
ビリヤードのおはなしです。
玉撞きをする場所は限られていま
すが、絶対的条件がある。
それはビリヤードテーブルがある
場所という事。
ビリヤードができる場所はいろ
いろあります。
しかし、どの場所で育ったかに
よって、人は人的質性が形成さ
れます。
まずはビリヤード場。
別名玉屋。






これらビリヤード場は、ほぼ
個人経営で、店主がビリヤード
を始めようとする人にきちんと
礼儀作法(とても重要)から全て
を手ほどきしてくれます。
しない店はアウト。撞球文化を
潰す店である事確実。
ビリヤードは紳士淑女のスポーツ
なので、ゴルフと同じく礼儀作法
や礼節を守る社会人としての常識
がとても大切になる。
玉屋育ちの撞球者は、言葉使いや
対人作法もきちんとしています。
会館・センター系。

この画像は学士会館の撞球会の
撞球室です。
学士会館は旧帝大卒業者のみが
使用できる文化財施設です。
極めて厳格。日本の撞球文化の
伝統を墨守しています。
他には高田馬場ビッグボックス
や飯田橋ビリヤード日本など、
民間センター系大型店舗があり
ましたが、現在は全国的に
激減しています。
激減しています。
これらセンター系は、きちんと
した指導者が逐次監督している
訳ではないのですが、乱暴な客
は入店禁止となります。騒いだ
りキューで玉を横殴りしたり、
咥えタバコでプレーしようとし
たりする客は退店させられます。
大型店ですが、礼儀を弁えない
人はお断りの本物のビリヤード
場が会館・センター系。
かつて存在した高田馬場ビッグ
ボックス。大型センター系。

私設クラブ系。

これは私が発起人となって設立

これは私が発起人となって設立
した撞球倶楽部「撞球会」の
倶楽部ハウスです。会員全員の
出資で設立運営していました。
玉屋育ちの撞球者たちが新人た
ちにビリヤードをする作法や
撞球技術を伝授していました。
学士会の撞球会ほど厳格では
ありませんが、入会希望者は
誰でも入れる訳ではなく、役員
複数が面談し、さらに全体会議
で審議して決定しました。
かなりきっちりとした組織体と
して運営していました。定款と
細則まで作っていた。
ぴったり丸5年運営しましたが、
主要メンバーの結婚や転勤等が
一気に重なったため、一旦撞球
室の運営は停止し、競技台2台
も売却してルームを閉じまし
た。
た。
私的クラブが相互扶助でビリヤ
ードルームを持つというのは、
2005年時点では国内では稀有で、
専門誌にカラー特集記事で紹介さ
れました。
最高の玉撞き環境でした。
台の穴は1.8玉幅、ラシャは重く
セッティング。
これらの上述の環境でビリヤード
をやって育って来た人たちは、
先輩や先達から礼儀とマナーを
きちんと伝授されて育ちます。
撞球の相手に無礼な態度は取ら
ない。
ところが、そうした躾や指導、
教育が一切不在の場所があり
ます。
ます。
それがアミューズメント。
ボウリング場やゲームセンター
やネットカフェ等がそれです。

