渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

【都道府県別】人口10万人以上の市の数ランキング【地理】

2024年01月08日 | open

【都道府県別】人口10万人以上の
市の数ランキング【地理】


広島県三原市は、平成大合併の
時には人口10万人を上回ったが、
今はどんどん人口が減っている。
現在は8万8000人にまで減少した。
少子化ではなく流出。
増加している市もあるので少子化
によるものではない。
それはそうだろう。
移住が可能な人にとっては三原市
などは住む意味もないからだ。
そもそも広島県三原を知っている
人などは全国レベルでは日本刀
愛好家のみだ。
尾道市は広島県では全国的にも
有名だ。江戸期には三原城管轄
統治地区だったが、尾道の町は
広島県内では実は一番古い。
律令制の頃から湊が開かれて海
上交通の要所だった。
まるで運河のような狭い瀬戸
(狭
小海峡の事)があり、船泊
りに
重要な場所だった。
瀬戸内海は潮位の干満が激しく、
最大潮位差は4メートルほどある。
潮の満ち引きではまるで川の流れ
のように潮が流れる。
そのため、そうした干満を利用
して古代には船舶の航行を進めた。
現在の三原市の周囲では、尾道
と三原市糸崎に船の休憩場所が
古代にはあった。
三原は戦国時代末期まではただの
海しかない場所だったので、町
などは存在していない。
これは広島市もだ。
だが、広島市は城下町として
江戸
期に栄えた。
同様に三原も江戸期には要害と
して城町として栄えた。明治
以降も早くから「町」指定だっ
し市政開始も早かった。
だが、様々な市政の政策失敗に
より、三原市は廃れる一方だ。
当然、移動可能な国民はそうし
た場所には住みたくない。
地場の人的人柄がどうとかは
関係なく。
この先も、広島県三原市の人口
減る一方だろう。

三原市の特徴がある。
一度外に出た者は三原には帰っ
来ない。実家で家業とかあ
家の人以外は。

他の地方都市でもそうした傾向
はあるようだが、三原では出た
らまず帰らない。
それは、そうなる要素を多く持
つ市だからだ。
この先も、歯止めは利かないだ
ろう。
また、それは当然の帰結でもあ
る。
地場産業を育成せず、大企業の
工場誘致のみに頼る市政は企業
の進退方針に経済基盤を依拠す
るので、極めて不安定であり、
かつ経済的に不確定財政となる。
そして、企業の撤退により、市
の財政は破綻する。
かつての炭鉱町のようなものだ。
そして、三原市はその典型的な
地方都市だ。
発展する要素は一切ないし、三
原市民も行政も発展させようと
する姿勢も取り組みも全く無い。
廃れて当然だろう。
一方、隣りの尾道市は人口も
国民人口に比例する自然増減
はあるものの微増。在住人口
ではない外来観光客は増え続け
ている。
この隣接市同士でこの違いは何
なのかを三原市行政などは分析
さえもしていないだろう。
なぜならば、何の手立ても講じ
る事はしていないから、その
実務不在から反証的類推事実と
して。

数年前の土砂災害により海底
環境が変化し、江戸期より沸
くように獲れた三原湾のタコ
はまったく獲れなくなった。
三原市を「たこの町」として
大々的に売り出して一定の
知名度を作った人は三原生まれ
育ちの人ではない。他の土地
から三原に来た包丁人が地元
を盛り上げようと発案して仕
掛けたものだ。根っからの地元
民が自らなんとかしたものでは

