渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

座頭市(1989)に見る活劇性

2024年01月02日 | open

弥勒"菩薩"に守られ続けた"闘神"!!
-勝新太郎-座頭市-1989年-最後の闘い!!
-The last battle in Shintaro Katsu-
1989 of the Zatoichi.


勝新太郎自身の監督主演作品。
活劇というのはこのように撮る。
これは剣戟であっても銃撃戦で
あっても。
大川監督の『クライムハンター』
シリーズがドB級であるのは、
役者が静止して待っていて、監
督のアクション発声指令が出て
から役者が間を置いて動き始め
て、そこにガンアクション(被弾
や射撃シーン)が開始されると
いう「間抜け」の映像となって
いるからだ。
映像が切り替わって次のカット
が始まる時に静止状態から
はい、よーいドン、というの
が見えすぎるのだ。
そして、やたらと銃や被弾の
アップを出すが、そのような
ちぐはぐな間抜け静止から始
まるのでてんでダメ。
クロサワや勝新や三隅監督や
深作監督の活動写真を観た事
がないのかとさえ思う。
このラスト座頭市もクライム
ハンターも
同じ1989年公開だ
が、活劇表現技量に差があり
すぎる。


要するに映画人とそうではない
ライターが撮った映画の違いか。
大川監督は有名人気アニメの
製作に多く関わった腕利きの
シナリオ
ライターだが、実写の
映像作品
については、もしかす
るとあまり
映画そのもののを
観込んではないのかも
知れない。
撮りが全然駄目なのだ。
比較しては悪いが、勝新と新人
初映画監督の力量の差が歴然す
ぎて、今さらながら驚くと同
に納得もする。
映画は恐ろしい。


クライムハンター



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