渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

三原城

2020年07月05日 | open


けさの三原城。
草ぼうぼうだ。
石垣傷むと思うけどなあ。
何年かに一度しか除草しない。
国の史跡なので国の管理なのだろうなあ。

これは、城周り整備事業の頃の8年前。
石垣の草は取り除かれている。


明治14年の頃の三原城。まだ天守台石垣
の上に壁があった頃。廃刀令から5年後だ。


この写真の頃、まだ鉄道は広島県には開通
していない。
既に濠外には洋風建築の住宅が建ってい
る。明治9年に広島県士族は全員屋敷を
新政府に召し上げられたので、その後の
この写真の家屋は旧武士の家ではないだ
ろう。城郭の建造物は本丸御殿に及ぶまで
解体されて建材として二束三文で売りに
出された。旧士族は城跡を農地として開墾
して糊口を凌いでいたが、多くはその後、
東京大阪に移住した。土地に残った士族は
秩禄処分でいきなり無職なので、生活の為
にいろいろな事業に手を出すが、その暮ら
しぶりは辛酸を舐めた。算術計算はでき
ても、ゼニカネの損得勘定などはできない
ので、武士に商いができる筈もない。
また、人間関係でも損得勘定抜きで行く
と、多くは海千山千のような抜け目ない
人騙しのような連中に食い物にされた。
武士などという種族は馬鹿だ。人を信用
しすぎる。武士が武士を信用するように
考えていては、大抵はいいようにどんな
場面でも利用されて陰でせせら笑われる
だけだ。武士などはドンキホーテのよう
に馬鹿者だ。
そうした質性は時代を超えて残存するか
始末が悪い。
どれだけ人を信用して踏みにじられれば
気が済むのか。
かといって、戦国期のように権謀術数で
人を欺く武士の姿などにはさらさら戻る
つもりもない。根幹は江戸期の士道と武士
道のまま真(まこと)の人であろうと生きて
る。そして人の道に悖る事これ以上無し
のような形で裏切られる。
武士の血脈者はバカだ。

海に面した城の真上に明治26年に鉄道が
敷設された。地面が無いのだから仕方が
ない。まだ城跡を残しただけでもいいよ。
廃仏毀釈と同じで、徳川時代の遺物など
は新政府は全て破壊したかったのだから。


綺麗なアーチだ。相当なやり手が石詰み
したのだろう。
江戸末期の大地震で南側が一部崩落した
が、完全な現状回復はできなかった。
多分、もうすでに築城技術者がいなかった
からではなかろうか。




この三ノ丸鍛冶屋敷の石垣などは、戦国
末期の物だろう。美しい。


三原は450年前に突如として海上に登場
した最新の新興未来都市だった。
広島城よりも築城は古いが、当時は最先端
先進的な軍事都市だった。
武将の城郭が山城から平城に移り変わる
その狭間の時代に三原城は作られた。
まだ天守を建築する文化は登場していな
いので、三原城に天守は存在しない。
日本で初めて天守を建築したのは織田信長
だ。

新しくできた城下町三原には、多くの人
が各地から集められた。また、自然と集
まって来た。
いわば、三原の住人は全員もれなく余所者
なのである。清洲越し以前からの住人など
は一人もいない。
古代に遡ってもこの地には人は住まなか
った。
なぜ?
それはここは海だったから。
万葉以前、古墳時代以前からも続くよう
な歴史は、ここには無い。
全員がどこからか来た人たちが住んで
いた。
ここは新地なのである。
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