渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

「バラブシュカ」として使われたJossキュー

2022年08月17日 | open













1985年に撮影された『ハスラー2』
(原題:the Color of Money)
の中でバラブシュカとして使われた
のは、ダン・ジェーンズが作った
Jossキューだ。
製品ナンバーはModel 18。日本国
内販売価格は古い雑誌を確認した
ら、1988年時点で237,000円だった。
87年に目黒自由が丘のアルファさん

に買いに行ったら、同型番は人気
過ぎて在庫切れ、との事だった。
他のJossを何本も握らせてもらっ
たが、どうもシックリこなかった
ので別型番はその時は買わなかっ
た。
ちなみに、リチャード・ブラック
のブシュカモデルは日本国内定価
が570,000円だった。
私の3本目のプール用のキューが
ブシュカだ
った。
1988年のアトランタシティでの
大きな大会でマイク・シーゲルが
使っていたJossは3,000ドルで、
アナウンサーがとても高額だという
ような事を言っていた。米国内で
も3,000ドルは高いほうだったの
だろう。
シーゲルのそのモデルの日本国内
価格は70万円程だった。何かと
日本国内販売では乗せられていた。

ちなみに、ブシュカモデルは米国
内でリチャードに直に製作依頼し
たら、当時は18万円台で製作可能
だった。ツテがあれば。

バラブシュカ(Joss)をトム・ク
ルーズ演じるビンセントにあげた
エディ(ポール・ニューマン)だ
ったが、映画では物語の後半に
25年ぶりに勝負玉を撞きたくなっ
たエディが、黒人ハスラーにカモ
られてしまう。
そこでビンセントと恋人のカーメン
たちとはお別れになる。
エディが落胆して、一方的に弟子
の修行旅の打ち切りを宣告したか
らだ。




ビンセントはエディに何度もすがる
が、
エディは冷たく突き放す。
ビンセントは最後には金もいらない
と突っ返し、バラブシュカにキスを
してからヒステリックに蹴っ飛ばし
て捨てる。


ぞっこんだったエディから貰った
宝物のようにしていたバラブシュ
だったのに。






しかし、それにしても物語の流れ
変えたのはこの一人の黒人デブ
ハス
ラーだった。


実はエディが亀仙人のような旧友
と酒を飲んで懐かしがりながら
玉撞きに興じている時から、この
デブハスラーはエディ
に目を着け
て後ろのほうの台で
一人撞きして
いた。

そして、エディがショックだった
のは、10数万円の賭け玉で負けた
事ではなく、この黒人デブが最初
から「1960年にNYでミネソタファ
ッツとの世紀の大勝負をした伝説
のエディ・フェルソン」である事
を見抜いていながらハッスルをし
かけられた事を知ったからだった。
それはこのデブハスラーの一言で
最後のトドメをエディは刺された
のである。
原語では「俺はもっと痩せたほう
いいと思うかい?」と言ってい
る。

ファッツ=デブと対戦したエディ
だと知ってて勝負してハッスルの
騙しでお前をハメで勝ったんだぞ、
と暗に
言っているのである。

これによってエディ・フェルソンは
計り知れないショックを受ける。
かつて25年前にキューを置いた
己が、弟子が塩梅よく裏筋勝負の
駆け引きを覚えて来たからと我を
忘れてキューを握り、そして、あ
ろうことか自分の過去を知ってい
るハスラーにまんまと騙されて
カモ
られてしまった。
「撞球師として大切な事は見抜
目だ」と弟子に教えていたの
に、
そう言っていた自分が見抜け
かった。
真実の姿が見られない見抜けない
ボンクラは世の中にはゴマンと
いるが、撞球者はそうではいけ
ない、とエディは指導していた。
だが、自分自身が真実を見抜け
なかった事に愕然となった。


それゆえ、弟子との旅を即中止に
し、自分自身がプレーヤーとして
復活する自己修行を重ねる事を
決意するのだった。


だが、エディは最終目標の全米
オープンのアトランタシティで
のナインボールクラシックで、
弟子のビンセントとの準々決勝
試合で、公式戦なのに騙しのハッ
スルをやられてしまう。
優勝候補のエディは、準決勝で
試合途中に棄権する。
自分にわざと負けたビンセント
の行為が赦せないからだ。
ビンセントはそれで外馬の賭けを
密かに張っていて、それで儲けた
8000ドルをエディに届けた。
あんたに教わった通りにやって
儲けたよ、と。次は俺に賭けろ
よ、負けないから、と。
ビンセントは大切な事は学ばず、
ハッスルのカスぶりだけを学ん
でいたのだった。最後の最後まで。

