青い瞳のステラ 1962年夏...
1962年といったらこの翌年だ(笑)。
1961年4月、新宿御苑にて。
生後1年未満0歳児。
生まれて初めて二足で立ち、
歩行した瞬間を撮影された。
あんたに教わったちょっといかし
たステップではなかったろうが。
いきなり立ってトットットと
歩き始めたという。
私はハイハイを一切しなかった
らしい。
母の手作りの幼児服を着ている。
この新宿御苑での二足歩行開始の
翌年の1962年に、私は生まれて初
めてオートバイに乗った。
とてもよく覚えている。![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/c6/c40cca8b213e98cf8c17fb0bd60717a1.jpg?1685886463)
当時の二輪初乗車の状況を母に
話したら「よく覚えてるね」と
驚いていたが、記憶というものは
映像的視覚的なものだけでなく、
音の記憶としても心に刻まれる。
映像と音は刻まれたらなかなか
消えない。
臭いの記憶はそれらよりは薄いが
匂いの記憶も存外残る。
1976年頃の国道17号中山道志村
坂上駅付近は、なぜかパンケーキ
を焼く匂い、植物性のカストロール
2ストオイルが焼けたサーキットと
同じ甘い匂いで充満していた、等々。
翌年の1962年に、私は生まれて初
めてオートバイに乗った。
とてもよく覚えている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/c6/c40cca8b213e98cf8c17fb0bd60717a1.jpg?1685886463)
当時の二輪初乗車の状況を母に
話したら「よく覚えてるね」と
驚いていたが、記憶というものは
映像的視覚的なものだけでなく、
音の記憶としても心に刻まれる。
映像と音は刻まれたらなかなか
消えない。
臭いの記憶はそれらよりは薄いが
匂いの記憶も存外残る。
1976年頃の国道17号中山道志村
坂上駅付近は、なぜかパンケーキ
を焼く匂い、植物性のカストロール
2ストオイルが焼けたサーキットと
同じ甘い匂いで充満していた、等々。
私の名は、日本語とイタリア語を
ミックスすると「良いオートバイ」
である(笑)。
あるいは「幸せの自動二輪」。
I was born to ride.