
イタリアのXSRのタツオさんのから数年前
にプレゼントされたククサでネスカフェを
飲みながら『サザエさん』を観ている(笑)。
このアニメ、何年やってるの?
私が子どもの頃からやってるよ。
このまま行くと100年放送とかでギネスに
更新なのではなかろうか。
昭和少年としては、実写版の江利チエミの
サザエさんが強烈な印象で記憶に残って
いる。
『お荷物小荷物』の中山千夏さんのような
強烈な印象だった。
中山千夏さんは、私の中で一つの「1970
年」の象徴でした。YouTubeで中山さん
本人の「あなたの心に」を今聴くことは
できません。削除されまくっています。
多くの人がカバー動画をアップしてます
が、中山さんを超えるカバーを聴いた事
が私はない。
それは、作詞が中山千夏さん自身である
という意味をどこまで噛み砕いているか
ということがあるからかと。
中山さんのあの曲のあえて明るい歌詞は、
「敗北後」に涙を拭って空を見上げている
詩(うた)だからです。
だから、額面通り歌詞をそのまま上辺を
なぞると、自衛隊の歌の上手い人が中島
みゆきさんの「時代」を綺麗に歌ってし
まうようなことになりかねない。
これは、もう、時代的な「敗北の共有」
の心の地平を持っている人でないとうたえ
ない。
なので、いくら「上手に」歌ってもカバー
にもなんにもならないんです。
(こうした時代的な「敗北感の共有」は
漫画家の東本昌平氏は獲得していると私
は思っています)
岡林や初期のたくろうのような直裁では
ない逆説の表現で、あの時代の多くの若者
が噛み締めざるを得なかった心のその在り
かを表現できるって、私は凄いことだと
思う。
その初めは中山千夏さんだった。
「アカシアの雨」のような直接的なスト
レートな表現ではなく、笑顔を浮かべよう
とする中にもうどうしようもなく言い知れ
ない深い悲しみがある。
それは、「あの時代」をタイムリーに、
あるいはたとえやや遅れてでも同時代性と
して、自分自身の痛みとして血肉化できた
人たちでないと解り得ない世界なんです。
完璧なる潰えた、その敗北。
何に?
そう、全てに敗北したんです。
こんなことは、その素肌感覚は、いくら
言葉という言語を連ねても伝わりっこな
い。
それは「生きていた」からです。
バリの中で。
今日飲んだ"解放"というアンプルで完全
に生き変わって。
ククサって、自分で買う物ではないんだっ
てさ。
ほんとは生まれた子どもや親しい友人に
プレゼントする物なんだって。
そして、それを貰った人は、一生使うのだ
そうだ。北欧ではそうした文化があるらし
い。
なんか胸にくるものがある。
まるで日本刀みたいだ。
日本刀も自分で買い求める物もあるけど、
旧来は親から子に代々引き継がれ、あるい
は進呈されたり、無類の盟友に贈られたり
していた。それは物品としての贈答の意味
を遥かに超えていた。日本刀はそうだっ
た。そこには、金銭感覚が一切絡まない。
秀吉が日本で初めてやり出した領地枯渇
から来る代用としての刀剣下賜施策は別
として。
師から贈られた刀は絶対に手放さないし、
友が友に送った刀も手放さない。
前に書いた「ただの棒切れ」ではないけれ
ど、そうしたものが日本刀にはある。
それに通じるものをククサの文化にある事
を知ると、何だか重いものを受け止める。
そうだ。
良いことを思いついた。
腕に覚えの無い私にできるかなあ。