渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

「どっかのフレームに似てるなぁ」(笑)

2021年10月13日 | open

HRCが4輪と提携 その2


「どっかのフレームに似てるなぁ」
(笑)。
ドカティのことではない(笑)。

本間さんは80年代の人なので
ドゥカティの事を「ドカッティ」
と呼ぶ。そう発音するのが一般的
だった。
現代用法がすべて定番ではない。
時代ごとに言葉は存在する。
カルティエなども80年代ではカル
チェと呼んでいたし、コンピュ

ータの事はコンピューターだ。
それは決して現代が進化していて
正鵠を射るものである
という事を
表してはいない。

(ここ、今回のテーマとして大切)

正しい事、妥当性を有する事を
言って、それに↓をつけるのは
脊髄反応のアンチあたりだろう。
もしくは、頭がおか
しいか。
本間氏、極めて正しい事を言って
いる。
この定理は、本間氏の「妄想」で
はない。妄想しているのは ↓ を
つけたり、ネットで本間氏を非難
して喜んでいるいる妄想族たちだ。
二輪車におけるフレームとサスの
相互補完の関係は、二輪を知る者
ならば、誰でも知っ
ている事だ。
フレームのしなりや吸収力や相関
関係がいかに二輪にとっては大切
あるかを。
さらにスイングアームの在り方も
そこに混ざってくる。
一時期のガチ固めから、鉄フレー
ム時代の良性面としてのしなりと
吸収を持たせる方向に再度アルミ
でも見直してターンしたのだけど、
最近はまたガチガチシャーシーに
しているのかな。
だから皆さんスッテンコロリン
なのか。
そのあたりは私はよく判らないが。

90年前後の二輪車は一つの究極
の大切な部分についての完成形
に近い状態だったといえる。
その後さらに良くなり、90年代
末期頃は完成形に近いところから
もっと進み、究極に近くなった。
21世紀に入ってから初頭もそう。
ただ。この20年で、ある時期から
二輪車が変な方向に行ってしま
った。
人間が車を作らなくなった、人間
が人間によって車を作らせなく
したからだろう。
リーマンショックの頃から、二輪
のモノヅクリがおかしくなって
きた。利益第一主義が日本全土を
覆ったあたりから。
いわゆる「勝ち組、負け組」と
いう歪んだネオコングローバリズム
根性が日本人にはびこった頃から。
そして、一般公道車に乗る人たち
においては、妙ちくりんな乗り方
がその頃から雨後の筍のように増え
た。もう激増。一気に。古い乗り人
以外、ほぼ全員が上体ガチガチの
奴凧のような載り方をするように
なった。
車も人も、決して「進化」ではない。
車も人も、退化している。

89ヤマハワークスマシンYZR250と
日本チャンピオン本間利彦選手



この記事についてブログを書く
« 阪神 | トップ | 犯罪者 »