元々400ccクラスというのは世界的
には存在しなかった。
同クラスで存在したのは、世界グラ
ンプリ純GPレーサー350ccクラスの
人気を受けてライトウエイトミドル
クラスとしては350ccがメインだっ
た。
日本製オートバイも、それに倣って
公道市販車のミドルクラスは350cc
クラスを各メーカーが意識してライ
ンナップしていた。
だが、スズキが371ccの3気筒市販車
を出し、ホンダはマルチとして408cc
の市販車を出して対抗した。
カワサキとヤマハは世界GPのカテゴ
リーを背景に350以下にしていた。
ところが、日本での自動二輪免許
取得制度が1975年に改変された。
自動二輪の中に排気量で運転の
可否を決める区分を初導入した
のだ。
そして、自動二輪は400cc以上も
乗れる排気量限定無しの免許条件、
400cc未満までしか乗れない中型
二輪限定条件付という2種類分け
に改定した。
同じ自動二輪でも、限定無しの
免許は教習所での取得ができない
ようにし、公安委員会での一発
実技試験のみにした。
「免許を取らせない」為の免許制
度なので、一発合格は非常に狭き
門となった。5回10回受験はあたり
前、という時代になった。
その不合格理由は、返事が悪い、
ヘルメットの色がいけない、服装
がよろしくない、きをつけの姿勢
が悪い、印象が悪い、等々であり、
そうやってどんどん検定不合格に
された。ウインカー出すのが1秒
遅いとかも。後方確認の首の回す
度合いが少ない、とかでも。
結果、二輪車新規ユーザーの殆ど
が中型限定二輪免許となった。
限定解除は不合格にさせる為の
制度だったので、受験を続ける
人たちも、諦めて中型限定で
我慢する人も多かった。
気合入れて8回で取ったとかは
まだ受験回数少ないクチだった。
そして、日本国内は二輪車製造
メーカーも新免許制度に合わせ
て400cc以下のオートバイ開発
製造にシフトした。
ホンダは408ccで発売していた
CBをスケールダウン改造して
新免許制度に適合する車種に
したし、逆にカワサキは350ク
ラスから400クラスにボアを
上げて来た。
ヤマハも350から400クラスに
ボアアップ、スズキも続いた。
1975年から1995年までの20
年間は、日本独自のカテゴリー
である400クラスがオートバイ
の中心軸となった。
世界規模ではミドルクラスは350
が中心だったが、WGPでは350が
廃止された。
ロードレースはそれまであった
50、80、125、250、500、750
が125、250、500の3カテゴリー
のみに絞られた。
日本の大型車の自主規制の750
以下という排気量規定もWGP
750を意識したものだったが、
それも意味を為さなくなった。
WGPでの350は市販車の750を
遥かに超える高性能高速二輪
で、最大排気量のWGPクラス
に350で参加する事も可能だ
ったほどだが、やがてそれら
のカテゴリールールも排気量が
固定化されていく。
一方、世界的なロードレースの
人気上昇に伴い、日本でも爆発
的なロードレースブームが1980
年代に発生した。
市販車改造クラスの日本独自の
カテゴリーが新設された。
それはF3(フォーミュラ3)と
いうカテゴリーで、ハイパワー
の2ストは250ccまで、4ストは
400ccまでの排気量の車両が
出場認可された。
2スト250と4スト400はほぼ
同等の性能だったからだ。
コーナーは2ストが速く、最高
速は4ストが高かった。
ほぼ全車両近くがホンダの2スト
で埋め尽くされた時代が1年のみ
あったが、基本的には4スト400
と2スト250はほぼ互角だった。
アメリカ政府の圧力で日本は
日本人自身が作った免許制度
を改変せざるを得なかった。
アメリカの脅しはヤクザな手口
で、日本の免許制度によって
米国製二輪が日本市場で売れな
い、二輪免許制度を改変しない
ならば四輪車や二輪車の日本車
の自動車関税を大幅に引き上げ
るぞ、と脅してきた。
日本政府は親方アメリカの鶴の
一声でアッという間に折れた。
日本という国はそれ。
そうした米国の要請に逆らうと
米国特殊機関によって暗殺さえ
される。これは戦後直後からの
多くの暗殺事件の実例がそれ。
「事故死」や別な狙撃者を犯人
と仕立てられての「銃撃死」等。
日本の二輪免許制度は1995年に
大幅に変更された。
自動二輪枠を小型、普通、大型
に分けた。
それまでの小型二輪、自動二輪
(限定付、限定無)を廃止した。
そして、排気量無制限の大型二輪
免許をかつての自動二輪免許の
ように教習所で取得できるよう
にした。
ただし、教習所の講習内容は
大改編され、極めて簡単な検定
内容に改変した。
例を挙げると自動二輪限定解除
時代の一本橋通過時間は15秒以
上だったが1995年以降は10秒だ。
それはかつての自動二輪中型
限定付免許のタイムだ。
車両の引き起こしも現在は超
簡単になっている。かつては
どこも「引き起こし専用車」が
用意されていた。タンクには
