渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

時代認識

2024年09月12日 | open



最近飲んでいて、店で他の
客と店員と同話題で話して
いて気づい
た事がある。
店にいた私以外の全員が自
分が中学に入学した年を覚
えていない。
それどころか、全員昭和生
まれの50代~60代世代なの
に、昭和と西暦を
即座に置
換できなかった。


これは私にはとても不思議
に思えたが、それは何故だ
ろうとしばし人と別話題で
話しながら脳内別回路で分
析し
てみた。酒が入ると頭
はフルスロットルでよく回

る(笑
別段文系史学科専門でなく
とも年次や年度、あるいは
該当年に何が起きてどうだ
ったかというのは私は克明
に覚えている。
そして、思考している時に
はたと気づいた。
これは新左翼と法曹界に属
した者の特性だ、と。
新左翼の場合、何年何月何
日に何がある、というのは
行動指針とメルクマール選
定において最重要課題とな
る。それは近未来の日時に
おいて。
また、過去については、日
時を逐一追う事でしっかり
とした総括活動になるので
時間軸の構成と出来事の事
実の客観視が新左翼活動家
にとって絶対に欠かせない
視点であり、その方式と自
覚に疎
い時間軸に昏く思考
が鈍重な人間は新左翼活動
家には
一人もいない。その
点は実に極めて鋭敏だ。日
本の新左翼
が1955年の過去
から現在まで累計何百万人
いよう
ともだ。
また、法曹関係にいた(あ
いは現在もいる)人間も
全く同様
であり、いついつ
の判例が
どうであったかと
いうのに
鋭敏で正確な把握
力が無い
と、法律的な職務
職業人として全く
役に立た
ない。愚鈍な裁判官、検察
官、弁護士、パラリーガル
といった法曹
人は一人もい
ないのだが、
年日時という
時間軸とその
流れ、連面性
と連鎖に無頓着な人
間は法
曹関係の仕事はでき
ない。
これは確実。


私は店で飲んでいて他の周
りの
人がおかしいのかなぁ
と思
ったが、他の事例も思
い起
こすと、普段一般の人
たちは
時間の推移や年次年
度具体
的年月日に何があっ
たかと
いうことに極めて無
頓着に生きて
いるのだ、と
いう現実を改めて
先日実感
した。

私のケースのようなほうが
実は特殊なのである、と。
単なる記憶力の優劣や歴史を
学問として専門的に学んで
いた経歴からではなく、私の
個人的な経験上からきた質性
から私はいつ何
があったか、
それの実体
はどういうもので
あったかを
可能な限り客観視
する性質が
身についたのだろ
うと思い至
ったのである。
私のそうした質性はごく普通
に誰でも持っているものかと
思っていたが、これがそうし
た一般的な人たちの中にあっ
ては「特異」な
ものであると
気づいたのは、
20年程前に撞
球仲間と玉を
撞いていた時だ
った。

「何年何月に何があったとか
異様な程に覚えてますよね」
と撞球仲間に言われたからだ。
私の過去において私と同属性
の人たちの中では、私のそう
した質性は全員がそうであっ
ので、私自身は「ごく普通」
人間として位置していた。
だが、それを外れた時には、
それは「特異」な存在になる
のだ。
つい先日、飲み屋での明け方
近くの店内だべりんぐでそれ
を再認識した。
こうした実例は軍人などにも
あてはまる。
軍人特有の感性や質性は、他
の領域で生きていた人間とは
根本から異なるのだ。
私や私と同じ属性に生きてい
た年毎や年月日の出来事を詳
に記憶している人たちの質
性も、軍
人のそうした特性に
非常に似
ている類型だと判別
できる。


 


 


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