渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

ジンとくるやつ(再掲載)

2024年08月05日 | open
 


さて、今宵は何にすっかな。
ボンベイ行ってみよー。
1761年から変わらぬ成分ての
は凄いよな。
ちょい年表調べてみたら、日
本では宝暦11年、徳川家治が
第10代将軍に就いた年だ。
どの時代かあまりピンと来な
いというのなら、子連れ狼と
柳生烈堂の最期の決戦がこの
酒が出来た約60年前の1702年
の元禄15年だ(笑
この年はすげーよ。元禄15年。
今の暦だと翌年1703年1月30
日、江戸期の旧暦だと元禄15
年12月14日に赤穂浪士の吉良
屋敷討ち入りがあった。
テロリズムだよ、テロリズム。
赤穂義士は気概を見せたね。
御政道などは関係ない。
それが武士だ。テロルは定法。
テロリズムは武士の誉だ。
この元禄15年の3年前の元禄
12年-1699年には俺の先祖の
じっつぁまが死んでる。その
年は拝大五郎が生まれた年だ(笑
ま、ボンベイというのはそん
な日本の時代から半世紀以上
過ぎた1761年からの製法割合
が受け継がれて現代でも飲め
る。今のやつのリリースは
新しいけどさ。
すげーよね。日本の酒みたい
だ。
このボンベイ・サファイアは
新しい酒で1987年から発売さ
れた。日本では平忠彦選手と
本間利彦選手が大活躍の時代(笑
バブル経済爆発の開始年度。

飲み方はジンソーダとジント
ニックで。
トニックはウィルキンソン。
ソーダは佐賀の炭酸て名前の
やつ。案外うまい炭酸でめっ
けもんだった。市内では薬局
スーパーに売っている。

ボンベイ・サファイアは私は
かなり好きなジンだ。
しっかり、はっきりしている。
柑橘類と薬草の風味が。
中途半端ではない大人の味。
寝ぼけたお為ごかしなどは
一蹴する味だ。
私は大好きな味の領域である。
実に潔い味。
10種類の植物(ボタニカル)が
絶妙な配合で混合されている。
アルコール度数47度。ちょう
ど良い。

つまみはピリ辛チーカマだ。
これがまたボンベイ・サファ
イアにぴたりと合うんだな(笑
ボンベイ・サファイアってね、
テイストが2ストなんだよ(笑
そのテイスティさは解る奴に
しか分からないし、そもそも
2スト乗った事ない奴には判
らない。判別つかないでしょ。

本間ちゃん、酒大好きマンで
以前は自分で酒場経営してい
た位だけど(行きたかったぜ)、
ジンも飲むのかなぁ。
焼酎が好きみたいだからジン
も含めてスピリッツは好きな
のかも。
いや、酒は面白い。

本間利彦。あの人の功績はね、
何よりも一時期日本のレーシ
ングマシンを開発して作った
人である功績が第一。世界
トップのマシンを開発した。
チャンピオンマシンを。
そして、プライベートでは
東南アジアに学校を作った。
某国の悲惨な現状を見て、純
粋な意識から。自己資金によ
る支援で。
売名行為ではない。
そういう人。
そんなレーシングライダーは
日本では見た事無い。
私は1985年から本間利彦と
いう人には全日本で注目して、
1986年に実際に100Rイン側
で走りを見て感銘を受けた。
結果がどうではないのよ。
走りを見て「なるほど、そう
なんだ」と目に焼き付けた。
そして、1980年代~90年代
初期は、レーシングライダー
は本間利彦の走りに注目して
いた。「日本にもこういう
乗り師がいるんだ」と思った。
タイムや結果だけ見てたら
判らない事項。
で、その後引退してから学校
作りでしょ。
昔から好きだったけど、私は
本間利彦という人物が好きだ。
彼は本物。
でも、多くの業界関係者たち
さえも、彼が本物であるとは
理解していない。
歴史的にシャケさんの次は
本間氏しかいないのに。

本間利彦さんの動画チャンネル
を貼っておく。
ライディング ch HOMMA TOSHIHIKO

ライディング ch HOMMA TOSHIHIKO

レース界の全ての情報を引き上げる事を夢見て発信。ガチの世界レベルの情報をガチで解説する本物のチャンネルです。戦歴1988年 国際A級250cc 年間 チャンピオン1992...

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