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渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

本物とニセモノ

2024年06月03日 | open
 

これは実銃ではないが、電動
ガンという本物の玩具銃だ。
本物のトイガン。実銃とは
部構造がまるで異なる日
本人
が世界で初めて発明し
た構造
物。

私のサイトサイドマウント
ショートカービンカスタム。
フルメタル。リポ仕様。






銃も車もバイクも刀も、ばか
でかいのは好きではない。
むしろかなり嫌い。
というか、そういうの持って
偉いとか思ってる奴らが嫌い。
車でもでかいのに乗ってオラ
ってる奴らの気がしれない。
バイクもそう。
排気量マウント取る奴らは、
何か深いコンプレックスを
っているような連中だろう。
身長コンプレックスとか、収
入コンプレックスとか、学歴
ンプレックスとかの類の
陰と闇。
四輪でも刀でも、とにかく
大きれば偉いとか良いとか
思っている連中は意外と多い。
ハンドガンでさえ、デザート
イーグル最高!とか言ってる
のは実際にはど素人なのだが、
四輪、二輪、刀の世界でも
通している。
長大極太の青龍刀みたいな形
の日本刀みたいな刃物を持っ
て、たかだか畳面あたりを切
てドヤってるのは本物の
人であるし、武芸とも
無縁
だ。
 
ショーティーがなぜ現在は
国の制式小銃にさえ標準
っているのか。
それは、デカモノ好きがオラ
ってるようなのは、実利と
無縁だからだ。
 
たとえ野原のお遊びでも、
は機動力を揮する展開で
実用性においてショーテ
ィー
に圧倒的な分がある。
これはもう物理的な事なので
否定のしようがない。
大は小を兼ねない。
ツイスティな峠でビッグバイ
はまともにスポーティに
れないように。ごく一部
の練
達の術者を除いて。


そうした実利や適合性とはか
離れて、車やバイクにし
ても、
でかいのを持つと
自分が偉くな
ったとで
勘違いしている類が
世の
中多
い。
実際に煽り運転の多くは車格
大きなバンだ。
二輪であっても排気量でかい
いいならダンプにでも
乗れば?
いう事になる。
戦車とかいい
じゃない?
輪っか付きのでかいのがいい
なら電車とか。
 
歪んだ自己質性に依拠した
好み
の選択は自由だが、それ
を以て
他人に排気量マウント
や車種マ
ウントを取る二輪載
りたちは、
人間の中味が小
さすぎ、歪みす
ぎでお話に
らない。心根がさもしい。
限定解除時代にはそれらの馬鹿
は存在しなかったが、簡易大型
二輪免許制度になってからニワ
カが増えて、同時に排気量マウ
ントが激増した。
ニワカたちは深いコンプレック
スを何か精神の根底に抱えて
いるのだろう。
それだと、性根も曲がるよな。
 
簡易大型二輪免許制度以降であ
っても、大型二輪免許持ちなが
ら250や125乗ってる人たちに
は排気量や免許マウント行為は
見られない。
それは、車種で選ぶ、という事
をしていて、埒もないフィルター
を通して二輪を見ていないから
だ。つまり二輪を自分の虚栄心
の為に利用してはいない。
そういう人たちは、何乗ってい
ても本物の二輪乗りだろう。
現代はニセモノが多いのは勝手
だが、ニセモノたちに限って
でかい面
をしたがるのがしゃら
くせえ。
これはどのジャンルでも。
日本刀を使う武技の世界でも
そうだ。
悪貨は良貨を駆逐する、という
のは実のところ社会現象として
本当の事だ。
 
二輪の世界では排気量マウント
という本物の助からない馬鹿
が現代は蔓延している。本馬鹿。
四輪の世界で、大型、けん
を持っているからと普通
自動車免許を
見下したり小馬
鹿にする奴いる?
いないでしょ?
だが、二輪免許にはそれだけ
人間の
クズも混じり込んで
来ている、
という事だ。
本来は外道であるその者ら
が部外者。
何を部外者の外道が二輪
乗り立ちにアヤつけてオ
ラって来てるのか。

ちなみに、私の二輪免許は排気
量無制限だが、好んで400と250
と125に乗っている。それはマ
ックスパワーを使い切れるとい
う観点からの選択。
一番面白いクラスは、高速に乗
れない制限はあるが、125が一
番面白いと思っている。
高速に乗れて一番排気量が少な
い150あたりだと、もっと二輪
て面白いかもしれない。
だが、125はかなり面白い。
免許区分は小型二輪、車両区分
は原付の車だ。
 
小型モデルは、体格に対して小
さすぎるというおそれはある。
そうした体格と合う合わない
いう物理的な現象もある
にはある。
これは真理であり、逆に体格が
合わないのに大型に乗りたがる
としたら、それはまた逆も真な
りで、不適合不適格不適切な選
択であるといえるだろう。
腕があれば乗りこなせるが、そ
の技量を測るモノサシは無いの
で、妙な事が世間では起きてい
る。
猫も杓子も大型免許挑戦!とか
いつかは大型!みたいに大型二
輪がさも二輪の頂点であるかの
ような勘違いをしている。
底が浅い。
GP250のチャンピオンは、何
も500に乗れないから250に
乗っていたのではない。
その本質が見えない者が日本人
にはかなり多い。
大型、大型と騒ぐ連中は、大
は虚栄心が根底にある。
くだらない。
二輪走行の技量の実力とは何
の関係も無い。
芸人、俳優、芸能人たちが
やたらとハーレーハーレーと
いうのは、それは戦後進駐軍
とアメリカナイズに憧れた感
性と同質だ。
富の象徴として二輪を利用し
ようとしている。虚栄心で。
ニセモノだ。
 
 
 

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