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渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

めんこ

2024年01月22日 | open



私はベーゴマはは強くはなかった
が、めんこはかなりの遣い手だっ
た。
獲った数ミカン箱3箱分。
1960年代の神奈川県藤沢市・横浜
市の子どもたちの間では、めんこ
はいわゆる「起こし」のルールだ
った。
場にめんこを置いて、自分のめん
を叩きつけてひっくり返したら
それ
を取得できる。
藤沢の場合は、必ず複数人でやっ
いた。

ベーゴマはさほど強くはなかった。
プロみたいなとんでもない業師が
いたからだ。
ただし、神奈川県独特の喧嘩独楽
(現存は金子屋大山独楽。製法は
無形文化財)は私はかなりできた。



私の場合、独楽といえばこれだ。
東京江戸独楽でも他の独楽でも
ない。
コマといったらこれ。
それは神奈川県育ちの昭和30~
40年代の子どもたちは誰もが
そうだろう。
ルールはいろいろあるが、藤沢
横浜南部の場合は、サークルを
土の地面に描いて、そこに回し
投げて、自分の番の時に相手の
独楽を地面に描いた円から叩き
出す、という
方式だった。
最初の頃は回数を決めて、負け
たら負けた者は勝者に自分の
負けた独楽を差し出すルールだ
ったが、めんこと違って独楽は
そこそこ値が張ったので、やが
て私たちの仲間内では取得勝
ではなく、勝敗のみを競う競

に変化していった。

私は軸心の先にドリルで穴を掘
り、そこにベアリングを接着し
て埋めていた。
非常によく回る。
空中に投げて掌に載せてから
相手の独楽に叩きつける技法
もあったが、一番効果的だった
のは投げ回しによる直接ヒット
での叩き出しだった。ビリヤー
ドのように。
神奈川県特有の木製独楽は形状
も塗りも非常に美しく、そして
よく回る。

なにも正月だけでなく、年中神奈
川湘南の子どもたちは独楽遊びを
していた。駄菓子屋で売ってた。
競技をするのは大抵は5~6人の
子どもグルー
プで開催していた。
紐は麻縄が多かったが、綿紐の
ほうがよく回った。
ただ、綿紐だと、回した独楽の
回転力が落ちた時に紐の端で独
楽をはたいて回す「リキ」をやる
時に、独楽に回転力がうまく与え
られなかった。

昭和の子どもの外遊びは面白かっ
た。
母は言う。
門限があるのにいつまでも帰って
来ない子どもだった、と。
一度外が真っ暗になり、家の戸が
内鍵
閉められて締め出しを食った
事が
あった。団地なので鉄の扉。
どうしたかというと、でっかい石
を拾ってきて、ブザー鳴らしなが
ら鉄のドアをガンガン叩いて、
「開け
ろー」と大声で叫んだ。
近所の人たちが出てきて、開錠
するように説得して、どうにか
家に入った。
ご近所のお母さんたちには丁寧に
お礼を言った。
それが小学校1年の時だった。
ありゃあ確か1967年の11月中旬
だった
な。仲間と作った基地の
中で泥団子作るのに集中してた
ら夜に
なっていた。灯は懐中電灯。
行商人が道端で売ってたペンラ

イトみたいなやつ。藤沢市内で
は流行って、多くの小学生が持
ていた。
最初にペンライト売りを見っけ

たのは蕎麦屋の倅のSだった。
そして、同級生のKやOやAや
私が買い、他
の連中も買い揃え
て行った。
あれは便利なミニライトだった。
何年前?

57年前の話?(笑

いやぁ、外遊びは面白い。
これは今でもやめられないし、
やめる気無し(笑
女遊びよりよっぽどいいだろ。

飲むのも、店に行くからいいの
さ。
オートバイだって、磨いて眺め
ていても、ちっとも面白くない。
乗って外に走り出すから面白い。


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