goo blog サービス終了のお知らせ 

渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

見極め確認 ~「どっこい大作」と「いなかっぺ大将」~

2023年11月13日 | open



「どっこい大作」と「いなかっぺ
大将」は、題名のフォントがとて
も似てるという印象が私にはあっ
たが、検証してみると、まったく
異なる事が判明。

いなかっぺ大将は、時代のなせる
業なのか、どうにもどこの大学の
正門前や構内にあったカクメイ的
なタテカンゲバ字系であるという
事実も見て取れる(笑)。

ただし。
この2作品のOPの作りこみに共通
のものが流れていることを看守で
きるだろうか。

ポーズ、文字の出し方、色、伝え
る雰囲気。

製作者の意識は、同じ地平にある。


「どっこい大作」(1973年1月~)
についてのネット解説は以下の通り。

------------------------------------------

ストーリー
北海道で貧しい生活を送っていた

田力大作(たぢから・だいさく。
「田」と「力」の組み合わせで
「男」)は、唯一の財産である牧
場を借金の担保として実業家・二
階堂甚平に取り上げられてしまい、
無一文になる。通っていた中学の
校長の助言により“日本一の男”を
目指して高校には進まず単身上京
したはいいが、夢だった大鵬部屋
への入門を果たせず、力士への夢
をあきらめる。
二階堂の紹介でラーメン屋「珍竜
軒」に就職した大作は、その後、
清掃会社「清潔社」、ベーカリー
「ハッピーパン」と舞台を変えな
がら、ライバルや多くの試練に立
ち向かっていく。苦難を前にした
時には、「どっこい、どっこい」
と相撲の張り手の構えで発憤し、
乗り越える。二階堂は、時に大作
を見守り、時には壁となって立ち
はだかり、その成長を支えていく。

時代背景
高等学校への進学者はエリートで、
ほとんどは中学校を卒業後「金の
卵」と呼ばれ(実際には“金の卵
を産む鶏”として既得権者に搾取
されただけだった)地方から大
都市に集団就職していた時代背
景が偲ばれる作品(放映時の
1970年代前半には、集団就職は
終了していた。1975年には、国
鉄が「最後の集団就職者専用の
団体列車」を運行した)。

----------------------------------------

戦後団塊の世代が1960年代末期
の全共闘運動の担い手となるが、
圧倒的な人口数の戦後ベビーブ
ームのまっただ中の世代の大学
進学率は以下の通りだった。



学生運動の担い手となる1966年
入学の世相としては、男子の大
学進学率は18.7%、女子は4.5%、
男女両方で11.8%だ。

人口のうち11.8%しか大学には
進学していない。

中学義務教育を終えてから社会
人として就職する人口が圧倒的
大多数の時代であり、高等学校
への進学だけでなく大学まで進
む環境は、戦後日本には「限ら
れた家庭」しか許されなかった

のである。
まだ日本人が自由に海外旅行に
さえ行けず、日本から出国する

ためには、預金証明を提出して、
しかるべき正当な理由を政府

が認めた者しか海外渡航できな
かったのが戦後20年ほど経過し
た1960年代だったのである。


だが、この1960年代の幕開けか
ら、日本は戦後高度経済成長を
遂げ、世界史の中で「東洋の奇
跡」を実現させるのだ。

しかし、急激な経済成長は、日
本国内で貧富の格差を広げ、外
で人を殺す戦争に協力すること
で日本が潤うという社会矛盾を
一気に進行させた。

国家権力は、それに対する国民
の声を封じようと、より一層強
権的、暴力的になって、実行力
ある現実の暴力を以て国民を圧
し始めていたのが1960年代だっ
た。

多くの国民だけでなく、先鋭的
な学生(=大学生。高校生は生
徒)は、暴力で圧殺の森を広げ
ようとする国家権力に対しては、

実力的対抗暴力で抵抗戦線を築
いた。

それは、日本の今の繁栄は、ベ
トナム人を殺す戦争に日本国が

手を貸すことによって得ている
アジアの覇権と繁栄であり、そ
れについて「異議申し立て」を
口先だけでなく行動で表したの
が1960年代末期の「怒れる若者」
たちだった。


だが、国民の中でもとりわけ学
生というハイティーンから20代

前半のまさに「若者」たちの国
家権力の暴力措置への叛乱抵抗

は、国家権力の暴力装置によっ
て「個別暴力的な撃破」を以て

終息させられた。全国百数十大
学、のべ人数4年間で約百万人
の大学生のうち、8割以上にお
よぶ数十万人の大学生が参加

した反戦反権力闘争は完全に敗
北した。

1970年以降は、その後の「敗北
の残り香」が漂う世界であり、

この世相は歌謡曲にも影を落と
し、日本の歌は希望や若者や

共に生きる喜びをうたう歌か
ら、極めて個人的に閉塞した
自己世界、たんなる男女の恋愛
だけの世界へと閉塞していった。

四畳半フォークの台頭などは
まさにそれを象徴するものだっ
た。

そうした中で、和田アキ子は
『あの鐘を鳴らすのはあなた』
をうたい上げたのだ。これは
その3年後に中島みゆきが歌う
『時代』の魁だったともいえる。
ただ、『あの鐘を』は、まだ
もって眠りから覚めない町に覚
醒を求める希望をうたったのに
対し、『時代』は、完全なる敗
北の自覚の上に立って作られて、
そしてうたわれた曲だった。
何よりも、作者自身の中島が女
子大で北大と共に新左翼反体制
運動の中に身を投じていた本人
だった。


と、歩く昭和史の私は呟いてみる。



この記事についてブログを書く
« ロードは意外と覚えている(... | トップ | 向き不向き 〜独ヲタ女子アッ... »