ゼファー1100は「フラッグシッ
プ」ではないんだよなぁ。
モーターリゼーションの歴史の
真実やモータージャーナリズム
の観点から言うならば。
ゼファーシリーズは400こそが
シリーズのセンターなんだよ。
ゼファー400こそは世の中の流れ
を変えて歴史を作った。
廃業寸前だったカワサキをも救っ
た。
ゼファーは400こそが旗艦なんだ
よね。1000や750はその派生型
でしかない。ゼファーχ(カイ)は
ゼファー400の発展型。
ゼファー400とχには大きな違い
がある。
それは2バルブから4バルブにな
ってエンジン出力が上がった事
ではなく。
エンジン出力が改定自主規制の
上限53馬力になって走りに鋭
さが加わったゼファーχだが、
実はステップ位置がゼファー
400よりも前進している。
ゼファーχよりも低出力なゼ
ファー400のほうがバック
ステップでレーシーなポジ
ションなのだ。
さが加わったゼファーχだが、
実はステップ位置がゼファー
400よりも前進している。
ゼファーχよりも低出力なゼ
ファー400のほうがバック
ステップでレーシーなポジ
ションなのだ。
これは不思議な構造変更であり、
ゼファーの持つ一つの謎だ。
ゼファー400でやり残したオー
ルドスタイルの完成形の実現が
ゼファーχのステップ位置の
前進だったのかも知れない。
前進だったのかも知れない。
ゼファー400は低馬力の2バルブ
だからといって速度が出ない訳
ではない。
私の知り合いにはエンジンを全
バラして組み直しができる人が
いるが、その人が組み直したゼ
ファー400はメーターを振り
切っていたという。ノーマル
エンジンで。
切っていたという。ノーマル
エンジンで。
χなどは楽勝でコーステスト
では190km/hメーターを振
り切っていた。
では190km/hメーターを振
り切っていた。
考えてみたら、1990年代初期に
はすでにその時から15年前の
750の馬力に匹敵する出力と、
往時のナナハンを上回る運動
能力を1990年前後の400クラ
スは持っていた。
能力を1990年前後の400クラ
スは持っていた。
常人が扱えないレーシングモン
スター並みの馬力を公道車にも
落とし込んだのはリッターSS
が登場してからだ。
だが、60PSあたりまでのマシン
は瞬間加速でもレッドまで
回せてフルパワーが公道でも
規制速度内で使えるが、スー
パーパワーのSS等は全く日本
の公道では持ち味の出力が使
えない。
は瞬間加速でもレッドまで
回せてフルパワーが公道でも
規制速度内で使えるが、スー
パーパワーのSS等は全く日本
の公道では持ち味の出力が使
えない。
低ギアでも回せば即免許トビの
速度に達するからだ。
結果として、超出力のSSは公道
では痛し痒しのマシンとなっ
ている。
ている。
圧倒的な出力と運動能力を8割
以上殺して、抑えに抑えて国内
道路を走らなければならない
のがスーパースポーツの現状
だ。
のがスーパースポーツの現状
だ。
そうした面からも、ゼファー400
の存在コンセプトは今でも一石を
投じ続けている。
ゼファー400は西からのそよ風を
永遠に人々に送り続ける。
ゼファーシリーズは、原初たる
ゼファー400こそがフラッグシッ
プモデルなのだ。
高出力化の公道レーサー化と
予見された大出力大排気量二輪
化の流れに対して、真っ向か
らアンチテーゼを掲げたのが
カワサキのゼファー400だっ
たのだから。
らアンチテーゼを掲げたのが
カワサキのゼファー400だっ
たのだから。
ビッグバイクで常に世界一の世
界最速マシン作りを狙っていた
カワサキ自身からそのアンチ
テーゼが出されたことに、と
てつもない歴史的な意味があ
る。
テーゼが出されたことに、と
てつもない歴史的な意味があ
る。
ゼファー1100をフラッグシップ
と捉えるのは、それはハイスペ
ック化に歯止めが効かない時代
の観念に毒されたものであり、
ゼファー誕生の真意を理解して
いない。
つまり、ゼファーそのものについ
て解ってはいない。
排気量でかけりゃいいならダンプ
にでも乗れよ、速けりゃいいなら
新幹線にでも乗ってろ、という
話なのだ。
オートバイの面白さって、そんな
とこにあるんじゃないでしょ?
と世に問いかけたのがゼファー
だったのだから。