50,000ドルの優勝賞金のかかった
大きな大会をエディは準決勝で
棄権した。ビンセントと本当の
勝負をするためだ。






そしてエディは、ゼニカネでは
ない
真の復活をかけて勝負を挑
むのだ
った。
ビンセントとの勝負は金ではない。

金が欲しければ、大会で優勝し
て5万ドル(11,926,500円)を
目指す。
だが、そんなもんは放棄した。
ビンセントの勝負でも「何を
賭ける」とビンセントから
問われて「これでも賭けよう」
とビンセントが持ってきた8千
ドル(190万円)を投げるよう
に示す。
もはや銭金は額面がいくらだ
ろうと関係ない。
金を賭ける事に意味は無い。
そういう勝負をしようとして
いたエディは、すでに25年前
に大切な事に目覚めたエディ
に復活していたのだ。
だからこそラストシーンの
「俺は戻っている」という台詞
で繰り出すワンショット(撞球
の撞き出しという意味とカメラ
のショットの両方の意味で)が
最高に活きてくるし、それが
この映画のテーマの根幹だった。
日本語字幕では「カムバックだ」
などという頓珍漢な翻訳字幕に
なっている。
何度うちのめされても何度も
立ち上がって挑戦する、と
ラスト前にエディは口にして
いる。
そして "I'm back!" なのだ。
”I'll be back” でも、”I came back”
でもないのである。私は戻って
きた、なのである。
何に?
それは、真実を見つめる事を
サラに教えられた時のエディ
に。
映画『the Color of Money』は
映画『THE USTLER』の正統な
続編なのである。
ポール・ニューマンの『ハス

ラー2』での演技は素晴らしく、
確かにアカデミー
賞に輝く演技
だった。

この『ハスラー2』は25年前の
前作と比べると陽気で軽快な
面が多いが、実はかなり真剣
なテーマの作品で味わい深い。 

ちなみに、この映画作品の撮影で
使われたバラブシュカ(Joss)の
入ったエディのキューケースの
個体実物が
日本のネットオーク
ションで出品され
ていた事があっ
た。


贋物じゃないのかなぁと思って

革部分のしわや染みを精査したが、
どう見ても正真本物に見えた。
ポール・ニューマンとトム・クル
ーズのサインが外に書かれていた。
落札価格は10万円にも満たなかっ
た。
今、日本国内で誰かが所有してい
るのだろう。

こういうことって時々あるようだ。
エディ・ローソンがAMAで乗って
いたレーシングマシンのカワサキ
そのものの個体を購入した女の子
がそれに乗って新宿の我が家に
遊びに来た事もあった。95年時点
で350万円程だったようだ。Tマシ
ン含めて4台ほどチームでは持っ
ていたようだ。日本仕様の公道用
改造費やシッピング等なんだかん
だでそれにさらにプラスでかなり
の費用がかかったようだったが。
大手家電製品販売店の社長の御令
嬢だった。国内のレースも主宰す
る筋の関係者
だったので入手でき
たのかも知れ
ない。普段四輪は
GTRに乗っていた。一緒に池袋の
ロサに玉撞きに行った
事もあった。
モデル級美人だったが、私とは

ガチ喧嘩をよくしたので、私の
妻と向こうの亭主がいつも止めに
入ったりしていた。難関大学の
法学部出のインテリだった。
自分に真っすぐな人でした。東北
某大藩の家老の直系。モデル体型
と顔なのに人の中身は男の武士み

たいだった。じゃじゃ馬姫だな、
あれは(笑)。

エディつながりの実話エピソード
として。エディ違いだが。

私は『ハスラー2』撮影時のポール・
ニューマンの歳を二つも超えてし
まった。
映画の中ではファッツとの勝負の
時にエディ25歳の役なので1985年
の『ハスラー2』ではエディは50歳
の役。50歳にしてはポールの演出
は老け過ぎだ。実際のポール自身
は1985年撮影時で60歳である。


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