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渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

日本刀で切るという事

2022年04月18日 | open


修心流宗家の町井勲先生がご自身
のブログの中で「私が言う全ての
要素がこの一枚に多く見られる」
との旨評した私の切りの画像。
いくら毎日のようにラインをやり
とりする友人関係だからと、ブロ
グで紹介してくださいと頼んだ訳
ではない。町井先生の自発として
紹介された。

なぜ、世界一刀法斬体術に長けた
町井勲先生が私の切りをお手本と
して公に紹介するのか。
それは、私の切り方が町井先生と
全く同じ切り方であり、それは
とりもなおさず、「剣の理は不動」
を示すものだからだ。
私は町井先生の弟子ではない。
師匠からの教えを咀嚼して自得し
た。
そして、その刀法は剣の理として、
いにしえから練達者が採っていた
方法と同一だっただけの事だ。
ヒルヒル。山は別なルートから登
っても頂点は同一であり、頂点に
近づけは近づくほどに互いの距離
は狭まる。

私は万余の斬切をして来たが、刀
を曲げた事が一度も無い。
理の実現に早期に達していたから
だ。
これは段位や経験年数は関係ない。
出来る者かそれ以外か、でしか
ない。

外せない重要な要諦がある。
野球の好投手が豪速球を投げる
ボールを握り締める事は絶対に
ないように、刀は「握らない」
だ。握り締めて腕の力で振る事
しない。
肩肘手首の関節をパンタグラフの
ように使い、手の指の保持比重も
漸次的に振りの中で可変させて、
そして、刀を「投げる」のである。
円運動ではない。軌道はオーバル
だ。卵形。

あまり本当の事を教える道場や
指導者は少ない。
正しい事を正しい事が出来る人に
教わって、それを研究して深め
ば早期に実現領域に達する。
本物と偽物の違いの見極めができ
ないまま擬物を正真と盲信してい
たら、そのまま進む。
結果、資格のみ「高段者」になっ
ても、いくら年月が過ぎても、
が全く伴わない。むしろ、余計
な鱗が多く着いて尚更真っ直ぐに
は進めなくなる。

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