ない。外来入植者が何とかしよ
うと仕掛けて、それに地元の

行政や市民が乗っただけの話
だ。「みはらタコの町」の実体
は実はそれ。ジモチーは自分で
は何も創造的な事はしない。そ
ういう土地だ。
「このままじゃいけんけぇ、

わしらの力で何とかせんと
いけんのう」とか言ったものな
ら「あんた、三原が嫌ならあん
たが三原から出ていきんさいや」
とジモチーは言う土地だ。
これは多くの場所でそうした
体験を事実としてさせてくれる。
広島県全体が教育やスポーツの
世界でもそうした気風が著しく
強い風土
だが、三原はとりわけ
全国的にも
特異な土地だ。改革
の必要性を
発言すると排除排斥
しか発動しない。
地元愛を実現させようともっと
よい土地にしようと考えたり
発言したり発案したり行動し
ようとすると、地元民によって
それは阻止される。三原の地元
民は「何もせずにじっと現状
維持」が最高だと思っているか
らだ。だから常に言う。「こがぁ
なええ土地は他になぁで(この
ような良い土地は他にはないよ)」
と。
だが、一度外の世界を知った人
は、よほどの事情が無い限り、
二度と三原には再転住で帰って
は来ない。
三原生まれ三原育ちの地元市民
にとっては、よその「よりよい
環境の存在」を知る事はパンドラ
の箱なのだ。

みはらタコの町作戦による三原
市を盛り
上げようとした活動も、
当初相当な妨害や
排除排外行為
があったと仕掛け人
本人から苦
労話として私は聞いた。

だが、もう今はそのタコも全く
獲れなくなった。
大企業もどんどん撤退し、タコ
さえ獲れない。三原のタコが
復活するのは、多分あと数十年
後だろう。
もうこの先、三原市には明るい
未来は全く無いだろう。
移動移住が可能ならば、三原市
在住をやめて撤退するのは正解
かも知れない。
もっとはるかにあらゆる面で
良い土地が日本にはごまんと
あるのだから。

墓じまいの費用は250万ほどかか

るが、墓じまいをせずとも土地
から離れる方法はいくらでもあ
る。
うちの家系は三原の城内と城下
に数百年住んでいるが、私自身
は東京生まれの神奈川育ちで東
京での進学就職婚姻出産者だ。
たまたまの家系的ないきさつが
あるから三原に現在は住んでいる。
ただ、よその土地から来た人たち
の多くが一様に声を揃えるように、
三原という町はとてつもなく住み
にくい。人的資質等の面でもそれ
は著しい。
端的にいうと、人が住むに適した
楽園というのとは遥か程遠い。
よその良質な土地をよく知ってい
るだけに、あまりの経済力や行政
方針や態度、市民の人的資質等の
落差に愕然とする。これは外から
仕事上などで家族ごとあるいは
単身で転入した人が全員同じ事を
言う。
言うだろう。それは事実だからだ。
「あ、信号が青に変わりました」
という程の事実だ。
外に転住できるならば、転住した
ほうが子どもや家族のためになる
だろう。
三原よりも素晴らしい土地は日本
にはごまんとある。
「住めば都」それは嘘。
都とは都の事である。廃れ行く地
方都市は都ではない。

人は石垣、人は城。
だが、城さえすでに無く、人物さ
えいないようになってはもう先が
無いではないか。
なんとかしないと歯止めが利かな
いのに何とかしようともしない。
しようとすると叩く事しかしない。

こういった事を書き続ける私には
よく脅迫メールが届いたり脅迫電
話がある。
「おとなくしていろ。坊ちゃん頭」
(ママ)等。
私は夏目漱石の『坊ちゃん』のよ
うに縁もゆかりもない土地に赴任
して、坊ちゃんのようにいなかっ
ぺの俺様ルールに閉口して馬鹿に
しているのではない。
三原には血族直系の血筋の先祖た
ちは数百年住んでいる。
その縁でたまたま東京から赴任も
兼ねて転住した。まったく無関係
な土地ではない。
だが、多くの外から来た人たちが
味わわされた事を身をもって体験
させてくれている。
そして、福永武彦が描いた『廃市』
のような文学的情緒さえ一蹴する
土地に今住んでいる。
福永武彦の文学作品の『廃市』を
出したら、それだけで「三原の
悪口言うな」と牙を向く素質しか
見せない。
パスカルのパンセの表現を知らな
いから、私のウエブ日記の副語表
題の自戒的自問の含み(パスカル
の言葉)さえ理解できず、私のこ
のウエブ日記の記述自体をパンセ
パンセと揶揄して中傷する事しか
しない。地元広島人たちは。

人が住む場所として、この土地は
すでに死んでいる。
オワコンではない。
その先だ。

 


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