みっちゃんは私のふたつ上だった。
近所に住む幼馴染だ。
みっちゃんのお父さんは米軍基地
に勤めていた。いつもサングラス
をしている。
みっちゃんのお父さんはベースで
の仕事が終わると、徒歩でいつも
帰って来ていた。歩いてすぐだ。
そして、家のそばにいるみっちゃん
と私に「ほら」と缶コーラをくれ
た。
缶コーラは私が幼稚園の時に日本
では発売された。
翌年にはプルタブオープンとなっ
た。今と違って切り取るように
プルが取れるタイプ。
そのプルを使って瓶コーラの栓を
抜く事もできた。
しかし、それが出るまでしばらく
はバヤリースの缶のように缶切り
で穴を二つ空けて飲むタイプの缶
だった。缶切りは横に付いていた。
みっちゃんのお父さんは仕事帰り
に出会うといつも「ほら」と
米軍の缶コーラをくれた。
国内では見たことが無い。
それは、日本国内の缶コーラは
250mℓの缶しか存在しなかった
からだ。米軍のは350mℓ缶だっ
た。
国内で350mℓ缶が登場するのは
かなり後だったような気がする。
初めて見たときは驚いた。
なんだか化け物みたいに太く見え
たからだ。
そして、感じた。
「あれ?アメリカのコーラは味
が違う?」と。
気のせいかも知れない。
アメリカから運ばれたいつもと違う
雰囲気のコーラだったからそう感じ
たのかも知れない。
でも、なんだかあまり甘すぎず、
とても爽やかだった。
みっちゃんのお父さんが言う言葉
はいつも「ほら」だった。
とにかく私とみっちゃんの二人は
仲が良かった。
1970年の春。まだ9歳の頃の事だ。
今でもコーラを飲むたびに思い
出す。
仲良しだったみっちゃんと、いつも
サングラスをしている強面なのに
ニコニコしていたお父さんの事を。
今もコーラを手にすると、思わず
頭の中で声がする。
「ほら」
と。