
排ガス規制で消えた名車は多い。
このホンダVツインマグナもその
一つだ。
このオートバイはユニークな
造りだが、跨ってハンドルを
握ると「えっ?」と思う事が
ある。
それは、アメリカンでもクル
ーザーでもなく、オリジナル
カテゴリーを形成するような
オートバイなのだが、ハンド
ル形状がピタリと来て違和感
が皆無なのだ。私の場合。
それを以て名車とはいえない。
言うとしたら間違いだ。
名車の要件は別なところにこそ
ある。
それを以て名車とはいえない。
言うとしたら間違いだ。
名車の要件は別なところにこそ
ある。
マグナはバンク角は浅いが、シン
バンク角で峠を攻めるオートバイ
ではない。これでいい。
バンク角で峠を攻めるオートバイ
ではない。これでいい。
また、エンジンは電子制御で
回らない。
これは、ホンダの別機種のレ
ギュレータにポン付け交換す
るだけで上までストレスなく
回るエンジンになる。
ただ、そうしたカスタムをし
なくとも十分に楽しめる。
遠出するのが楽しくなるバイク。
跨ると「どこか行きたいな」と
思わせるバイク。
そうしたオートバイというのは、
目に見えない何かを持っている。
そうした目に見えないものを持
つのが、本当の名車かと思う。

ヤマハXSR700は、私の存在があ
ったからこそ数えきれない
ヒントを得て完成した、とは
XSR700を作ったヤマハの開発
総責任者本人の言葉だ。
ヒントを得て完成した、とは
XSR700を作ったヤマハの開発
総責任者本人の言葉だ。
だが、私は未だXSR700には乗
っていない。
そのうち自分の相棒として乗る
だろう。1型に。
多分、自分最後のオートバイは
XSR700なのではなかろうか。
その人が後に開発総責任者を
外れてからはXSR700は別な
人によって別物にされてし
まった。
まった。
今のXSR700は、最初の開発
コンセプトからは離れ、名前
のみが使用された別物だ。
多分、私はそれには乗らない。
日本刀のように親から子へ受
け継がれる「絆」を中心幹に
据えたコンセプトのXSR700
ではないからだ。
XSR700の初期型は、欧州で
爆発的な人気だった。
それは伝統を重んじる欧州人
には素直に受け入れられた。
「名車」だろう。
XSR700は最初イギリスで発
売された。人気爆発だった。
様々な「大人の事情」のしが
らみがあり、日本での発売開
始はアメリカと同時、発表
から3年後だった。
から3年後だった。



乗り味さえもオールドテイスト
にしたXSR700は、どうやら
新規の現代二輪車を好む日本
の新参の人たちには好まれな
かったようだ。
しかし、古くから「オート
バイ」を好む人たちには日本
でさえも歓迎された。
バイ」を好む人たちには日本
でさえも歓迎された。
フワフワ感とフレームのしな
りは、あれは開発者が名車RZ
350の1型の再現としてあえて
あの味付けにしている。
それが理解できるか否かで評
価が分かれているようだ。
ヤマハXSR700は「レンジで
チン」の料理ではない。そこ。