昭和のジュークボックス
An old Japanese jukebox
いいね~。ジュークボックス。
1970年代にはまだ日本にも
ジュークボックスがスナック
や喫茶店や原宿の店には多か
った。
曲はロカビリーから歌謡曲ま
で幅広かった。
レコードがたっぷりと機械の
中に保管されていて、それを
スイッチで自動的にプレーヤー
に持ってきて置いて再生する
仕掛けになっている。
欲しいけど、完動品は今は数
百万円程する。
1曲20円位だった時代もあった。
ハチトラのカラオケが出てジュ
ークは廃れた。
カラオケ大流行の最初はでかい
カセットを機械に差し込むハチ
トラだった。
その後、LDになり、さらに通信
カラオケになった。
私が高校の時にカラオケが世の
中に出始めた。日本人が考案し
た。
それでも、高校時代には横浜
元町や本牧、東京原宿、新宿
にはジュークボックスを置い
ている店もまだ多く残っていた。
ジュークボックスは1950年代
のアメリカングラフティには
欠かせない音響アイテムだっ
た。
アメリカの高校生の若者たち
が集うファミレスのようなカ
フェには必ずジュークボックス
が置いてあった。
上の昭和日本のジュークボッ
クスから青木眞理さんの歌が
かかったのはちょいびっくり。
この曲を選ぶとは、私と同世
代の人か(笑
私が最初に一人で実務を受け
持った法曹業務が、彼女のご
主人の会社の設立登記一切だ
った。
仕事内容の報告とかで自宅に
電話すると彼女が出るの。
「はいっ。はほきですっ」と(笑
30代のかわいいおばちゃんの
頃。