渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

奇縁

2023年12月17日 | open
 

昭和30年代。東京オリンピック
の頃。目黒区東山にて。

私自身のヒストリカルなところ
では、奇縁というものが非常に
多くある。友人たちは私のそれ
を「怖いアルアル」と呼んでい
る。異常なほどに数が多いのだ。

昭和30年代。私の父が勤める会
社にはハーレーに乗って通勤し
ている人がいた。
父の勤務した会社は大正時代に
日本で初めて純国産車を作った
日本自動車産業の雄と呼ばれた
人物が起業した。
戦後、都バスはとバスの低床車
や、日本初のキャブオーバーは
その創業者と父が開発した。
東京都の塵芥車設計製作も一手
に引き受けたが、数百台一挙受
注に対する生産能力が追いつか
ないので、設計図と製造ノウハウ
は日産に売却した。
戦後は創業者は特装車界の雄と
呼ばれた。二輪車や乗用車の世
界で展開していたならばホンダ
のようになっていたかも知れな
い。ホンダの創業者の片腕と
呼ばれた「ホンダを創った人」
は私の高校の先輩だが、私の
父の会社の創業者も、分野が
違えばホンダのようになって
いた可能性はあった。
歴史にIFは存在しないが、それ
を凌駕する「知らなかった事実」
としての奇縁というものは世の
中にはある、というそのおはなし
が今回の話。

その父の勤めた会社の創業者の
人物の事はかつて私が法曹界の
仕事だった時に、最高裁図書館
(法曹関係者しか入館できない)
の「紳士録(昭和8年発行)」で
見た。「本邦自動車産業の雄」
と記載されていた。
豊臣秀吉の著名な側近武将の
直系子孫の人だ。
その人から私の父は数々の事を
書生のようにして学び、また
和洋テーブルマナーも学んで父
は私にその食事作法を教育した。
官費留学でフランスに渡航し、
さらにその足で米国にも赴き、
帰国して日本初の自動車を作っ
た人だった。10数台試作した
ようだ。宮家に納車した。
日本初のその純国産車はヤナセ
号という。
昭和30年代、その会社にまだ日
本人には珍しかったハーレーで
通勤していた人は、後に取締役に
なった。弟は某大学の教授だっ
た。

その頃から20年以上が過ぎ、私
は社会人となり、ある都内大手
法律事務所に勤務するようにな
っていた。
その職場では、弁護士と職員の
学識を高めるために何ヵ月かに
一度「コロキウム」と称して、
学識経験者を呼んで講義をして
もらう催しがあった。参加は自
由。大学の講義より面白い専門
的な事が無料で学べるので私は
毎回参加した。分野は医学から
社会学、歴史学、工学、多岐に
亘った。弘中さんもよく参加し
ていた。
ある時、某大学の教授を呼んだ
ら、私の父が勤めていた会社の
ハーレーマンの弟だった。
コロキウム後日には、ある事件
(受任案件を法律事務ではそう
呼ぶ)のアドバイザーとして
専門分野から訴訟に協力しても
らうようになった。
打ち合わせ後の食事会の時に
お兄様の事を言うと奇縁に教授
は驚いていた。

「教授」絡みではさらに驚いた
事がある。
ある事件での裁判の証人要請
のため、ある人を事務所に呼ん
だ。
すると来たのは、哲学界で有名
な大学教授で、何と私が学生
時代に部長をやっていたフロン
トサークルの顧問の教授だった。
驚いた。
そして、その教授と共にいらし
た人は私が学生時代にバイトし
た古書店の店主だった。
ダブルの登場にあたしゃぶった
まげた。
教授も店主も私も互いに三人が
顔を見合わせて驚いていた。
「え?知り合いだったの?」と
いう感じで。

この手の話が私には異様に多い。
直近で一番驚いたのは、24年程
前にとある縁から連絡を互いに
取っていた会った事の無い見知
らぬ人が私と直系血族関係だっ
た事だ。苗字も名前も私と同じ。
高祖父が同一人物だった。地方
では有名な薬草研究者だ。
なぜ知ったかというと、その方の
息子さんが東大院で教鞭を執る
人で、一度私の家の墓所に東京
から奥様と尋ねて来たと住職が
教えてくれたからだ。
その坊主が告げた時は偶然地場
の従姉妹の葬式だったので、対
応はできなかった。
その東京の東大院の先生のサイト
を最近見ていたら、お父様の事が
書かれていて、その人物はかつ
て頻繁に私と互いに連絡を取って
いた同性同名の人だった。一族だ
などとは互いに知らない。
しかし、互いの高祖父は同一人物
だった。
このような血族奇縁はそれまで発
覚した数ある奇縁の中でも特異で
あり、何なのかと思って正直なと
ころかなり驚愕した。
だが、血族奇縁では、もっと驚く
事が20年ほど前に発覚していた。
数百年の時を超えての血脈的な縁
繋がりを現代において偶然気づか
されたというものだ。
しかし、それはネットでは書けな
い。

嘘のような本当の話、というのは
世の中あるものだ。
あまりにそうした実例が自分の
身に起き過ぎると、何か目に見え
ない存在の采配で掌の上で転がさ
れているような気になる。
というか、天は絶対に見ている。

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