やネットカフェ等がそれです。

そこでは全く人としての躾も礼儀
も存在しないので、そこで遊ぶ客
はやりたい放題です。
人が構えていようが平気でぶつか
って通る。
大騒ぎをする。
台の上に飲み物を置く。
キューで台や床やボールを横殴り
で引っ叩く。
キューを折って知らんぷりして
逃げる。
ラシャを破きまくる。
咥えタバコでプレーする(厳禁)。
カラーボールを集団で取り囲んで
突っつき回す。
後片付けを一切しないで帰る。
そんなもんです。
ビリヤード以前に、人間として
終わってるような事を平気でや
ってる連中が好んで行くのが
アミューズメントです。
そして、最近の若者は親がダメ
で、躾らしい躾を一切受けてない
ので、礼儀もへったくれもありま
せん。
オープン戦の公式戦優勝の若い
プロでさえ、礼儀無視で、土足
プロでさえ、礼儀無視で、土足
で椅子に両足乗せてたりする。
横柄な態度で。人間として、社
会人として、ビリヤードプレー
ヤーとして、スポーツマンとし
て最低です。
横柄な態度で。人間として、社
会人として、ビリヤードプレー
ヤーとして、スポーツマンとし
て最低です。
いくら玉突きが上手くとも、全く
アウト。お手本にしてはいけませ
ん。その撞球プレーの技巧など
どうでもいい。その人から次なる
若い世代が学ぶ事は無い。
尊大な態度で有名だった斯界の
重鎮の某プロも礼儀作法はビシッ
としていました。
重鎮の某プロも礼儀作法はビシッ
としていました。
また、1980年代第二世代、90年
代の第三世代のプロはどなたも
極めて礼儀正しい人たちば
かりでした。
かりでした。
これは第一世代のプロの方々が
人として大切なものを伝承した
から、第二世代の80年代のプロ
たちがしっかりされた人たち揃い
なのだと思われます。
第二世代のプロたちは個人的に
多く知っていますが、どの方も
極めて礼儀正しい。
これは実際に接してみると判り
ます。立派な社会人です。それ
は引退してもそう。
は引退してもそう。
驚いたのが亡くなった桧山プロ
で、どんな初心者相手であろう
と、相撞きの前には深々と頭を
下げて宜しくお願いします、と
言う。
で、どんな初心者相手であろう
と、相撞きの前には深々と頭を
下げて宜しくお願いします、と
言う。
同じく亡くなった立花プロ(私
と同い歳のよく知る玉仲間)も
と同い歳のよく知る玉仲間)も
そうでした。
津嘉山元プロも個人的にお話す
津嘉山元プロも個人的にお話す
ると物凄く礼儀正しい。
80年代に活躍した大阪のプロも
とても礼儀正しい方々揃いでし
た。きちんと「こうせなあかん
で」と後進を指導する。
礼節を重んじる人たちがかつて
は撞球者でした。
否、撞球者は本物であればある
ほど礼節を重んじる人だった。
は撞球者でした。
否、撞球者は本物であればある
ほど礼節を重んじる人だった。
それら人間の質性の如何を決定
づけるのは育ちです。氏より育ち。
これはビリヤードのプレーヤーと
しての育ちだけだなく、人間社会
でも同じ事がいえます。
教育的指導を受けてこない、教育
を受けていない人間は、人として
の社会的な規範などは守ろうとは
しません。
ビリヤードの面では、落とし穴
的な存在の環境があります。
それが個別系。
まず、ホテル。
これは会員制高級ホテルのルーム
ですが、一切指導者は不在です。
つまり、金さえ持っていれば、
何の教育的指導も無い場所で勝手
ができる。とても危険です。
撞球作法も知らない客が好き放題
やるゲーセンと同じになりかねな
い。
こうした場所でプレーする人は、
高度な社会的自覚が求められます。

もう一つの落とし穴。
自宅テーブル系。

ここは自宅です。アメリカには

ここは自宅です。アメリカには
多い。
自宅は、下手したら何やろうが
自由ではないか、となりかねま
せん。
撞球作法、文化がここで育つ
素地は極めて低い。
つまり、ともすると、社会性を
伴わない我儘な個人主義が実行
されかねない危険性を持つのが
自宅設置のビリヤード環境です。
社会的作法は実は自宅でこそ親
が子に躾けるものですが、それ
が忘失されかねない場所が自宅
のパーティールーム的な立ち位置
で設置された自宅ビリヤード台。
ここでも、親子で撞球に親しむ
にしても、親がきちんとした礼儀
作法を知らない無礼慮外の者で
あったなら、子はその写しとなり
ます。
自宅ビリヤード台はとても危うい
存在といえます。
人がきちんとしていないと、無礼
な事しか玉撞きを通して子どもは
覚えない。
次世代に悪影響を及ぼす存在に
ビリヤードがなってしまう。
これは本末転倒です。
そうした危険性がホテル台や自宅
台には要素として存在している。
自覚なきプレーヤーは駄目なんで
す。どんなスポーツの種目でも。
いくらその種目が上手くとも、
人として外れた事をするのはスポ
ーツマンではない。
これ、間違った事は言ってないと
思います。