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渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

東京

2023年02月18日 | open



東京は夜景が綺麗だ。
渋谷ピンクドラゴンの店長の
高橋
誠一郎さんと話をしていた
時、
彼が言った。
「東京って・・・東京の人間は
東京がとか東京はとかって言わ
ないんだよね」と。
言い得て妙。正鵠を射る。
東京人は東京を他の場所とは執拗
比較しないし、東京ではどうだ
か言わない。
その感覚はよく解る。東京が日常
であり、「東京」などを意識した
事が無いからだ。
私も「東京は」とか意識するよう
になったのは、都内から西日本に
転勤転住してからだ。

嘘のようなホントの話、西日本に

引っ越してびっくりした事がある。
富士山が見えないのだ。
考えたら当たり前の事で馬鹿な話
なのだが、
生まれはもとよりどっ
ぷりと東京人
になっていた私は、
無意識に富士
はどこにいても見え
る、かのよう
な錯覚で生きていた
のだった。

朝、「あれ?富士山が無いぞ」と
妙な感覚があった。

東京から見る富士山。


当たり前が当たり前ではないと
いうのが当たり前の感覚を強いら
れた感があった。

富士山などは日本どこでも見られ
るものではないのに、一瞬あれ?
という感覚に襲われた。
これは東京人が「東京」という
ものを日常的に意識しない意識性
の根幹を成す。

ところが地方は異なる。
例えば広島県では、やたらと殊更
にこれでもかという程にしつこく
「広島がぁ」「広島では」「広島
の」「きょうのカープは」等々を
延々と繰り返して続ける。公共
放送でも。

何かの洗脳キャンペーンかのよう
に。
それはよそから転住した人間に
とっては、異様な光景、異様な
「空気」を感じ取るに余りある。
だが、地元広島に生まれ育った
人たちはそれを異様とは感じない。
これは東京人が東京を意識しない、
東京では「きょうの東京は」と
いったプロパガンダ的な公共放送
を一切しない、東京人は東京を
殊更に特別視して取り上げない、
という事の対極にありながら同質
のものを有する事が理解できる。
おしなべて言うと、それは「その
土地の質性」という点で同じで
あり、内実的には対極にあるが
属性は同じというものとして存在
している。
要するに、地元意識性という点は
同じなのだが、中身の質性が全く
異なるのだ。
東京と広島は別の国、別の種族が
棲んでいる。これは確実だ。
同じ日本人なのに同じ日本人では
ないのである。
どこの国でも同じですよ、と言い
つつアメリカとアフリカが同じ
かどうかというような問題。
同じなのはアとリカだけだ。
ならば違いはメとフだけだろう、

とはならない。それを言うのは屁
理屈だ。
中身はまるで異なるので
ある。

同じなのは人類というだけで、質
や文化や習慣や価値観は全く異なる。

この根本的な質性の違いが日本国内
でがっちりと存在している事などは
東京から離れたことがない東京人は
知らない。
それは広島県から出てよそを見た
ことがない広島県人の有様とある
意味全く同じで、日本国内どこで
も人間が東京と同じ感覚かと思った
ら大間違いになる。
日本国内でも地方により土地柄が
非常に強く残っているし、文化も
発想も異なる。
例えば、広島県の広島市などは
日本国憲法を無視して、特定服装
を着用したら犯罪者とする条例を
可決させている。日本国憲法の
表現の自由と基本的
人権の尊重を
完全に無視するファシズムのよう
な違憲条例なの
だが、広島市は
日本の中で特別かと
思っているの
か、そうした条例が
可決されて
現在も存続している。

広島市民は誰も異議を唱えないど
ころか、「なんが悪いん?」と
なる。
東京の人間にそれを話すと「そんな
のあり得ないだろ」と俄かに措信し
難いという反応を一様に示す。
日本国憲法を無視する市は日本国
の市ではない。
だが、俺様ルールを通用させている
土地が日本国内に存在しているのは
事実だ。
広島県は富士山とは無縁なのだ。


日本は日本という国として見かけの
制度上一国の体裁を取っているだけ
で、日本という国は統一されていな
い。
日本の象徴でもある富士山はどこに

行っても見える訳ではないのだ。

閑話休題。東京の夜景について。
空撮で見る東京の夜景よりも、「目
の高さ」で見る東京の夜景のほうが
実感的に美しく見える。

これは空撮での絵が現実性から
乖離する感覚を持つからかも
しれない。

都内都心部は、夜、車や二輪で
ゆっくり走る
のが楽しい。
光の波の中を走るからだ。


映画『三丁目の夕日』の舞台の
大通りも、あの時代1958年から
時が過ぎて現在になると、こんな
景色になった。
私が生まれる2年前に完成した
東京タワーは今も健在だ。
今年完成65周年になる。


岡山の仕事仲間と一緒に出張で
都内に
出た時、その人の希望で
東京タワー
に昇った。
ちょうど夕日が落ちて都内の街
に明かりが灯り始めた時間だった。
その刻々と表情を変えるトワイラ
イトの東京の街があまりに
も幻想
的で、私も著しく感動した。

同行者の岡山の人も感激して、
「こんなの毎日見てたんですか」
と言う。
「んなわきゃないよ。東京の人間
って、東京タワーなど昇らない人
のほうが多いから」と答えた。
私も夕焼けに染まり、ビル街が
まるで宝石のように明りを灯す
時間帯に東京タワーから街を一望
したのは生まれて初めてだった。
これは皆様におすすめです。
トワイライトゾーンの東京タワー。
同行者は言った。
「これは一生の思い出になる」と。
私も初めてだったが、本当に絵に
も描けない美しさとはこれか、と
思った。


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