自動車メーカー花形モーターズの重役
花形満は、自らスポーツカーを駆る時、
町中でもヒール&トウでブレーキング
ブリッピングを行なうレーシーな操作
をしている。(これはエンジンサウンド
の音声から)
四輪でも二輪でも、現代最新ギアシス
テムではないマシンでは、ブリッピング
による過回転防止はシフトダウンに
おける必須操作だ。バックトルクを逃が
すためにも。スポーツ走行の常識だ。
ただし、小排気量でギアレンジが大きく
クロスしている二輪車などでは、現代車
のようなスリッパークラッチ搭載では
なくとも、ポンポンとギヤをそのまま
落とせる事もレアだがある。
しかし、基本はブリップを行なうし、
シフトアップでは(これは現代でも
だが)二輪のレーシー走行ではクラッチ
はシフトアップのたびに切ったりしない。
最近の二輪車サーキット走行で、加速
時のシフトアップでクラッチを都度
切ってシフトアップしている教習所
乗りをしている者が何人もいて自慢げ
に動画サイトにアップしているが、
あり得ない操作だ。非常識。
花形満のごく常識的な運転操作は、
アニメとはいえ、音声でそれを再現
していた。
『巨人の星』(原作1966~1971/アニメ
1968~1971)は、三部作となっている。
まず、歴史的金字塔となった第1シリーズ。
これはプロ野球読売巨人軍に立教大学の
スラッガーである長島茂雄が入団する
ことが決定した昭和32年から物語が
始まる。
そして、成長して中学3年になった
主人公星飛雄馬は星雲高校に入り、
甲子園大会で活躍し、テスト生として
巨人軍に入団して名勝負を繰り広げる。
生来の球質の軽さを補うために魔球
大リーグボール1号~3号を完成させる
が、ライバルの花形満、左門豊作、オズ
マ、伴忠太に打ち込まれる。
最後の大リーグボール3号は変則投球
フォームのため、星の左腕は破壊され、
対中日戦での完全試合の最後の球で
肩と腕の筋肉は断裂して野球選手と
しての生命が断たれてしまう。
第2シリーズの『新・巨人の星』(原作
1976~1979/アニメ1977~1978)では、
球界を去り行方不明となっていた星
飛雄馬が打撃率10割のバッターとして
復活する。1975年に長島茂雄が巨人の
監督となり史上初の巨人最下位となった
年だ。
またもやテスト生として巨人に入団
した星飛雄馬は、代打専門選手を諦め
右投手として復活する。元々飛雄馬は
右利きだったのだ。
巨人黄金時代には川上哲治の永久欠番
の16番を与えられた飛雄馬は、長島
巨人では長島茂雄の背番号3を与え
られていた。
剛速球投手として復活した星の球は
誰も打てない。バットをへし折る
剛球を投げるからだ。
やがて、星の活躍に火が着いた花形
コンツェルンの御曹司花形満は、
自分も5年ぶりにプロ野球界に復活
するのだった。今度は阪神タイガース
ではなく、ヤクルトスワローズだ。
元国鉄スワローズ→産経アトムズだ。
昔から東京のチーム。この頃は、
川上哲治とは犬猿の仲だった川上
と同じ管理野球の広岡が監督に就い
ていた。
川上から監督を受け継いだ長島茂雄
は奇想天外な思い付きロマン野球を
指揮して史上初のジャイアンツ最下
位を記録してしまった。
そんな巨人を救いたい一心で星は
巨人再入団のために猛訓練して
過去のエースという栄光を捨てて
一からの新人として入団して活躍
していたのだった。
第3シリーズの完結編である『新・
巨人の星Ⅱ』(原作『新・巨人の
星』/アニメ1979.4月~1979.9月)
は、星飛雄馬と父星一徹、姉明子
の生き方、そして幾多のライバル
たちとの宿命の対決に決着がつく
文字通りの完結編だ。
大リーグボール右1号を完成させた
星は、宿敵花形と左門との対決に
挑む。
花形満は飛雄馬の姉明子と結婚して
おり、花形は飛雄馬の義理の兄と
なっていた。左門は星に惚れていた
不良スケ番だった京子と結婚して
いた。飛雄馬と伴だけが独身だった
が、飛雄馬にとっては、第1シリーズ
の時に病気で死んだ薄幸の山奥の
診療所の看護補助(看護師ではない)
に生涯を捧げる日高美奈だけが永遠
の恋人だった。美奈の死は星に絶望
をもたらし、やがて破滅の魔球大リー
グボール3号へと繋がるのだった。
巨人の星の完結編のアニメ『新・
巨人の星Ⅱ』は原作『新・巨人の
星』の完結編に沿っている。
劇画界の不朽の名作に時代劇画の
『子連れ狼』(1970~1976)がある。
見まごうことなき名作なのだが、
『子連れ狼』は、作画漫画家が死亡
した後に、原作者が主人公拝一刀
の遺子大五郎を主人公とした続編を
『新・子連れ狼』(2003~2006)と
して書いた。
しかし、それは第1シリーズを全て
ないがしろにして踏みにじる荒唐無稽
なオカルト色物三文噺だった。
まったく『子連れ狼』の続編とは
別物、スピンオフでさえない、過去
の良作をも葬り去る犯罪的な作品
として原作者により仕立て上げられ
た。あれは世にも稀な非道の続編
であった。
『巨人の星』シリーズは、過去の作品
の流れを一切分断したり貶めたりは
しない、真っ当正統な「続編」と
して「新・巨人の星」は輝いていた。
本当本物の作品の続編とはこうある
べきだ。
石森章太郎原作の変身物の傑作
シリーズの「仮面ライダー」におい
ても、「仮面ライダーV3」などは
きちんとライダー1号、2号の続編と
して前作の流れの中で続編の新編と
いう極めてまともなポジションで
作品が描かれている。
V3の段階で「実はライダー1-2号は
宇宙人だった」というような噴飯物
の展開はしていない。
しかし『新・子連れ狼』では原作者は
それの類をやってしまった。しかも
第1作での物語の中心観だった武士の
心さえも一切存在しない歴史上最低の
時代劇となってしまっている。
とにかく、第1シリーズでの設定を
全否定なのだ。刀でさえ胴太貫という
架空の刀剣が実在の同田貫であった
というように設定が捻じ曲げられて
捏造満載であるのが『新・子連れ狼』
であるのだ。
武士の魂を捏造でねじ曲げる。
もはや『新・子連れ狼』は『子連れ狼』
の続編とはいえない。
「巨人の星」の原作者梶原一騎は、
さすがに『あしたのジョー』をも
作り上げた人物だ。「新・子連れ狼」
のような史上最低の事などは勿論
せずに、しっかりと『巨人の星』と
『新・巨人の星』を繋げて物語として
一つの壮大な人間ドラマを描き切って
いる。
だからこそ、作品がとんでもない
大人気となったのだ。
映像作品にしろ、小説や詩歌、音楽
等の文芸作品にしろ、表現で織り成す
「作品」というものは、実は作者の
独占的私物ではない。
過去の設定を勝手に続編でぶち壊し
にする権利は、たとえ作者であろう
とも存在しないのだ。
この極めて大切な事を理解せずに
「作品」を自分の独占物と勘違い
したモノカキや作者は、過去の作を
台無しにする行為を得てして行なう。
世に出た作品は我が子であるのだが、
我が子といえども自分が殺す権利は
無いのだ。「作品」も同じ事である。
しかし、理解していない「プロ」は
結構多かったりする。
無論、それらはプロフェッショナル
ではない。無駄な時をプロディー
ガルするだけのプロだろう。