渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

初めての教習所のオートバイ

2023年09月04日 | open

 
高1の時に自動二輪免許を取得しに
教習所に行った時、実技初日には
CG125に乗らされた。
オートバイの運転はそれまでバンバン
にできていた。初乗りは12才の時だ
った。
しかし、レーサーのような逆シフト
のロータリーシフト(トップの先は
ニュートラに戻るが)に慣れておらず、
いやはや参った。
既に免許を取っていたクラスの仲間
たち数名がバイクで私の教習を見物
に来ていたが、大爆笑していた。
教習終わってから休み時間に見学席
に行ったら言われた。
「何だよお前。爆笑した。お前、
無免で河原とかで乗ってる時のほう
がずっとうめーじゃん」と。
のちに国際A級になってマン島を走っ
たS特進クラスのクラスメートだ。
次の実技が始まった。
本来はもう1時間125に乗る筈だった
が教官に申し入れてRD350に乗らせ
てもらった。
ノープロブレム。ノーミス。相性が
よかった。
その後、逆シフトのレーサーシフト
には嫌がおうにも慣れるのだが、
その16で免許を取りに行った頃は
正シフトのリターンに身体が慣れ
きっていて戸惑ったのだった。
ただ、卒検前に教習中に一本橋で
RDをエンストさせて脱輪転倒した。
巴投げのようにすっ飛んだ。
その後、秘密場所で猛特訓した。
ハスラー125で。
結果、教習所では一本橋30秒ちょい
切りタイム。
やりすぎだ、と教官が苦笑いして
いた。卒検では安全策で18秒
程で
通過した。中型のクリア
無減点は12秒以上、限定解除
一発試験は15秒以上だった。
あの頃、引き起こしはタンクに砂
満載の特別車だったし、中型教習
でも波状路が
あった。一本橋は
15秒以上でOK
が出る。15秒を
目標に、との教え。
教官が特に練習しろと言っていた
のは急制動だった。これは正解か
と思う。オートバイは進む事より
も止まる事が最重要だからだ。
そして、背筋直立伸ばしなどを
コーチする教官は一人もいなかっ
た。「上体を脱力させて肩を落と
して膝は張るな。自然体で乗り、
下半身で車体をホールドしろ」と
教わった。
また、それが常識だったし、今の
ような常識外れの事を誤認から
教える「乗れない教官」など

1970年代にはどこにもいなかった。
 
レーサーに跨るようになってからは
レーサーの逆シフトでも公道車の
アップシフトでもどちらでも任意に
ミスシフトなくこなせるようになっ
てはいた。
しかし、80年代はリンク式では
ない
シフトペダルのスズキ以外
の時は、
リンクを逆セットに
して公道モデル
でもレーサー
シフトに私はしていた。
公道走行もまとめ落としのブリッピ
ング一発合わせとかはやっていた。
ケニー・ロバーツがやるやつ。
勿論、クロスレシオ域ではノーブ
ップもある。臨機応変だ。
ただ、公道でもレッドゾーン付近
タコ針をダンスさせる乗り方
なので、
ブリッピングは必須
ったし、今も多用する。
 
ホンダ CG125は海外生産になった
とはいえ、つい3年前あたりまで
製造
されていた機種だと知り驚く。
まあ、ホンダ はカブエンジンと
いう
永久不滅(内燃機関禁止まで)
のエン
ジンがあるから、CGエン
ジンなどは存在価値としては

したことないのかも知れないが。
スズキはスズキでGN125の完成
され
切ったエンジンがある。
カワサキは途中から大排気量に
主軸
をシフトしたので、どうも
ライトウ
エイトクラスが弱い。
ただ、今の事ではなく、往年の
印象
だが、ヤマハの2ストと
スズキの4ス
トのエンジンは
壊れない、という
印象を持って
いる。特にヤマハの2ストは
丈夫で長持ちだ。
買い物バイクと特定機種以外
2ストを作らなか
たホンダ
は記憶から外れるが、
ヤマ
の2ストロークエンジンは
かなりタフネスだった。
しかし、ホンダが本腰入れたら、
2ストさえもホンダが突き抜けた
エンジンを作って来た。エンジン
みは世界一。車は曲がらない
けど。
ヤマハとスズキはシャシが結構
いい。
意外なとこで、カワサキはマッハ
Z2時代よりずっと後(といっ
ても
数年後)にはとてつもなく
よく曲が
るオートバイを作って
いた。隠れた良質ハンドリング
をカワサキは持っていた。
 
モノヅクリは、国作りと同じで、
手前味噌の気持ち悪い自己愛に
どっぷりの甘ったれた感性では
絶対に良い物は作れない。
これは「メーカー」という生産者
企業に勤めると即日理解が及ぶ
だろうが、メーカー人は「良い点
と悪い点」を自社製品に対しても
厳しく判定する。
大本営発表などは基本的に内部に
あっては存在しない。「秘密の
共有」はあっても。
自己愛型パラノイア的視点を許す
ほど産業世界の「メーカー」は
甘くない。脳内妄想族はすべて
基幹部門からは排除される。
特に設計やデザインや開発部署か
らは。
でないと物作りの進歩が無いから
だ。
また、メーカーにおいては、自社
製品への異常執着者=良し悪しが
判断できずにすべて大成功とする
偏重視点の者は、判断力無しとし
て必要とされない。
冷徹に正確に的確に「何がどうで
あるのか」を判断して、総合的に
解析と対策を立案でき、適切な対
処を成していける「チーム」が
必要
とされる。
脳内妄想族はチームには入れない。
そんな「メーカー」は産業界には
存在しない。
メーカーとは、どんなジャンルで
もそういうものだ。
そして、営業と技術者は時として
社内で対立するが、最終的には
会議や意思疎通により一丸化して
行く。
伸びて来た企業は全部それ。
とにかく、病的な偏執的な脳内
妄想族は、モノヅクリの業界
では
必要とはされない。
ダメはダメ、ゴーはゴー。そう
して
日本のモノヅクリは世界の
トップに
なって来た歴史を持つ。
 
ただ、社内政争というのはどんな
企業でもある。派閥と社内権力の
行使合戦のようなものが。
ますます、脳内妄想の自己世界が
全ての人間は必要とされない。
 
しかし、メーカーの良いところは、
製品が形になって残る、という
創造
性にこそある。
それとて、失敗作もあるのだが、
失敗を失敗と認めず、自社製品は
すべて最良とか思い込む脳内妄想
族も、これまたメーカーたる企業
サイドとしては必要な人材とは
なら
ない。
自社製品への愛は必要だが、溺愛
や黒が白に見える目は要らないの
がメーカーでもある。
そのあたりは厳格にシビアなので
とても面白い。
 

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