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渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

明石 〜兵庫県〜

2024年03月21日 | open
 


夕食のあとカワサキ本社の
横の休憩エリアで休息。
ここから一気に岡山の街中
まで走る。
次の休憩予定は備前。中世
の国内最大刀剣産地。
日本
に都市が無かった頃、
日本
最大の市が備前の福岡
にあ
った。都を除く「商業
街」の最
初の形だ。都以外、
日本に
は漁村と農村しか無
かった
のだから。
日本各地が様変わりするの
は、戦国時代末期から江戸
初期に城下町が登場してか
らだ。
その城下町という都市開発
を初めて日本の歴史の中で
実行したのは織田信長だっ
た。
城下町を国内で初めて作
り、そのエリアを楽市楽
座として商取引組合を創
出して無税とし、商人た
ちを大量に各地から呼び、
そこで商業活動をさせた。
現代の日本の都市型消費
社会の原型を作ったのが
織田信長だった。
だぎゃーの国の人。
やろみゃあやろみゃあ、と
って人の首ポンポン刎
た奴。
 
地図は見ない。
GPSマップも確認しない。
標識のみで進む。
ただし、R2は途中で自動車
専用道路になり本来の国道2
号が別国道名になっている地
点多発が予想できた。
案の定、国道2号を進むとそ
のようなルートになっている
場所がいくつもあり、迂回し
た。
そこでも地図は見ない。
日が暮れようとも、方位感覚
と標識のみで進行する。
夜半からは星が見えたので、
さらに方位確定は容易だった。
 
ナビ頼りでしか道を走れなく
なると、人間力は著しく低下
する。
昭和の小学校でオリエンテー
リング等の探査課外授業があ
ったのは、それは人としての
判断力や識別力や思考力や負
荷耐性能力を磨く為だ。
また、日本だけでなく世界
中(先進国)ではキャンプ
もそうした「人間教育」の
教育の一環として実行され
てきた人類の歴史がある。
お手頃お手軽ではない事を
あえてする事で、人間力の
低下を予防して活力を持っ
て人が生きるための教育の
一環としてキャンプは存在
したし、今でもその意義は
消滅していない。

そうした教育を受けた私たち
までの世代と、それ以降の引
きこもりゲーム世代では、耐
性や開拓力や総合識別判断力
が別物のように違う。
そもそも自己切開力の有無が
観察できる程に人の中身が別
物なので、昭和世代はいか
困難な状況だろうと自
で切
り拓いて進んで行く。
それが昭和世代だ。
お膳立てが揃わないと何一つ
できないお手軽志向の人間と
昭和世代は別な生き物だ。
 
基本的に、人間はナイフ1本
あれば生きていける能力が備
わっていないとならない。
地球上の自然界で一番弱い
生物が人間だから。
人間が一番強い、偉いとか言
う奴は何も持たずにヒグマ
戦ってみろ、というやつ。
しのごのうっせーごたくを
並べるなら、スマホや名刺
でクマと戦ってみろ、と。
やってみろ、ほら、やらん
かい!というやつね。
 
せっかく、自分で判断して自
分で進むという、人にとって
大切な野性を取り戻せる二
輪という乗り物
に乗ってい
るのに、それを利
用しな
手は無い。
二輪は四輪と異なり、走行
ラインがタイヤ1本単位で
自由に選べる。
自分の意思と実行力で。
この意味は人にとって大き
い。
二輪をただの単なる移動手
段としてのみ使用している
と、その二輪が教えてくれ
る大切な事に気づかないま
まやがて齢を取ったり諸般
の事情で二輪を降りる事に
なる。二輪走行の真髄を知
らぬまま。
とても勿体ない。

1980年代、日本のオートバ
イが世界頂点に君臨した頃、
ある国産メーカーがCMコピ
ーで二輪の事をこう謳った。
「人に一番近い乗り物」
と。
当時、これは実に言い得て
妙と20代の私は感じ入った。
単なる移動乗り物としてで
はない独自特性を二輪は
具備しているからだ。
二輪は人と共にある。
人も二輪と共にある。
メーカーはそれを訴えたか
ったのだろう。


 

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