

ブーツインかブーツアウトか。
それは、その時々による。
これは今でもそうしてる。
ブーツインかアウトか。
それは好みだ。

競馬などではほぼブーツイン。
モーターサイクルロードレース
では最近ではアウトも出て来た。
昔の限定解除試験の時に、ブーツ
履いてない人たちには試験官が
ズボンの裾を靴下で包むように
指導していたが、ありゃどう見
てもダサかった。
しかも、ブーツ履いていても、
裾をブーツの中に入れるブーツ
インでないと減点されて落と
された。
返事も警察官のような返事、
直立不動の姿勢から礼、とか
でないと減点対象だった。
そして、ヘルメットは白のジェ
ット。これでないと服装✖️で
弾かれた。グローブは黒、靴
も黒限定。それがまず条件。
限定解除なのに理不尽な限定が
多すぎて笑えたが、そういう
時代だった。
警官が車両を止めて免許証確認
の時も「おい。免許証!」と
いう対応が普通。「どこ行くん
だ?」という言葉使い。
戦後なのに明治からのオイコラ
警官そのままだった。
一度、ルート20甲州街道で昼間
2ストマルチに2ケツで信号停止
した。高校の時調布で。都下の
グランドでの運動会の帰りだ。
そしたら、横の交番から警官が
出て来て「おい。免許証!」と
言う。
「任意ですか?強制ですか?」
と言ったら、「何だと?この
野郎!!」と警官は言って殴り
蹴るようにして襟元掴まれて
バイクから引きずり下ろされた。
危うく転倒しそうになった。
で、二人で交番で取り調べ。
一体、何の容疑だよ(笑
二人とも高校の制服着て乗って
いた。
まあ、警察はそういうのが普通
だった時代。
だって、至近距離から頭部狙い
撃ちでノーヘルの看護活動中の
学生を警官が撃ち殺したりして
た時代だったから。
犯人は組織的隠匿で特定できず。
学生は死に損だった。
フツーにパンパンけん銃もガス
ランチャーも水平撃ちしてた。
警邏のオマワリも「お巡りさん」
などではなく、マッポ(偉そう
にしてる明治新政府のオイコラ
官憲を薩摩っぽと揶揄した旧
江戸市民の造語が語源)そのもの
だった。それがザ・昭和。
なんせ、服装まで警察の意のまま
に従わないと免許さえくれない
時代だったのだから。
免許は技術じゃないのよ。
だから、どんなに正確に操作運転
しようとも、数回で合格はまし
なほうだった。
そら8回受験とか、そんくらい
かかるさ(笑
仲間内でも限定解除は10回前後
が多かった。
90年代に入るとぐっと緩和され
たみたいね。
そして、96年からは免許制度
が変わって、自動二輪枠が無く
なり、限定付制度ではなく、
二輪は小型と普通と大型という
三種の別免許になった。
1975年からの約20年間は、
小型と自動二輪という区分だっ
た。自動二輪の中に中型限定と
限定無しに分けられていて、
限定無しは教習所では取得でき
なかった。「合格者を出さない
為の試験」という違憲の疑いも
ある制度だったが、まあ、警察
が文字通り権力を振り回してい
た時代の事だ。
当然、「圧力で統治する側」と
「される側」という図式が色濃
く社会に現出していた。
なので、今の時代のようなヘコ
ヘコ権力者に媚び売るのが美徳、
それが品行方正な良市民、とい
うような感覚は国民感情には無
かった。
今は、皆が市民警察ぶっていて、
果てしなくダサい。