砂が満タンの不動車だ。
そして、教習所では不思議な
現象が登場した。
限定解除が存在した時代まで
は、乗車姿勢は背筋は伸ばさ
ず、背骨の力を抜いてごく自然
に軽く丸くなるような指導だっ
た。肩は落とし、両肘も張らな
い。
だが、それがどうした事か、
直立硬直乗車姿勢を教習所で
指導するように変化した。
一般公道で、二輪運転者の乗車
姿勢を見れば、即いつ免許を
取ったのか判別がつく。
硬直カカシ固まり石仏載りを
している人たちは、全員がも
れなく新免許制度以降に初め
て二輪に乗った人たちだ。
だが、しかし、それは二輪の
乗車操縦には完全に不適合な
姿勢なのだが、乗っている人
たちは人間が世の中盲目的従順
さを持つのみの人々になったの
か、その誤謬について自己検証
しようとはしていない。
物理的にも医学的にも間違った
方法を洗脳されたままでそれを
鵜呑みにして危険な運行を続け
ている。
限定解除時代には、たとえ大型
だろうと中型だろうと、立ちゴケ
をする人間などは今のように
蔓延していなかった。
しかも、Uターンがまともにでき
ないというのなどは二輪に乗る
資格さえ認められなかった。
理由は、「それは運転ができ
ない事」だから。
だが、今の時代は違う。
二輪に乗れない人たちでも公道
通行許可証として免許証が取得
できるのだ。
数年前、乗り屋の若者二人と
峠を降りて昼食に行った時、
速い乗り屋の子から言われた。
「乗れてますね。Uターンも
普通にできてたし」と。
一瞬意味不明だった。
免許持ってるのだから、Uターン
できて当たり前だし、できない
と免許は取れないでしょう、と
思ったが、現代はどうやらそう
ではないらしい。
そういえば、その日、一緒に
走っていたそこそこ速く走れる
若者も、400のネイキッドの車
をUターンさせられず、途中で
何度も切り返していた。
それか、と食事中に分かった。
今の時代の一般的な趨勢を。
オートバイが運転できなくとも
免許が取れてしまう時代なのだ。
特に新規大型免許を取得した人
たちは、無理して大型車に乗っ
ているので、なおさら全く運転
がおぼつかない。そういう人たち
だらけだ。今の日本国内の公道
は。残念な現実として。
400の時代がまた来るかも、と
二輪メディア関係者たちは口を
揃えて言う。
来るかも知れない。
ヨーロッパのメーカーも日本市
場をあてこんでか、400のライン
ナップを展開し始めた。
400の時代が来るのもいいかも。
なぜならば、パワーを国内道路
では出しきれない現在の大型
二輪は、見栄とステイタス感の
自己満足だけの事物になって
しまっているからだ。
だからこそ、そういう族がいる
から排気量マウントなどという
かつては存在しなかったねじ曲
がった人間も大量発生している。
それが誤解も呼び、単純に車
に興味を持って排気量を尋ねた
だけで「ナンシーおじさん」とか
普通二輪免許の若者たちに毛嫌い
される事態を引き起こしている。
マウントなどを取る脳足りんが
いる状況が情勢を作った。
ステレオ脳の若者も若者だが。
二輪の最高速は人間が出すので
はない。車両が出す。
そこも大型車乗りたちは勘違い
と心得違いをしている人間が
今は非常に多い。
速度が出たのは自分の腕かと
大きな勘違いをしているのは
ごまんといる。
だが、それらは峠などの曲線路
連続の場所に行くと自分より
小排気量車にぶち抜かれたり
する。
いわゆる「直線番長」だ。
そうやって二輪に接するのは
くだらない事だ。
私個人は、今のカブブームは
大型車の現状の使用のされ方
に何か釈然としない人たちが
新たな二輪の楽しさの原点を
振り返る要素が強いのではと
思っている。
そうした背景があるならば、
これから始まる400ブームは
一つの日本人の原点回帰、
本当の二輪の楽しさを見つめ
なおすある種のムーブメント
の起爆剤になるかも知れない。
400クラス復活にはそうした
未来への可能性がある。
ガソリンエンジンの歴史の
最後の一期間として。
閉じる未来の展望だが、閉じる
事から始まる新たな未来もある
かも知れない。
400クラスの二輪の人気復活に、
私は日本の二輪のモーターリ
ゼーションの発達の観点から、
大いに期待したい。
何かしら、1990年代初期のレー
サーレプリカからネイキッド
人気に移行した時と同じ空気
と予感を感じるのよね。
今後始まる400クラス人気の
高まりと、日本人の大型二輪
離れという傾向は。
大型車には大型車の魅力がある
のに、それを「ステップアップ」
として、大型車が最上位で中排
気量や小排気量を格下に見下す
感性などは日本人の中から消滅
してしまえばいいと私は思って
いる。
世界グランプリライダーには
そうした詮無きさもしい感性
の人は一人もいない。
500ccチャンピオンだろうと
125ccチャンピオンだろうと、
同じ同格チャンピオンとして
互いに敬意を示していた。
何か、学ぶものが日本人には
あるのではないかな。
彼らスポーツマンから。