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渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

さだまさしとマロニエ通り

2022年12月05日 | open

異邦人/帰去来収録曲 # さだまさし(CD音源)



高校の時、さだまさしのアルバム
を買った。
このジャケットの写真は、たまたま
偶然歩いていた時に道を尋ねたご婦
人がとても風景に溶け込んでいたの
でそのままジャケットに使ったとの
エピソードだったらしい。と記憶し
ている。多分無縁坂あたりだろう。
無縁坂はさだの曲名にも使われている。
東大本郷の横を抜けて上野不忍の池
に下る坂道だ。
森鴎外の小説『雁』の舞台となった
坂道である。淡く儚い帝大生の恋心
と心の哀しみを描いた作品だった。
中学の時に読んで、これは文学だね、
と感じた。文学なのだが。
そして高校に入学した入学式の後
に無縁坂を歩いてみた。高校から
そう遠くなかったからだ。

けさ、さだまさしの曲が頭の中を
よぎって目が覚めた。
曲は「異邦人」だった。

さだまさしの書く曲の歌詞は
ほぼ文学だ。しかも純文学。
ただ、この「異邦人」に関しては、
カミユの名作『異邦人』を既に読
んでいただけに、非常に違和感が
あった。
そんなほろ苦いお花畑情念の物語
ではないだろう、と。実存は本質
に先立つだろう、と。おまえは、
ムルソーの葛藤をどうにでもこの
ようなグラニュー糖に白砂糖をまぶ
したみたいな甘っちょろい恋愛譚に
引用したいのか、と。違うだろ、と。
高校の時には、それゆえこのさだ
の「異邦人」には計り知れない
すれ違い感を払拭できなかった。
ただ、曲はとてもいい。

この曲の中に出て来る「マロニエ
通り」
について少し説明したい。
この曲は、同棲していて別れた男
が何かで死に、そして死に顔に会
いに行く歌だ。
そこには昔の男の友人たちや泣き
すがる新しい彼女がいる。
そして自分だけが異邦人であると
むすぶ。ムルソーのようにそこに
いる連中を銃で射殺する事はせず、
ただ、太陽が眩しいからとおセンチ
になるだけの歌詞だ。
この「マロニエ通り」とは銀座の
マロニエ通りの事ではない。
マロニエとは高さが30メートルにも
なるセイヨウトチノキの事で、毒性
のある実が栗によく似ているので
誤解からマロン~マロニエとなっ
た。
このさだの「異邦人」で歌われて
いるマロニエ通りは御茶ノ水駿河台
の学生街にあるとちの木通りの事
だ。通称マロニエ通り。今はとち
の木通りと呼ばれる。
今から半世紀前頃は、ビルも少なく、
学生街なのでアパートメント=
アパルトマンも多かった。三畳一間
の「神田川」に出て来る小さな下宿
みたいなのが。

このマロニエ通りの付近は起伏が
激しい急な勾配地区で、駿河台から
神田猿楽町にかけての急坂に男坂
と女坂という階段坂がある。
東京・江戸は坂の町だが、階段に
なっている道も多い。江戸期には
階段はほぼないので、冬などは急坂
はゲレンデのようになっていた事
だろう。

女坂。






男坂。




この両坂の横の石柱と鉄の欄干
は、昔は都市部によく見られた
傾斜地にあったタイプだ。

このマロニエ通りと男坂、女坂は
明治大学猿楽町校舎に面している。


高1の時から私が学校帰りにバイト
した喫茶店
は地下鉄神保町(じん
ぼうちょう)
の階段を上がった
目の前にあった。

すずらん通りの白山通りドンつき
角二軒目。
バイトをやめたあとも、駿河台の
界隈は友人たちとの遊び場だった。
明大のサークルボックスの某サーク
ルにも高校時分によく出入りして
いた。

某色兜着用学生のフロントサークル
だった所。
水道橋から神保町まで歩くのも仲間
との毎度のコースで、JAZZ喫茶や
例の喫茶「さぼうる」にもよく寄っ
た。
それと楽器屋のカワセだった。
ギターの弦はカワセを使っていた。
当時、それこそさだやかぐや姫や
風などのアコースティック弾きが
カワセの弦を使っていた。
イルカがミディアムを使っていた
のは、マーティンの太い弦では
なくカワセだったのでは。
あの人、ミディアムでFコードで
バレーして綺麗な音出しして
『なごり雪』を歌っていた。
伊勢さんがぼんやりしていて、突然
白い紙が燃え上がるように頭に浮か
んだという名曲だ。
伊勢さんが東京に出てきた頃は、
まだ「汽車」があったんだよね。
もしくは、国電以外の国鉄の列車
を汽車と呼ぶ地方出身者の倣いだ
ったか。

さて、さだまさしの曲。
私は日本人のシンガーソングライ
ターでは一番さだまさしの曲と歌詞
が文学的だと思える。
それも純文学。まるで福永武彦の
小説のような。
そして、流行り歌としては作って
いないので、心に残り、歴史に残る。
日本のシンガーソングライターの
曲はそうした日本文学的な素地と
の延長にある空気を持っている。
伊勢正三などは中原中也の影響を
強く受けている。
多分、今の集団くちパクの流行り
歌などは、はたして人々の記憶に
残るのだろうか。
シンガーソングライターの曲と歌詞
は、50年という半世紀が過ぎても
その歌われた心象風景は風化しない。
歌でも唄でも詩でもなく、それは
すべてを包み込む「うた」だからだ。
うたうたいが作った作品は永遠の
命を持っている。

さだまさしの曲はよく人が死ぬ。
「精霊流し」に始まり、多くの人が
作者さだの周囲で死んでいく。
生と死をさだはうたう。
「線香花火」もそうだ。やがて近く
死ぬ事が分かっていて胸が締め付け
られる悲しみに怯えるうた。
この「第三病棟」もそうだ。
入院した「僕」が、看護婦である
「君」と流れる時間の中に、向こう
の病棟の幼い「坊や」がいる。
そして、坊やはいつかいなくなって
しまう。
メジャーコードの明るい曲調に
あえてすることで、坊やの悲運
を淡々とうたう。まるで悲しみ
が強すぎて作り笑いをするように。
さだまさしの曲は、まぎれもない
純文学である。
そして、さだまさしの全曲の中で
この「第三病棟」が一番悲しい。
第三病棟/帰去来 収録曲 # さだまさし(CD音源)


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