四輪車でもとりわけ軽自動車は
色の選択肢が豊富に用意されて
いるケースが多い。
普通自動車の場合は色数が少な
い。
軽自動車は東京大阪等の主要都
以外の地方では圧倒的に多い。
驚くほど多い。
走っている四輪車のほとんどが
軽自動車である程。
それは、地方では完全なる国民
の生活に欠かせない足として四
輪車が存在しているからだ。
車がなければ買い物も通院も
まったくできない。
都市部とは交通機関の発達が
雲泥の差だからだ。
高齢者の免許返納を推進云々は
あれは都会に住んでいる人が言
っている事だ。地方では元気な
80才代はごく普通に車を運転
して移動する。でないと移動
できないからだ。
つまり、車が無くば生活はでき
ない。
地方で軽自動車が爆発的に売れ
ているのは、維持費とコンパクト
さによる小回りが利く点だろう。
長距離は移動しない。
そして、広島県三原市のように
軽自動車には車庫証明が要らな
いという地域もある。
かつて、日本の二輪産業を支えた
のは50ccの原付バイクだった。
それにより日本の二輪は空前絶後
の1980年代オートバイブームを
迎えた。そこらじゅう誰でもバイ
クに乗っている国内状況が生まれ
た。年間250万台売れた二輪は、
今では1/10の販売台数に落ち込ん
だ。今日本の二輪産業は命が風前
の灯だ。
一方、四輪車の世界は順調で安定
した伸びを見せている。
四輪車メーカーの決算黒字は上昇
しか見せていない。
それは、四輪車が移動手段として
国民に定着しているからだ。
そして、それはかつて二輪が原付
によって支えられていたように、
四輪では軽自動車の普及が自動車
産業の底力となっている。
日本の原付50はどうして誰も乗ら
なくなったのか。
それは、かつて二輪車はエンジン
を切って押せば歩行者と法的にも
認められ、買い物や外出でも歩道
に駐車しても駐車違反対象には
ならなかった。そうした時代が
数十年続いた。
だが、現代コンプラクレーマー
の魁のようなクレーマーたちの
通報が突然降って湧いた。
まるで「オバQ」や「ちびくろ
サンボ」をつるし上げた疑似似非
良質市民ムーブメントのように。
一部の人間が火をつけたが、それ
が燎原の火のごとく広がった。
「恐れた人(企業等)」がいたか
らだ。
二輪の駐車違反はある時突然警察
権力により一方的に断行された。
そして取り締まりが突然始まった。
昨日まで歩けていた道を歩くと
逮捕する、みたいなものだ。
そして、日本の二輪車産業は死滅
へと向かった。現在は延命措置を
対処療法的に施しているが、日本
から二輪車が消滅する日は時間の
問題だ。
今日本国内で二輪に乗っている人
たちは、個人的な趣味で乗ってい
る「浮動層」ばかりだ。配達等の
職務乗車を除けば。
何かあったら即二輪に乗るのを
やめる。そうした存在。そうした
不安定な存在にかろうじて支え
られているのが日本の産業の中
における二輪製造部門だ。
だが、それら日本国内の二輪乗車
層は、奇しくも構造的には、意図
的な権力の二輪規制の歴史の中で、
抵抗戦線の一員を構成する構造の
中にいる。本人が意識せずとも。
ただ、浮動票と同じく浮動層は
いつでもその立場を任意に放棄
できるので、構造変革の起爆剤
にも確実な定着力にもならない。
日本の二輪史の中で唯一の例外
は、1980年代初期~末期に私
たちが起こした社会ムーブメント
によって、ライダー自身の手によ
って行政変革を実現した高速道路
料金訴訟運動だけだ。
あれにより二輪車の高速道路料金
枠が初めて設置された。
それは30数年を経た21世紀のこん
にちの料金枠としても現存で生き
ている。
あれがなければ、上からの搾り上
げはやりたい放題だった。
それまでは29人乗りのマイクロ
バスと同じ料金を二輪車は徴収
されていたのだ。
現実的に二輪枠の高速道路料金を
設置させた歴史的な訴訟は、法学
の世界では「行政訴訟の奇跡」と
いわれている。
四輪車は現在進行している二輪車
のように消滅の危機はない。
それは前述したように、国民の足
として軽自動車が完全生活必須
アイテムとして堅固に存在して
いるからだ。
二輪車の原付は四輪車の軽自動車
の二輪車版として想定されて普及
が成功したが、作為的勢力により
潰された。
そしてそれは二輪車社会全体を潰
す方向にベクトルが作用し、現在
の絶命寸前の日本の二輪産業の状
態を発生させるに至った。
今の状況は、誰か特定の者たちが
仕掛けて作り上げたものだが、
我々国民のうち二輪車に乗る人間
たちにも責任がある。
80年代の歴史的大改革を成し遂げ
たような巨大国民運動もなにも
せず、ただ指を咥えてお上の言い
なりになって尻尾を振っているだけ
が二輪乗車国民の全体像となって
しまっているからだ。
そして、それらはコンプラ警察
気取りの良市民ぶる似非国民の
層をも形成している。
今の二輪乗りたちは自分で自分の
首を絞めているのだ。
かつて家庭の主婦や学生たちまで
の多くの人が原付に乗ってタウン
ビークルとして二輪を使用して移
動した。どの家庭にも原付バイク
があったような光景が国内に広が
っていた。今の軽自動車の普及定
着のように。
任意保険制度もそうした社会情勢
を鑑み、ファミリー特約等が新設
された。
それが本来のモーターリゼーション
として正しく健全な交通社会の姿
だ。
そうした光景が広がる完備された
国は栄える。事実日本がそうだっ
た。
だが、そうした明るい未来を予見
させた日本の時代は終了した。
今日本は、最期の断末魔に実は
喘いでいる。
もしかすると、100年後には日本
という国さえも存在しないかも
しれない。
これ、絵空事や冗談ではなく。