劇中
に出てくる喫茶リバーから道
頓堀川ごしに見える対岸の喫
茶店やミスタードーナッツな
どもすべて少しミニチュアの
セット(遠近感を出すため)

を作って撮影されたのだとい
う。

ビリヤード場は劇中に何軒か
出てくるが、天王寺にしろ
千日前にしろ古びた玉屋の店
内などはどう見ても本物にし
か見えない出来栄えだった。
やられた。すっかり深作演出
に、してやられた。


一番ショックだったのは、
オープニングのシーンで出て
くる大黒橋に1998年に行った
時だった。

映画が撮影された1981~82年
時点では、この橋の上は小さ
な児童用遊園地となっていた。
ジャングルジムがあり、雲梯
があり、ブランコがあった。

美大生の邦彦は、夜明け前に
この大黒橋の上で道頓堀川の
絵を描いていて、逃げた飼い
犬の小太郎を追って来たまち
子と初めて出会うのだった。

その大黒橋に真っ先に訪れて
みたが、たった10数年間の間
にあまりの変わりように驚い
た。


映画『道頓堀川』(1982年)から


















邦彦はまち子からレモンをもらう。


そして、アルバイト先の喫茶店
リバーに向かう。


戎橋(ひっかけ橋)の向うに1982
年5月公開の『ザ・レイプ』の広
告看板がえる。実はこの映画で
裁判官および弁護士役を演じた
のは、この映画の公開4年後に私
が勤めた職場の弁護士たちだっ
た。被告人の弁護人役はうちの

所長だった。
所長の著書の『制裁的損害賠償
論』には学生の時にいささか
感銘を受けた。


この邦彦が歩いている1982年
時点の大阪道頓堀の戎橋も、
今は改築されてもう見る影も
ない。2000年頃にはよく路上
ミュージシャンがここでギター
を弾いていた。通称「ひっかけ
橋」。古くからナンパストリー
トだったからだそうだ。


戎橋横にある喫茶リバー。
これは看板のみ映画用に掛けて
いる。本当は洋食喫茶オグラ。



喫茶リバーの店内から見た戎橋。
これは実写だ。



だが、このシーンでは、店内も
セットで、道頓堀川の対岸の向
うの店もすべてセットなのであ
る。これにはしてやられた。
見抜けなかった。



2010年時の本物の風景


2010年時の道頓堀川。「リバー」が
あったという設定の場所は現在は
コンビニ店のあるビルになっている。
オグラビル。

(リバーと書きこんでみた)


映画の中で街頭ロケで出て来た
シーンは、この道頓堀界隈に限
っては私はすべて歩いて、場面
で使われた場所を確認した。

現実的に道頓堀界隈をいくら
彷徨してみても、聖地巡礼は
それほど成立しなかった。

それもそのはず、肝心の室内
シーンのほとんどが松竹スタ
ジオの中のセットで撮影され
ていたからだ。現実の道頓堀
や天王寺などに映画に出て来た
ビリヤード場などは1982年当
時にも存在しなかったのである。

散々歩き回った私はくたびれ
もうけ・・・かと思いきや、
道頓堀には実にレトロなビリ
ヤード場があった。

そこで私と同じTAD使いの知己
を得たたので、収穫はオンの字
だったのである。


今どき、マッチだぜ、マッチ。
渋い。
今はこの玉屋はもう存在しない。


映画『道頓堀川』は決してビリ
ヤード映画ではない。

ビリヤード映画として観ても
期待が外れるだけだ。

これは「深作作品」として観る
のが正解かと思う。

どうして世の中にこんなひどい
話があるのか、というような

物語になっている。涙も枯れ
果てるような悲しいお話が続く。

戦争に出兵して、仲間はどん
どん死んでいく。海を漂流し
ながらも次々に仲間が沈んで
行く。生き残って本土に帰っ
て来た自分の「生」に対する
忸怩たる思い。誰にも理解さ
れないその思い。

深作欣二監督が持つ「モラル」
という心の奥底に触れたい方は

ぜひどうぞ。
秀作です。

ちなみに現在の大黒橋は「綺麗」
になってしまっています。
子どもたちの遊び場は消されて
しましました。
(不明~2009年までの大黒橋)




2010年時には大黒橋はさらに
大改修が始まっていた。
風情あるレンガ造りさえ見る
影もない。階段も無くなった。


大黒橋の上から1982年。


同地点の2010年。


大黒橋北側へ走るまち子(1982年)。


同地点の2010年9月時点。

段差もなくなり車の通行には
便利にはなって行くのだろう
が、江戸時代の元和年間に架け
られたこの橋は、かつての昭和
の時代には歩道だった。橋の上
には児童用の小さな公園があり、
きっと多くの子どもたちもここ
で遊んだことだったろう。
今は本当に見る影もない。
せめて映画『道頓堀川』で、私
が邦彦と同じ大学生だった頃の
タイムリーな大阪の街並を偲ぶ
しかない。
しかし、日本の街の風景は戦後

に一度大きく変わり、そして
バブルで完全に変わり、さらに
バブルから四半世紀以上が経と
うとしている現在、三度目の大
変身を遂げようとしている。
1980年代といえども、「昭和」
の時代にはまだ戦前の面影が
街に残っていた。
国電お茶ノ水駅を下りて、神田
駿河台の学生街を歩くと、戦前
からの明治建築の大学校舎など
が建ち並んでいた。今はどこの
大学も宇宙局のような建物ばか
りになってしまった。かろうじ
て、東大の安田講堂や早稲田の
大隈講堂や明治学院等の私大群
の建物の一部等が古い時代の
風景を留めているに過ぎない。

運河の街大阪の橋。



映画『道頓堀川』の中で主人公
の邦彦が着ている服やブーツな
どは、本当にタイムリーに1981
年当時に私などの学生のスタイ
ルだった。
真田広之さんも佐藤浩市さんも
私と同学年でなんだか髪型まで
同じだし(笑

深作監督についてはウソのよう
なホントの体験をしたことがあ
る。

あれは1988年の秋。風の強い
寒い日だった。

私と職場の上司は、ある調査の
ために千葉県外房に車で赴いた。

仕事を早々に終え、九十九里
の海岸で海を見ながら男二人で
煙草をくゆらせながら一服休み
していた。ヤシのような並木が
ある海岸線の通りだ。

するとそこに一台の真っ赤な
スパイダーに乗った「あした
のジョー」風のキャスケット
帽を被った渋い男性が乗りつ
けた。

男性は車から颯爽と降りると、
堤防に立って海を眺めた。

そして、ほんの1分くらいで
立ち去って行った。

深作欣二監督その人だった。
私と上司は、「海の眺め方も
去り方も、なんだかカッコ
イイなぁ。まるで映画みたい
だよな(笑)」と同じ感想を
漏らしたのだった。
監督、独りでロケハンだった
のかも知れない。


深作監督が乗り付けたのは、
こんな感じの車だった。


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