
ビリヤードのチョークは使っている
とどんどん減ってくる。
みるみるうちに減ってくる。
時おり、適正にタップに塗布できる
ように整形するため、チョークの平
面を出してやる必要がある。
これはコンクリートの平面部にこす
りつけるのが一番早い。コンクリは
水で流せばすぐに綺麗になる。
自宅の駐車場やベランダでもいい。
なければ杉板を買って来てもいい。
チョークには研磨剤が入っている
ので、鉄ヤスリでやるのはアウト。
ヤスリはすぐにダメになる。
ダメになったヤスリでこれ専用と
してやるのはアリかも。洗うと
錆びるが。

ビリヤード場では専用の削り箱も
あり、玉屋のボーイは必ずチョーク
のメンテをやっていた。
チョークが薄くなると、二段重ね
にしてビニールテープで周りを巻く
のが日本の玉屋の常識文化。
最近ではボウリング場やアミューズ
メントでもないれっきとした玉屋
なのに、経営世代などが代わり、
若い子の店員だけの店等はこの基本
中の基本であるチョークメンテさえ
面倒がってやらない人たちがいる。
もはや玉屋とは呼べない。ど素人が
たまたまやってるたまたま屋だ。
当然、そうした店は、タップ交換
一つさえその店員たちはできない。
寿司屋に行って、寿司握れません、
てなようなもの。
そういう店は最近実に多い。
特に地方の田舎などでは特に多い。
常識文化度の低さゆえだろう。
そして、それが当たり前かと思って
いる。握れない寿司屋が。
それを疑問には思わない。
懇意になってもやんわりと指摘す
ると、言い訳を言ったり逆切れし
たりする。
新規店舗や前任者がきちんと指導
していない店はほぼそれ。
スポーツ文化、レジャーの中での
作法をきちんと人として残し伝え
ないとそういうのばかりになる。
チョークを使う側も正しくチョーク
を使っていたら真ん中のみが臼の
ように穴ポコのチョークにはなら
ない。
そのような形になっているチョーク
を使っている者がいたら、いくら
玉をそこそこ入れようとも、それは
ド素人だ。
その手は、いくら玉入れが多少上手
くともてんでダメなのだ。ただ大酒
が飲める客が偉いとか食通であると
かいう道理は大人の社会には存在し
ないのと全く同じ。いくら玉入れが
多少上手くとも、玉世界での基本の
素養がきちんとしていないとダメな
のだ。
室内で帽子被ったまま玉突きして
るなんてのは玉突き以前に論外。
たぶん、社会的な常識さえも待ち
合わせてはいないだろう。
そんなのが玉突きが上手くとも、
世の中では偉くも何ともないのだ。
むしろ、社会には要らない存在。

タップの形の調整も、プレーヤーで
あるならば自分でやる。これもごく
当たり前の常識。
自分の靴の紐は自分で結ぶのと同じ
事だ。

