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渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

マシン作りの方向性

2025年01月01日 | open

【伝説の男】WGP500の強者
と戦い抜き、4度のワールド
タイトルを獲得したアグレッ
シブ・エディーローソン。
YZRからNSRにマシンをスイッ
チした1989年、現役引退後も
なお、燃え続ける魂。


1989年のホンダNSRは、ホンダ
のマシンというよりもローソン
が作ったローソン専用マシンだ
といえるだろう。
ホンダのワークスマシンではな
く、ローソンがホンダにマシン
を作らせた、というパターン。
内実はシャシの見直しから開始
された。
つまり、曲がらない、ハンドリ
ングの良くないホンダの車を根
本から改善する、という。
それは「セットアップ」とかの
範疇を遥かに超えていた。
フレームだけで15種類のワーク
スフレームを用意させてテスト
している。
根本から、根底からのNSRの作
り直しだ。
目指したところは、結局はシャ
ケさんが作ったヤマハの車の方
向性だろう。乗りやすく、よく
曲がる車。
多大なる功績を残したローソン
に対して、ホンダはケチらずに
契約年棒をアップしていれば、
ローソンはその後も「ホンダの
エディ・ローソン」になってい
たかも知れない。
だが、結局は古巣のヤマハに
ローソンは戻った。

ロードレースの車両の歴史的
な開発者は幾人かいるが、シ
ャケさんは日本人では第一人
者だろう。間違いなく。
なお、余談だが、ローソンの
開発ノウハウのフィードバッ
クかどうかはわからないが、
公道市販車では、250のNSR
が1988年型のMC18と1989年
型のMC18では、ハンドリン
グは激変している。
1989年式は、曲がらない88
とは比較にならない程ハン
ドリングが向上している。
捏造された88神話に目に鱗
つけている人たちはその事
実から目を逸らそうとする
が、88よりも89が確実に良
い。
これは、実際に乗ってみれ
ば判る。
オートバイは最新型が常に
良いという事は絶対に無い。
これは絶対に。
レーサーでもその現象は多
くみられる。
たとえば、ホンダの500レ
ーサーでも、最新型のNR
は✖だったし、83年に世界
王者となったNSも84年に
NSRになった時には不具合
多発だった。
ヤマハのTZ250も、1983年
式は完成度の頂点だったが、
新機軸を多く投入した85年
式は非常に未完成なマシン
だった。TZのそれはてき面
だった。

「最新型がすべて最良」と
か思っているとしたら、そ
れは二輪の素人だ。二輪だ
けでなく四輪でも。

シーズン途中でも熟成され
たマシンを翌年に引き継い
で発展させる改良がなされ
ずに、いきなり奇抜な新機
軸を投
入して全面改訂する
と、そ
のシーズンは「テス
ト期間」
になってしまう。
歴史の中でそうした事例は
多くみられた。

そのような流れを全体像と
して俯瞰するに、改めてエ
ディ・ローソンの偉大さに
瞠目せずにはいられない。
根底からNSRのネガ部分を
改良しきった。たった1シー
ズンで。
だが、その正しい車作りの
視点は、ヤマハのマシンに
乗っていたからだ、という
事は確実にいえると思う。
そして、ヤマハはシャケさ
んだ。河崎裕之さん。
スズキとヤマハのマシンを
開発したレーシングライダー。
自身も多く国内チャンピオ
ンをいろんなクラスで獲っ
ている。車も作れて走りも
トップだった人。愛称シャケ
さん。
シャケさんの開発ノウハウ
は平忠彦さんに引き継がれ
た。
その平さんに本間利彦さん
は身だしなみから座り方、
箸の持ち方まで躾けられた。
本間さんは、いつしか、シャ
ケさん、平さんに並ぶ「オー
トバイを最も知る人間」に
なっていた。
そうした人は歴史の中では
稀有なのだ。

シャケさん。世界一二輪を
知る男。1945年京都生まれ。


エディ・ローソンによって
ホンダの車は1989年に大き
く変わった。
だが、現在、そうした流れ
が「何が大切だったか」を
示していた事をメーカーさ
んはホンダもヤ
マハも忘れ
てしまっている
ようだ。
世界チャンピオンが乗って
も、誰が乗っても毎回転び
まくる車というのは、根本
らして、運転手ではなく
が悪い。
その真実を今でも本間利彦
さんは動画で配信し続けて
いる。
だが、真実を知り、真実を
語る人を大企業は必要とは
しない時代になった。
この先も、日本車が世界の
頂点をかつてのように取る
事は可能性が限りなく低い
だろう。
企業の責任者を総入れ替え
しない限り。




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