デパーテッド(2006年 アメリカ)
リメイク作品が原本を超えたと
いう世にも稀な作品。アカデミー
賞を4部門獲得した。
この映画、マフィアと警察の
謀略合戦サスペンスなのだが、
作りのプロットにチャチな齟齬
は一切ない。
謎のように見える部分も、すべ
て、ある線で説明がつく。論理
にも流れにも不整合は存しない。
ネット上では「突っ込みどころ
満載」とか、「意味が分からな
い」という意見が溢れているが、
作品をよく見ていればよく分か
る。登場人物
各人の心理的な部分も物理的な
流れも。
よく出来ている。
この作品の役どころは、マット・
デイモンが出世街道まっしぐら
のエリート私服警官で、レオナル
ド・ディカプリオが幼い時から
家庭環境で苦労続きで、ようやく
自分の実力で警官になったという
ものだ。
このキャラクタはそのまま俳優
二人の実像に重なる。
マット・デイモンは名門ハーバド
大に進学した(のち中退)し、レオ
ナルド・ディカプリオは恵まれ
ない家庭で育ち、子役で芸能活動
をすることでいつか見る太陽を
夢見ていた。
マットは恵まれた裕福な家庭に
生まれたが、両親はマットが幼
い頃に離婚した。だが、大学教授
の母が彼をしっかり育てたようだ。
学業もきちんとズバ抜けて出来
なければ、偏差値80のハーバード
大には合格しない。
一方、レオナルドもヒッピーの
イラストレーターの父と移住者
の母は彼の生後すぐに別居し、
彼は苦労したようだ。ローティ
ーンの1980年代後半からドラマ
やCMに出るようになり、その後
97年の『タイタニック』でブレ
イクした。
だが、私は彼が19歳の時に撮影
された『クイック&デッド』を
推したい。すでに人気テレビ俳優
だったが、監督たちが彼を適役と
口説き落としての出演だった。
興行収入は振るわなかったが、
1992年のアカデミー賞作品『許さ
れざる者』での怪演が印象的だっ
たジーン・ハックマンの名演技
が観られるし、何よりもディカ
プリオの演技がなかなか良い。
マット・デイモンは、ジェイソン・
ボーン役が有名だが、なんと
いっても『グリーン・ゾーン』
(2010)を推奨したい。これは映画
ファンは是非ご覧になってほしい。
レオナルド・ディカプリオの
『ブラッド・ダイヤモンド』
(2006)と共に。
この『デパーテッド』は、かなり
オススメだ。
デパーテッドとは船出のこと。
デパーチュラーアゲインで再出発
のことだ。
だが、彼ら主人公たちには、全員
再出発は無かった。
そこにあるのはただ闇ばかり。
海にいるのはあれは人魚ではない
のです
海にいるのはあれは波ばかり
てやつさ。
一体、どこに向かう船出だったの
か。
本作はオスカー獲得の良作である
のだが、ブラッド・ピットの
『セブン』(1995年)のような最後
の一縷の人間の希望の光という
ようなものは微塵も存在しない。
原本がいかにもチャイニーズ
マフィアを題材にしているよう
に無慈悲だ。『ゴッドファーザー』
(1972年)が描く人間ドラマとも違
う。フランシス・コッポラ監督
の『ゴッドファーザー』は人間
愛の在り方について描いており、
主題曲はその名も「愛のテーマ」
だ。
『ゴッドファーザー』も『デパー
テッド』も裏社会のマフィアを
扱っているが、本『デパーテッ
ド』では一切人間愛については
深くは描かれない。すべての人間
の思いは報われない結果として
描かれる。
いわば、徹底的に夢も希望も
ない作品なのだ。
こうした精神性は香港映画
『ダブルタップ』(2000)にも
色濃く描かれており、その冷酷
なドラスティックさはチャイニ
ーズ独特の世界観なのだろうと
思う。
本作『デパーテッド』を観てい
て、鑑賞途中でちっともアメリ
カン的な思想性や行動様式や、
ものの考え方を感じられなかっ
たのは、原本が徹底的に中華
精神そのものだったからでは
なかろうか。本作は良作で
アカデミー賞を4部門獲得した
が、もしかすると、「異文化」
としての表現描写に全米が衝撃
を受けたことが基底にあった
からかもしれない。
とにかく、すべてが死ぬ。
お腹の子どもまで死ぬ。
キリスト教主義的な人の愛は、
この作品には一切登場しない。
同じ人間悪を描いた『クイック&
デッド』(1995)では、牧師のラッ
セル・クロウが無理やり決闘に
引きずり出される時に、ゴルゴ
ダの丘に向かうイエスを重ねた。
そこではイエスが人々の身代わ
りになる痛みが描かれてていた
し、作品中にはキリスト教的な
精神規範が貫かれていた。
だが、本作『デパーテッド』に
は、そうしたキリスト教的な精
神土台は一切登場しないのだ。
あるのは徹底的な無機である。
表現描写の映画作品としては衝撃
的で良作でも、これは映画とし
てはどうであるのか。
主要な登場人物が全員殺される
のだ。全員。報復合戦により。
すべて、自己中心主義により殺戮
が繰りかえされ、それにある種の
正当性があるかのような描き方を
する。
キリスト教的な「赦す」ことは
拒否するのである。
決定的なことは、最後には妊娠
した子どもまで中絶したと取れ
る表現描写を「復讐」として登
場させる。妻の首まで切断され
た刑事が『セブン』で見せた
最後の最後に持っていた人間
としての良心はそこにはない。
登場した役の上での女性医師に
それが無いのではなく、この
作品のシナリオを描いた人間
に「心の正義」が無いのである。
ただ淡々と人間悪を無機的に
羅列するように描いていくのだ。
そうした意味で、まさにサイコ
キネマとしては成功しているの
だろう。
ただし、「作品」という作り物
としてはよく出来ているが、こ
れがアメリカの現実だとしたら、
あまりにも生きる希望が無いし、
アメリカでなくとも、これでは
人間などやっていられない。
そういうことを反証的に伝える
映画作品なのかもしれないが、
原本から焼き直し描かれた本作
の世界観は、「徹底的に中華
精神である」ということだけは
確かだろう。極めて冷酷無比だ。
瑣末な例えとしては、チャイニー
ズマフィアと日本のヤクザを比較
したら、日本のヤクザなどは品
の良い不良でしかない、と言った
ら分かり易いだろうか。
そういう現実を本作は描いている
のだが、どうにも作中で描写され
る表現よりももっと奥にあるもの
から伝わる違和感は、それは本作
の原作原本がアメリカではない
からだ。アメリカ的な要素や世
界観を背景とはしていないから
だろう。
映画『ダブルタップ』で描かれ
ていたあの独特の雰囲気と精神性、
チャイニーズだけが持つ倫理と
論理、それが本作には貫かれてい
る。
その意味でも、リメイク作品と
しても、本作は大成功を収めて
いる。
己こそが唯一の中心であるとい
う中華思想を徹底的に貫徹して
いるからだ。
そして、全員を作者は殺す。
これの意味。